岬明神川【2】

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(「岬明神川【1】」の続き)

それは私にとって些か「信じがたい光景」だった。
ただの古い排水路が海をすぐ間近にしていながらこの場所でレンガ積みの隧道に吸い込まれていたのだった。


実のところ隧道のようになっていることは、このたび水路の中へ降りてスクリーンを撮影する前に気づいていた。まずは市道との交差部を撮影してそれから詳細を確かめに接近したのだった。
それでも前回、即ち初回訪問時はまったく気づいていなかった。排水路は交差部より下流で僅かながら左へカーブしているために隧道部が隠れていたからだ。

廃水路が私有地になっているということは…恐らくないだろう。[1]たまに近隣住民が水路へ降りることもあるらしくゴミを燃やした痕が残っていた。
後から本件のみを参照するときの便宜上インデックスを付けておく。
《 レンガ巻き隧道 》
ここの正確な場所の地図である。


地図では市道を斜めに横切って海に向かっている。この経路自体は訪れる以前から地図で確認していた。
水路を示す水色のラインはここで途切れている。先がどうなっているか分からない[2]が、行き止まりになっている筈もないので、ここからは市街地でよく見られるコンクリート製の函渠になっているのだろうと思っていた。

入口付近の様子。
石積みもコンクリート張り水路もここで唐突に終わり、ここからは円筒状にレンガで巻き建てられた隧道となっている。入口近くには水路へ降りるために誰かが置いたのだろうか…塩ビ管が立てかけられていた。


レンガは数層にわたって巻かれているが、その上に流下の障害となる丘などはない。目視でもレンガ上の土被りは殆どゼロだ。現にここに存在していながらも疑義を差し挟んでしまうのだが、
どうしてここだけレンガ巻き隧道に?
地図を見るまでもなくここからすぐ先は海だ。まして八王子や明神町といった地は丘どころかむしろ石炭採掘に伴って発生したボタで埋めて陸地を押し広げた場所が多い。わざわざ排水路の上部をレンガで巻く意義に薄い。
本来なら開渠のままで済まされるのをわざわざレンガ巻きにしたということは…
上の土地部分を有効利用したかったのだろうか…
即ち外形はレンガ隧道なのだが、トンネルと言うよりはむしろ昔の汚水管渠だ。今の時代ならヒューム管を埋設するところを、そういった資材のない昔にレンガで拵えたのだろうか。
工業用水道、例えば厚東川1期でも当初はレンガ巻きだったという。表に出てくる部分が殆どないのと現在は内側を鋼板で巻き立てられているので見えないだけだ。この場所のように容易に近づける場所へレンガ構造が現れているのは珍しい。少なくとも私は市内で鉄道関連の隧道やアンダーパス以外でレンガ巻き構造になっている例を他に知らない。

レンガ隧道の入口近くには別の興味深い枝管がみえていた。この場所で合流するらしく断面はまるで斜に切った竹輪を思わせる。
これも異様に古そうだが…後で調べよう。


改めて坑口に近づく。
元々は断面が円形の管渠として拵えたらしいが、土圧か自重によって天井部付近がやや下がって楕円状になっているように見える。


コンクリートの底部分は隧道の手前で切れていて内部には水が溜まっていた。
奥は閉塞しているのか途中で曲がっているのか…明かり部分は見えない。


この溜まり水を見た時点で潜入は不可能と判断した。断面が円筒状なので足を濡らさず進める余地がない。管渠の中央部では50cm程度は泥水が溜まっている筈で、いつから溜まっているやらも分からない汚水の中へ足を漬けたくない…いや、仮に水が溜まってなかったとしても進攻しないだろう。

この先がどうなっているかという興味は…当然ある。大アリだ。しかしそれ以前にあまりにもおぞましい。この構造物の歴史的価値は認めるとして、素性が分からないだけにいろいろな危険が想起される。足を滑らせてスニーカーを汚水まみれにするという以上に、先が予期しない斜坑になっていてズルズル滑り落ち脱出不可能になるとか、潜入中に突然レンガ壁が崩れて閉塞区間に閉じ込められるとか、隧道内に溜まっている有毒ガスや酸素不足による行き倒れとか…これはとても一人で奥を探索できるような物件ではない。それ故に読者向けにも久しぶりのタグ貼りになるのだが、

危険ここから先への進攻は生命にかかわる重大事故の危険があります。決して不用意に潜入なさらないで下さい。

極端に言えば、これは「表に出してはならない物件」のようにすら思えた。今までの写真や私の行動経路から分かるように、現地は好奇心さえ後押しするなら誰でも内部へ潜入できる状況になっていたからだ。市道交差部には函渠へ入り込まないように両側から鉄格子のスクリーンが設置されていたのとは対照的だ。市道から離れた場所にあるから知られていないだけで、もし好奇心旺盛な子どもが探検紛いに入り込んで事故を起こしたら間違いなく鉄格子で塞がれるだろう。

この物件はどれ位に知られているのだろうか…今まで読んできた郷土関連の書籍や資料には何の記述もなかった。昔はあまりにもありふれた構造物だったからだろうか。まずは可能な限り詳細を撮影して持ち帰りうちのメンバー(と言うまでもなく今この記事をお読みになっている読者)に報告し、日の当たる場所へ提示しようと思った。

レンガ隧道は当初簡素なものを造って後から補強したように見える。
内側と外側で巻き立ての方法が異なるしレンガの外観も全然違う。


これなど特にわかりやすい。
外側のレンガは3層でレンガの色調や原型が保たれている。他方、内側に巻かれたレンガは見るからに古く、巻き方も1層半のような配置になっている。


特に気になったのは隧道内部を向くレンガの異様な状態だった。
何か焼け焦げたように黒いものがこびり着いている。レンガの目地部分も乱雑にモルタルをねぶり付けたようだ。


この外観から、もしかしてレンガ積みの隧道は当初もっと延長があったものが破壊されのではないかとも考えた。または経年変化で一旦崩れてしまったものを後から組み直したとも…

確かに天井部分は一部のレンガが剥がれたようになっている。端が欠けているように見えるレンガもあった。


しかし末端部を観察すると、どれもが揃っていた。内側の巻き建ての先端は一番外の巻き建て部分に一致する。


入口に対して右半分は下まで同様になっていた。


この部分の造りについての理由は何とも判断しかねた。一番外側の3層部分は前面が揃っているので、少なくとも管渠化したときから今のままだったのだろう。他方、内側に1層半のレンガ構造を持つ理由は…私には分からない。見たところ内側の方が古そうだが、だからと言って最初に1層半レンガがあって後から補強を兼ねて外側に3層を巻いたとは言い切れない。精々、両者を造った時期は恐らく異なるという推測が働くのみだ。

以前の明神川はこちらを流れていたのは既に検証した通りだ。しかしさすがに河川の誕生したときからこうだった筈がない。最初期は石積みもない両側が自然の土手の川だったのだろう。いつの頃か両側を石積みに改修し、それとほぼ同時期にこの部分をレンガで巻いて管渠にした。恐らくどうしてもこの水路上の土地を有効利用したいという声があっての改変だろう。
このレンガ隧道は何処へ向かっているのだろう…
今も何処かへ向かって水を流しているのだろうか…
内部へ潜入しないとしても今居る場所からもう少し奥を窺えないものだろうかと思った。


レンガ隧道の入口付近は乾いていてレンガの地肌が見えていたが、少し奥は湿気があって時間帯によってはある程度太陽の光も届くらしい。光を必要とするコケ類が育っていた。更にその奥は…

ズームで探ってみた。
奥は砂が溜まっているようだ。近所の悪ガキの仕業だろうか…坑口の横に実っていたダイダイを奥の方へ投げ入れた形跡があった。
奥の方の天井付近に横方向へ貫通している何かが見えている…現地では気づいていなかった


手前の方には足を濡らさず奥へ進むための足場を造ろうとしたのかコンクリートブロックの破片が目立つ。
奥の方の断面はほぼ完全な円形で、明治や大正期に造られた下水道を想像させる。


ズームしてみても一番奥の様子は映像として得られなかった。閉塞しているのだろうか…現在なら一応あり得る話とは言ってもかつては間違いなく海まで続いていた筈だ。たまたま隧道がカーブしているとか、先にあるポンプ場のゲートが閉じているために見えないだけなのか、それとも小串台のいか土公園下を通る廃されたボックスカルバートのように用途廃止された折にコンクリート壁で封鎖されたとか…

フラッシュを強制作動させてみた。
もちろん現地では小さな画像でしか確認できないからどれほど鮮明に撮れたかは分からなかった。


多分鮮明には撮れないだろうと思いつつも奥の方をズームして同様に強制フラッシュ撮影している。
やはりダメだ…ファインダーを覗いている時点で奥が鮮明に見えていなかったからだ。


連続的に観ることができれば静止画像よりも鮮明に見えるかも知れないと思い動画撮影しておいた。

[再生時間: 40秒]


まだ他にも疑問点はいくつもあるが今はこれだけを持ち帰ろう。メンバーに諮ってみれば何か有用な情報を分けてくれるかも知れない。

そうそう…もう一つあった。
正月の門松みたいな断面をした流入する枝の暗渠だ。


石積みの半分程度の径を持つ枝管だ。
これは相当に古い。明神川の両岸が石積みになる以前からあったのだろう。


後から打設されたコンクリートの床部分はこの枝部分を避けて造られていた。
枝部分の先は民家だ。閉塞は間違いないと思いつつも内部を覗き込んだ。

(「岬明神川【3】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 総括記事で添付した防災マップでは水防区間として記載されているので現在も市の管理と思われる。

2. 地図の縮尺を一段階上の広域表示に変更すると旧河川の経路が表示される。
したがって八王子ポンプ場へ続いているというのは恐らく誤り

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