岬明神川【3】

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(「岬明神川【2】」の続き)

レンガ造りの隧道入口の10m程度手前に別の暗渠が合流していた。


上部はアーチ構造になっているのでレンガかコンクリートブロックで暗渠化したのだろう。ただしブロックそのものは異様に古い。微かにピンク色を呈しているのでいわゆる桃色レンガ[1]が経年変化で色抜けしたように見える。

床板構造の方が高いので内部を写すには思い切りしゃがみ込まなければならなかった。
ブロックは2層巻きで幅は60cm程度、高さはその半分くらい。とても狭く物理的に潜入して調べられる物件ではない。


這ってでも入れない位に狭い空間にアーチ構造を造っている。
最初にアーチ状の型枠を造っておいてその上にレンガ状のブロックを並べたのだろうか…


限界まで腕を伸ばして撮影。
一番奥はどうなっているか分からなかったが閉塞は間違いない。
フラッシュ強制オン撮影するのを忘れていた


枝管が伸びる方向は現在月極駐車場になっているし、昭和40年代後半の航空映像でも既に民家が並んでいる場所だから、ちょっと想像がつかないほどに古い。この方向に田畑などがあったとは思えず、使用後の水を排出する工場などがあったのではと思える。この空間は少なくとも50年以上日の光を浴びたことも観察されたこともないだろう。

丹念に探せばこういったレンガやブロック巻き立ての排水路は今も結構残っているのだろう。[2]しかし居住空間に近い場所は幾度となく改変が行われているので、今や古い水路や海岸など改変が行われにくい場所でしか見つけられないと思う。

住宅地の一角に口を開けているレンガ巻きの隧道。
現役時代はどんな風景だったのだろう。侵入防止のスクリーンが掛けられ海まで川の水を排水していたのはそんなに昔のことではない筈だ。


このレンガの土台部分もちょっと意味が分からない。
田がなかったと思われるこの地でも堰板で堰いて水位を上げて川の水を何かに利用していたのだろうか。


安易に水路の中へ降りてしまったが上がり直すのは容易だった。
飛び降りた1m程度のコンクリート護岸を避けて鋼製のスクリーンの桟部分に足を掛けることができたからだ。


市道に復帰。
初回訪問時は見落としたが、廃水路の土手端まで寄れば道路からでもレンガ隧道の入口が見えるのを確認した。


さて、上流側にあたる市道の反対側も少し調べておこうと思い自転車を移動した。
「あぶないから入ってはいけません!」の汎用の警告板が出ている。


内側を覗き込む。今や中央の溝で間に合う程度の水しか流れ込んでいなかった。
上流側のスクリーンは市道交差部から離して設置されていた。ここから入ると市道下の函渠部へ転落してしまうので警告板をぶら下げているのだろう。
下流側にはこのような警告板はなかった


「入ってもいい」場所を求めて対岸側へ移動する。
こちら側も管理道になっていて通ることに問題はなさそうだ。


上流側の廃水路部分は石積みではなくコンクリート護岸になっていた。
「自転車通行注意」のバリカーが設置されているのが奇妙だ。こんな場所を通る自転車があろうとは思えない。


コンクリート側壁に点検用の降り口が設置されていた。
高低差のあるコンクリート壁を梯子なしに昇降するための作業用足場である。


ホチキスの針のように見えるこの部材はタラップ(足掛金物)と呼ばれる。現在でも汚水管の人孔(マンホール)や工業用水の水槽、建物では屋上に出るための足場としてコンクリート中へ埋め込んで設置される。タラップは当該コンクリート構造物を現場打ちするとき埋め込むのではなく打設後にコンクリートを削孔して取り付けられる。[3]昭和中期頃までは鎹で代用されていたが、錆びて強度が落ちるなどの問題があるため現在のタラップは耐荷重性をもった専用の鋼材を用いてビニル被覆されている。このタラップの存在から岬明神川が付け替えられこの区間が廃水路状態になったのは昭和50年代以降ではと推測される。

さて、この部分は初回訪問時にも撮影したがなかなか複雑な構造になっていた。
単純な一枚モノのスクリーンではなく3枚の分離された格子があってそのうちの2ヶ所には操作可能なハンドルが付属していた。


正直、この構造の意図がちょっと読めない。上部のハンドルを回すことで両側の格子が水流に対して同じ方向になる。バタ弁のような動きをするのだろうが、今や上流から嵩張るものが流れてきてスクリーンを塞ぐことはほぼあり得ないのだからあまり意味がないような気がする。


恐らく回転扉を意図して設置されているのだろう。点検時に上部のハンドルを動かして半開状態にして内部へ入るのだろうが、柵の内側へ降りれば函渠まで到達できてしまうので厳密な意味での侵入防止にはなっていない。

わざわざ内側へ入らなくても格子越しに先を偵察できる。
市道真下を流れる低い函渠は当然ながら生きている。ここから入って内部を定期点検するようなことがあるのだろうか…


上流部は一定の高さまでコンクリート護岸になっていた。
河床部は下流側と同じくコンクリート床板の中央部に溝を残す構造だった。


こういった構造の排水路は平成期以降の施工によく見られる。市内では塩田川の上流部がそうなっている他、厚南の流川付近にある上梅田川では流水量が少ないとき河床内に設置された通路を歩けるように設計されている。

そのまま河床を伝って上流部まで歩いた。
側面はコンクリートだが橋は昔のままと思われる石橋になっていた。転落防止の手すりは後から設置したらしい。


石橋の下をくぐる。
旧河川上を古い水道管らしきものが横断していた。もう使われていないらしく途中で折れ曲がっている。


このように水路の上を横切る管は昭和期にはしばしば観測されていた。現代においては一個人が新規に架設することはまず認められないだろうから減少の一途を辿っている。

この次の橋も石橋だった。
別の排水路からの流入があって河床部を濡らしていた。


更に上流部は…際限なく続いている。両側は民家でありこんな場所を歩いて行くなんて不審者の臭いがプンプンだ。


自転車を停め置いた場所から離れてしまうのでズームで先を窺うように撮影しここで引き返した。


何処かでこの廃水路は現役の明神川と分岐しているのだろう。しかしこの日はここまでを撮影してアジトに戻った。

この記事を制作している現在では先の問題である分岐点についても既に写真撮影を終えている。並行して本件はいつもながらFBのページやタイムラインに掲載して同種の物件に興味をもつ読者に情報提供している。
今のところあのレンガ隧道に関して「いつ造られたのか?」や「どうしてあの区間だけレンガ巻きにしたのか?」などについての回答は見つかっていない。この場所は岬校区になるが、郷土マップは作成されていないようでふれあいセンターでは入手できておらず最近紹介して頂いた市のホームページの校区文化財マップ[4]にも岬校区のものは掲載されていなかった。
岬ふれあいセンターからこのレンガ隧道は直線距離で100m程度のところにあるので、あるいは直接尋ねれば何か得られるかも知れない。追加の情報は本編ではなく総括記事の編集追記で行う予定である。

後続記事として後日行った岬明神川分岐点の調査記事を予定している。
大した内容ではないので省略して別の記事を充てるかも…

(「岬明神川【4】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 通常のレンガ素材となる粘土に、採掘された石炭の焼却灰を混ぜ込み日干しして造られたレンガで、大正期から昭和40年代まで造られていた。火力発電所で生じる石炭灰の有効利用となる初期のリサイクル事例である。当時の手法を再現して製造されたレンガが宇部市立図書館の裏庭に設置されている。

2. この記事のダイジェストをFBで報告する過程で読者から市内における昔の汚水管の設置状況について報告したドキュメントが提示された。
歴史遺産 宇部市下水道の歴史遺産

3. 組み立て型マンホールでは製品出荷時の段階で既にタラップが取り付けられている。

4.「宇部市|校区文化財マップ

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