市道芝中通り線・横話

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ここでは、市道芝中通り線の派生記事をまとめて収録している。
《 スパンキーNo.14 》
現地撮影日:2015/1/21
記事作成日:2015/1/23
スパンキーでキーワード検索すると会社名や商品名などいろいろヒットするが、宇部市においてスパンキーと言えばフレンチドッグ系のスナックを提供するチェーン店および商品の名称である。
写真は代表的なスパンキー商品の一つ、フレンチドッグ。


後述するようにチェーン店としてのスパンキーは昭和40〜50年代前半において人気を博し、かなりの店舗が存在していた。昭和50年代に入るとスナックの種類が増えたのも要因か店舗数が減少している。個人的にはすべての店舗が消滅したものと思っていたが、昭和町にスパンキーの名称を引き継ぎ当時の味を保って営業している店舗があるという情報を得ていた。
本日、昭和町の店舗を訪れて数十年振りに現物を持ち帰り用に買うと共にスパンキーについてお忍びで取材してきた。以下の写真は現在営業している昭和町店に限定的な時系列の記述となる。
【 昭和町店舗 】
スパンキー昭和町店舗の位置を地図で示す。
ただし既にチェーン店ではなくなっており正規の店舗名称ではないかも知れない


昭和町店は本路線の起点付近にあり、それ故に派生記事として記述した。更に記述内容が増えたなら建物カテゴリの独立記事として再構成を予定している。

起点の松山町二丁目交差点を向いて撮影。
たばこの看板と赤い庇が目印である。


この日は当初からスパンキーへ取材を兼ねて現物をテイクアウト用に買って帰ろうと思っていた。看板にフレンチドッグ・スパンキーの語があるから間違いないとは思いつつも、大沢の店のイメージがあったので扉を開けるのに一呼吸を要した。
年配の客が2名居てそれぞれのひとときを過ごしていたが、お店の方は見えなかった。
「今ちょっと席を外しちょってよ。すぐ戻って来てじゃろう…(少し身を乗り出して)お客さんよ〜。」
店内は小さな喫茶店のような雰囲気で、子どもの頃スパンキーを買って貰っていた大沢の店のイメージではなかったのでちょっと心配になった。
やがて店の方が出て来られた。
「表のスパンキーって看板を見ました。昔あちこちに店があってソーセージをフレンチドッグ風に揚げていたあのスパンキーですね?」
「そうです。今はソーセージの他にチーズと卵があります。」
「じゃあ、持ち帰り用に1本ずつ作っていただけますか。」
器に衣を溶いて混ぜ、串に刺した卵・チーズ・ウィンナーを絡ませていく。スパンキーを揚げる専用の容器があって、串の部分を挟んで油の中に漬けるようになっていた。幼少期食べたスパンキーは確か出来合いのものが温蔵庫に入っていたように思う。
揚がるまであれやこれや話を伺った。
「懐かしい…確か大沢と東新川駅の通りの近くにもお店がありましたよね。」
「はい。東新川駅の近くにある店が一番最近までやっていらっしゃいました。今はもううちだけになってしまいましたが…」
「スパンキーって市内でも何店舗があったけどチェーン店だったんでしょうか?」
「そうですね。」
「宇部生まれのですか?」
「40年くらい前のことらしいですけど東京に行った方が現地でスパンキーを見て宇部で広めたのが始まりのようです。」
市外や県外に出て新たな食文化に触れ、それを地元に持ち帰って広めたという事例は割とよくみられる。広められる過程で独自のアレンジを経てオリジナルとは異なる名称や食べ方をされるものもある。
サンドイッチがカードゲームを愉しみながらでも手軽に食べられるスナックとして歓迎されたように、スパンキーも手を汚さずに小腹の空いたときのスナックとして大いに歓迎された。今ならファストフード店は種類も店舗も多いし、スーパーに行けば出来合いの惣菜や袋入り菓子類も沢山ある。昭和40年代後半と言えば簡素な袋入り菓子はあったが、ある程度空腹を補ってくれるスナックを提供する店は少なかった。レストランやラーメン店で食べるほどではないがちょっと手軽に食べたい需要には大いにマッチしたことだろう。しかし市内で第一号店が誰により何処に開かれたかなどは恐らくもう分からない。

卵・チーズ・ソーセージそれぞれがいくらだったかは尋ねなかったが3本で490円だった。
「お聞かせいただきまして有難うございました。うちのメンバーに話しておきます。多分誰か来ると思います。」
「よろしくお願いします。」
大手マスコミや地元の記者ほどの影響力はないものの、記事を読んで懐かしく思い来店する読者はあるだろう。日々どの位のスパンキーが売れているのかは聞かなかったが、毎日のように製造しているせいか淡々と受け答えなさった店主の話しぶりが逆に印象的だった。

帰り際に市道を渡って反対側から写した映像。
庇部分にはコーヒー・フレンチドッグ スパンキーとだけ白抜きで描かれていた。このことから今や他のナンバー店が存在せずこの店だけということが推察される。


さて、ここまでお読みになってスパンキーの実物をよく知っている私や市内古くからの在住者ならまだしも、どんなスナックやら分からない方が大勢だろうから、買ってきた現物の写真を載せよう。

上からソーセージ、卵、チーズである。
卵とチーズの見分けがつきにくいかも知れない。実際には手渡されるとき「串の長く突き出ている方が卵です」と教えられた。


袋から出したときはまだ熱々で揚げたての香りが立ち上がっていた。フレンチドッグではあるがこの香りはまさしく学童期よく親に買って貰ったスパンキーの香りである。市販のレンジでチン☆!するタイプのフレンチドッグとは全然違う。画像が精一杯で匂いや味をお伝えできないのが残念である。

ソーセージの例。
マスタードが添付されるのでたっぷり塗って頭からかぶりつくものである。
ケチャップの小袋を選べたかどうかは記憶がない


ソーセージは市販のよくある一本モノのロングソーセージではなく中粒挽きのフランクフルトだった。学童期お世話になったスパンキーでは普通のソーセージだったような気もするが、祭りの出店でパクついたフレンチドッグと重なり合っているかも知れない。味としては今のフランクフルトを揚げたスパンキーの方が格段に美味しい。フレンチドッグと言うとフランクフルトが連想されるからか、昔食べたスパンキーとして一番馴染みある味だった。

お店ではうちのメンバーに話しておきますと話していたので、今日のうちにタイムライン[1]に挙げた。スパンキーのテイクアウト用紙袋で新しい情報を寄せた読者があり、行ったことはないが一度買いに行くという読者もあった。
元々がスナックと言うかちょっとしたおやつ感覚なので毎日食べれば飽きてしまうだろうが、後述するように市民では私と同世代ないしは上の世代では利用した人は結構あると思う。宇部の銘菓という位置づけはできないにしても昭和時代の傑出したファストフードと言えるだろう。

【 個人的関わり 】
初めてスパンキーを利用したのがいつかは分からないが、恩田へ越して来てからのことと思う。個人的関わりが特に多かったのは国道190号大沢にあった店舗である。ナンバー何号店だったかは分からない。当時のスパンキーは号数で呼ばれていて大沢店という呼び方はされていなかった。
親父も好きだったらしく誰かが食べたいと言いだしたときは家からわざわざ車を走らせて買いに行っていた。大沢の店は1階部分が駐車場で階段を上がって2階が店舗だった。店内は横に細長いカウンターがあってその場で食べることもできた。しかし常にテイクアウトしていて店舗で食べた記憶はない。テイクアウトする分は紙袋に入れて渡されて、その紙袋にはスパンキーの店舗ナンバーとカンガルーがフレンチドッグを手に持っているイラストが描かれていた。[1]よく売れていた時代は調理済みのスパンキーをリーチイン式温蔵庫から取り出して売っていたかも知れない。
このため熱々ではあったが揚げたて感は今回食べたほどではなかったと思う

大沢のスパンキーが閉まったのは早かった。昭和50年代半ばには営業されなくなった。それまでに私たちも何となく飽きて行かなくなっていたように思う。建物が今も残っているか実のところ確証が持てない。国道沿いにそれらしき建物があるもののスパンキーから一度オーナーが変わって看板が塗り替えられている。後続のオーナーも退去したようで現在は普通の倉庫ないしは民家のようになっている。
一応写真は撮っているが掲載は省略する

この他に知っていたのは市道恩田通り線に面した店舗のみである。兄貴は学校の帰りこの店でよく買っていたようだ。私は利用したことはないが、かなり最近までスパンキーとして営業していた。店舗が閉じられてまだ十年経っていないと思う。
現在は建て替えられ会社のオフィスになっている

他に市内外を問わず何処にスパンキーがあったか記憶に乏しい。FBのタイムライン掲載後、かつての丸信宇部店(現在のレッドキャベツ宇部店)の新天町アーケード街側に軒を借りる形で営業していた小店舗の存在が指摘された。[1]店舗は小さかったがアーケード街と丸信は人の流れが集まる場所のため、数あるスパンキーの中で最も利用者が多かった店舗かも知れない。ただし母親の買い物で丸信宇部店へお供したことが数多かったし新天町アーケード街側へ出たこともあったがスパンキーを買って帰った記憶はない。中央や銀天街アーケード方面にも店舗があった模様。[2]

昭和町の店舗を知ったのはFB側で運営しているページへの読者情報であった。2014年9月に芝中方面を訪れるとき店舗の看板のみ確認していたがそのときは店には入らなかった。利用したのは本記事を作成する時点が初めてだった。

恐らく若い世代は知らないだろうから、こうしてネットの上なり人々の閲覧が行き交う場へ提示してみた次第だ。少なくとも個人的には大変に懐かしいスナックだし、今や最後の一店舗となったこの店がなくなってスパンキーなる昭和のファストフードが消えるとしたら大変に淋しい。そうなる前に再び現物を食することができて本当に良かった。
スパンキーは現在数多くあるファストフードの中でも決してひけを取らない。大人とて3本食べれば500円程度で本当にお腹一杯になる。かつて頻繁に食した私たちの世代が情報提供すれば「こんなファストフードがあったのか」と今の世でも大いに再評価される余地はあると思う。
出典および編集追記:

1.「FB|スパンキーなくして宇部の昭和ファストフードは語れない(上巻下巻)」(要ログイン)

2.「FB|更新通知(要ログイン)
《 芝中について 》
記事作成日:2014/7/19
芝中(しばなか)は、宇部市街部の南東部一角を指す地名で、現行の町名としては芝中町と東芝中町がある。芝中町は恩田町1と松山町2の間に存在し、東芝中町は国道190号を挟んで芝中町の南側になる。[1]

芝中の市民における知名度は相応に高い。本路線に現れる芝中通りはかつてはしばしばソーダ通りと呼ばれていた。[2]ソーダ通りはバス路線にもなっていて、現在でも宇部新川に向かう一部のバスが通る。そのバスは一般に埠頭経由と呼ばれる。芝中を含む他の認定市道として、東芝中町交差点を通過する市道緑橋芝中線がある。

芝中の由来は、昔の地勢から背丈の低い草が茂っていた低地と思われる。町名以前の字名だった頃から存在し、柴中という表記もあった。そして時代が下るにつれて変化した読み方が定着した数少ない地名の一つである。

現在では、芝中は常に「しばなか」と読まれる。行政も芝中を常に「しばなか」として案内している。例えば本路線にある芝中埠頭を案内する表示板では、ローマ字表記がそのようになっている。


しかしかつては「しばなか」と呼ばれていて表記も「芝ノ中」と明瞭に「ノ」を加えたものが一般的であった。昭和12年に作成された宇部市街図では、現在の国道190号部分を含めて芝ノ中通りと記載されている。当時の小字絵図でも該当する地域は字芝ノ中となっている。当時から柴中という表記もあったので、この時点でもしかすると「しばなか」「しばのなか」の読みが拮抗していたのかも知れない。

旧郷土資料館の敷地には宇部鐵道時代の芝中橋の親柱が設置されている。
表記は芝中橋となっている。平かな表記部分がないので読み方は不明だ。


今まで調べた限りで古来の「芝の中」という表記が明確に遺されているのは、宇部興産(株)保有の常盤工業用水が着水する芝の中ポンプ所だけである。


芝の中ポンプ所は常盤工業用水と同時期に造られたと考えられるので、やはり昭和10年代である。市街部の住居表示改定が行われたとき芝中町になったと思われるが、その時期がいつであるか、また芝中町となったときに行政主導で読み方を変えたのかそれとも自然に短い読み方が定着したのかは調査を要する課題である。[3]

なお、同様の拮抗する読み方が存在する例として善和地区の吉ヶ原がある。路線名としては市道吉ヶ原線となっているが、並行して流れる準用河川は吉原川と表記されるし、善和八幡宮への参道が山陽本線を横切る踏切名は東吉原第1踏切となっている。
出典および編集追記:

1. 東芝中町はときに国内の家電関連で著名な企業名に引きずられて「とうしばなか」と誤読されることがある模様。市民は正しく読めるものの漢字表記だけ眺めるとその方面へ発想が向くのも確かである。

2. 路線の傍にあるセントラル硝子宇部工場の扱う主力製品による。昔から俗に「ソーダ会社」と呼ばれ、幼少期に自然伝播された揶揄的な歌(「ソーダー会社のソーダーさん」)を知っている市民は多い。

3.「FB|2014/7/18のタイムライン記事」参照。(要ログイン)

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