市道清水崎恩田線・横話

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本編では、市道清水崎恩田線の派生的記事をまとめて収録している。

《 最初期のあぜ道 》
項目作成日:2017/7/10
本路線が市道神原町草江線を横切った先、神原中学校の校門少し手前で進路を若干東寄りに変える地点がある。


この地点を中心に設定した航空映像を示す。
見やすくするためマーカーは非表示にしている


ここで進行方向を若干東へ振ることで本路線は市道神原町草江線に対して直交する方向に進路を変える。両側は学校の敷地であり、長方形状に敷地整備したことに適合させたように見える。
上記航空映像をドラッグして起点からこの場所までを眺めてみると、一直線でありながらここで学校の敷地に沿う形で進路を東へ振っている。このことから最初期の状況が推察されるかも知れない。

実際その通りで、学校の敷地となる前はこの区間は下の概略図の赤で示した経路が存在していたことが判明した。


本路線は起点から概ねフラットで、終点近くのクランクや琴芝ふれあいセンター付近から起伏が始まっている。このことから北側は地山が始まる地点で、最初期はこの辺り一面は田であったと考えられる。そして現在の直線路は田であった時期のあぜ道で、市道神原町草江線に対してやや捻れているのは、これが田であった時期の分割方向だったからである。このことは割と最近閲覧した客観データ[1]により検証された。

一続きとなる赤の経路が見られるものの現在の経路の元となった折れ線を経て真っ直ぐ丘陵部へぶつかる道も見えている。田を区切る畔の東西ラインは既に市道神原町草江線に平行なものが存在していて、学校の敷地として長方形の分割を行ったため生じたように見える。この折れ点辺りに田の東西ラインが存在していた。ただし字名としては最初期の直線路が境界で、東側が字竹ノ下、西側が字生成とされる。

その後市道神原町草江線に直交する経路のみが残され、反対側にも中央高校の敷地となる長方形領域が確保されたとき、校内を横切る斜めのあぜ道は抹消されたようである。

現地の様子。
この辺りから道なりに直進するあぜ道があったことになる。


折れ点の始まり付近から振り返って撮影。


同じ場所からズーム撮影している。
信号より先、本路線では起点側が随分と狭い。


このラインがあぜ道由来なので、現在立っている場所は神原中学校のある側に道路を拡げたことになる。そうでなければ整骨院の建物[2]があの位置へ来ることはない。

終点側の接続点付近に移動している。
最初期のあぜ道は中央高校寄りを通っていたと推定されるので、このカーブの何処かで繋がっていたことだろう。
もう少し先のカーブが終わる辺りかも知れない


ほぼ同じ地点のセンターから振り返って撮影。
現在は学校の建物があるので相互に見通しは利かなくなっている。道路幅員は対面交通仕様だが、こんなに広かった筈はない。地山の始まる側はかなり切り立っているので、地山側を削る形で拡幅したと思われる。


一連の状況は、戦前から現地周辺へお住まいだった地下の人ならご存じなのだろう。今やそのような方とネット上でコンタクトを持てる可能性は皆無だし、そして今後は時間が経つにつれて証言を得ることは難しくなっていく。しかし概ね戦後あたりから道路の状況程度が分かる解像度でのモノクロ映像が採取されているので、本項に記述したスタイルでの解析作業なら可能だろう。
《 生成について 》
項目作成日:2017/7/9
生成(いくなり)[3]とは、本路線において前述の屈曲点より西側の領域に存在した小字である。北側の端は折れ点を通る東西のライン、東側の端は上記に書いた最初期の直線のあぜ道で、その他の境界は現行の市道である。現在はその領域すべてが宇部中央高校の敷地である。

生成炭鉱があったことで知られる。前述の客観データ[1]で調べると、字生成の北側に攪乱されたような痕跡の見える場所があるので、採炭地と考えて良さそうである。
石炭の採掘を効率化した南蛮車(なんば)は、最初に琴芝の西沢で使われ始めた。 惣五郎という人物がかつて生成に採炭を試みたときは上に登って人が脚で踏んで回すことで水をかき出す機構を開発したものの、巧く行かずに2年で閉山している。梶返炭鉱は昭和13年1月に生成で開坑し18年8月に採掘を終えている。[4]

住居表示改訂後は東梶返4丁目となり、全領域が学校の敷地であるために字生成を現在に伝える構造物などは恐らく存在しない。宇部中央高校の創立時にはまだ字名表記だったので、関連する文書には字生成と書かれたものが存在し得る。

生成という地名の由来は分からない。地勢由来とは思えず、かといって名田らしき様相もない。同一または類似する読みの地名も知られていない。小字絵図では最初期から登場しているものの地名明細書には収録されていない。大正期発刊の宇部市新地図には生代と記載されているが、これは「成」の筆書きを誤って転記したためではないかと考えている。
同地図には他にもいくつかの地名の誤記が知られている
出典および編集追記:

1.この推論は最初に「FBページ|2017/7/5の投稿」に書いたものをまとめている。(要ログイン)
参考とした客観データは以下の通り。
宇部東部(M114)1947/3/12(昭和22年)米軍撮影の航空映像
宇部東部(R517-5)1947/10/8(昭和22年)米軍撮影の航空映像
画面左下の高解像度表示ボタンを押すと詳細画像が閲覧できる

2. かみはら整骨院になる何代か以前はセブンイレブンの店舗があった。過去に駐車場舗装工事に携わっている。詳細はセブンイレブン中央高校前店を参照。

3. 「きなり」や「いきなり」の読みも存在する模様。今のところ「いくなり」の読みが最も多く散見される。

4.「琴芝小学校三十周年記念誌」p.16〜18

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