写真は藤山八十八箇所の第75番御堂がある付近の様子。
現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。●は起点、矢印は終点を表している。
(経路のGeoJSONデータは こちら
)実際の起点・終点と合致しない路線名(後述する)と、他よりも高低差の低い経路を辿っていることから、小串と中山方面を連絡する古道と思われる。現状は起点の僅かな区間と終点側に四輪の通行可能なアスファルト舗装路があるだけで、道中は軽四がどうにか通れる幅のうらぶれた舗装路と山道が殆どである。特に峠から金山地区までの間は近年まったく往来がなく、徒歩でも通過困難である。
《 経路の概要 》
起点側から終点まで道の形態と通行難易度によって概ね4区間に分類される。【 起点〜峠 】
宇部変電所の外周を回る市道小松原桃山線から北側へ分岐する道がある。アスファルト舗装されているが、地元在住者以外の通行はない。山越えの主要な道の一つであったことは、登り坂の始まる場所にある祠や石碑で示唆される。登り坂はかつて途中から未舗装路に変わっていたが、2021年に送電鉄塔の建替工事が行われたとき大型車両が進入可能なように拡げられ舗装された。
この登り坂の途中で市道藤曲門前線が横切っている。この市道は交差地点付近で道の痕跡が完全に喪われていて何処で横切っているかを特定するのも困難である。
【 峠〜金山 】
概ね最高地点に到達したところで、見かけの道は送電鉄塔のある右の方へ曲がっている。これは後年鉄塔の管理道として整備されたものであり本路線の経路ではない。藪の中へ突っ込む形で直進する経路をたどっている。この入口部分は日当たりが良く草木が伸びているため完全に隠れていて特定困難である。この藪を突っ切ればその先に踏み跡が現れる。概ね大八車を牽き通せる程度の幅の道で、かなりの勾配で下っている。道の痕跡はかなり明瞭で、一定勾配に地山を掘り下げた痕跡がみられる。深い堀割となっている区間には両側から枯れた竹が倒れかかっている。
(写真は金山地区側から入って起点側を撮影)
したがって最終編集日時点では自転車押し歩きどころか徒歩でも通り抜けが非常に困難である。
【 金山〜大笠 】
竹藪を通過するとやや開けた場所に人家が現れる。落ち葉に覆われない部分には古いアスファルト舗装もみられる。この場所は市道金山線の終点でもある。人家には最終編集日時点で居住者はない。軽四一台がやっと通れる幅の古いアスファルト路になる。路上の枯れ葉は堆積するに任せてあるが、倒れかかった木などは取り除かれている。ガードレールはなく、特に狭く高低差のある場所には随分と昔に市道路課が設置した路肩標が遺っている。
中山地区へ降りていく農道のような近道以外、有効な枝道は少ない。途中に目立った分岐路があり、藤山八十八箇所の御堂があったことを思わせる遺構がみられる。この枝道の先は枯れた竹が堆積しており進攻困難なため調査されていない。このような一本道が延々と続き、藪のトンネルを抜けて周囲が少し開けたところで、右下から登ってきて合流する道が見える。中山地区へ向かう市道栄ヶ迫大笠線で、この道も途中に四輪の通行ができない区間がある。
【 大笠〜終点 】
合流地点の先にある民家への往来があり、終点までは路面が見えるアスファルト舗装路となる。途中には藤山八十八箇所の御堂が3箇所知られている。写真は最も終点に近い側にある第73番御堂。
この区間は途中に離合できる場所が少ない。ただし往来は地元在住者に限定される。やがて中山浄水場に向かう管理道が沢地の反対側へ見えるようになってからは、徐々に高度を下げていく。この辺りは幅員も次第に広がり、上条よりフロンティア大学の横を通って県道に向かう市道上条金山線の終点に接続する。
《 Googleストリートビュー 》
起点側から数十メートルと、終点側から200m程度が採取されている。起点側の映像。
終点側からの映像。
終点側はもう少し先まで採取される余地があるが、起点側はすぐに車両通行不能区間となるためこれ以上の映像が採取される可能性は薄い。
《 近年の変化 》
・2021年2月頃から近くを通る送電鉄塔西宇部線 No.27-28 の建替工事が始まり、作業道を確保するために本路線の急坂区間を大型車両が通行できる程度に道幅が拡げられた。市道金山線の終点が接続する場所にある一軒家に居住者がなくなり、この近辺の集落が完全に消滅した。ほぼ完全に往来需要がなくなるため、アスファルト舗装されている区間も自然に還りつつある。
・2024年12月上旬に終点から金山地区までの歩行踏査を行い、沿線の藤山八十八箇所の画像を採取してきた。この過程で金山地区に至るまでの廃道区間を報告した。[1]
《 崩について 》
崩(くずし)とは起点から遙か離れた大字中宇部の小字である。市道丸山黒岩小串線の終点付近にある崩の坂が該当する。本路線の起点は字大場山、終点は字赤崎である。現在の起点終点が路線名に一致しない理由は、かつて起点が崩にあったものの後年の変更で切り詰められたからではないかと思われる。県道琴芝際波線の小羽山入口付近を通る路線は、かつて市道崩中山線の名称で小羽山や霜降山登山のハイウェーとして期待されるという記事が広報うべに掲載されていた。県道に認定されたのは昭和52年であり、それ以前は現在の県道路線も市道に含まれていたと考えられる。
同様に起点終点が路線名に一致しないものとして市道長沢源山線がある。
《 関連記事リンク 》
初めて本路線を自転車突破したときの肉弾戦レポート。全4巻。時系列記事: 市道崩金山線【1】(2009/12/13)
終点側から自転車で通り抜けたときのレポート。全5巻。
時系列記事: 市道崩金山線【5】(2013/11/23)

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