市道平原浜田線・横話【2】

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ここでは、市道平原浜田線に関する派生的項目をまとめている。
《 由利野峠[1]
由利野峠と言っても現在では殆どその存在は忘れ去られているも同然である。地図には記載されておらず、現地にも峠であることを示す標識柱などはいっさいない。
正確な場所はなお検証を要するが、個人的体験には市道平原浜田線の最高地点付近を若干過ぎ、浜田と中山の分岐路がある近辺を指すものと考えている。

その理由は、私がかつて高校時代に自転車でこの峠を越えて厚南方面に向かっていたとき、峠の名前を記す木柱が置かれていたからだ。
概ねこの場所である。


現在はまったく土の地面が見えないが、以前はこの分岐点の周辺は土が残っていてそこに木柱が立っていた。
古い話だが「みんなの力で蚊とハエを撲滅しよう」の白い木柱が花壇など至る所に建っていたのを覚えているだろうか。サイズとしてはあれと同等で、白地に黒い文字というのも共通していた。
標識柱の他の面には峠の名前の由来など書かれていたかも知れないが、自転車に乗ったまま一瞥を加えていただけなので、峠の名前が書かれた部分しか見ておらず確かなことは分からない。しかし明瞭に覚えているのは、木柱に書かれていたのが「柚利野峠」という漢字表記だったことだ。
「私もその標識柱を見た!」って方がいらっしゃらないだろうかと思っている

漢字はともかく読み方は特殊な読み替えでもなければ、一通りにしか読めない。自転車でも容易に越えられるこの峠に明確な名前があったことは興味深かったし、女性らしい響きを持つ名前だと思った。

本編【1】でも若干言い及んだように、高校生時代私がこの峠を越えて行く目的地は、当時早く逢いたい人の元だった。女性らしい響きの峠名とも相俟って、この峠を越えることは自分の中で一つのセレモニーとなった。昔の人たちが峠を隔ててムラや世界が変わると認識していたように、自分も由利野峠を越えることであの人の居る世界へ、そして帰りも同じ峠を越えて自分の世界に舞い戻る…といった塩梅で。
自転車で名前のある峠を越えるなんてことは、車社会な現代人なら殆ど体験しないだろう。かく言う私もテーマ踏査で自転車を乗る以外、日常の足は車だ。私の生涯において自転車で最も回数多く越えた峠という座は揺らぎそうにもない。

高校1年生の現代国語で短歌をいくつか作って提出する課題があった。そのとき由利野峠を越えて逢いに行く…の心情を埋め込んだ短歌を作った記憶がある。
提出した短歌は誰が作ったかは明かさずにクラス全員の作品をプリントに印刷し配布された。プリントは捨ててしまったと思われるが、当時つけていた日記に同じものを書き残しているかも知れない。一語一句まで思い出せなくとも面はゆい内容だったことは自分でも想像がつく。
お相手がどなただったなどプライベートなことは捨て置くとしても、短歌がどんな内容だったかは自分でも興味がある。押し入れに詰まっている段ボール箱を出して日記を一冊ずつ点検するなど途方もない作業をする気もない。読者にとっても「どうでもいい内容」に相違なく、このまま墓場まで持って行くことになりそうな雲行きだ。
《 開作堤 》
由利野峠を過ぎて下り坂に入った先、文京台三丁目バス停の横に小さな溜め池がある。


この溜め池には開作堤という名前が付けられている。[2]溜め池の成り立ちなどそれ以上のことは私は何も分からない。高校生時代に自転車で走っていたときも溜め池の存在だけは知っていた。しかしまったく興味もなくわざわざ自転車を停めて観察などはしていなかった。

市道走破レポート仕様にここを訪れたときは暑い時期で、日照り続きだったせいか池の水が妖しい色になってしまっていた。


市内の溜め池全般に当てはまることだが、ここも水泳禁止区域を示すお馴染みの立て札が設置されている。
もっともこの水の色なら誰だって泳ごうなんて気持ちも起こらないだろう。


たまたま水質が悪いときに訪れてしまって、それを開作堤の標準状態のように掲載するのは不公平だから、以前秋口に訪れて水が綺麗だったときの写真を載せておこう。
バス停付近の映像。


秋口なので枯れ葉がかなり舞い落ちていた。
それでもあの薄緑色の水よりはいくらか清涼感があるだろう。


結構大ぶりの鯉が数匹泳いでいた。
しかし水の透明度はやはり低い…遙か昔は綺麗だったのかも知れないが、底の見透せない溜め池はどうにも不気味なものを感じてしまう。


由利野峠を越えた北側に家が殆ど見当たらないのは、この溜め池と用水を利用する田畑があったからだろう。

再び現在の写真に戻って、文京台三丁目バス停サインの下側には「あぶないのでバス停近くで遊ばないように」の注意書きが出ている。
バス停が危ないなんてことは通常ないのだが、何が危険かは写真でおよそ推測できるだろう。


バス停のすぐ裏が開作堤の斜面になっていて、凶暴なトゲを持った植物が自生している。


ここは滑り落ちたら池の転落以上にこの植物のトゲで大怪我をするだろう。
名前を失念したこの植物は、かつては一般家庭の庭先にも植えられていたものだが、危険ということで最近は殆ど見かけなくなった。


植物は我が身を狙う獲物を遠ざけるためにトゲを纏っている。この種には何の罪もないのだが、柵がなく不用意に立ち入れば滑り落ちやすい斜面の下に生えているあたり、忍びの者を撃退するトラップのようだ。
出典および編集追記:

* 長らくこの植物の名前が分からなかったが、画像検索によりアツバキミガヨランというリュウゼツランないしはユッカに類する植物であることが判明した。アツバキミガヨランは漢字で表記すれば「厚葉君が代蘭」となる。この君が代とは植物の学名である gloriosa(栄光ある)から関連づけられたものとされている。詳細は以下を参照。
FBタイムライン|アツバキミガヨラン(2017/8/25)(要ログイン)
《 箱型送電鉄塔 》
情報以下の記述部分は、将来的に追記内容が増えたとき単一記事に分割されるか他記事へ併合される可能性があります。

殆ど注意する人など居ないのだが、西宇部変電所を出て宇部変電所に至る経路の送電鉄塔の一部は、このようなちょっと変わった形の骨格を持っている。


まだ送電鉄塔の路線名を充分に調べていない[3]が、この路線は幼少期から存在していて多くの鉄塔が建て替わった中、昔と同じである。
いわゆる「箱形鉄塔」とも言えるタイプで、確か以前は西宇部変電所から中山あたりまでの鉄塔全部が箱型だった。架線の設置高が低く、今や高圧線が高い場所に張られるのが普通な現代ではちょっと怖いように思える。特にかつて県道宇部船木線を横切る場所では車で通るたびに架線が低く感じられた。

低い位置に張られた高圧線は高層ビルを建てるときの障害になるため、平成期に入って順次嵩上げされた。その折りに設置場所を占有する箱型ではなく従来タイプの鉄塔でワイヤをダブルに架けるようになった。
西宇部変電所から厚東川横断部手前までは嵩上げされている

現在、旧来の箱型鉄塔が残っている区間は厚東川を渡る部分から中山の分岐までである。これらの鉄塔も設置後数十年経っており、いずれ全部新タイプに更新されると思う。[4]
《 藤山八十八箇所・第26番 》
現地撮影日:2014/3/16
記事公開日:2014/3/18
本路線と市道岩鼻浜田線が終点としてたどりつく十字路の角に藤山八十八箇所の祠が存在する。


十字路の角で大変目立つ場所である。本路線で掲載済みの写真を見ると、この祠が写っている。しかし今までの市道レポート向けの撮影ではいずれも見落とされていた。

祠は民地のブロック塀の内側に設置されていた。
基礎部分はコンクリート製、祠本体は木製にトタン葺きの屋根である。


内部の詳しいことは分からなかった。扉部分に南京錠が降ろされ施錠されていたからだ。扉が施錠されている藤山八十八箇所の御堂は今まで調べた限りではここが初めてである。

一般の寺社なら開いて拝む部分の扉が施錠されているなんてことは普通有り得ない。しかし藤山八十八箇所の御堂は元々が私有物であり、設置場所も完全に民地の中に存在するものも多い。公道に面した部分に置かれている祠でも看ていらっしゃるのは一個人であり、行政が補助金を出しているわけではない。すべて個人の自己負担である。あくまでも管理する方の好意によって「見せて頂いている」わけで、地域の財産である寺院とは成り立ちが異なる。扉が施錠されていて中を眺めることができなくとも批判はできない。特にこの場所は交通量の多い道路に面しているので、施錠されたのは中を開いてイタズラするなどの行為が目立ったかも知れない。
そこで外側から観察できる部分だけを撮影した。

扉の上部にある独特な文様。
雪の結晶を思わせる形状である。これは当初からのものだろうか…


格子越しに内部を撮影する。
お大師様の像は確認できたが台座部分は分からなかった。


カメラのレンズを右の方へ寄せて再度撮影。お菓子がお供えしてあった。
薬師如来像の台座部分を撮影することでこの祠が第26番であることが判明した。


活けてある花は新しいし、袋入りの菓子も最近置かれたもののようである。恐らくこの敷地ないしは近辺の方が看ていらっしゃるのだろう。
施錠状態が解けて内部が拝謁できる状態になっているのを見かけたら追加の写真を掲載する予定である。
《 消えたピカロードサイン 》
厳密に調査したわけではないが、以前あった”美化ピカロード”としてお馴染みの楕円形サインがなくなっているように思われた。

このサインである。
写真から判断すると終点に近い右カーブの手前らしい。


撮影は2009年の11月である。
このようなサインが立っていた筈だ。


現在も同じ場所にあるのを見落としたのだろうか…大抵、道路の周囲は注意しながら走っているのだが今回の走破レポート向けの撮影では気付かれないまま通り過ぎている。単に見落としていただけなら同じ写真を追加しよう。
出典および編集追記:

1. 峠を表記した書物として油利野、由利野と漢字表記に揺れがある。ただし、私が過去に峠の表示柱で見た「柚利野」の表記をした書物はお目にかかれていない。ここでは由利野山智光院(真言宗東寺派)に言及している書物の表記を踏襲した。「ふるさと歴史散歩」(P.135)
9/8に由利野峠にある智光院を訪れたところ、石碑の表記は「油利野山 智光院」となっていた。
智光院は峠より更に高い小山の上にあり、油利野山が峠名の由来と考えざるを得ない。しかし地名の本質は表記より読みにあり、各書物で表記の揺れがかなりみられることから、当面は既に表記した「由利野」を修正せずこのままにしておく。
なお、藤山村の小字絵図によればこの近辺は字油利野となっている。

2. ゼンリン©宇部西部地図による。また、同名の溜め池は市内の他の場所にもいくつか存在する。

3. この送電鉄塔系は西宇部線で昭和33年3月完成とされる。

4. 2015年の夏頃よりこの区間の鉄塔の嵩上げが行われた。2015年はいくつか新しい鉄塔へ碍子と架線を移したまま古い鉄塔を遺して年を越したが、2016年中にすべて除却された。これにより鉄塔西宇部線の箱形鉄塔は No.2 を残すのみとなった。(2017/8/25)

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