中山浄水場

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記事作成日:2019/8/3
最終編集日:2022/2/7
中山浄水場とは宇部市上下水道局の管理する上水道設備で、中山地区に存在する。
写真は中山第1浄水場の入口。


第2浄水場はかつて県道琴芝際波線の県企業局所管の中山分水槽に隣接して存在していたが、広瀬浄水場の拡張工事により機能を第1浄水場に統合する形で廃止され、後に中山分水槽からの取水設備を残してすべての設備が除却されている。このため現在では中山浄水場と言えば1号浄水場を指す。この総括記事でも以下は中山浄水場と略記し、末尾で第2浄水場についても判明している範囲で記述する。なお、客観情報についてはその殆どを[1]に依っている。
したがって記述項目毎の参照ページ提示は割愛する

上の写真で示された中山浄水場の入口部分を地図で示す。


中山浄水場の正確な所在地は大字中山字吉ヶ迫235である。沢地の奥に一連の設備が存在し、関連施設の建設以前は吉ヶ迫より赤根垰、開立を経て宇部村側へ向かう道があったと考えられている。上水道設備の建設後も暫くは通れていたようだが、後に全体を囲障することでそれらの道は敷地内に取り込まれ、相互に通行ができなくなっている。

門扉は常時閉められており、関係者の出入りのときのみ開けられる。場内は関係者以外立入禁止となっている。以下に示す場内の設備群の写真は、当サイト管理者の個別の見学要請によって2019年8月上旬に実施された関係者随伴時での撮影である。
《 歴史 》
中山浄水場は、宇部市の市制誕生とほぼ歴史を共にする最初期の本格的な上水設備であった沖ノ山上水道を基盤としている。現在の設備は、当時の沖ノ山炭鉱が建設した水道設備を有償譲渡された後に市が幾度かに分けて拡充工事を重ねた結果である。このため上水を造る方式は昔ながらの緩速濾過法を援用しており、沖ノ山炭鉱時代のものがそのまま使われている。

沖ノ山炭鉱を含めた宇部村時代以前から近代までの水利用の歴史については以下を参照。
本総括記事の作成時点で書きかけであり時系列などがまだ十分検証されていないことに注意を要する
総括記事: 宇部市の上水道の歴史
上水は裏山の斜路よりポンプで押し上げられ桃山配水池に貯留される。配水池の多くが平成期に入って増強されたものだが、初期の旧1号配水池に付随する監視廊入口と、市街部へ送る水を計測していた桃山配水計量室(通称六角堂)は、共に国の登録有形文化財となっている。

中山浄水場そのものは現役の設備であるため未指定であるが、沖ノ山炭鉱時代の構造物がそれほど改変されることなく現役で用いられていることから産業遺産としての価値が極めて高い。将来的に中山浄水場の施設全体が近代化産業遺産か更に上位の登録有形文化財となることがほぼ確実視される。
《 主要な設備 》
以下、中山浄水場における水処理の流れに沿って記述する。工程は緩速濾過池を除いて概ね他の浄水場でも同様である。
【 着水井 】
水源地から送られる原水が最初に場内へ到着する場所である。浄水となる原水を計測する場所でもあるので、量水池とも呼ばれる。


中山浄水場では厚東川の伏流水を採る末信水源地(第1水源)からと、ダム水を送る県企業局所管の厚東川1期工業用水道からの取水(第2水源)がある。ただし現在は末信水源地からの送水は一時的に停めている。伏流水である末信水源地の方が水質が良いのだが、遠距離をポンプ圧送することでコスト的に高くつくため専ら県企業局のダム水を利用している。着水井に届いた双方の水源地からの水はブレンドされ、取水量を管理した上で沈澱池へと送られる。この段階で規定の取水量を超えて着水井へ到達した余剰水は最寄りの水路へ排出される。
正門近くにある水路に清澄な水が流れ出るのが見られることがある
【 沈澱池 】
着水井は水量管理に過ぎず、最初の処理は沈澱池が受け持つ。迷路のような仕切りのある中をゆっくりと原水が流れていくことで時間をかけて水中の夾雑物を取り除く。


後述するように中山浄水場は緩速濾過法という昔ながらの浄化法を援用している。緩速濾過法では原水に夾雑物が多いと濾過層の目詰まり(クロッギング)を起こしやすくなるため、それらをあらかた取り除く前処置が必要である。後年では一般的になっている高速濾過法を援用している浄水場(例えば広瀬浄水場など)では薬品を用いて夾雑物を凝集させるため、着水井から直接濾過池へ送られる。
【 濾過池 】
中山浄水場では近年の浄水場ではあまりみられなくなった緩速濾過法を用いて水を浄化している。川砂を敷き詰めた水槽に自然の浄化作用を利用し時間をかけて水を通すことで濾過するもので、長方形をした濾過池が8ヶ所備わっている。


緩速濾過法では薬品は一切使用されない。毎時数十センチ程度という遅いスピードで川砂主体のフィルターを通過させている。これで水が浄化されるのは、川砂による物理的な濾過機能だけではなく微生物とそれらが産出する物質による分解および濾過機能による。どの濾過池も外観の水は緑色に濁っているように見えるが、それが浄化のポイントである。

川砂の底には微生物が定着し、原水に含まれる有機物を取り込んで栄養とする。濾過池の上部は吹きさらしで太陽光を受けるため藻が光合成を行うことで繁茂する。そこを住み処とした微生物は、川砂に定着できるようにバイオフィルムを形成する。バイオフィルムは微生物によって形成されるいわゆる「ぬめり」の元であり、台所のシンクなどでも普通にみられる。このバイオフィルムが適度に造られることによって、沈澱池では取り除けなかった微細な夾雑物がバイオフィルムに絡み取られる。原水に含まれる有機物は、バイオフィルムの内側に棲息する微生物が栄養源として分解利用する。このため濾過池を通過した水からは有機物が殆ど取り除かれ、雑菌も殆どない極めて清澄な水となる。

川砂に吸着される有機物量には限界があり、藻が繁茂し過ぎてバイオフィルムが多くなると原水の通過量が落ちる。このため濾過池の通過水量を監視し、通過量が目立って減少した濾過池を順次停止して水を抜き、藻を取り除くと共に底質にある川砂も夾雑物と共に鋤取り、場内にストックされた川砂を補充する。川砂は再びレーキを用いて人力にて敷き均される。一連の手順は更正作業と呼ばれる。

場内にストックされた川砂の運搬もかつてはトロッコが使われていたが、現在はベルトコンベアーを用いて行われている。
これのみ2013年の場外からの撮影


時間をかけて濾過池を通った水はそのまま飲料に適するほどの水質である。市上下水道局のイベント時に配られるペットボトル入りの水は、この段階の水をボトリング業者へ委託し製造されたものである。他方、一般家庭に連続供給される上水道には水道法上の規定に基づき塩素が添加されている。
【 ポンプ室 】
場内のもっとも南寄りにあるポンプにより埋設管路を経て桃山配水池へ押し上げている。ポンプ自体は後年のものだが、建屋は現在も沖ノ山炭鉱時代のものをそのまま使っている。
柱や玄関口の庇、補強金具に独特の意匠がみられる。同種の現役構造物は市内には他に存在しない。


桃山配水池へ上水を押し上げる管路の上は管理道となっている。現在は階段の途中にフェンスが設置されており、桃山配水池側からフェンスの反対側までは常時歩いて到達可能である。


かつては上水管理で職員が日々中山浄水場と桃山配水池を歩いて往復していたと言われる。階段に使われた石材は沖ノ山水道時代のものと思われるし、管理道の両側に設置された水道用地という陰刻のみられるコンクリート境界杭もそうかも知れない。
【 その他の構造物 】
着水井より山側に水神様を祀った祠がある。


奈良県の丹生川上神社より勧請されており、近年まで毎年6月上旬の水道週間にあたって職員がお札を頂きに参拝していたと言われる。木製の鳥居は近年の再建である。手水石は早川組が工事請負として寄進したものであり、昭和12年3月の陰刻がみられる。

この他に敷地内入口付近に国旗掲揚台と小さな池を伴った庭園がみられる。いずれも既に使われておらずいつから存在していたかも分からないという。
《 中山第2浄水場 》
県道琴芝際波線沿いにかつて第2浄水場が存在していた。正確な所在地は大字中山字黒烏849で、水源は専ら県企業局による厚東川1期工業用水道の中山分水槽のダム水である。一日当たり54,000m3の処理能力があり、このうち18,000m3は前処置のみ行って第1浄水場に送水していた。昭和26年の第4期後期拡張工事において建設され昭和30年3月末に完成している。ダム水は末信水源地で取水される厚東川の伏流水に比較して水質が劣り、フロキュレーターを導入した薬品沈澱地を築造している。この設備は大阪府営水道に次ぐ導入で、西日本において唯一の設備であった。

正確な時期はまだ調べていないが、平成期に入って取水関連の施設のみ残して機能廃止している。広瀬浄水場の増強と中山第1浄水場で機能代替できると判断されたからかも知れない。廃止後かなり広い土地を濾過池などの設備が廃墟の如く放置されていたが、近隣住民から景観上の問題を指摘されすべて取り壊された。

跡地はこの総括記事を作成する現時点でも特に何かが建設されることもなく、市上下水道に関する工事のための資材や廃材の仮置き場として使われている。
【 中山取水場 】
県企業局の中山分水槽よりダム水を受ける中山取水場は、第2浄水場の廃された現在では第1浄水場に送水するポンプ場として機能している。


広瀬浄水場より遠隔で監視操作されているので常時無人である。
建屋の外観は古そうなので、沖ノ山水道時代もしくは末信水源地からの取水の圧送を兼ねているかも知れない。


中山分水槽のあるこの周辺は地上部に水利関連の施設がいくつも見られるが、地下は更に複雑に工業用水や原水の管が通っている。県企業局の厚東川1期工業用水道は中山川の下をサイフォンの形で2条化されくぐっている。それと交差するように市水道局による末信水源地からの配管、宇部興産(株)による沖ノ山工業用水道の鋳鉄管が通っている。更に戦時期には企業の要である工業用水を護るため、爆撃により破壊されるなどの不測の事態に備えてこれらの管を接続し、相互運用を可能にする戦時対策工事が行われていたことが分かっている。
一連の記述は中山分水槽の総括記事を作成した折には移動する
《 施設見学について 》
緩速濾過法を現在も援用している数少ない浄水場ということもあり、関連方面の研究者が視察に訪れることが多いようである。また、市内各地の小学校学童を対象とした水育(みずいく)での社会見学地にもなっている。ただし広瀬浄水場や桃山配水池とは異なり6月第一週の水道週間における一般開放や見学対象施設とはなっていない。

施設の見学については市上下水道局に問い合わせることで個別に対応可能である。土日祝日の場合は当直として中山浄水場に詰めている職員が対応することとなるので、専門的な質問をした場合に後日回答となることがある。また、前述の水育は年度初めから5月の連休前にわたって行われるので、この期間は水育向けの資料作成に追われていて担当者が多忙かも知れない。
《 アクセス 》
見学会など正規の用件で中山浄水場を訪ねるには、市道上条金山線の中山側に下る途中の分岐路からの道のみとなる。
市道の分岐点には古めかしいコンクリート造りの門柱のようなものがある。


門柱は片側にしかなく、中央に何かの表示板が貼り付けられていたような痕跡が残っている。その外観の古さと類似するやや小振りの門柱が末信水源地にもみられることから、浄水場関連のものではないかと思われている。現在はこの道自体は沿線住民の生活道にもなっている。
【 桃山配水池側からのアクセス 】
桃山配水池側から管路に沿って裏側へ歩いて到達することはできるが、門扉より先は立入禁止になっている。


これより左側のフェンス外側に沿って正面入口の横まで出て来られる道があり、地理院地図にも経路として記載されている。中山浄水場が既存の道路を塞ぐ位置に建設されてしまったため、往来を補償する意味で外側に通路が造られたようである。
この通路は初期には草刈りされ歩いて往来できていたようだが、現在は水道関連のバルブがある周辺を除いて草刈りされていない。


この道の通行自体は問題ないようであるが、道普請する人が誰もなく2013年に桃山側から歩行踏査したときもフェンスの外側には樹木が伸びていて進攻不可能だった。
《 近年の変化 》
・2019年11月1日付の宇部日報にて、かねてから進められていた宇部市と山陽小野田市の水道事業の広域化協議において、宇部市の中山浄水場と山陽小野田市の高天原浄水場を廃止し、広瀬浄水場に機能集約する計画が公表された。[2]記事では廃止という文言は明示されていないが、今後の緩やかな人口減少に伴う水道の需要減から広瀬浄水場の現況か増強で対処できると判断されたようである。中山浄水場の廃止については関係者より検討段階にあることが示唆されていた。ただし実際に廃止され稼働しなくなるのは更に数年先のことであろう。

・2022年1月下旬に新川歴史研究会のメンバーを訪ね、保管する資料の中に増え続ける水需要に対応するため壮大な貯水池を造る計画があったことが分かる図面が見つかった。作成時期は昭和10年代であり、厚東川ダム建設以前の慢性的な水不足と旱魃に悩まされていた時期である。特に大貯水池計画は今まで参照した書籍や資料では確認できておらず、どのような位置づけであったか興味深い。(→未知の水利計画図面が出てきた)なお、水道関連の情報をほぼ網羅する市水道局編纂の「宇部の水道」は、大正14年に沖ノ山炭鑛々業所により制作された「沖之山水道」が一次資料であったことも判明した。この書籍は当時の関係者に配布されたようで、非売品であり市立図書館には郷土資料室にも納本されていない。
出典および編集追記:

1.「宇部の水道」宇部市水道局

2.「宇部と山陽小野田、水道事業広域化協議進む|宇部日報
《 個人的関わり 》
現在では小学校の社会科屋外教育において、飲み水がどんな工程で造られているかを学習する水育(みずいく)での見学地として利用されている。自分が学童だった頃にもこのような設備見学があったと思われるが、中山浄水場を見学したことがあったかは覚えていない。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

長溝用水にかつて存在していたのと酷似する簡易濾過構造物が確認され、このことより建設時期が概ね同じであったことが示唆された。市内では既にみられないトロッコ軌道の遺構もみられ、それらの貴重さや実地に目でみて確認できる分かりやすさから、中山浄水場に現存する一連の設備群は、既に登録有形文化財となっている桃山の旧1号配水池監視廊入口や六角堂を凌駕する。今後も一連の設備群の改変を行わず、極力動態保存されることを希望する。

宇部の水道の歴史的証人とも言える現役設備が中山浄水場には数多く存在する。郷土ツーリズムが普遍的になっている昨今、これらの設備群を日の目の当たらないまま埋もれさせるのは如何にも勿体ない話であり、参加者自らの足や目で実地を観察する地旅プログラムの一つとして提案できないか検討する予定である。

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