市道助田平原線・横話【1】

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ここでは、市道助田平原線の派生的記事をまとめて掲載している。
《 国道整備前の起点付近 》
現地踏査日:2009/11/29
記事公開日:2014/3/10
国道190号の西中町から助田町にかけては、湾岸道路建設のため国道を始めとして周辺道路の取り付け工事で元の形態から大きく変わった。
本路線も当初からの形を変えており、湾岸道路建設以前の写真を撮ってあったので以前の状態と比較できる。

国道分岐点から撮影した本路線の起点である。
直線路を単純に繋ぎ合わせたYの字崩れの分岐であった。


長いことこの近辺を訪れておらず湾岸道路以前の道を覚えていらっしゃる方なら、思わず「そうそう、こんな感じだったんだよ」って頷く姿が見えてきそうだ。

起点の様子。
湾岸道路の橋脚が完了した段階でまだ高架橋の道路部分はできていない。2階建ての現場ハウスが見えている。


起点部分を国道に向かって撮影。
現在もそうだがこの分岐点に信号機は付属しない。このため本路線を終点側から走って右折する車は僅少である。
現在も同様である


起点から少し入ったところに割と新しいものの閉鎖されている仮設道らしきものがあった。
何のための道だったのか不明だが、橋脚工事に伴う弥生道路か本路線の付け替えのための仮設道だったのかも知れない。


本編の写真にもあるように現在は高架橋の下はネットフェンスで囲まれ地面はアスファルト処理されている。
《 西海岸通り踏切 》
現地踏査日:2009/11/29
記事公開日:2014/3/10
本路線が宇部線を横断する踏切は西海岸通り踏切と呼ばれている。
実際の表記は表示板のように「西海岸通」となっている


本路線は鉄道を薄くスライスする形で横切る。
このような場所を自転車に乗って通過するとき、無造作に走るとどういう危険が起こり得るかは知っておかなければならない。[1]


宇部新川駅側を向いて撮影している。
国道からそれほど離れていないので、ここからでも中通踏切が見えている。


本路線の起点側を向いて撮影。
湾岸道路に景観を隠される形になっている。


踏切名から本路線がかつて西海岸通りと呼ばれていたことが推察される。この名称は昭和初期に作成された宇部市街図にもみえており、昔から助田に暮らす人々には未だに聞き覚えある名称のようだ。ただし現在では本路線を含む認定市道など西海岸通りという呼称が公的に現れる場所はない。他方、東海岸通りは市道東海岸通り線という名で現在も遺っている。
現地踏査日:2014/1/7
記事公開日:2014/1/8
《 民間駐車場の一角にある謎のコンクリート塊 》
栄川ポンプ場を過ぎた先の民間駐車場の中に奇妙なコンクリート塊が存在する。
下の写真は本路線の起点側から撮影している。


位置図を下に示す。


駐車場の市道寄りに一見無意味に思えるコンクリート塊が鎮座している。
このコンクリート塊のせいで車の駐車スペースが一台分喰われている格好だ。
一部画像加工している…以下同様


そもそも出来るだけ多くの車を駐車場に供したいのだから後からこんな無意味なものを造る筈がない。駐車場になる前からあったのだろう…と素人目にも推測はつく。
そして実際、私がこのコンクリート塊の存在に気付いたときもそれが何であるかおよその想像はついた。

時系列に沿って述べると…

この日、私は市道助田平原線ではなく榮橋のある市道上町線を通っていた。
私はこの民間駐車場のある場所がずっと昔はどうだったかを知っている。しかしこのコンクリート塊が駐車場の端にあったことは今の今まで気付かなかった。


コンクリート塊の存在に気付き、寄り道して撮影したところである。


逆光なので市道助田平原線へ移動し歩道から撮影している。
大きさは一辺が1m程度の正方形で高さは2mくらいあった。表面は滑らかでそれほどの古さは感じさせない。


見落としていた物件なので丁寧に写真を撮っていたところ…ちょうど隣りの区画を使用している契約者の車が入ってきた。


傍目にはわけの分からないコンクリートみたいなものにカメラを向けている私が痛々しく映るのは当然で、不思議そうな顔をして見ていらした。仕方がないので私は軽く会釈する以外なかったが…
できればこれが何であるか尋ねたかったが当然ながら止めておいた

カメラを構える前から私は「多分あれだ」という見当がついていた。それを確認するにはこのコンクリート塊の上部構造を眺める必要があった。

コンクリート塊は中途半端に高く上を眺める方法がない。
いや…ないこともなかった。歩道と駐車場を仕切るガードパイプが設置されていて、それを足掛かりにするなら眺められるのだが…


無理です(>_<);
市道助田平原線は結構交通量が多い。ガードパイプの最上段に登ってこのコンクリート塊に向かってカメラを構えてドライバーの痛い視線を浴びられるほど私は頑丈には出来ていない。周囲には民家が多いし駐車場に隣接して気になるビルもある(微笑)ので、事務所からの刺すような視線を受けると最後には壊れてしまう…^^;
それでなくてもさっき駐車して立ち去って行かれた方がいつまでも振り返りつつ私を眺めておられた(それを知っているということは…私も同様に眺めていたのだが)だけで半壊状態なのだが…

中途半端に妥協してガードパイプの一番下の段に足を掛けてカメラを差し出し撮影している。
縞鋼板らしき蓋が掛かっているのは間違いない。多分上部に開口部があって蓋で覆っているのだろう。


さて…
私は諸事情を知っているからこそここまで熱くなって撮影しているのだが、初見の読者には何のことか分からないだろう。「こんな何処にでもありそうなコンクリート塊如きで何でそんなに撮影にこだわれるの?」と。
昭和40年代後半までここに栄川が存在していた。
冒頭に掲載している地図を眺めるのが一番分かりやすいだろう。
市道助田平原線は細長い入り江部分を塞ぐ位置に通っている。そのまま地図の東側を表示するようにドラッグすると、同様に細長い領域が駐車場および薄緑色の公園として表示されていることが分かるだろう。
この部分はかつて新川同様に人工的に掘られた小さな運河で、栄川と呼ばれていた。昭和初期までは小舟程度なら現在の鍋倉交差点付近まで内陸部へ入れたことが知られている。最初の埋め立ては昭和11年に行われ、昭和49年に市道助田平原線の通る部分までヒューム管を埋設した後完全に埋め立てられた。

このアングルの写真が分かりやすいだろう。
市道助田平原線は栄川を塞ぐ堰堤部分とも言える場所を通っている。


歩道の外側に高い護岸があって、その外はもう海だ。
堤防の外側にあるコンクリート構造物には海水が埋設管部分に逆流するのを防ぐ水圧で閉まる弁が設置されている。


このことからコンクリート塊が何であるか想像がつくだろう。
埋設されたヒューム管に通じる竪坑だ…
潮が遡行してきたとき空気を逃がす部分、定期点検を行うための竪坑…など役目はいくつか考えられるものの、埋設されているヒューム管に繋がっていると考えざるを得ない。
最後にここが埋め立てられたのが昭和40年代後半だから、このコンクリート塊も同じ時期のものと考えられる。実際、それは市道の海側を仕切るコンクリート護岸と同程度の古さに見える。

類似するコンクリート塊は、元栄川の領域を上流側に辿ったとき栄川児童公園の一番端にも見られる。形状はそっくりなのだが、造られた時期はずっと古い。[2]もしかすると役目も異なるかも知れないと考えている。詳しくは以下の記事も参照されたい。
派生記事: 栄川児童公園の一角にある謎のコンクリート塊
埋設されたヒューム管が内陸部の何処まで通じているかは昔の栄川の経路を知る上で興味深い。しかしこの興味の芽は早々に摘んで闇へ葬っておく。他に開口部をもたない竪坑の底には致死性ガスが溜まっている可能性がある。くれぐれも潜入してやろうなどと考えないように…
…などと言いつつ中がどうなっているか知りたくて疼いているのは私かも…
出典および編集追記:

1. 自転車のタイヤは細いので、道なりに真っ直ぐ走るとレールの隙間にタイヤを取られて転倒する危険がある。このように鉄道が斜めに横切っているような踏切ではそのまま直進するのではなく、可能な限りレールを直角に横切るようにすべきである。
レールに限らず縁石や点字ブロックなど浅い段差のあるものを斜めに横切るときも同様

2. 駐車場にあるコンクリート塊の表面が平板なのに対し、児童公園にあるコンクリート塊は横筋の入った型枠跡がみられる。

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