市道吉ヶ原線【2】

道路インデックスに戻る

(「市道吉ヶ原線【1】」の続き)

一通り市道を終点まで走った。そこは全くの行き止まりになっているのではなく、未舗装ながら更に沢を遡行していく道があった。
本編ではこの市道が舗装された直後の映像など前編で書ききれなかった補足事項を述べる。また、後半部分でこの市道の先を辿った結果とその先で観てきたもの も報告しておく。とりあえずこの市道の先を観に行きたい方は こちら より直行されたい。

---

まずこの市道の状況について、民家が建ち並ぶ周辺までは恐らく私たちが野山へ越してくる以前から舗装されていた。終点付近まで舗装されたのは、今から3年前の夏頃のことであった。

野山時代、自転車を乗り回すようになって2度くらいこの市道を走っている。当時の自分は市道の路線名や経路情報を調べる以前の段階で、単に「沢を登っていく道」という認識しかなかった。
先ほど訪れた滝の写真はかなりあるものの、市道が終点まで舗装される以前の写真はこの一枚しかない。


それから3年前の秋口のこと…
この市道の民家がある場所までは既に舗装されていたのだが、その先の未舗装部分が舗装されたという情報をキャッチした。
野山に住めば自分の集落で起きた事件や工事くらいは噂などですぐキャッチできる

追加で舗装されたのはここから先である。
新しい舗装のジョイント部分が分かるだろう。


ジョイント部分を拡大撮影している。
起点(この場合は市道全体の起点ではなく舗装施工延長としての起点)を示すNo.0のペイントとコンクリート釘が見えていた。


新規に舗装した部分には、よほど外観を重視する場所は別としてこのようなマーキングが行われる。
アスファルトは黒色なのでマーキングのペイントは白の水性ペンキが用いられるが、コンクリート擁壁やガードレールなどでは判読しづらいので赤なども使われる。

マーキングは出来形検査のためのもので一般には美観を損ねるので、判読できる範囲で目立たないよう小さく描くことが求められる。
描き損じるなどもってのほかである
出来形検査の折には検査官が立ち会い、メジャーやスケールを当てて所定の幅員や延長が仕様書通りになっているかチェックする。

舗装し終わったばかりの黒々とした新しい舗装面に白ペンキと筆を持ってマーキングするのは、かなり誇らしい作業である。他方、数が多いと重労働なのも確かだ。
真夏などは描いては次の場所まで歩き、しゃがみ、測点と実測値をペイントし、また歩き…の繰り返し

例の滝に差し掛かる前の坂部分。
まだ舗装のエッジ部分が明確であり、舗装面もきめ細かで新しいことが分かるだろう。


県道交差のボックス入口部分。ここにも明白なマーキングが観られた。


実はこの市道の正確な終点位置が分かっていない。県道立体交差部分までとは言ってもボックスの延長があるので、入口までなのかボックス内部まで含まれるかが問題になる。
閲覧した経路図では終点を表す矢印の先端は適当に描かれていた

入口部分に No.20+17.90 というマーキングが観られる。測点は20m毎に設置されるので、ここまでの舗装の施工延長が417.90mだったということが判明する。
w=2.83およびw=2.11は、舗装の施工幅員を示している。2つ記載されているのは、ボックスの前後で幅員が変わるからだ。


新規の舗装はボックスの出口まで続いており、留めの部分は舗装の型枠で仕切られていた。


舗装バターに接する形で幅員と延長がマーキングされていた。L=16.70はボックス部分の延長だろう。
数年経った現在では掠れていて確認できないかも知れない


明確な終点は不明にしても、市道自体はこの近辺で終わっておりここから先で車が抜けられる道はない。したがってこの舗装路を通るのはこの近辺に田畑があるか、後で述べるようにここから先の道の奥に土地を持つ所有者くらいのものだ。
一部には次のような意見が出てくるかも知れない。
殆ど人も車も通らない道を舗装する必要があるのか?
市の道路予算の無駄遣いという意見もあり得る。実際、私がまだ野山に暮らしていた頃にこの区間の新規舗装の話を聞いたとき、同じことを感じた。

通行経路としての市道という見方をするなら、それは確かに一理ある。しかし恐らくこの道を新規舗装したのは次の別な理由からではないかと想像される。
雨が降るたびに田畑へ土砂が流れ込む
しっかり踏み固められた未舗装路ならまだしも、元からこの区間は適当に草が生えただけの真砂土の道だ。真砂土は水はけが良い半面、雨などによる浸食を起こしやすい。

これは国土地理院地図による吉原近辺の地図である。
地図中に!!のように見える記号が至る所に書き込まれているのが分かるだろう。


あまり見慣れないがこれは雨裂(うれつ)を意味する地図記号である。雨裂とは雨などが反復して山の斜面を流れることによって土が削り取られ剥き出しの山肌が現れている地勢をいう。
「Wikipedia - 雨裂」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E8%A3%82
霜降山の近辺はいったいに真砂土系であり、地図でも雨裂記号が至る所にみられる。
この区間の舗装は、人や車の安全な通行というよりは田畑に土砂が流れ込むのを抑えるためだったのではないかと想像される。
《 吉ヶ原の東屋 》
さて、市道の終点から先のことであるが…

これは冒頭の市道がまだ舗装されていなかったときの写真を撮ったのと同じ日、行けるところまで進んでみたときの映像である。
未舗装路はこの場所に突然両開きの鉄扉が現れ、進攻不能になっていた。


訪れたのは夕方4時過ぎだったのでフラッシュが動作した。
閉ざされた門扉自体に「この先進攻禁止」の文字はなく、草木等の持出しを禁ずとの明示がされていた。
所有者という文字があることから、この先に私有地があることが示唆された。

市道が舗装された直後に撮影に来たときも終点から先を辿っていた。
このときはまだ明るい時間帯で、やはり扉が閉ざされていた。


閉じた門には鎖が架けられて開閉できなくなっていたが、施錠はされていなかった。また、扉の支柱の横は特に柵など施されておらず、山歩きを志向する人なら出入りできる状態になっていた。一般の歩行者は拒絶しないが、車で乗り入れて野草を持ち出すとかゴミの不法投棄を防ぐための門扉かも知れない。
行き止まり市道の柳小野宗国線にあった防護柵が異様に厳重であったように

そしてこのたび3度目で再度先まで進んでみた。

ボックスカルバートを過ぎると、何処にでもありそうな山道になる。しかしこの近辺に田畑を持つ人の往来があるようで、保管庫や小型バックホウが留め置かれていた。


ダブルトラックの未舗装路が延々と続く。この奥に何か家屋でもあるのだろうか…沿線に電信柱が建っていた。
この電信柱は初めてこの先を訪れたときから存在していた


進攻可能な限界地点のことは以前訪れていて知っていたが、今回は変化があった。
扉が開いていたのだ。


扉の左横には「立入禁止」という鉄板製の立て札がある。初めてここを訪れたときからあって文字も読みづらいほど酷く錆び付いていた。先へ通れるようになったのかも知れない。


扉が開いている以上、進攻にあまり躊躇いは感じなかった。それにはもう一つの言い訳じみた理由があった。
期せずしてこの奥へ向かう人が居た。
市道の途中にある例の滝を撮影している最中のことだった。
私が川面まで降りて滝を撮影しているとき、市道を下から自転車で上がってくる人を見かけた。ヘルメットを装着して軽快に漕いでいたから地元の方ではなさそうな感じだった。私の存在に気づいていたかも知れないが、そのまま市道の先の方まで走り去っていった。

滝の写真を撮影した後、私はこの場所までずっと歩いてきたがその人の姿は見あたらなかった。同じ方向へ進攻した方が自分以外にもいらっしゃるということは心強い要素だった。

門扉を過ぎた先に山の水が湧いてぬかるんでいる場所があった。
割と新しい四輪の跡に加えて自転車の通った形跡があった。
冒頭でもお伝えした通り私は市道の起点から歩いて来ている


ぬかるんだ場所を過ぎると左側に古いプレハブ小屋のようなものがあった。
その先でこのような分岐点に出会った。


右側の分岐は急坂になっている。恐らくここから霜降山の登山道に繋がっているのだろう。
それとは別にまだ軽トラ程度ならどうにか進める程度の幅の道があった。

この場所のYahoo!地図である。


さて、ここから先なのだが…
この道は私道で先にあるものは私有物件の可能性がある。厳格な立入禁止措置が施された場所ではないので特に問題はないと思われるが、以後の写真および記事は状況によっては取り下げるかも知れないことをお断りしておく。

この道を進んだ先の左側にプレハブ小屋があった。管理事務所のような感じもしたが、当然人影はなく最近出入りした形跡も感じなかった。

その先に広場のようなものがあり、簡易トイレのような外観の小屋と立て札があった。


この立て札は進入禁止を唱えるものではなく、敷地内にある草木を採取してはならないという文言だった。
この周辺で野草などを管理しているのかも知れない。個人所有の土地だが出入りは自由にできる場所のようでもあった。

更にその先には庭園のようなものが見え、山沿いに東屋のような建物があった。


庭園にはつきものな池。
すぐ近くを流れる川の一部になっていた。鯉などの生物は見あたらなかった。


道はここで完全に行き止まりだった。その先は岩の斜面を流れる自然の滝になっていた。


この場所から振り返っている。
東屋には上がり口に木製の階段があり、欄干付きの舞台のように見えた。


言うまでもなく人の姿はなかった。また、東屋には窓や壁がなく吹き曝しで屋根で雨風は凌げるものの誰かが常駐して作業するような場所ではなさそうだ。先の電信柱によって電力が供給されているようで、東屋内部の天井には電球が取り付けられていた。
また、この東屋には名前があり、その名称を印刻した碑文が設置されていた。
写真には撮ったが掲載は割愛する

正体が分かれば長居は無用だ。一般に開放されているものなら良いが、一個人が土地を買い切って建てた東屋かも知れないからだ。
一連の写真を撮って来た道を引き返して歩いていたとき、市道終点のボックスカルバート手前で先ほど見かけたヘルメット自転車の方に追い越された。場所柄、軽い挨拶を交わした。もっともこのことだけであの東屋がある場所が一般に開放されている場所だとは言い切れない。

この市道およびその先にある物件に関してもしも追記すべき情報があれば、続編として報告しよう。
出典および編集追記:

* 市道終点から先の道について里道かの確認はまだとれていない。特に鉄門扉から先にある東屋や庭は私有地(所有管理者も分かっている)である。自由に入って見学できるか否か確認がとれていないため、扉が開いていても進攻しないことをお勧めする。

ホームに戻る