市道一ノ坂黒瀬線

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記事作成日:2017/6/12
最終編集日:2021/12/3
市道一ノ坂黒瀬線は、国道490号[1]一ノ坂地区より小野湖の方へ下っていく物理的なピストン市道である。
写真は起点付近の映像で、左側に見えるのは三界萬霊の祠


経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。は起点、矢印は終点を表している。
経路のGeoJSONデータは こちら


本路線は管理上は現在も対岸を通る県道小野木田線の黒瀬地区(現在は居住者なし)が終点となっている。この理由は後述する。(→経路について

起点は国道490号一の坂バス停より少し北寄りにある。国道が最高地点の堀割を過ぎて下り坂に向かい、小野湖へ向かってやや急な下り坂になっている狭い道が本路線である。

進入可能地点まではアスファルト舗装されているが、幅員は普通車一台ちょうどしかなく離合可能箇所はない。経路図でも示されるように、小野湖へ向かって下る途中に民家が数軒あるだけで何処へも抜けられる道はない。


車両進行可能な末端部は管理上は認定市道であるものの実質的に小野湖内に属し、小野湖を管理する県の作業用管理道となっている。この先に外部車両が誤って進入しないように一番奥の民家への分岐路(私道)から若干のスペースをおいてチェーンが張られている。


このチェーンの張られている手前に車が停まっていることが多いが、緊急時の妨げとなるため絶対に駐車してはならない。
車の乗り入れや駐車については後述する
《 歴史 》
この道は、厚東川ダムによる小野湖が誕生する以前の昔からの幹線道路である。宇部と萩を連絡する南北道路の一部で、宇部市の有力者渡邊祐策もその建設構想に大いに賛同して用地や資金を提供している。即ち現在の国道490号(前身は県管理の宇部秋芳三隅線)は厚東川ダムにより南北道路が水没するために付け替えられたもので、ダム以前は一の坂の峠を越えてから本路線を通り、そのまま昔の厚東川に沿って臼木の方へ伸びていたことが知られる。[2]この場所は、南北道路を宇部市側から辿ったとき小野湖へ没する最初の場所である。

南北道路の痕跡がどの程度遺っているかは興味の対象であった。そのため小野湖の水位が下がる都度散発的に本路線の終点付近を訪れている。しかし永年ダム水に洗われたことに加えて霜降山系の花崗岩に近いぽろぽろと崩れがちな地質と傾斜地という地勢のため、水位が低下した折りにも単一斜面が見えるのみで既に道路線形は完全に喪われている。
写真は通常水位であれば水没する地点から本路線の行き止まり部分を撮影


現状は専ら地元在住者が通行する地区道のようであり、一般の往来に供せられる認定市道としての理由を喪っている。最近、本路線が市道となっている理由が判明したので、以下に項目を分割して編集追記した。
《 経路について 》
この路線は、物理的に相互の往来が不可能な小野湖の上を通る経路である。当然ながら対岸までの橋はなく、現在は渡し船も運航されていない。臼木から対岸の櫟原までを連絡する市道臼木櫟原線も同様に小野湖上へ経路としての実線が引かれている。明白に通行が不可能な湖沼に経路が描かれている現行の認定市道はこの2路線に限られ、謎めいたものとなっていた。[3]

数年前に認定市道名リストを閲覧したとき、この2路線の備考欄に片仮名で「トセン」と書かれていたのを見つけている。これは渡船のことで、もしかすると小野湖により両岸の往来が分断されてしまったため、通行補償として市営の渡船が行われていた時期があったのではと推察していた。そして最近のことその推察通りであったことが明らかになった。
【 小野村道時代 】
この路線の成り立ちは、小野地区が宇部市に編入される以前の小野村時代にまで遡る。厚東川ダムができる以前は橋を渡って一の坂と黒瀬を結ぶ道が存在していた。

昭和初期に作成されたスタンフォード地図には、南北道路から分岐して対岸の黒瀬地区へ渡る道が記載されている。


地図でこの道は点線で描かれている。凡例では小径(道幅一米未満)となっているので、いわゆる三尺里道の規格だったことが推察される。川筋は黒瀬側へ偏って蛇行しており、一の坂側の現在小野湖に没している辺りは増水すれば浸ってしまう水田だったことが分かる。厚東川を横切る部分は橋の記号として描かれているので、簡素な木橋は存在していたらしい。川の中に記載されている0.7は水深を表している。

戦争を挟んで厚東川ダム建設が進められ、一の坂と黒瀬の低い位置にある一部の民家は水没することとなり移住を余儀なくされた。特に一の坂よりもダム堰堤のある下流に近い鍛冶屋河内は早期にすべての民家がなくなり、現在は集落はおろか地名そのものが完全に消失している。

水没から免れた民家も、旧来の厚東川より大幅に水位が上昇し小野湖となったために相互の往来には船渡しが必要となった。両岸の住民の往来を補償するため、村営の船渡しが運営されたようである。恐らくはこのとき陸上を普通に通行できる区間(供用区間)はそのままにし、船渡しとなった区間は実際の航路を直線的に描いて修正した。
【 宇部市への編入後 】
昭和29年に小野村が宇部市に編入されることで、路線および渡船の管理も市に引き継がれた。この時点での黒瀬地区の居住者がどれほどだったかまだ調べていないが、仮に既に居住者がなくなっていたとしても対岸の如意寺や櫟原は現在も居住者があり、当時はもっと居住者が多かった筈である。もし船渡しがなければ対岸との往来は南の木田か北の下小野まで迂回しなければならず、大変に不便だっただろう。

この船渡しは昭和57年頃まで行われていたことが分かっている。以上は市道路課担当者による調査報告と聞き取りの結果である。

これは1948年(昭和23年)の米軍撮影による航空映像である。
出典:国土地理院航空映像


黒瀬地区では小野湖に向かってやや出っ張った半島状の場所があり、船着き場だったことが想像される。

これは1961〜1969年に採取された地理院地図の航空映像である。時期が新しいが、先の画像より鮮明に見える。
小野湖の水位が低いため、湖に没していく古道が先の方まで観察できる。


古道が水際に消える辺りがやや広くなっている。現在、市道の接近限界地点でチェーンが張られている辺りは小さな入り江のようになっていて、渡船のための乗降場を思わせる。昭和中後期まで船渡しが行われていたということなので、地元在住者は詳しい情報を持っている可能性がある。小野村史など書籍をあたれば詳細が記述されているかも知れない。
本路線の経緯および昔の道が水没する地点を訪れたときのレポート。後日あらためて訪れたときのものを含む。全2巻。
数年前のレポートであるが、この時点で四輪が進行できる最終地点での駐車問題が起きていることが分かる。
時系列記事: 市道一の坂黒瀬線【1】
出典および編集追記:

1. この総括記事の最終編集日時点では国道490号であるが、2021年より荒瀬バイパス一の坂工区が着工されバイパスが供用開始となった後は、一の坂地区を通るこの区間は市道一ノ坂線(認定番号1061)へ降格される。
既にうべ情報マップでは市道として記載されている

2.「小郡 1948/1/19(昭和23年)米軍撮影の航空映像
画面左下の高解像度表示ボタンを押すと詳細画像が閲覧できる

3. うべ情報マップ市道一の坂黒瀬線の起点市道臼木櫟原線の起点を参照。なお、計画線を含めれば市道常盤公園岡ノ辻線の例がある。この路線は常盤池の入江の一つを通る計画となっていた。
《 現地を訪れる際の注意 》
本路線は認定市道であり、特段の通行制限は課せられていないため現地在住者を訪ねるなどの目的で四輪を乗り入れるのは自由である。しかし全区間が狭く離合困難であり、沿線は駐車可能な余剰スペースがないどころか転回できる場所もない。物理的に車を停められる場所は起点付近の御堂横や行き止まり地点があるが、外部からの来訪者が深慮なくそこへ駐車することで沿線の地元在住民は迷惑を被っている。以下は、数年前に現地を訪れたときの地元在住者による談話である。
聞き取りから年月が経っているため現状は変化している可能性もある

外部からの来訪者の殆どすべてが小野湖での釣り目的である。近年頓に増加し、中には早朝から軽トラで乗り入れ騒音を立ててボートを取り卸し安眠妨害される行為が起きている。本路線の水没地点は小野湖が波立つとき侵食されがちなため、大型の土のうを設置して護岸を補強する工事が行われた。このとき工事業者が危険だから立ち入らないで欲しいと要請しているのに、釣り客が何故通せないのかと押し問答となり警察沙汰となるトラブルが起きている。

特に水没地点の手前は水際に近くアクセスが良いので、しばしば釣り客が車を停めている。これより先は小野湖を管理する県の管理道扱いとなっており、ボートの取り卸しもここで行われる。更に一の坂地区に火災が発生したとき、消防車がバックで可能な限り水際まで近づいてここから小野湖の水を吸い上げ消火用水として使うこととなっている。ここに釣り客の車があるときに火災が発生すると緊急車両が近付けず消火活動が阻碍されるため、後で重大な責任に問われる可能性がある。

それでもなおこの場所に車を停める釣り客は後を絶たない。帰るとき狭い市道上で車を転回できるスペースがないのを理由に、近くの民家へ車を勝手に乗り入れ転回するなど常識のない行為が報告されている。ゴミの投棄問題もあり、地元在住者の釣り客に対する感情は非常に悪化している。

市としては釣り客の拠点としてアクトビレッジ小野を利用するように推奨している。しかし小野湖は県管理であり、県は従来から条件を満たせば小野湖面の一般利用を容認している。現に湖面の利用者向けの立て札もあり、釣り客が(護岸が私有地に面している場所でない限り)何処の護岸から釣りをするもボートを浮かべるのも自由である。更にはきちんとマナーを守った上で釣りをする行為に何ら問題はなく、殆どの釣り客が常識的に振る舞っている。

小野湖の写真撮影や南北道路の痕跡を調べるために現地訪問する場合は、車は本路線の沿線以外の安泰な場所へ駐車し、現地まで歩くことを勧める。三界萬霊の祠がある場所は自治会の土地であるが、そこへ車を停めると釣り客の車と誤認されトラブルの元となる。沿線住民からは、やむを得ず本路線沿いに駐車する場合にはかならず声をかけること、その場合も行き止まり地点は(先述のような理由から)絶対に駐車しないで欲しいという要請を頂いている。詳細は以下を参照されたい。
派生記事: 行き止まり地点での釣り客による駐車問題について
このことは不法投棄に対する嫌疑を避けるためにも同様のピストン市道へ車で進攻することへの注意に繋がる。
《 個人的関わり 》
その経路の特異性から、認定市道であることを知った比較的早期に訪れている。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

《 近年の変化 》
・本路線の行き止まり地点より先の小野湖領域では斜面の崩落が酷く民家が脅かされる状態になっているため、県が斜面に大型土のうを築いている。この工事に伴い行き止まり地点から先のアスファルトやコンクリートは剥ぎ取られている。また、水位低下のために湖底へ伸びるコンクリート階段は自重で崩壊し散乱している。

・2021年9月度配信の「小野隧道」(Vol.64)では県道490号の小野隧道が厚東川ダム建設による付け替え道路であることを示し、昔の道であった南北道路が一の坂地区で小野湖に水没している様子を記述した。

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