市道奥宇内線

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記事作成日:2020/5/30
最終編集日:2020/5/31
市道奥宇内(おくうない)線は、市道上小野下宇内線の左折点より北上し、美祢市宗国地区へ居たる市境までに設定された認定市道である。
写真は起点の様子。右側に写っているのは市上下水道局所管の宇内ポンプ所


起点は十字ポインタで示された位置である。


これより市境に至るまで北上する約600mが本路線である。路線の経路情報についてはうべ情報マップを参照されたい。
《 経路の概要 》
本路線は、市道上小野下宇内線の左折点より直進する。右側に宇内ポンプ所をみてすぐに緩やかな登り坂となる。
この両側に「弐年祭記念碑」と刻まれた一対の石碑が設置されている。


もう片方には大正十五年三月と刻まれており、宗国地区へ向かう分岐点として重要な場所だったことが窺える。石碑自体の詳細はまだ調べられていない。

民家は坂道の途中左側に一軒あるのみで、そこを過ぎると峠越えの道となる。


次の左カーブの外側に取り付け道があり、フェンスで囲まれた構造物が見える。
市上下水道局所管の宇内調整池で、先のポンプ所から送られた水を貯留している。


調整池は本路線の道路改良工事が竣工した数年後に建設された。それ以前は写真のようなスロープはなく、道路改良工事の現場ハウスが設置されていた。

次の右カーブで縦断勾配が急になる。
右側は山の急斜面、左側は溜め池に挟まれた狭い領域を1.5車線相当の道路が通されている。


この区間が本路線の最も施工的に重要だった部分であり、道路改良工事においても現地の実勢に合わせた設計が採用されている。

下の溜め池から道路側面部分を撮影。
大型のブロックを垂直に積み上げた擁壁となっている。


一般に斜面へ道路を通す場合、山側を削って谷を埋めることで道路幅を確保する。しかし溜め池は宇内地区の重要な灌漑用水源であり貯水量を減らすような現地改変ができないことから、ブロックを垂直に積み上げ内側から牽引するウェブソル工法により実現された。そして本路線のこの垂直壁は、市内でウェブソル工法が採用された最初の事例である。

垂直壁は溜め池の端まで施工されている。
それより先で本路線は溜め池を形成する谷地の先端を巻いてヘアピンカーブとなる。


次のヘアピンカーブを経て坂を登り詰めて峠に差し掛かる。
ここには美祢市側が設置したと思われる宇部市表示の市境標識のみが設置されている。
峠の名称はよく分かっていない…地名としての宇内を参照


終点の美祢市宗国側から撮影。


全線がセンターラインのない舗装路で、起点から終点まで一本調子の登り勾配である。沿線に民家や事業所が殆どないため交通量は少ない。
《 成り立ち 》
後述するような道路工事の現場施工で個人的関わりがあった以外に知見がない。当時の記憶を元に記述する。

起点にある一対の石碑より、美祢市宗国地区と奥宇内を結ぶ重要な道だったと思われる。平成3年に道路改良工事が始まるまでは本路線は溜め池までの道があるだけで、それより先の峠越えは四輪の交通不能区間だった。

溜め池に向かう道との分岐点までは平成3年までに現在の道路ができていた。
これより先は現在あるような道路線形ではなく、右側のより高い尾根を通る古道が存在していた。


かなりの急坂で尾根まで登り、そこからはやや緩いシングルトラックの山道だったと思う。古道は平成3年からの道路改良工事で山の斜面が削られることで消失した。

垂直壁区間が終了した先で沢を巻く最初のヘアピンカーブがある。それより終点市境までは同様に道路改良工事以前から現在の状態だった。
このカーブの外側に工事資材を保管する倉庫が設置されていた。


したがってこの辺りに古道が出てきていたと考えられる。まだ詳細は調べられていない。

峠越えの道は、美祢市宗国側はカーブが殆どなく直線的な坂道である。このことより美祢市側が市境まで現在の道路を整備したので、一期工事として市境からこのヘアピンカーブまでと起点から溜め池入口までを施工し、二期工事で平成3年のウェブソル工法による道路改良工事を行ったのかも知れない。
《 Googleストリートビュー 》
全線採取されている。映像は市道上小野下宇内線からの分岐点。撮影日2013年5月。

《 個人的関わり 》
本路線の道路改良工事で平成3年に現地入りしたのが始めであった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現場施工時代を思い起こしつつ作成されたエッセイ。手書きのイラストが含まれている。全4巻。
時系列記事: 市道奥宇内線【1】
なお、この総括記事を作成する時点までに現場施工時に撮影した工事写真、野帳、工事日報などが倉庫に保管していた段ボール箱から見つかった。これを元に上記の時系列記事を平易な語り口調に書き換えた上で限定公開する予定である。その折りには上記の時系列記事は取り下げるかも知れない。
《 地名としての宇内について 》
宇内(うない)とは、小野地区にある集落名である。 写真は市道上小野下宇内線の厚東川に架かる宇内橋の銘板。


冒頭の地理院地図でも奥宇内の西側に宇内という集落名が見えている。自治会としては上宇内、中宇内、下宇内の3つが存在し、それぞれ小野7〜9区の自治会の通称名となっている。

歴史的には小野村に奥宇内と下宇内の2つの小村として収録される。本路線の起点より終点にかけては奥宇内小村の領域で、該当する地域の小字絵図も2通りが制作されているが、焼き付けが甘いのと青焼き原図の経年変化で文字が非常に読み取りづらくなっている。

したがって道路改良工事の舞台となった地の字名や市境の峠名については判然としない。峠の名称については、小野地区を詳細にまとめた自費出版書籍[1]に阿場峠の記載がみえること、地名明細書に独立した小字のあわガ垰が収録されていることから、初期には「あわがたお」で、後期には「阿場峠」と呼ばれていたのではないかと推察される。

なお、奥宇内小村にはかぶらかんぎっちょう場という謎めいた小字の存在が知られる。字かぶらかんは小字絵図にもその位置と共に記載されている。
出典および編集追記:

1.「わが里の故きを温ねて」(平山智明編)p.79に「字小畑を通り阿場峠(あばが峠)から奥宇内に越す道がある」の記述がみられる。

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