市道丸河内線

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現地撮影日:2015/5/22
記事公開日:2017/11/24
市道丸河内(まるごうち)線は厚南区東須恵の山陽小野田市境付近にある短い認定市道である。
写真は国道190号から分岐する起点付近の映像。


ルートラボを載せる。


上の地図での経路と認定市道の番号からも推察されるように、本路線は国道190号の線形改良で生じた旧道部分の格下げによるものである。かつての国道は本路線の経路をそのままたどり、現在の丸河内交差点で大きく左へカーブして小野田市街へ向かって降りていく経路だった。
《 歴史 》
国道190号の旧道区間である。そして国道以前も流川方面から丸河内池の横を通って小野田市街へ降りていく古くからの道だったと思われる。
平成初期に中原改良工事および後続の中原舗装工事が建設省により発注されている。中原改良工事では丸河内溜め池の岸辺を護岸施工し、直線的な現在の道路の路体部分が造られた。その後中原舗装工事で路盤工と舗装工、雨水管や植樹帯などの道路構造物が施工されている。一連の工事は建設省により連続して発注された。

起点の取り付け部。
見通し改良のため接続部はカーブを介して直角に取り付けられている。


かつて車がガンガン走っていたのが嘘のようだ。
対面交通の割には道路の外も含めて広いように感じられる。


現在こそ本路線と国道の間は広い植樹帯のようになっているが、かつては丸河内池の堰堤下に相当して低くなっていた。現在の国道はかなり広範囲に盛土を行った上で通されている。
認定市道なので現在でも一般車両の通行は可能である。沿線には大規模店舗など商店が並んでいるため、それらの往来の通路のように使用されている。車が入って来ることが少なく駐車禁止にもなっていないので、車長のある貨物などが停まり休憩していることもある。

本路線のカーブ左外側は家具店と家電店の領域になっている。


カーブの中程で内側から接続する三差路に出会う。
市道上梅田丸河内線で、この場所が終点である。道の成り立ちとしては古いが認定市道としては新しい。


道路改良以前は本路線のカーブのすぐ外まで丸河内池があって、上梅田丸河内線は堰堤の上を通る道だったようだ。新たに4車線の国道が出来たので、現在は本路線を介して沿線の店舗などへ出入りする通路のように機能している。出入りがスムーズに行えるように幅を拡げ、接続位置も変更している。
なお、国道と本路線の接続部分には三心円という奇妙な構造が取り入れられている。詳細は以下を参照。
派生記事: 市道上梅田丸河内線・三心円
現在は本路線沿いに標識がないので何処までが正確に宇部市道であるかは分からない。概ねこの辺りが終点となる。


終点付近の植樹帯の中には古い祠がある。これは道路改良以前から存在していたが、最近の読者情報によればそれほど古いものではなく設置の由来も概ね判明している。以下の派生記事を参照。
派生記事: 丸河内の私設の祠
この先の山陽小野田市側の区間については以下に写真を添えた。
派生記事: 旧道区間・山陽小野田市側
【路線データ】

名称市道丸河内線
路線番号903
起点国道190号・山口スバル付近
終点(山陽小野田市境)
延長約200m
通行制限
備考国道190号の改良前区間

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
《 Googleストリートビュー 》

《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現在でも埴生方面へ行くときには宇部湾岸道路を経由してかならず通る。東須恵I.C.で降りて左折すると、信号の連動効果で通常よりやや速度を上げれば丸河内交差点まで信号待ちにかかることなく一気に通過できることが分かっている。半分以上の車は丸河内交差点で左折し小野田市街部へ降りて行くため、追い越し車線を突っ走る定番区間である。

通行中に本路線区間は元より工事当時のことが思い出されることは殆どない。丸河内交差点の手前は左側車線が常に滞留しており、市道上梅田丸河内線との交差部では家電店から出てくる車が滞留している車列に隠れて見えづらいので通過に注意を払っている程度である。
この交差部分は改良区間を部分供用していた時代から事故が多かった
《 丸河内について 》
丸河内(まるごうち)とは現在の宇部市厚南区と山陽小野田市の堺付近を指す地名である。現在でも丸河内は両市にみられ、例えば丸河内池は完全に宇部市に属しているが、国道190号の丸河内交差点は山陽小野田市である。
歴史的に見れば東須恵(ひがしずえ)村に属していたようで、地名明細書では田屋(たや)小村の字梅田配下に丸河内(まるがわち)として収録されている。

地名明細書では「まるがわち」の読みが与えられているものの、現在では専ら「まるごうち」とだけ読まれる。一般に「河内」を含む地名は「かわち」及び「こうち」と、それぞれの濁音化の読みが知られている。どちらが採用されるかは時期や地方によりまちまちに揺らいでおり一般法則はない。中山にある面河内池は現在も昔も「おもごうち」とだけ読まれる。

河内とは川の内側、即ちそのまま沢地を意味している。丸はそのまま地勢のなだらかさを形容しているのではないだろうか。実際、市境近辺に分水界があるものの稜線部分が明瞭でない程度の傾斜をもつ地勢である。敢えて対義語を考えるとするなら、険しく狭い沢地から宛てられる真河内(さなごうち)だろうか。この場合の真(さな)は狭いと同義であり音の揺らぎから似た漢字を宛てられたものと考えられる。
出典および編集追記:

1. 当時はパーソナルコンピュータが出始めたばかりで Lotus 1-2-3 のようなアプリケーションを介して書類作成する作業しかできなかった。しかしワープロはある程度普及していて使いこなせていたので日記の作成をノートへの手描きからワープロへ移行していた。ワープロ時代の日記はすべてテキストコンバータを介してプレーンテキストの形でPCへ保存している。

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