山口宇部道路・未知の跨道橋【7】

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(「山口宇部道路・未知の跨道橋【6】」の続き)

建屋のようなものが見えていたあの分岐路まで戻ってきた。
来るときはこの分岐を通らず手前の竹藪を強行突破して里道に到達したのだった。


いくら来た道を律儀に戻ると言っても道でない竹藪漕ぎまで辿る必要はない。もし誰かに鉢合わせしたなら、山道を歩いてきたところだと答えればいいだろう。
もっとも普通に歩いてこの方向に歩いて来れる可能性は皆無なのだが…

建屋の存在は正直気になった。どうにも民家のように思えてならなかったからだ。
それは家ではなく建築ブロック積みの機具庫だった。廃屋のように見えていたので内心ホッとした。

枯れた笹の葉が目立つ山道をどんどん下る。何処へ出て来るかは…それはもうあの場所しかない。


柵の反対側だ。
ここは居てはいけないエリアかも知れないのでさっさと脱出しなければ…


傍らに生えている樹木の横は空いていて容易に通り抜けることができた。そのことは最初に柵を目にしたときから分かっていた。結局は実質的に立て札を無視して進攻したのと同じだが、結局は「あの漢字4文字が読めないのか?」との謗りを受けたくなかっただけだ。誰かに鉢合わせすれば跨道橋への道を調べていたと話すし、それでもなおここは私有地だとか立入禁止だとか言われるなら素直にゴメンナサイと謝るだろう。それで済む問題ではないだろうか。
普通の人間ならそうだろう…稀にそうでない方もあるようなので

情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

柵の管理者は、間違ってこの道に進んでも何処へも出られないから無駄足にならないように…という善意で設置したものと考えたい。もしそうでなければ今後はぜひともお願いしたいのだが、本件に限らず意図の不明瞭な立入禁止をやみくもに掲示するのは止めて頂きたい。何故進攻してはいけないのか理由のない立入禁止は、その周辺にある案件の大きな障害になる。「私有地につき」とか「行き止まりにつき」などの理由を書いて欲しい。前者なら私は素直に退散するし、後者なら自己責任で先へ進む。まったく判断が分かれるのに立入禁止の漢字4文字だけでは情報が足りなさ過ぎる。[1]この場所に関しては、もし里道なら明確な理由もないのに立入禁止を掲示し柵を設置して一般の通行を妨げてはならないのである。[2]荒れてはいるが客観的に見ても山道の態を成しているし、未だ道として機能している。敢えて進んで無駄足になるのは本人の問題であり、それが心苦しいなら立入禁止ではなく「この先行き止まり」の方が適切である。行き止まりを承服した上で自己責任で進攻したい奇特な輩も居るので。

無事、進攻スタート地点へ戻ってきた。
心配せずとも自転車は道路の端で主の生還を待ってくれていた。


この石材は今やコンクリート水路となってしまった江頭川が自然河川だったときから架かっていたものだろう。
わざわざコンクリート床板に置き換えることはせず昔からの石橋を遺しておいてくれたわけである。


市道迫田長谷線から北側の跨道橋に向かう里道探索はここまでだ。現状を視察した結果をまとめると、
(1) 北側の跨道橋に繋がる物理的に通行可能な道は存在していた。
(2) 江頭川を渡る入口部分にロープが張られ、その先に立入禁止の柵が設置されていた。
(3) 岡ノ辻側はまったく道の痕跡がなく既に里道でなくなっている可能性が強い。
たった一条の道に関してここまで粘着的になれるものかという疑義は大いにあるだろう。このところ時系列記事を作成しておらず、また探求的な踏査も少なくなっていたので久し振りに「濃い体験」をしてみたいというのもあった。

さて、前ページの中ほど里道が喪われているかも知れないという記述を行ったところで「あと一つの確認を要する事項がある」と仄めかした。それは上の道、即ち市道丸山黒岩小串線から跨道橋に至っていたと思われる経路である。国土地理院地図では岡ノ辻側の道が途切れた形で描写されていた。
跨道橋を渡った先の岡ノ辻側では酷い藪を見ていたので、上の道からの経路は既になくなっている可能性が強い。それは初回調査時に訪れたある公園の裏手に相当する。そのときは公園の標識柱のみ撮影して引き返していたので、念のために調べておこうと思った。

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ここで下の道からの自転車移動に十数分を要した。
公園カテゴリからも参照できるように一応インデックスをつけておく。記述は時系列のままで行っている。
《 岡ノ辻迫田公園 》
初回調査のとき深く考えることなく自転車を乗り入れた場所である。場所は後岡ノ辻バス停からもっとも近い住宅地だ。


この場所を地図で示す。


住宅地の一角に地元管理と思われる岡ノ辻迫田公園がある。


岡ノ辻はバス停名にも採用されている知名度の高い地名だが、迫田はそれほど著名ではない。場所としては岡ノ辻の東側、江頭川の上流にある一帯をさす小字である。詳しくは以下に記述済み。
派生記事: 迫田について
さて、生憎市内の公園紹介として記事を書いている積もりではないので公園の概要について殆ど触れることなく時系列に話を戻すと…
前編に続き、山口宇部道路の北側にある跨道橋に繋がる里道を探している。上に掲げた地図でも山口宇部道路を横切る二本線の記述が見えるだろう。それは全く適当に描かれた感じであり何処を通れば跨道橋に到達できるのかが分からない。ただ、地図からすればこの公園の裏手あたりがどうにも怪しいと感じられる。前回も公園の入口まで来ていながら、深く考えず公園の標識柱のみ撮影して退散していた。

対象が公園だから何の遠慮も要らない。堂々と自転車で乗り入れる。
私有地かも知れない山の中を歩き続けるよりは数倍気持ち的にラクだ。
まさか地元在住民と子ども以外は公園に入ってはいけない…なんてことないよね?


あまり子どもが遊ぶこともないのか、園内はやや草の勢いが目立っていた。
山口宇部道路が通っているのはブランコのある方だ。


フェンスに近づく。
公園に隣接して民家の庭なのでカメラを構えること自体かなり憚られた。


何処にも道はなかった。
民家の庭のすぐ裏が山で斜面はキレイに草刈りされていた。


斜面の奥の方までズームしたが、ここから山口宇部道路も跨道橋も直接には見えなかった。
このズームしている先から100m以内に先ほど訪れた跨道橋の岡ノ辻側があることだけは言える。


冒頭の地図では跨道橋の岡ノ辻側に等高線が見える。橋から上の道まではもうそれほど高低差はないので、里道があるなら家を迂回して現在眺めている斜面あたりに出て来そうに思える。
キレイに刈り取られた斜面は多分この家の私有地だ。何でもない山野を刈る人は居ない。自分の土地を小綺麗にしたいから自主的に手入れなさったのだろう。

更に公園の周囲を一通り調べた。
フェンスは何処も切れておらず、その外側にもまったく通路は見当たらなかった。


上の道と跨道橋の間には民家が2軒ある。その近辺に通行可能な道がないこと、国土地理院の地図でも道を示す黒い実線が途切れて記載されていることから、この区間の里道は喪われてしまったと見做さざるを得ない。仮にそうでないにしても調査する手段がない。[3]

これで2つある跨道橋のうち北側のものについては可能な限り調べた。他方、南側にある方は道路から見上げる形で撮影しただけで、未だに跨道橋の上に到達できていないどころか接続される道も分かっていない。

ただ、限りなく怪しいと目を付けている場所はある。それは後岡ノ辻バス停から南へ自転車で一漕ぎのところだ。


この小道である。
手前のコンクリート舗装されている部分は別の民家へ向かうスロープだ。


さて、これを道と呼んで良いものだろうか?
わけあって隣接する民家との間に緩衝地帯を設けただけのように見える。


ここは初回に訪れたときも跨道橋へ向かう里道の候補として目を付けていた。自転車を停めて歩いて少し進攻もしている。
しかしあまりにも民家が近い。本当に里道ならいいとして、こんな狭い通路へ入り込むなどもう怪しい臭いプンプンで先へ進む度胸がなかった。このたび訪れたときは歩道の通行人が目立ったし、近くの家で子どもの姿が見えていたのも進攻を躊躇させた。

この場所を中心にポイントした国土地理院の拡大図である。


進攻しようとしたこの小道のみならず、民家へ向かう左側のコンクリート製スロープもきちんと描写されている。そして小道自体は確かに南側の跨道橋へ繋がるように記載されていたのだ。

この道で殆ど間違いないと思う。次回、再び萩原地区を訪れる便があったとき寄り道してこの小道を攻略にかかる予定だ。ただ、このたびの立入禁止みたいな困難が先に待ち受けているかも知れないが…

(「山口宇部道路・未知の跨道橋【8】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 本当のところ一個人ではなく行政や会社など機関の設置する立入禁止表示について特に要望しておきたい。変電所の柵に立入禁止を出すのは当然理解できるが、差し迫った危険が感じられないのに事故が起きたときの責任回避などを目的に設置された立入禁止があまりにも多い。この粗雑な標識のせいで記事公開が手控えられたり調査自体が滞っている場所が無数にある。

2. 設置された看板は相当に古く、現在のようにやれ里道だここは私道だと小うるさい議論とは無縁だった時代のものなので致し方ないだろう。設置者も強硬な進攻阻止の意図はないように見える。真に不法侵入で悩まされているなら樹木のすぐ横が空いて通れるような脇の甘い状態にはしないだろう。

3. その後作成された記事でも書かれている通り、南側に架かる跨道橋(黒岩跨道橋)北側の跨道橋(迫田跨道橋)とは異なり、道路建設により土地が分断されるため地権者への補償として架橋されたようである。即ち橋に接続される土地や通路も含めて元から私有地であり、当初から岡ノ辻側への公道に抜ける道はなかった可能性が高い。(2017/1/22)

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