黒岩観音東古道【3】

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(「黒岩観音東古道【2】」の続き)

またしても竹藪密集地帯で前へ進めなくなった。
周囲を見回して迂回できそうな場所を探して移動する。[14:47]


どれほど探しても往路の踏み跡を見つけることができないまま歩き続ける現状はある意味プチ遭難状態と言えた。しかしそんなに青ざめて慌てる状況でもなかった。太陽の出ている方向は確認できるので、迂回しつつもその方へ辛抱強く歩き続ければ最終的には黒岩観音前の市道か堀割の道(市道黒岩片倉線)に出てくる。それも直線距離にして200m以下の筈なのだ。恐怖や狼狽よりも方角と距離の把握感が鈍っている自分の分析力が嘆かれた。最近こういった藪歩きを殆どすることがなく勘が鈍っているのか、それとも平坦で地勢が読み取りづらい場所に竹が密集しているという場所的要因だろうか…

日が傾くにはまだ時間が充分あるし、服装も相応なものを着込んでいたから藪歩きが長引くことにそう不安はなかった。あるとすれば…
とりあえず、イノシシ遭遇だけは勘弁して欲しいな…
踏み跡を求めて歩きつつも周囲や足元にあるものの観察まで怠っていたわけではなかった。
これと次の2枚の写真にそれが現れている。


更に近寄って撮影している。
適度に割られた蛇紋岩が2段に積まれ線上に並んでいる。[14:48]


これは自然にできたものではなく人為的に並べられたものだろう。段差のある田の縁に並べられた石ではないかと考えた。さっきからずっと続いているこの近辺の平坦な地勢は、開墾された地かも知れない。
自然の地形で殆ど起伏の無いエリアが広がっている例は少ないように思う。こういった平坦地の多くが昔の住居跡だったり放棄された田畑だったりする。遙か昔からの自然地形なら雑木林が優勢になるもので、この近辺は殆ど竹藪だ。人の手を離れた開作地で真っ先に進入し勢力拡大するのは専ら竹だ。同様の場所は西山の桜ヶ谷地区道を訪れたときにもみられた。

この先も竹藪が濃くなっていて再び迂回を余儀なくされた。
またしても木が倒れて根が露出している場所に出会った。[14:49]


こうした倒木に目を遣るのも、往路で類似する場所を見たような気がしたからである。しかし残念ながらここも往路では通ったことのない場所だった。

植生が密集した竹から雑木に変わった。そのことで日当たりの異なるエリアに出て来たことを実感した。
そして漸く前方に黒岩観音の東屋が見えてきた。[14:50]


そのことで自分は随分と進路を東寄りに取ってしまっていたことを理解した。東屋は自転車を停めたあの案内板よりも低い場所なので、黒岩山側へ進路修正していたと思っていたもののまだ西側へのシフトが足りていなかったことになる。

まあいいや…自分の読みが異なっていたことは反省材料だが、さすがに今は無事戻って来れた安堵感の方が大きかった。


もし黒岩観音の参拝者が近くに居たら、藪からゴソゴソと出て来る二本足の動物が現れたらさすがにギョッとするだろう。脱出する前に一応、周囲に人影がないことを確認した。進入路付近は日が当たりやすいせいか足に纏わり付くツル性の植物が多く、竹藪よりはるかに手こずった。

やれやれ…東屋でちょっと休憩だ。
いくら平気とは言ってもさすがに足元の悪い場所の藪漕ぎ歩きは体力を消耗する。


簡易トイレの右側に黒々とした穴が空いているように見える場所。そこから出てきたわけだ。[14:51]


タイムスタンプは14時51分なので、道に迷ったらしいと考えて歩き始めてからの時間は10分以下である。されど案内板から崖に到達するまでは途中で写真を撮りながらでも3分だったのだから、足元の悪い藪をかなり遠回りして戻ってきたことになる。
これだけ藪歩きが長ければほいと被害が気になるが、そこはさすがホイトプルーフなウェア装備が奏功して衣服には全然付着していなかった。今後の山歩きの標準装備になりそうだ。

さて、野ウサギが東屋で休憩している間に(?)一旦時系列から離れてここまでの状況を振り返っておこう。

案内板にはこの先行き止まりで「がけあり注意」と示されていながら、紛れもなく踏み跡と認識できる道が伸びていた。それは殆ど直線的に崖へ向かい、その直前で踏み跡が不明瞭になった。途中にあった人工物は厚生年金センターとの境界を示すらしいネットフェンス、そして棄てられた自転車だった。
崖は何の前触れもなく突然現れ、それは予想通り採石の過程で大岩を切り崩した結果生まれた人工的なものだった。崖の上には採石関連の詰め所などは見当たらなかったし、崖の下へ降りる道もなさそうだった。

以上のことから、案内板より崖まで至る踏み跡は、採石場とは恐らく関係がない道があったのだろうと考えた。元は何もないのに「崖あり」の表示につられて私の如き好奇心旺盛な方々が散発的に入り込んだ結果できた踏み跡ではない。厚生年金センターがわざわざ危険な崖の位置を示す行き止まりの表示を出すとは思えないからだ。元からなにがしかの道があったのだが、踏み跡は消えずに崖が生じた。踏み跡の存在から山道だと思って知らない人が通ると危険なため案内板を出したのだろう。
では、元々は何の道があったのだろうか?
2つの可能性を思いついた。一つは崖の上あるいはその近くにかつて畑などを持っていた土地所有者の道、もう一つは崖になる前は別の場所へ往来できていた里道だ。前者の可能性ももちろんあるのだが、後者だったとすれば更に妄想レベルで想像が広がる。

もしかするとこうだったのでは…という妄想を交えてこの周辺の状況を地図へ書き込んでみた。
操作可能なこの付近の地図を開きたい場合はこちらをクリック


黄緑色のラインが平成期に入って新しくできた市道黒岩片倉線、橙色のラインはそれ以前からあった山越えの市道黒岩線で、途中で分岐しているピンク色のラインがこないだ辿った黒岩開古道(仮称)だ。
黒岩開古道からは(まだ確認はしていないが)別の山道が分岐していて、その一つは崖のある沢の方へ下っている。このたび辿った崖へ向かう黄色いラインは、沢へ下る道の地図で確認される部分において高低差10m以内、距離にして150m以内である。

ピンク色の道は、最盛期には床波より居住者が多かった時期もある黒杭村の集落に向かっている。黒岩観音の開闢は大正12年なので、その頃の黒杭村は最盛期こそ過ぎていたもののまだ居住者があっただろう。
黒杭村は黒岩山の東側斜面にあったので、まだ知られてはいないが村から黒岩山への登山道があった筈だ。しかし黒岩観音参拝の都度黒岩山を越えていたとは思えない。沢へ下る道がこの黄色いラインに繋がっていたと仮定すれば、殆ど山越えの苦労なく黒杭村から黒岩観音へ参拝できる道ができあがる。そういった往来需要は当然あったと考えられるのである。

もっとも以上のことは現状と地図を見た上での憶測である。黒岩観音東古道という如何にもありそうな仮称をつけてここまで記事を書いたのだが、その実単なる採石場の崖があっただけの話で、古道など元から存在しなかったという結末もあり得ることを注意しておこう。なお、一連の踏査の状況についてはFBページ側[1]にも報告した。

さて再び時系列に話を戻すと…東屋で小休止した後、自転車を留め置いているあの案内板のところまで行った。
この「がけあり危険」の表記がなかったなら…一連の物語は産まれ得なかっただろう


さて、これからどうしようか…
もう一つ調べたい題材があった。黒岩山の登山道がどの程度遺っているかということと、その途中に存在するかも知れないものの調査だ。それは古い地図には記載されているらしいが、何であるかは分からないという。
しかしその探索までには至らなかった。

大幅にさっ引いて語ると、実のところこの先はココランドのある敷地まで歩きはしたものの、適当なところで引き返して撤収した。大した成果とも思えない面白いものはいくつかあったのだが、敷地へ出てくるだけで登山道はその先確認できなかった。

再び藪漕ぎをしてまで登山道の痕跡と地図上の未知のものを探すまでには至らなかった。詰まるところ先ほどの藪歩きでかなり疲弊してしまい、踏み跡すら確認できない山の中へ分け入る気力がなかったのだ。さっきは平坦地だったが、今度は山登りである。下手をすると黒岩山のピークさえ見失い、樹海をあてどなく彷徨い続けて遂には本当に深山で暮らす野ウサギに戻ってしまいそうな気がしたので…
更に続編を書くかどうかは…まだ決めていない

そういう訳でとりあえず… 
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せっかく写真を撮り記事も書きかけていたので、殆ど内容が無いながら最後まで書き上げて一応公開しておく。記事タイトルは黒岩山登山道としているが、殆ど登山道の記述がないことに注意(苦笑)

(「黒岩山登山道【1】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/1/15の投稿(要ログイン)

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