黒岩開古道(仮称)

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記事公開日:2015/1/3
記事編集日:2015/12/27
情報この記事は単一物件を構成する部分記事です。将来的に単一記事に統合されることでアドレスが変わる可能性があります。

市道黒岩線を起点から進み、黒岩橋を渡った先に高度を下げず山腹へ向かう未舗装の分岐路がある。
分岐点をポイントした地図を示す。


ここから北上し黒岩山の北側を通って市道常盤公園開片倉線に向かう路線である。
本編ではこの一本の道において黒岩側から進攻したときの区間を黒岩開古道と仮称して記事を進める。
以下は記述の便宜上「仮称」をすべて外している
《 概要 》
この道は開と黒岩を連絡する昔からの道で、かつては徒歩のみならず四輪でも往来ができていたようである。黒岩側は市道からの分岐点付近以外すべて未舗装路である。現在は黒岩側から進むといくつかの枝道があり、近隣の墓地に向かう以外は徒歩でも通行がきわめて困難な廃道状態になっている。

かつて繁栄したものの現在では墓地と神社跡を遺すのみとなった伝説的な存在である黒杭村は、この道の北側にあったと考えられている。道中の最高地点付近に黒杭村在住者による私設の道標が遺っている。開側からの経路と合わせて黒杭村の時代考証を行う上で重要な道と考えられている。
《 記事公開後の変化 》
初回踏査の時点で甚だ進攻困難とみなされ暫く放置状態になっていたが、2015年12月に本記事を元に黒岩側からの進攻を行い、道標が見つかったという読者からの報告があった。[4]報告によれば通行困難な藪状態は10m程度でそこを過ぎれば同程度の規格をもった山道が続いているという。

報告を受けて再踏査を行い、道中の最高地点付近に道標を確認できた。
写真は2015年12月における現地写真。


2015年12月の現地調査時点においては開側に私設の障壁が置かれており徒歩でも通り抜けはできない。ただし道そのものは私道ではなく現在も里道(法定外公共物におけるいわゆる赤線)のようである。
上記地図の分岐点より初めて進攻を試みたときのレポート。藪に阻まれて断念している。
記事タイトルの簡略化のため「仮称」の部分を外している
時系列記事: 黒岩開古道【1】

2015年11月度において進攻達成したという報告を受けて12月に再度同じルートを進んだときのレポート。全2巻。一部開側からの区間を含んでいる。
時系列記事: 黒岩開古道【2】

開から黒岩方面へ向かう古道区間。2014年始めに歩行踏査し道が喪われていることを確認済みだった。
時系列記事: 開黒岩古道(仮称)
出典および編集追記:

1.「歴史散策かわかみ」p.19

2. 道の形が喪われる程の酷い藪の中を漕ぐことに関して最近かなり意欲減退しているのは否めない。
これは体力的な問題ではなく最近イノシシの出現がかなり頻繁に報告されているからである。宇部坂下池の初踏査時にイノシシに遭遇しており、大型の個体に攻撃されれば生命に関わる。イノシシ問題は目下山野の踏査においても最大の脅威と認識している。

3.「FB版|2014/12/5の投稿」に寄せられた読者コメント情報による。

4.「2015/12/17の投稿に対する読者コメント

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