生活道・その他の道

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記事作成日:2015/1/24
最終編集日:2022/2/23
ここでは、車の頻繁に通る一般道路や企業管理道などを除いた主として人の往来に供せられる道を生活道として概説する。
《 生活道とは 》
生活道は生活道路[1]とも呼ばれ、一般には昔から人々が慣習的に通行してきた道からモータリゼーション期以降に生活する上での要請で四輪も通るようにある程度拡げられた道までを含む広い概念である。庶民の生活に深く関わっている道を指すことが多く、自動車専用道路や相応な交通量をもつ幹線道路は生活道とは呼ばない。他方、市道であっても道幅が充分ではなく四輪が通行可能でも通行人や沿線住民の安全確保に重点が置かれる道は生活道路と呼ばれる。学童の登下校路にあたる道では、当該時間帯に許可者以外の車の通行を禁止していることが多い。

当サイトでは初期の段階から道路の管理主体や通行実態に応じてセクションを設け記事を収録してきた。この流れで道路カテゴリを上位から順に国道、県道…と区分している。生活道はその他の道と共にこれらランクの最下位に置かれ、上位区分に含まれない道を収録している。したがって道路標識などで掲示されていたり外観から推察される生活道路と当サイトの生活道はかならずしも一致しない。

例えば護国神社下から西へ伸びる道は四輪の通れない幅の未舗装路で、農道を思わせる道だが、この区間は市道維新山西山線という認定市道なので、当サイトでは市道の項目に分類収録されている。


四輪が通れる幅がある道でも生活道であったり、私企業や個人の所管する道といったケースもある。当サイトにおいて「生活道・その他の道路」に分類されているものは、上述の通り国道・県道・市道でない道といった除外的な定義を与えていることに注意が必要である。
《 里道について 》
国道・県道・市道で分類されている道は公道の一部であり、一般には四輪の通行に関して道路交通法の規定を受ける道として認識されている。しかし広義の公道は前記の他に四輪が物理的に通れない自転車道や農道、登山道も含まれる。街中にあるものはしばしば路地と呼ばれる。それらは一私人の庭や空き地に接続される私道とは異なり、慣習的に昔から誰でも通ることのできる道である。それらをまとめた里道(りどう・さとみち)という呼び方が存在する。不特定者の通行に供される観点からそれらは法定外公共物と呼ばれるものの一つである。

里道は赤線、赤道(あかみち)などとも呼ばれる。この呼称は、法務局で取得する公図ではかつて該当部分が赤く着色されていたことに由来する。現在は着色されず「道(どう)」と記載されているが、年配者には里道と言うよりも赤道という語の方が通りが良い。

車社会以前から自然発生し慣行的に通行されてきた里道は、精々往来する人が通常の所作ですれ違える程度の幅しかない。そのサイズから三尺道とも呼ばれる。地方部にあるものは大抵が未舗装路で、表面に赤土が露出して両側に雑草が生えているのが典型的な例である。殊に昭和後期までは周囲が田であったことから農道と同一視された。往来の多い農道などでは、小運搬を容易にするために現在の軽トラ程度なら通行できる幅に拡げられたものが多い。

後年アスファルト舗装されたものもあるが、未だその多くが四輪の入れない幅である。この幅の里道でしか繋がっていない敷地は建築基準法の接道を満たしていないため、原則として新規に家屋を建てることができない。現にこのような里道や敷地に立つ民家はなお多く、住み続けることや現状のままでの改修は可能(既存不適格)であるが、ひとたび民家を解いた場合には接道条件を満たさない限り新規に家を建てられないため、現代社会では使い出のない死に地となってしまう。

このような敷地を再生するために、民家を取り壊した後に接道条件を満たすように敷地を後退(セットバック)させて道を拡げることがしばしば行われる。特に昔屋敷があったような広い土地や複数軒の民家があった場所を一斉に取り壊し再生するような場合、合わせて曲がりくねっていた里道も整えられる場合が多い。いずれにせよ昔あった道は再開発によって形を大きく変えてしまう。接道条件を満たさない道は里道に限定されず、認定市道であっても4m未満の幅しかない道は同様に拡げられる。

当サイトの生活道のセクションでは、一般に里道と推定される道について収録している。
写真は恩田地区にある典型的な里道の例。


「現に不特定多数者が往来に使っている道」をもって里道と推測しているため、里道のように見える道が実際は私人のための通路だったり、慣行的に地元住民が通行していながらも私道であったりする事例も多く、厳密には法務局で照会しなければ正確なことは分からない。このことが後述する通行に関する問題の一因となっている。
《 当サイトでの記述法 》
生活道路には起点・終点の概念がなく多くの場合は名称もない。徒歩による往来という初期の通行形態から発生した生活道は雑多で分類は難しい。
当サイトでは単一の生活道とその他の道は端点を示す位置図を記載している。複数の生活道が関わっている地区では視覚的に生活道を判別可能とするために、問題ある手法とは思うがネットで公開されているYahoo!地図の該当箇所をキャプチャし要所の地点に記号を付けて区分している。現地の地図を一から手書きするのは大変なので適宜コピーした上で分岐点にアルファベットを書き込んでいる。

マップにおいて記述対象としている生活道は薄黄色で着色している。記述対象となる生活道に対して関わりのある認定市道は着色され路線名を表記している。地図に道としての記載があるものの塗られていない区間は個人的関わりがない、特筆性がない等の理由により記事が作成されていない。生活道に横置きの棒が書き込まれている部分は車止めの設置により四輪の進攻ができなくなっている状況を示す。[2]これはYahoo!地図の一般的記載法である。

水色の直線は視覚的に連想されるように開渠となった用水路または排水路を示す。認定市道沿いの水路は蓋掛けされている場合が多い。紺色の直線は工業用水埋設管を示す。地表からは人孔しか視認されない。
灰色の直線は送電鉄塔の経路を示す。一般の地図では鉄塔のみが記載される。
道に沿って書き込まれた赤矢印は登り坂を、緑矢印は下り坂を意味している。[3]その他印などでマーキングされたり適宜線分が書き込まれている部分があるが、詳細は近傍の生活道記事で述べている。

昭和50年代半ばから急速に進んだ宅地開発や更に時代が下っての区画整理事業のため多くの田畑と共に失われたり改変された生活道が相当ある。現在の地図では表記されない部分がある場合は、昭和40年代後半の航空映像を切り出して掲載している。
【 今後の変更の可能性について 】
地理院地図サイトで地図中に上載せ情報を書き込んだ状態で画像出力する機能が追加された。この画像を使えば従来のYahoo!地図上載せ方式よりも見やすく著作権問題をクリアできる上に、追加で書き込んだ記号をクリックすれば該当記事へジャンプできるクリッカブルマップを作成できる。現在、廃止されたルートラボの代替として認定市道の経路表示を地理院地図画像に置き換えている。将来的には島地区の里道のマップを含めて地理院地図の上載せ画像に置き換え、本項「当サイトの記述法」は削除する予定である。
《 生活道の抱える問題 》
認定市道のようないわゆる公道は、特段の事情があって道路管理者が制限を加えていない限り[4]通行は自由にできる。本編の生活道のうちでも法定外公共物たる里道は不特定人の通行に供せられるものであるから、近隣地区の在住者でなくとも通行は自由であり、誰であろうが「ここを通るな」という主張は認められない。[5]しかし里道であることの認識の薄さや沿線住民の抱える切実な事情もあって、充分に理解されていない現状がある。
【 管理に係る財源と人手不足の問題 】
公道にはそれぞれの管理主体があり、国・県・市などによって管理されている。私道や社有地の道は当該所有者が管理し、通行の可否も委ねられている。里道は当該地域の自治会が管理するが、草取りや雨による軽微な地面の損傷などは隣接する住民が自発的に行っていることが多い。

地元住民がよく通る農道の損壊は、地域の道路を含めてかつては年に数回草取りや補修をして回る定例行事(道普請)として区や班単位で行われていた。後年市道などは該当部署の所管となり道普請のエリアは少なくなったが、居住者の高齢化が進んで作業を行う人手が減った。更に生活環境の変化により自治会加入者が減少し、里道の維持管理は近隣住民のボランティアに委ねられていることが多い。このためメンテナンスが充分でなく、路面が荒れて酷い状態になっている生活道が増えてきている。[6]

認定市道に係る補修や拡幅などの工事費用は市の道路予算から賄われる。他方、生活道は地元自治会の財源が充てられる。しばしば問題となるのは、周辺の県道や市道が狭かったり常に渋滞気味で通りづらいとき地元管理の道を渋滞回避や近道として通り抜け利用する事例である。この場合、後述するように地元管理道を維持管理する費用の負担者と受益者に大きな偏りが生じる。
【 外部車両の通行に関する問題 】
当該地区に用事がなく単に通り抜け目的の車両が増えれば、それだけ道路は早く傷む。その補修費用は地元負担となる。また、こういった地元管理道は頻繁な交通量を想定していない設計であることが多く、見通しの悪い道を外部の車が頻繁に通行すれば子どもたちをはじめとする地域住民の安全が脅かされる。騒音と排気ガスのみ残して走り去る外部からの通り抜け車両には在住民にデメリットしか与えない。

この問題は市内にいくつもある団地内道路などを中心に発生しており、一部の地域では頻繁に通行される末端部分に外部車両の通り抜け禁止を明示した看板が出ている。
写真は市道小松原通り線の六角堂手前の分岐点だが最近この看板は撤去されている


しかしながら団地内へ進入してくる車が真に地域在住者を訪れるのか単純な通り抜け目的かを判別する手段はなく、結局はドライバーの良識に委ねられているのが現状である。通り抜けるドライバー側にも一定の言い分があり、近くに認定市道が存在していながら悪線形や狭隘区間が改良されず通りづらいのが理由であることが多い。市道請川2号線のように後年認定市道へ昇格させて市が管理している事例もある。これは地元在住者の言われ無き道路補修費用負担から開放されるメリットはあるものの、通り抜け車両にお墨付きを与えるため通り抜け車両が増加する副作用もある。

このような事例でなくとも四輪で通行する側の立場からすれば、その道路の管理主体が何処であるかは殆ど問題にされない。明白に私有地・社有地と判断できる場合は別として、「物理的に通行可能な道であれば通ってしまう」現状がある。

通行により路面が荒れるのは、程度の差はあっても四輪のみならず二輪や軽車両、歩行者でも有り得る。しかし道路負担の程度が異なり騒音や排ガスとも無縁な軽車両以下の通行が問題にされることは殆どない。ただし溜め池管理者が通行するような山道の場合、四輪ならずとも別の問題が生じる。荒れた地面でも走行可能な二輪やマウンテンバイクによる頻繁な通行のため道が掘り返され、管理車両の通行に支障を来す事例がある。こういった道ではたとえ通行が自由であろうが状況によっては補償問題に発展する場合がある。[7]

進入路部分は四輪が入れる幅がありながら途中に狭隘区間や段差があるため物理的に通行できない生活道がある。このような場合は通り抜けを誘発しないので道路の傷みや沿線住民への危険は少ないが、土地勘のないドライバーが通り抜けられると思って進攻したものの引き返すような事例がある。殊に実際に通り抜けられる地区道が別途あって近接しているときに間違いを生じやすい。

このような道には、しばしば入口手前の部分に「通り抜けできません」の看板が設置される。もっとも四輪に対してのみであり、歩行者や自転車は(段差を跨ぎ越す場所があるかも知れないが)通行できる場合が殆どである。


看板類を設置せず、両側にバリカーを設置することで物理的に通り抜けができない措置を施している場所もある。バリカーがあるため自転車の通過には注意を要するが、そのような箇所は一旦降りて押し歩きが推奨される。公園内通路などはバリカーの箇所のみならず一定区間は自転車に乗っての通行が禁止されていることが多い。

実際にバリカーが存在する場所よりも手前から通り抜け不可を示す掲示がなされることもある。これは行き止まり地点まで来て車をUターンさせるドライバーへの配慮というよりは、Uターンに伴う騒音頻度を下げる地元在住民の防衛手段である。通り抜けられないと知ってUターンするドライバーはその時限りだが、地元民は不定期にやって来ては騒音と排気ガスのみ残し(時には勝手に庭先まで入ってタイヤ痕を着けて)引き返していくドライバーに迷惑している。

近年整備された住宅地では、幹線道路から離れているなど通り抜けメリットが生じない立地が殆どである。市街地近郊部において既に住宅地がある場所に接して新興住宅地を造る場合、通り抜けを防ぐために既存の団地との往来道路を設けないことがある。ただしこれには開発時期が異なり、双方の地盤高が異なっていたのが理由の場合もある。四輪が通過できなくとも相互の往来を容易にするためにスロープや階段が設けられることが多い。


一般に住宅数軒で構成される住宅地や団地にある道路は、地元の自治会や班が所管している。元から里道が存在していてそれを拡幅して宅内道路としている場合を除き、里道のような通行権を行使はできない。現状その宅内道路を通れば別の場所に出られる場合、散歩や自転車の通行程度は追認している場合が殆どである。ただしこれが外部からの四輪の通り抜けが頻繁になって弊害が出ている場合に問題視される。

近年、コンビニエンスストアが幹線道路の角地にあることを利用して、長い信号待ちを嫌気してコンビニの駐車場を通り抜けるドライバーが非常に多い。買い物の意図がない客が敷地内を無断通行するだけだからコンビニ側は歓迎していない。車道から駐車場へ乗り入れて通り抜ける車は殆ど歩道の通行者を見ておらず、重大な事故を誘発する。この問題に対して何処のコンビニもまったく何の対処も講じようとしていない。(→コンビニエンスストア|問題

四輪の通り抜け対策が施されている住宅地内を自転車などが通過する行為には議論の余地がある。徒歩の場合はそれほど問題視されないが、ペット随伴の散歩では糞害に悩まされていることが多く随所に立て札がみられる。自転車は通過時間が短いため頓着されていないものの原付など二輪では意見が分かれる可能性がある。もっとも段差があれば二輪を押し歩きする人は皆無なので抑止策となっている場合もある。
【 里道の通行阻止問題 】
先述したように、里道は地域在住民の別を問わず誰でも通って良い道である。しかしその状況が沿線在住者に不利益を与える場合がある。里道より外の敷地は多くの場合が私有地なので、里道通行者の恣意的な侵入は認められず柵をするなどして事前に対処することができる。しかし里道の通行を阻碍するような以下の事例が見受けられる。
(1) 里道の入口に鉄柵や網、ロープなどを張る(物理的障壁)
(2) 里道の入口に通行を容認しないと解釈できる札を掲示する(心理的障壁)
(3) 里道の入口に私有地と誤認させる札を掲示する(事実と異なる掲示)
これらすべての行為は里道の通行権侵害である。

物理的障壁とは、その名の通り通行を著しく困難にさせるものを里道の入口や途中に設置するものである。もっとも軽微なものは軽四が通れる幅の里道の入口にロープを張ったり金属製のバリカーを置くもので、この多くは四輪が(主として不法投棄を目的として)勝手に侵入することを防ぐための措置で、自転車や歩行者の進攻まで阻止することが意図されていない。ただしこれらの障壁がある先が間違いなく里道である場合の話で、実際には社有地に向かう進入路などと見極めのつかない場合が多い。

これよりも阻止の本気度が高い、例えば波板を横にしたものや鉄格子を数枚合わせて番線で結束している障壁がみられる。波板のものは大きく足を挙げれば跨ぎ越せるが、鉄格子で塞いだものは結ばれた番線を外す手間が要る。これは里道の通行を禁止する意図はなく、山中から降りてきて作物を荒らす野生動物を阻止するためである。特にイノシシによる作物の食い荒らし被害は一般市民が考える以上に深刻で、里道を塞ぐ形になってでも防衛しなければ生活が成り立たなくなるレベルに至っている。

里道の先が鉄格子で塞がれていれば、通常の人なら間違いなくその先は通ってはいけない場所と解釈する。設置者は野生動物の侵入阻止のみが目的なので、必要であれば柵の状態を元に戻しておくことを前提に勝手に開けて通って良い場合が殆どである。しかしその旨の説明がなければ、その先が間違いなく里道であるという確証がない限り先へ行くことを諦めるだろう。遺憾ながら市内の里道ではこの種の掲示が酷く立ち遅れている。

稀ではあるが、本来誰でも通れる里道でありながらその入口に立入禁止の掲示を出したりこの先私道という誤った掲示を出している場所がある。甚だしい場所ではドラム缶のような物理的障害物を置いた上で通行をご遠慮くださいといった穏やかではあるが不適切な立て札を設置している事例もある。こういった掲示を出す裏には四輪が通れないのにしばしば誤って進入して来る、ゴミの不法投棄に訪れる車がある、すぐ横に里道があるが平穏な生活を乱されたくないなどの理由がある。その理由は一応配慮すべきだが、この掲示物のせいで先の踏査ができていないエリアが無数にある。
【 里道と私道の見分け方について 】
結論的に言って、法務局で該当箇所を参照する以外にない。何十年も地域の住民が往来していながら突然塞がれ、実はその道は里道ではなく一個人の所有地で、便宜を図って慣習的に通行を容認してきた事例もある。

里道は法定外公共物の一つだから、前項のような方法で一般人の通行を阻止するのは通行権の侵害である。他方、上記のような私道は何の掲示も出ておらず知らずに入ったなら(法的意味合いとして)善意の通行者だが、私有地につき立入禁止などの掲示が出ていたなら、たとえ塞がれていなくても掲示を知りつつ土地所有者の承諾なしに通るのは不法侵入である。通路の外観だけからでは里道か私道なのか区別がつかないことがこの問題への対処を困難にしている。

誤って通行してはならない私道に入り込んでしまった場合のトラブルを回避することが目的なので、この意味でもっとも安全なのは近隣在住者に訊いてみることである。たまたま近くに誰かが居るなら尋ねるのが良い。しかし常に周囲に誰か居るとは限らず、自分独りで判断しなければならない場合もある。

確実であるとは言えないが、里道の可能性が高い通路に共通したいくつかの特徴から推測できる場合がある。

民家の塀が近接する間に通路があってその両側の塀に住居表示板が貼られている場所がある。
このようになっている通路は里道である可能性が高い。


途中に住居表示板が出ていたり、ゴミ捨て禁止や犬の糞の後始末を注意喚起する立て札が出ている路地も同様である。


何故なら住居表示板を含めてそれらは不特定多数に見てもらうための設置物なので、それが見える地点は誰でも身を置いて良い場所と言える。設置物が路地の中程にあるならば、ほぼ間違いなく誰でも通行可能な里道と言える。

外観は里道のように見えていても明白に私道につき立入禁止という表示が出ている場所は、当然ながら土地所有者の承諾がない限り通行すべきではない。


このような掲示の背景には、一見里道のような外観なので何処かに抜けられるかと思って散歩ついでに入り込む人が後を絶たないことが窺われる。
《 近年の状況 》
沿線住民の事情によって鉄柵などで塞がれている道は、里道どころか認定市道ですら市内でも無数にある。実際は現状復帰を前提とした通行が可能なのだが、そのことを案内する掲示が出ている場所は市内の何処にも見つからなかった。鉄柵自体も番線で堅く結束され開閉が困難なものが多い。

近年、少しずつ里山歩きや街道の散歩に目が向き始めて田畑に面した主要な道を塞ぐ鉄柵に、開閉可能なことを案内する掲示が出始めた。
写真は山陽道のしょうぶヶ浴道の県道宇部美祢線に面した出入口で、野生動物対策で塞いでいる案内が書かれている。


何の案内もないまま塞いでいた従来に比べて進歩だが、未だこれでは不十分である。通行が自由であり、開けた後はかならず元のように閉めるよう協力を求める文言が要る。この掲示の整備は山口市徳地では十年以上前から当たり前のように行われていた。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 生活道路

2. 車止めの形態は多彩である。間隔の広いバリカーやロープが設置されているだけで自転車でも脇をすり抜けられる場合があれば、施錠されたフェンス門扉が設置されていて歩行者も双方向の移動ができなくなっている事例もある。実際どうなっているかは現地へ行ってみなければ分からない。

3. この色区分は株価において赤表示は上昇、緑表示は下落を示す慣習を準用している。

4. 道路工事による通行止めや行き止まり地点での不法投棄が頻発していて夜間の通行制限を加えている場合など。

5. これは一般論としての言及である。厳密には当該道路の帰属形態がどうなっているかは登記簿を参照する必要がある。当サイトではそこまで厳密性を追究しておらず、掲載された道を通ろうとしたとき外観は生活道でありながら実際は私道で関係者から誰何される(場合によっては更に高圧的な態度を取られる)事例が起こりえることに留意されたい。

6. 認定市道では路面の酷いポットホール等は補修されるが地区道では費用面から放置されることが多い。当サイトでは相応な同情をもってこの現象を「地区道の悲哀」と表現している。悲哀に満ちた地区道の多さは、そのまま当該地域の財政事情や道路に対する関心度、人口密度の減少や通行需要の少なさを物語っている。
例えば島1丁目の生活道にも散見される

7. 面河内池周辺の登山道白岩公園コースと呼ばれる道など。外部からロードバイクを乗り入れて走り回り道路が傷む事例があったからか、汚損時には補修費を請求する旨の掲示がなされている。

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