防府市大浜地区【3】

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(「防府市大浜地区【2】」の続き)

陸路での到達が非常に困難な防府市大浜地区。この場所に個人的な関わりは何もない。親戚や知人が居たわけではなく、何かの記事で紹介されたことで知ったのでもない。総括記事で書いたように、Google Photo path で取り上げられていたことで興味を持ったのだ。
《 客観資料(航空映像)に基づく考察 》
一般的に言えば、鉄道が通っている場所はその殆どが近くに四輪の通行可能な道路がある。最も近い場所まで車で乗り付け、そこから歩いて精々数百メートルで到達できるものだ。到達困難な場所は、山陽本線のこの周辺の他に美祢線の厚狭川沿いにある松ヶ瀬信号場や山口線の田代隧道の南側坑口なども早くから着目されていた。

大浜地区も東側の周南市四郎谷と西側の富海は尾根で分断され、鉄道はトンネルで抜けているが、鉄道に近接して往来可能な道は知られていない。それでもここ大浜地区には人の暮らしがあり、無人地帯となった今でも家屋が存在する。では、昔はどうだったのだろうか。

これは国土地理院による大浜地区の航空映像である。既に民家の数は現在と同じである。
西側にある3枚の田が明瞭に見えているので、この時期までは人の暮らしがあったか少なくとも田畑の維持管理は行われていたようだ。
地理院地図の航空映像には遅延がありこの映像は2010年代のものと思われる


昭和40年代後半に撮影された航空映像。
民家西側の田の畦畔が明瞭であるが、東側は既に荒れ地となっている。


この航空映像では、線路敷近くに民家が数軒あったことが窺える。影も明瞭に写っており、農機具小屋のような小規模な建物ではないことが明らかだ。更に現在は基地局の塔がある場所も大きめの民家らしきものが見えている。

更に時代を遡って昭和30年代後半の航空映像。
残念ながら画質が不明瞭で見づらい。里山と田畑の境が明瞭なので、昭和40年代後半には荒れ地になっていた場所がまだ耕作されていたようだ。


これより解像度がやや落ちるが、昭和22年に米軍が撮影した航空映像が公開されている。
その中から大浜地区を写している部分を切り出してみた。(出典:地理院地図|R507-3-12.jpg)


現地で歩いてきた小径だけではなく、東側にかなり明瞭な道が見えている。小川を隔てた西側にも四角い領域がみられ、民家かも知れない。
すべての田畑が現役で、沢地のかなり高いところまで棚田が写っている。西側斜面には植林されたような整った部分がみえている。

山陽本線は大浜地区を通過しているだけであり、駅や停留場が存在していた歴史はない。[1] ここへの到達手段は実際に車を走らせたあの道か、海路しかなかった。現在では日々の買い物などにも難渋するのが明らかであっても、水や電気といった基本的なインフラさえ整っていれば田畑の耕作で安定的な暮らしを送ることが出来ていたのだろう。

以上は現地を視察後、航空映像という最も基本的な客観資料だけを元に考察した結果であり、この地区の独特な歴史的背景などについては立ち入っていない。防府市史など書籍には記録があると思われるが、それらは防府市在住または更なる興味と研究を重ねたい方に託すこととして、時系列に戻ろう。
《 車を止めた場所(C地点)に戻るまで 》
帰路は素直に来た道を引き返した。
他は一面に荒れ地で、別の経路を探しようがなかったのである。


民家の角を曲がるとき、列車の走行音がしたので振り返って撮影した。
貨物列車が充分に見える位置まで戻るゆとりがなかった。


そう頻繁ではなかったが客車も数回通過した。乗客の中でここ大浜地区がどういう場所が知っている通な人が民家の近くに立って手を振る私を見れば、一体どうやってここに来たのだろうと首を傾げるだろうかなどと妄想した。まあ、現代人なら列車に乗っている人の殆どは寝るかスマホを弄るなどして車窓から外を眺めていないし、内陸部側の席に座っている客がジャストのタイミングで私を見つけられる確率など極めて低い。
隧どうIVのロケで四郎谷を訪れたときはメンバーが客車に向かって手を振った…気付いた乗客が居ただろうか…

里山から降りる場所にあった小川の石橋。
ここを渡る前から気付いていたことがあった。
ここって別の道があるのでは…


橋を渡らずに小川に沿う踏み跡に気付いていた。もし海まで続いていれば、大浜地区の西の端に出られるかも知れない。


確かに踏み跡はあった。
しかし民家まで辿った小径よりもずっと荒れていて、枯れ木が倒れかかり先を辿る気力がなかった。
右側のやや窪んだ場所は補助池か畑地の痕跡だろうか


市内の里山ならともかく、遙か離れた防府の深山で迷子になりたくなかったので即座に引き返した。

来るとき渡った石橋。
薄くて幅の広い自然石をよく見つけてきたものである。


鉄道などの撮影も含めて、滞在時間は1時間ちょっとだった。
遠出で初めて訪れたどんな場所でも常に頭を過ぎることが一つある。
またこの場所を訪れることがあるだろうか…
一人で再訪することは当分の間ないだろう。観に行きたいから案内して欲しいなんてことがあれば行くけど、単独でまた行ってみたい気持ちが起きるのはずっと先だろう。だけど「もう二度と訪れることはない」という言明は誤りだ。さんざんな目に遭ったり酷い労力を強いられても、訪れて相応な成果が得られたなら、ほとぼりが冷めた頃にまた行ってみたい気持ちが沸き起こるものだからだ。[2]

人の暮らしがあった地域なら、そこを故郷とする人がかならず居る。特に幼少期時代なら「またおいでね」と見送られてここを離れる学童の気持ちが自分の過去の体験と重ね合わされるのだった。

しかし…そのときが再び来るまではさらばだ。
どんどん来た山道を登っていく。


もちろん単に引き返すだけではない。来るときとは視線が180度異なるので、この過程で見落とされていたものにも目が向いた。


この地区の墓地だろう。
明白に人の手が入った石積みの他に、看る人が居なくなった墓石が散乱していた。


侵入禁止標識とロープが見えてきた。


その左側に尾根筋を辿る踏み跡があった。
ここへ来て最初に目にしたあの小径に違いない…


やはりそうだった。
真正面に自分の止めた車が見えていた。


本日の主要なミッションを達成した。間違いなく小径だと判断できる部分が殆どなく行動範囲が限定されてしまったが、Google Photo path で先人により案内されていた場所に自分も到達できたこと自体で満足できた。

ここまでの行動で、大浜地区では当然誰にも会わなかったし懸念されていた野生動物との出没もなかった。それでも歩く先の藪でガサガサと音がする場面があり、小動物にしてもここで攻撃されて怪我を負ったら大変という懸念があった。この場所自体まったく知見がなく、どんな野生動物と遭遇するか危険度の評価ができなかった。

だから周囲を歩いて寛ぐ気がせず、すぐ車に乗り込んだ。
少なくとも富海地区の舗装路に戻ってくるまではミッション完遂とは言えない。
画像を一部加工しています


ここから先は再びその他の道の時系列記事に戻る。経路の途中にある景色と、戻る途中に起きたちょっとしたアクシデントを報告しておかなければならない。

(「防府市大浜地区に至る道【3】」に続く)
出典および編集追記:

1. 戸田富海間に田ノ浴信号場(432K900M)があり1962年まで使用されていたことが判明している。(Wikipedia - 山陽本線の項目)
前の時系列記事で書いたように廃止された踏切付近の護岸に431K500Mの距離標があったことから、信号場稼働時と現在の距離程に変動がなければ大浜地区には駅も信号場もなかったと考えられる。

2. 2011年7月に 間上発電所の水圧鉄管を訪れたとき、あまりの疲労困憊振りに動画の中で「もう二度と来ない!」と愚痴っている。そうでありながら5年後にダム見学会で近くまで来たとき水圧鉄管の途中まで写真を撮り直している。更に近年この時系列記事の失われた画像修復作業をしているうちに、可能なら現地を再訪して写真を撮り直したいと考えている。
クマ出没の問題さえ回避できるなら単独でも撮影に行きたい

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