島2丁目の生活道【1】

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現地踏査日:2013/8/20
記事公開日:2015/1/15
以下、島2丁目の生活道を撮影しつつ歩き通したときのことを時系列に沿って掲載する。

生活道路には名前が与えられておらず、起点・終点の概念もない。複雑に枝分かれする生活道の位置関係を言葉のみで説明するのは困難なので、別途マップを作成した。分岐点などの位置はマップ上の記号に対応する。以下の連載記事を読むにあたっては、この「島2丁目マップ」を開いたまま参照なさることをお勧めする。

《 A→B区間 》
系統を追って島地区の生活道を撮影したのはこの経路が初めてであった。チリチリになってしまいそうなほど日差しが強い日で、暑さは厳しいものの青空が拡がっていて撮影には好適と思ったのである。
マップではA地点に対応する。即ち市道島2号線の分岐点である。


ここから進攻してみようという気になったのは、細い路地の横に見える古めかしい民家の塀だった。
まるで江戸時代の武家屋敷にでも出てくるような意匠で、ちょっと見とれてしまったのである。


しかしただそれだけなら遠巻きに眺めて済ませていただろう。コンクリート舗装の路地は一見民家に向かう道のように思えて、更にその先があった。もしかすると自転車で通れるのでは…と思えたので寄り道してみよう位の気持ちだった。

道幅は半分以下になるが、その先にこれまた古めかしい石積みが見えかけていた。


実は最初からキチンと順序だてて撮影してきたのではない。島に秀麗な道があることを聞き及んでいたので、何か良い題材が撮影ができればと思ったのである。その際に恐らくもっとも著名な石畳の道は意図的に後回しにして、あまり知られていない道を”発掘”できれば良いなと感じていた矢先だった。
「有名どころの物件は常に後回し」という何となく定まった方針も一つの理由

この先には期待していた以上の眺めがあった。それで位置関係を客観的に示せるように一旦自転車を転回して市道まで戻って撮影し直したのである。ただ通り過ぎるだけで済ませるには惜しい…そう感じさせる秀麗な光景だった。

天気は良いが、逆に良すぎて撮影アングルによっては裏目になった。
明暗の差が激しい場所で暗い場所が分かるように明るさ調整すると、日の当たっている部分が白トビしてしまう程だった。


何となく昔通ったことがあるのでは…と錯覚させるような路地である。
生活道なのでカーブミラーなどない。いきなり左へ折れている。


少し進んで今度は右へ折れる形だ。元々の地勢に沿って石垣を築いていて、生活道はその下をなぞるように進んでいる。


この辺りの景色など実に「宇部離れ」している。萩などどこかの城下町へ迷い込んでしまったように思える。
石積みの反り加減や隣接する家のレンガ塀などまるで拵えられた映画セットのようだ。


撮影ポイントが結構あるのでいつの間にか自転車を降りて押し歩きしていた。乗ったままでは納得のいく撮影アングルを得るのに手間取るからだ。

クランク状の折れ点を経て生活道は民家の端まで伸びていた。


アスファルトの平坦な道が家の端で終わっている。しかし右か左へ分岐する道があるように思えた。


ゆっくりと自転車を押し歩きしつつ家の端へ到達した先にあったものは…
島の丘陵部へ駆け上がる坂道だった。しかもその坂道たるや…


昭和の匂い漂う石畳と階段だった。


これは凄い…
見たこともないような生活道だ。坂の途中までは曲がった石畳道になっていて、そこに別の分岐路がある。そこから先は更に急なので石段になっていた。

景色の中に割り込んでしまわないよう自転車を後ろの方へ留守番させてこの石畳の坂道に向き合った。[1]

石畳道の端には排水溝が造られていたが、それも昨今の住宅地の何処にでも見られるコンクリート二次製品などではない。石畳道の側面をキッチリと積み、民家の塀も間知石で基礎部分を造った上にレンガを載せている。溝の一部には石材が転がり込んだままになっていた。


石畳はかなりの傾斜がついていた。形の異なる石材の平たい面を上向きにして接ぎ合わせてあった。
石畳の道にありがちなことに、靴の裏が当たる部分は削られて石材の地の色が現れる半面、窪んで擦られない部分は濃茶色に変化していた。特に溝に近い側の石材は踏み付けられる機会が少ないので濃い色の面積が目立っていた。

石材は石積みほど綿密には配置されていない。結構隙間が空いていて草が生えていた。それでも足を引っかけて転んでしまうほどの空隙ではなく、日常的に歩く分に何ら問題はない。


石畳坂の上端には短い踊り場部分があり、そこから左への分岐路が伸びていた。その先は石畳ではきつすぎるからだろう…石段になっていた。


足元は石畳、溝部分は自然石、隣接する民家の塀はコンクリートレンガでその基礎部分は昔ながらの赤レンガ。およそ自然の土が見当たらない。

現代社会ではビル街の雑踏に身を置けば、いくらでも「土がない地面」を体感することができる。アスファルトにコンクリート、インターロッキング…自然な土の地面が残っている方が稀で、今や公園でさえも市街地に近いところでは東新川緑地のように殆どの土を鉄平石などで隠してしまい、昔を知る一部の人々を嘆かせている。土のままの地面は雨が降るとぬかるんで歩きづらいし、靴の裏に泥が着いて周囲を汚す。更に雨が続けば泥水が流れて道路まで砂だらけになってしまう。保守が大変という理由から自然の土を追い出し人工的な素材に置き換えた。

ここ島2丁目では石材を主体にして見かけ上の土を追い出してしまったように見える。そ雨が降ると土が流れるという普遍的現象に対抗するためだが、恐らく掃除が大変という単純な問題ではなかった。雨降りのたび丘陵部から土砂が流れるに任せていれば家が傾いてしまう。だからこそ生活道はもちろん屋敷の周りも容易に崩されない堅牢な石積みで防御したのだろう。
石畳の下を掘り起こせば地山が出てくるのは明らかにしても、目に着く表面部分すべてに石材を纏わせた姿は、恰も「地面のサイボーグ化」という奇妙なキーワードを私に連想させた。

石畳の上端に左への分岐があり、そこから先は坂道では傾斜がきつすぎるからだろうか…石段になっていた。
マップではB地点になる。


この分岐は後回しにしてまずは石段を登って先を辿った。
《 B→C区間 》
この石段は相当に年季が入っている。間知石を等間隔に並べた上で隙間が生じたところにはモルタルを詰めている。


雨でも降ると石段の隙間から砂が流れるのを防ぐためだろう。
間詰めモルタルには色調の違いがあり、時期を変えて何度も充填したらしい形跡が窺えた。


石段の上から俯瞰している。
石畳と石段で登り始め地点からはおよそ家並み一軒分の高低差がついていた。石畳部分はなぜか直線ではなく登り始め部分が曲がっていた。
直線にしなかった理由はよく分からない


石段を登った先は土の地面だった。傾斜が緩やかだし道の端に排水溝があって土砂が流出する心配が少ないからだろう。
それでも排水溝の縁は土が崩れないように石を並べて補強されていた。


あまり歩く人が居ないのかこの近辺は結構草が生えていた。
民家のレンガ塀にぶつかったところで右へ折れていた。


何だか民家の庭へ踏み込んでしまったような感じを覚えつつもしっかりと道筋は先へ続いていた。

(「島2丁目の生活道【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 学生時代に自転車通学していたとき通っていたショートカット路を調査する過程で再度現地を訪れ、撮影した写真一式を「FBページ|2015/1/15の投稿」で紹介している。(要ログイン)

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