本山岬の西海岸に見つけたもの【1】

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現地踏査日:2010/2/3
記事公開日:2010/2/10
移植公開日:2014/11/18
情報この記事および後続記事はかつて地域SNSに公開されていたものの再掲載です。
誤記などの修正や読者コメントの除去以外は原文のまま掲載しています。

(「本山岬の浜辺に遊ぶ【4】」の続き)

本山岬を後にした徒歩自転車隊、前回時間切れで辿りきれなかった岸壁沿いの経路を歩み始めました。[1]
どうもこの近辺には何かが隠れているような気がしてならんのだよ…


見渡す限り一面の荒野で、相当永い期間利用されたことがなさそうに見える土地です。膝下までの草は乱雑に生い茂っているものの、樹木は殆ど見当たりません。
地形図からしておおよそ推測できるんだけど、かつてこの近辺一帯は海だったと思うんだよね。あの笹藪が始まるあたりまで波が打ち寄せていたんだろう。工場用地にする予定があって、堤防で締め切って埋め立てたのでは…
何か発見があるかも知れないとは思いつつ、さすがに荒野部分には立ち入りませんでした。

第一次・レンガ塔接近計画【2】」でも書いたけど、地面の状態がどうなっているかサッパリ分からなくて危険。丹念に探して歩き回っていれば、恐らく何か見つかる前に自分がハマるでしょうな…

障害物のない平原地帯なので、振り返ればいつまでも本山岬が見えます。
例のレンガ塔も視野に入るアングルまで歩いてきました。
しかし…悔しいなあ…今度はいつ再チャレしようかと思いつつ撮影…


車で乗り入れた形跡はなさそうなものの、未踏の地というわけでもなく、ぬかるんだ未舗装の道には原付のタイヤ痕も残っていました。ときにそのぬかるみはかなり広大で、裏から水が侵入してくるスニーカー(新しいの買えよw)という出で立ちの徒歩自転車隊を悩ませました。

ぬかるみ回避のために岸壁上を歩きます。天端幅は60cm位あり、なぜか2列に開いた穴が続いています。元は海上からの接岸侵入阻止目的で有刺鉄線付きフェンスでも立てていたのだろうか…[2]
岸壁の上を歩くのはどうも気が進まない…写真では高低差がまるで分からないけど、右側のぬかるみ地の段差は50cm程度、しかし左側の岩場は少なくとも2mはある…


どこまでも延々と直線的に続く異形な岸壁。
ぬかるみを回避してからは、元の荒れ地側へ戻りました。だって転落したらそう簡単には上がって来れないし、高い場所だから目立つし、何よりも海からの風びぅびぅで寒い…
もしかしてこれが今回の風邪の遠因に?


岸壁の足元には、浸食防止用と思われる大きな岩が並べられていましたが、それがひときわ広がった箇所にやってきました。
その突端で何やら人の姿が見えています。何を捕っているんだろう…それとももしかして…警備員?


コチラへやって来られ、あなたはこんな場所で一体何をしているのだ?などと誰何されるのも嫌なので、目立たないように再び岸壁から離れて歩きました。

いや…それってのも…
どうもこの近辺って、一般の人が立ち入っちゃイケナイ場所じゃないのかなーってふいんきがしてきたんですよ。
こういう広大な荒れ地って大概は企業の私有地だし、以前本山の体育館へ来たときそれっぽい看板を見たような記憶もあるんです。もっとも、本山岬からここまで歩いて来るのに「この先立入禁止」などの看板は一切ありませんでしたが…

それにしてもパッとした発見がない。 かれこれ寒い中、岬から1km程度は歩いてきて、さすがに退屈になってきました。途中で、荒野部を横断する獣道を2ヶ所ほど見つけました。それらは例の新興住宅の手前、かつてこの近辺が埋め立てられる以前からあったらしい住民の家に向かっているようでした。民家の庭先を通ることになりそうな気がしたので、エスケープルートには選びませんでしたが…

荒野部側に見つけられたものは、そういう獣道と埋立地全体の排水を処理するためのコンクリート集水桝くらいのものでした。
そう古い造りでもなさそうだったので写真には撮らなかった

岸壁沿いの道は、やがて少し荒れ地側へ入り込み、軽トラ一台程度なら通る幅になりました。
両側が薮なので海からの風が遮られ、寒さを感じずに歩けました。


ここで景色に変化が現れました。 海側の薮が少し低くなっているあたり、何やら海に向かって伸びる堤防らしきものが見えます。


ちょっと枯れ草をかき分けて護岸近くに接近してみました。
その先に見えたものは…
これは…
堤防?桟橋?それとも…何?


もしかすると、それは今でも何かの目的で使われているのだろうか…今いるぬかるみ道からそこへ向かう部分だけ、キレイに草が刈り取られていました。


釣り客が置き去りにしたと思われるイス代わりのカートン箱がみられます。 結構、人の出入りがある場所なのかも知れない…


見たところそれなりに古い遺構のようなイメージがありました。
丈が低いので、今の岸壁が造られる以前の古い岸壁の跡ではないかとも思われました。しかしそれにしても天端の構造がちょっと変だ…


護岸はここでぷっつり切れて、この堤防らしきものの上に降りるための斜路が設けられているようです。どちらが古いのかよく分からない…


その堤防の天端は、そのまま今の護岸の底部になっていて、高低差が2〜3mあって直接降りることができません。
斜路の正面側に回り込みました。


逆光をおして撮影。
今の護岸も斜路に沿って袖がついている…この構造物を残すために最初から袖付きの構造にしたのか、後から降りるために護岸を切り取ったのかは分かりません。


実を言うと、現在この記事を書いている段階ではこの構造物は遺構云々と言うほど古いものではないかも知れないと考えています。
もしかすると昭和50年代以降のものかも…理由はいずれ後述[3]

しかし現地の徒歩・じでんしゃ隊の頭を過ぎったのは、散歩道の往路で見た「旧本山炭鉱斜坑坑口」関連の施設という想像でした。それと言うのもこの堤防と言うか桟橋らしき構造物は、ちょうど本山炭鉱斜坑が海に向かうほぼ延長上にあったからです。
末尾のGoogle地図にこの構造物をポイントしています…実際かなり近接しています[1]

「天端の構造がちょっと変」なのは、接近する前から見えていました。全体はコンクリート造りでありながら、天端には枕木らしきものが一定間隔に埋め込まれています。何だろう…


これは久し振りの成果になるかも…ともあれ、接近していろいろ調べてみよう。
そして颯爽と浜辺へ躍り出た徒歩じでんしゃ隊ですが…


遺構の手前にある砂利の山に踏み出したとき、
「うをぉおおぉっ!!」
どうした?

徒歩自転車隊?


いやぁ、実はそんなに大慌てする程の状況でもなかったんですが…

(「本山岬の西海岸に見つけたもの【2】」に続く…がっかりな結果が判明!?)

出典および編集追記:

1. 地域SNS掲載時は連載になっていたので前後の脈絡なくいきなり始まっている。スタート地点となる場所をポイントした地図を示す。


山陽小野田市の本山岬西側にある埋立地の端にいる。なお、地域SNSでは末尾にgoogle地図が自動挿入される仕様になっていた。

2. 将来護岸を嵩上げするときの鉄筋代かも知れないという読者コメントがあった。

3. 地域SNS記事を移植している現在においてはこの考えを再度否定している。その理由については第二次踏査で詳しく述べている。

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