開1丁目の急坂【2】

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(「開1丁目の急坂【1】」の続き)

市道沼風呂ヶ迫線の風呂ヶ迫寄り、常盤用水路が横断するより手前右側に駐車場のような余剰地があり、その先に何じゃこりゃ?的なターゲットが姿を見せていた。
余剰地にはプレハブが設置されていて私有地のようにも思われた。


精々言い訳をすれば、この場所は自分の全く知らない場所でもなかった。立ち寄ったことはないが、労働力の派遣関連の仕事をしている事務所があることは風呂ヶ迫方面から下ってきたとき看板が見えることで知っていた。[1]
この道だけ市道にそのままの形で繋がっているのではなく、見かけは事業所の敷地内から伸びている。だから「まさかこの奥に道があるとは思わなかった」という言い訳ができそうだ。
しかし…自分で気づかなかったばかりではなく地図で示されていながら初回に見落とすなどツッコミどころは多々ある。まあ、反省材料は脇へ置くとして、まずは自転車を乗り進めた。

プレハブの少し手前から撮影している。この辺りから既に緩やかながら坂が始まっている。
路面はアスファルト舗装されているが細かな砂利が散乱していてまるでコンクリート舗装のようだ。


坂は一定勾配ではなく、プレハブのところまではローギアならまあ自転車でも何とかなった。しかし右側への空き地を前にして既に音を上げる程度な勾配である。

そしてガードパイプが設置されている辺りからは…もはやこれを道だとは思いたくないレベルだ。
元々は階段であるべき通路を無理やりねぶりつけて道に仕立て上げた…そんな感じだ。


さて、綿密な撮影にかかりたいのだが…自転車の置き場所に困った。急坂の左側にも空き地があったが、すぐ先に民家が建っていてまるで庭先へ勝手に停めるような心理的抵抗があった。路上では自転車が動かないよう留め置ける手段がなかった。それで少しでも抵抗感が薄い右脇の余剰地へちょっと置かせてもらった。

この立て札は見覚えがある。前回、違う坂道を辿った先で同じものを見かけた。書かれている内容も同じだ。


立て札の存在は、この道を車で通ったら危険だという以上の情報をもたらしてくれる。開北自治会の名称が書かれているのでこれは私道ではなく地元管理の道だ。車両侵入禁止の語と標識が描かれているが、公安による認定番号などがなければ法的拘束力はない。あくまでも自主規制である。路面はアスファルト舗装されていて注意深く眺めれば車の轍らしきものも微かに観測された。現在でも秘やかに通行されることもあるのだろうか。

さて、このどうにかこうにか道と呼べるシロモノが如何に厳しい勾配をもっているかを客観判断できる写真を採取したいのだが…困った。比較対象となるものに乏しく、勾配のきつさをお伝えしづらいのである。特に正面からカメラを構えただけでは道が平板になり、どうにかすると下り坂のように見えてしまう。
そういう経験をお持ちの方は多いだろう

自転車を留め置いた駐車場の端から撮影している。
これなど、どうだろうか…ガードパイプの支柱は鉛直に設置されている。ビームは坂と同じ傾きだ。


到底自転車の出番などあり得ないので、この坂道と言うかアスファルト製・幅広滑り台(?)と言うかとにかく頂上を目指して歩き始めた。
そう…もはや道を歩くという感覚では全然ない。お寺の石段を延々歩いているか、さもなければ登山である。


掛け値無しに歩くのですら辛い。勾配が異常なため、足を交互に前へ踏み出すにも膝を相当高く引き上げなければ進めない。全身にどよーんっとした重い圧力を感じる。ハッキリ言って始めからコンクリート階段だった方が登るのが楽だ。階段なら足の裏が水平に接するので踏み込むことで体重移動しやすいが、一様な坂だと何処へ足を降ろしても地面は斜めだ。充分な踏ん張りが効かないのである。
この異様な感覚を知って頂くには現地へ行くのが一番だろう

通常の鍛錬走よりも更に負荷をかけることでの筋力トレーニングを目的として、こういった坂道を駆け上がる手法がある。[2]この場所は負荷がきつすぎるしアスファルト路面はそう滑らかでもないので滑って転べばダメージ大だ。

ガードパイプが設置されている上の端まで登ってきた。自転車を置いている場所からは既に10m程度高度を稼いでいる。小路ヶ池もかなり高い位置から見下ろすアングルだ。


極端な勾配になっているのはガードパイプの上の切れ目までだ。そこからはやや緩やかな坂になる…とは言っても自転車では押し歩き必須な勾配だった。
ひな壇の上側になる家は坂の上から車庫へ乗り入れているようだ。


途中で勾配が緩くなっているので、下の市道から眺めたときはガードパイプの上の端までしか見えない。実際はそこから更に数メートル高度を上げていた。この辺りには上の方からの道を経由する民家が軒を連ねていたので、カメラを構えるのは自重した。

やっと道が平坦になった地点で大きく右へカーブしていた。
その先は…先週訪れたあの場所が見えていた。


前回撮った道との分岐点である。
最初誤って撮影した道に比べて道幅が半分程度しかない。


この立て札を確かに目にはしていた。しかしこの先は私有地で行き止まりだろうと考え進攻すらしていなかったのだった。


3本ある道のうち丘陵部の端になるので、カーブの外側はすぐに例の深い沢地になる。前もって立て札で警告しているのでガードレールは設置されていない。
駐車場の奥に見える帯状のコンクリート部分が常盤用水路だ。


前回訪れたときもここでカメラを構えて沢地の深さを改めて実感した。極端な坂と言うかインクラインを満喫した後は、この地形の遠因にもなっているこの沢地は果たして昔からのものなのだろうかという疑念だった。
急坂の話題からは外れるので後でざっと述べよう

自転車を待機させていた坂の下まで歩いて戻った。
下りも歩くのは決して楽ではない。路面が乾いていても滑りそうな感じがするので余計な力を使うのである。


凍結していれば言わずもがなだが、雨が降ったり朝露で軽く路面が濡れているだけで歩くのが危なくなりそうだ。まして車だと…どうだろうか。タイヤの接地面4ヶ所すべてが車体を支持しきれずズルズルと滑る自体は起こりづらいだろうが、雪の日だったら坂の上から徐行して進入するだけで間違いなく一番下まで滑るだろう。

路面は舗装されてはいるが、いくら何でもこのアスファルト舗装は手引きだろう。こんな半端ない勾配なのにフィニッシャ等が走れる筈がない。


よく見ると路面には部分的にカットして舗装復旧した跡が見える。汚水の鋳鉄蓋が見えているので、汚水管を埋設した折に一度剥がして復旧したようだ。
汚水マンホールの鋳鉄蓋は斜めに設置されている。しかしその下に隠れている人孔本体は当然鉛直だ。そのままでは鋳鉄蓋が据わらないので、高さを変えられる調整リングを挟むことによって勾配を合わせている。これほど傾いているなら現場合わせが大変だっただろう。

ついでながら、これほどきつい勾配だとこの汚水管経路を利用する一般家庭からの排水が通常以上の流速で下ることになる。減勢工が施されていなければインバート桝が通常ほどもたないのでは…と要らない心配をしてしまった。

さて、アジトへ帰ってすぐに現地の様子を写真付きで報告者に回答した。開口一番に私が強調したのは、
これはもはや道路ではなくケーブルカーの索道です^^;
報告時に「機会があれば自転車で下ってみたいかも」という部分があった。写真を見るだけでもそれが如何に無謀なことかは理解されるが、危険だからお止めになった方が云々するよりもむしろこう書いておいた。
充分な幅があってアスファルト舗装されている道としては市内でも最急勾配クラスでしょう。自転車で乗って下るのは…現地へ行けば間違いなくその気持ちは萎えること請け合います^^;
そしていずれ当サイトで記事化しますと書いておいたのだが、気がつけば既に2年が経過してしまっていた。しかし記事化ペースが超スローモーなのは当サイト名物なので、遅ればせながら成し遂げられたということで…
単純な坂道だけで2巻の連載記事に仕立ててしまった…しかしさすがに続編はないだろう。

このケーブルカー索道(?)の成り立ちについては推測の域を出ないが、一通りの宅地開発が終わった後で下の市道へ降りる通路を造り、ついでに車を通せるよう整備したのかも知れない。最初は階段だったとか踏み付け道しかなかったという状況があり得るものの詳細は地元在住民のみ知るところである。
むしろ私が気になるのは、この北側にある深い谷地である。このたび本記事を書き上げるにあたって再度現地を訪れ、追加の写真も撮ってきた。そしてこの深い沢は自然にできたものではなく後世の人為的な改変の可能性があるのではと考えるようになった。

急坂の話題からは離れるが、独立記事を仕立てる程のものではないのでついでながらここに書いておく。
仮説を収録するカテゴリを作成したなら以下の記述は本記事から分離される
【 開1丁目土採り仮説 】
開1丁目地内には北西から南東に向かう極めて深い沢地になっている。
写真は今回の急な坂を登り切った場所からの撮影。


大まかな位置をポイントした地図を示す。


沢地自体何処にでもあるものなのだが、この場所に関しては2点ほど特記事項がある。一つは上の写真のように北側は極めて高い練積ブロック擁壁となっていること、もう一つはその擁壁の下を常盤用水路が通っている点である。
現在はカルバート構造になっているが昭和後期まで開渠だった

沢地という地形で眺めるなら、この場所は小路ヶ池の沢の続きとも言える。即ち市道を挟んで直角に折れ曲がる形で沢の先端が伸びていたということだ。
ただし自然な沢にしては幅が広くて深い。これほどの深さを刻むなら相当量の雨水が流れなければなるまいが、沢の長さは精々300mである。東側に通っている市道常盤公園開片倉線は尾根伝いに通じていて、その市道の東側は常盤池へ向かう沢の一部なのである。短い沢なのでこのエリアの雨水を集める溝が見当たらない。むしろ沢の底を常盤用水路が逆方向である常盤池に流れるように造られている。この区間はかつて蓋のない開渠で、ギリギリの場所まで掘り進んだ後にNo.9隧道となっている。

このことから極めて高いブロック擁壁の原因を昭和初期に着手された常盤用水路の掘削に求められないだろうかと考えた。
常盤用水路のNo.9隧道の長さをできるだけ切り詰めるために開渠として掘り進んだのでは…
現在なら水路向けの隧道を掘削する手法は断面積や地質などによりいくつかの工法を選択できる余地がある。しかし昭和初期は現代ほど隧道掘削技術が進んでおらず、また開渠に比べて期間もコストもかかった。そこで経路の上部に民家などがなく掘削可能な範囲で水路を掘り割り、他の手段がなくなったところで隧道を掘ったのではと考えられる。
こういった考えが出て来るのも、現にこの区間の常盤用水路を辿ると、本当に限界まで開渠として通されているからだ。高いブロック擁壁の下を開渠で通され、民家を前にして初めて隧道となっている。更に言えば、常盤池側の隧道坑口も同様に限界まで開渠として掘り割っている様子が観察される。[3]

しかしそのためだけにこれほど広く深い溝状領域ができるほど掘削する理由としては弱い。元々はある程度の自然の沢が存在し、常盤用水路を通すことによって隧道にする必要がなくなるまで開渠として掘り下げれば足りるからだ。

まさかないとは思うが、この深い沢地自体がかつてはまったく存在せず殆どが人為的な掘削によるものという仮説も考えられる。それは何らかの理由による土採りである。
市道沼風呂ヶ迫線は風呂ヶ迫へ向かう途中でかなりきつい坂を登る。西側に小路ヶ池、東側にこの深い沢地がある以上この坂部分は地山ではない。盛土により車を通せるようにした後年の改変が明らかである。このスロープ部分を造るための路体盛土材料をこの沢地から調達したとか、あるいは(更に遡れるなら)小路ヶ池の堰堤を築く用途で土採りしたという可能性はないだろうか。

これを検証するには、小路ヶ池がいつの時代に造られた溜め池であるか、常盤用水路をここへ通す昭和初期以前はどんな地勢だったかなどの情報が必要になる。一から土採りを行ったとなればあまりにも膨大な量の掘削土が発生するので、相応な沢地があった部分を常盤用水路向けに適宜掘り下げたというあたりに落ち着くのではないだろうか。
恐らく完全に解決はできないだろう…仮説として考えることが面白いのである
出典および編集追記:

1. 中高年事業団。ただし2016年1月現在でのYahoo!地図には事業所の名称が何も表示されないので現在は移転しているのかも知れない。

2. 牛転び坂を撮影目的で訪れたとき現に課外クラブの高校生たちが指導者の元で鍛錬走を行っていた。

3. 全区間を開渠にはできない。隧道と市道常盤公園開片倉線との交点部分では土被りが10mを優に超えている。
正確な交差地点はもちろん誰にも分からない

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