宇部マニアックスのコラムの歴史

対外活動インデックスに戻る

記事作成日:2023/1/21
最終編集日:2023/1/25
ここでは、宇部マニアックスのコラムの歴史と題して、株式会社宇部日報社(以下「宇部日報社」と略記)の発刊するサンデーうべ・ワイドに掲載されている宇部マニアックスのコラム(以下「コラム」と略記)の誕生から現在に至るまでを記録する。
写真は記念すべき Vol.1(第一巻)が掲載されたときの紙面。


この総括記事を作成し始めた2023年1月の時点で Vol.80に到達した。6年以上続けており、この間にさまざまな出来事があった。大元の総括記事の記述内容が雑多になってきたため、一部の記述を総括記事から分離し整理した。
《 執筆に至るまで 》
コラムの執筆を開始するまで宇部日報社との繋がりは殆どなかった。毎年5月に開催される新川市まつりに合わせて新天町アーケード街で市内を撮影した写真をパネル展示したとき、目先変わった活動をしている人として取材を受けた程度である。ホームページでの公開は以前から始まっており、少しずつ興味をもたれ始めていた時期だった。

およそ宣伝行為を善しとせず、当時はコラムを継続して書くのを生業とする考えもなかったため、自分から毎月のコラムを書かせて下さいと宇部日報社へ売り込んだわけではない。コラムの開始には宇部日報社と仕事で繋がりをもち、郷土関連の話題を継続提供して紙面造りに協力できそうな人を知っていると紹介する人の存在があった。ここでの橋渡し役を務めたのはオフィスときわ[1]の代表者である。

彼がどのような形で宇部日報社の担当者に話をしたのかは分からない。宇部日報社側の意向についてもまだ確認しておらず、サンデーうべの連載ものが区切りを迎えたなど何かの理由があって掲載枠が空き、継続して題材を提供できるライターを探していたのかも知れない。

オフィスときわの代表者から毎月のコラムを書いてみないかという話があったとき、私は興味を持ったので携帯の番号を宇部日報社の担当者に伝えてもらった。2016年6月に担当者から直接電話があり、Joyfull神原店で初めて会っている。
写真はそのとき撮影した画像。


このとき宇部日報社の担当者が持参していたのはサンデーうべの紙面、私が持参したのは宇部マニアックスとしての活動実績が分かる資料だった。具体的にはうべ探険博覧会で自転車を使ったプログラムを実施したときのパンフレットで、上の写真でもテーブルの上に置いている。しかし実際に私が郷土関連のコラムを書けそうかどうかを示す資料は、運営している当サイトのアドレスを提示することでほぼ足りた。このとき以前真締川上流で起きた白濁水事件について、詳細を記した限定公開記事を提示している。それほどの長文にわたる記事を作成することに苦痛を感じていない位なので、読者が興味を持ちそうな市内の題材を継続して提供することはできると思うと回答した。

担当者はサンデーうべの実物を提示し、具体的にこのスペースに入るような継続コラムを求めていると話した。掲載は毎月一回で、回数を重ねてコラム数が多くなったら製本することも可能と言われた。私にとってコラムニストもしくはライターと呼べる仕事はまったくの初めてだったが、既にFBページでもホームページでも充分な記事作成を行っていたし、FBページでは一定数の購読者もついていた。文字数は500〜600文字程度ということなので、ホームページの記事制作よりも容易かも知れないと考えてその場で引き受けた。

コラム一編当たりの原稿料は、担当者の一存では決められないが最初の会合で大枠の水準を提示されていた。私はそれまで当サイトでもFBページでも何年にもわたって記事を無償で公開し続けていたので、報酬額の水準で態度を変える気はまったくなかった。むしろ自分の提供する記事のスタイルが宇部日報社のコンセプトや掲載基準を満たさなければならないので、試しに2編ほど作成して提出することを申し出た。
【 第一号コラムの掲載について 】
帰宅後、私は大まかな文字数制限を目安に題材を選定して書き始めた。このとき題材選定したのが「萩原の給水塔」と「新川の掘削」である。写真は稚拙かつ低品位ながら既に充分な枚数を持っていたので、その中から適当に数枚選んだ。執筆にも殆ど時間を要していなかったようで、会合の2日後には写真とコラム本文をメールで送っている。

これを受けて宇部日報社ではコラム本文と写真を収めるテンプレート部分を作成している。そこへ私が送ったテキストを流し込み写真を適正な位置に配置した掲載イメージを pdf ファイルとして返送してきた。これが第一号コラム候補「西岐波萩原の給水塔」であった。[2]


今月よりコラム開催しますといった自己紹介的なことは書かれなかった代わりに、この編だけ宇部日報社側で宇部マニアックスについての独自の紹介文を冒頭に載せている。
独自の着眼点で宇部市内の歴史をたどる「宇部マニアックス」。
「宇部版百科事典」の構築を目指して、市内各所を奔走しながら情報収集を続けています。
連載1回目となる今回は「西岐波萩原の給水塔」を「宇部マニアックス的」にご紹介します。

初回掲載予定の pdf イメージができるまでに「新川の掘削」も送付していたらしく、次のような連絡を受けている。
山本様

お世話になっております。
紙面掲載案のサンプルができましたのでお知らせいたします。

第2回目掲載予定の「萩原給水塔」です。
お手数をお掛けいたしますが内容をご確認ください。

萩原給水塔は、掲載時期を問わないネタなので、真締川と入れ替えてもいいかもしれません。
新川市まつりから時期が離れない方がいいかもしれません。

ご検討の程、よろしくお願いいたします。
新川市まつりの開催は毎年5月上旬である。コラムの掲載は5月末が予定されていたので、まだ人々の目が新川に向いているうちに先に「新川の掘削」を公開した方が良いだろうということで順番を入れ替えたのである。したがって紙面掲載イメージとして最初に制作されたのは「西岐波萩原の給水塔」だった。

コラムの文字数は概ね規定されているので、私は題材を決めて本文を記述し関連する写真を添付して宇部日報社に送るだけである。私は読者を惹き付けるレイアウトを行うセンスも関連するツールも持ち合わせていなかった。このことは当サイトに掲載された記事からトップページまでデザイン性に著しく劣っていることから推し量れるだろう。

宇部日報社には訴求力の高い広告デザインを行う編集部があり、関連するツールも業務用のものを備えていた。そこで私がコラムの記述と関連する写真を提示し、それを元に編集部がレイアウトする分業システムを採ることとなった。コラムを収録するテンプレートは早い段階で制作され、第2回目からは冒頭の紹介文が以下のものに変更された。
独自の着眼点で宇部市内の歴史をたどる「宇部マニアックス」。
「宇部版百科事典」の構築を目指して、市内各所を奔走しながら情報収集を続けています。
この分業制を採ったことで私はレイアウトに頭を悩ませることなく執筆と写真撮影に集中することができた。したがってコラムの著作権は私にあるが、レイアウトと印刷配信に係る権利は宇部日報社が持っている。このことより、初期からコラムの制作は宇部マニアックスと宇部日報社編集担当者との”合わせ技”と表現されていた。
《 コラムの構成プロセス 》
3周年目となる Vol.36では「コラムができるまで」と題して一連のプロセス自体をコラム化し配信している。その中でも「コラム制作は私と編集担当者との合わせ技」と書かれている。即ち題材の選定と記述、関連する写真調達は私が行い、提出したそれらの素材を統合して所定のテンプレートへ配置するレイアウトは編集担当者に一任している。ここでは最近の傾向も加えてより詳細なプロセスを記述している。
宇部マニアックスが行うコラム制作の流れは以下の通りである。最近では流れが均一化しているだけでなく、概ねどの期日までに行うかもスケジュール化されている。
(1) コラムの題材を考える。
(2) 現地へ現在の状況を撮影しに行く。
(3) 執筆する。
(4) 掲載画像候補を選定する。
(5) 本文と選定画像などを担当者へ送る。
【 題材の選定 】
毎月の最終週に配信されるコラムがアクセプトされ印刷に掛けられる頃には、私は次月号の題材を考えている。現時点での宇部市内エリアすべてが対象なので、できるだけ地域とジャンルが多彩になるように選定している。もっとも「常盤池の水問題」のように、常盤池が世界灌漑施設遺産に指定されたニュースを受けて反応する形で作成することもある。ありきたりなコラムを配信する積もりは当初からなく、どんな題材をコラム化してもそれまでの郷土書籍に書かれていない独自の推論や成果を盛り込むという自己ルールに現れている。

コラム題材は、初期から決め打ちするとは限らない。過去のジャンルと掲載した校区の分布状況からいくつかの候補地を巡回して最新の撮影を行いつつ考えることもある。しかしこの作業をあまりに引っ張ると執筆に取りかかれないので、遅くとも掲載月の第一週までには決めている。
【 題材に関する写真の撮影 】
初期には過去に撮った写真のみでコラムを構成していたが、後に題材を決定してから最低一度は現地へ撮影に出向く。身近なところにある題材の場合「現地へ行ったらコラムの写真とは全然違っていた」となってしまうのを避けるためである。撮影は青空が広がる午後など写真映えするように条件設定はするが、基本的にそれほど困難なく誰でもコラムに掲載された写真と同程度のものを自分の目で観られるようにしている。これは、当サイトの記事で「すべての物件は検証可能性を持つべき」を重視していることに依る。

ただしコラムに採用する画像は、このとき撮影した中から限定して選ぶのではなく一旦画像の分類方針にしたがって保管する。
【 コラム本文の執筆 】
およそ想像できるように、コラムを制作する上でもっとも時間を要するプロセスである。題材に即した記述を行うことはまったく容易だが、文字数が限定されている中で読者に訴求するに足りる内容と構成が必要だからである。特に(恐らく殆どの執筆家が肯定するところだが)書き始めと結びに労力を割いている。

テキスト分量の目安は、最大でも全角600文字を超えないように制限している。これを若干超えても所定のテンプレートに収容可能だが、編集部側でレイアウトに制約がかかると想像されるからである。伝えたい内容が多い物件では、しばしば文字数が足りなくなる。盛り込みたい内容の優先順位をつけ、掲載する写真の説明文に代えて本文から削ることも行われる。

用語の使い方や漢字変換する・しないに関しては、当サイトの記述ポリシーに準拠している。このような取り決めをすると記述が画一化してしまいそうに思えるが、そもそも扱う内容が充分に特異なのでテキストそのものは均質化を念頭に管理している。

制限された文字数で完全に内容を理解するのは不可能なので、編集部側でも詳細が分かるようにコラム本文とは別に解説文を書き添えている。どのような書籍を参考にしたか、どういう背景があるのか、この題材を選定した理由は何かなどが記載されている。当然それはコラムとして表に現れない。編集者によると「この解説文の方が面白い」と評して頂いている。

これらのテキストの作成には、初期には無料の OpenOffice Writer を使用していた。しかし改行後突然に予期しないフォントへ変更したり勝手に段落記号を挿入したりで極めて使い勝手が悪いので Windows 付属のメモ帳で作成するようになった。宇部日報社にも Vol.61「梶返天満宮に棲む巻き貝」からはプレーンテキストで送っている。プレーンテキストでは太字や彩色ができないので、コラムの中で彩色を必要とする部分は、解説文の中で # この部分はこの色で彩色して下さい # のように指定している。

【 画像の選定 】
題材を決めて撮影に行ったときの画像だけでなく過去に撮影した分も含めて選定している。初期は手持ちの撮影済み画像の中から選んでいて枚数も少なかった。現在はかならず新規に撮影に行くし、写真だけでなく地理院地図の航空映像や地図の一部を含めることもある。限られたスペースの中に写真を入れるので、解像度はそれほど高くなくても不自然ではない。印画紙に撮影したモノクロ写真をカメラ接写して載せることもある。
【 テキストと画像の提出 】
現在では編集側レイアウトの自由度を高めるため、物理的に掲載可能な枚数の倍以上を提出している。同じ対象物を撮った写真を横置き・縦置き両方を添付することもある。初期にはコラム本文のテキストファイルとJPEG画像をそのまま提出していたが、画像を沢山メールで送付するとメールボックス容量を圧迫するので、最近では firestorage なる無料クラウドにアップロードし、リンクのみを送っている。

昔の漫画では(しばしば執筆家自身の境遇を仄めかすように)締切間際になって鬼の編集長にせっつかれデスクにかじりついて執筆に追われる作家がよく題材にされたが、うちのコラム制作と提出に限ってはそのようなことは一度もない。コラムは私と編集者の合わせ技であり、私の提出が遅れれば編集側に負担がかかるのが明白だからである。もしサンデーうべの印刷日に提出が間に合わなかった場合、トップ最上段に「穴が空いてしまう」こととなるため責任は大きい。病気や事故など私に不測の事態が生じて当月末のコラム提出ができなくなるリスク回避のために、コラム一編分を付託しておくことも検討している。
【 宇部日報社の編集者が行う作業 】
私には完全に見えている部分ではないので想像を含むが、概ね以下のように進行している。
(6) 送られてきた本文のチェックを行う。
(7) 掲載する画像を選定する。
(8) 所定のテンプレートへ本文と画像を配置し掲載イメージを作成する。
(9) 複数の掲載案をPDFファイルで送って最終案を決定する。
(10) 配信後の読者対応を行う。
担当者は、まずすべての素材が問題なく受信できたこと、掲載素案ができあがったら連絡するという形でメール返信している。それから記述された内容に文法的あるいは忌避されるべき表現が含まれていないかの精査する。これには一般的な新聞におけるガイドラインとされた表現法に準拠している。この過程で一部の熟語などでオリジナルの表現の変更を求められることがある。その全てにおいて完全に納得しているわけではないが、広域に配信されるテキスト情報だけに編集側の判断を尊重している。

提出された複数枚の画像から最終的に載せるものを選定する。初期にはモノクロの背景画像とカラー数枚の写真だけだったが、近年では掲載写真の枚数は増えている。写真に写り込んでいるターゲットを分かりやすくするために、赤で矢印を引っ張ったりマルで囲むなどの加工がされることもある。この加工は私があらかじめ行った画像を提出するよりも的確なので、完全に一任している。

本文と写真のレイアウトが完成した後、実際の誌面で印刷に供されるPDFファイルに変換される。このファイルが掲載案としてメールに添付され私の元へ送られる。テキストと写真を送付してからPDFファイルの掲載イメージが返送されるまでは、初期こそ数日かかっていたが、最近は殆ど当日中に仕上げている。午前中に提出した素案を元に同じ日の夕方には掲載案が送られてきたこともあった。

私はPDFファイルを閲覧して意図した通りのものが仕上がっていることを確認して承諾のメールを返す。初期では単一のPDFファイルだったが、写真枚数を増やしてからはA,B,Cなどとした複数の掲載案が送られ、その中から私が最終的に決定するスタイルになった。これらは背景のモノクロ写真のみ差し替えたものが多いが、中には構成する写真やレイアウトが完全に異なっているものもある。したがって紙面にならなかったコラムイメージがいくつも存在する。

配信日が最終週の金曜日なので、それより数日前までに他の記事と合わせて印刷される。このため遅くとも最終週の月火あたりには掲載されるPDFイメージが出来上がっていなければならない。初期には毎月15日が提出期限の目処とされていたが、曜日の配列によって変動するので最近では遅くなりそうなときは提出予定日をメールで知らせている。

コラム下部には文責者である私の名前と宇部マニアックスのメールアドレスが書かれている。しかしここへ連絡が来ることは稀で、コラムを読んだ感想や疑問点は宇部日報社へ寄せられる。最近では読者から寄せられそうな問い合わせを想定して所在地などの情報を書き添えて提出している。
《 時系列一覧 》
後から順次追記できるように、他の時系列関連の記述と同様最新のものを上に配置している。

時期出来事
2023/1/21この総括記事を新規作成。
2021/4/25 コラムのすべてのバックナンバーが宇部市立図書館の郷土資料室にファイルされていることに気付く。禁帯出図書扱いなので借り出して読むことはできないが、コピーサービスの利用は可能。ファイルされ始めた正確な時期は調べられていない。
2021/--/--宇部日報社の運営するポータルサイト「ほいねっと」に宇部マニアックスのサブフォルダが作成されコラム全文と写真が掲載されていることが分かった。紙面とは異なる背景や構成だが、代わりに写真は原典相当のサイズで読める。
2020/5/22Vol.48「ときわ公園の隠れた見どころ【下】」配信。この号よりサンデーうべ・ワイドに統合された紙面に掲載され、配信曜日も最終週の金曜日に変更された。
2020/3/25Vol.46「海の安全を護る赤い灯」配信。初めて背景画像に部分的着色加工が施された。灯台の赤い灯をそのまま再現しており、これはコラム制作当時の心境を反映している。
2019/12/25Vol.43「床波の波止場」配信。初めて背景画像を含めてフルカラー配信された。フルカラーは現在のところこの回限りである。個人的には”もっとも美しい配信回”と認識している。
2019/3/28コラムの文字が読みづらいという読者からの報告が相次ぐ。紙面が市立図書館の玄関ラックに置かれることで購読者が増えたことが原因と推測されている。背景に画像を置いて文字を白抜きにするレイアウトを諦める、写真を減らして文字サイズを大きくするなどいくつか提案が出た中で、レイアウトの統一性から従来の背景画像は温存してテキストの下に黒帯を敷いて読みやすくするように改訂された。
2019/3/27 Vol.34「渡瀬橋」配信。この号より宇部市立図書館玄関のラックにコラムを掲載した紙面が置かれ始める。
2019/2/27Vol.33「尾根の向こうに水を送りたい」配信。この号より背景画像の足跡が取り除かれている。背景画像が見づらいなどの要望があったのかも知れないが詳細は不明。
2018/9/26Vol.28「サヤノ峠(さえんとう)」配信。初めてのリジェクトを受けての書き直し。Vol.28 は厚南地区の別題材で提出していたが、内容に問題ありと判断されリジェクトされた。このため短期間で一から書き直す必要に迫られ、近日阿知須で山口夢花博が開催されることを念頭において阿知須に近い題材で再提出している。このため Vol.28 は pdf イメージが作成されていないお蔵入り題材として存在する。
2018/6/27Vol.25「周防と長門の国境【上】」配信。初めての上下巻配信。翌月のVol.26では冒頭を(上巻の続き)で書き始めている。
2017/6/28Vol.13「宇部マニの取り組み」配信。初めての方法論コラム。この中で「小さな観光」のテキスト文字を標準の白から黄色に変更している。
2017/--/--サンデーうべの紙質が上質なものに改訂される。印刷紙を供給している会社の古い紙質の在庫がなくなったのを契機に変更されており、カラー写真の載りが良くなった。どの号からの変更だったかは現在調査中。
2016/12/28Vol.7「島の石畳道」配信。文字サイズが1ポイント大きいものに変更される。
2016/5/21第1回目掲載予定の「萩原給水塔」の紙面掲載案のサンプルが送られてくる。このとき「新川の掘削」を先に公開するように変更している。
2016/4/8第一号候補となるコラムの原稿を送付する。
2016/4/6宇部日報社の担当者と初顔合わせ。

出典および編集追記:

1. 現在は新天町に移転しオフィス志馬として活動している。

2. 当初は「萩原の給水塔」だったが、場所が分からない人もあることを想定して「西岐波萩原の給水塔」に変更された。

ホームに戻る