市道樋ノ口琴芝線・横話

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ここでは、市道樋ノ口琴芝線の派生的記事をまとめている。
《 日立の宣伝塔 》
この市道の起点で現在は大きなマンションが建っている入口あたりにかつて日立のマークが入った宣伝用鉄塔が建っていた。[1]


それほど高い鉄塔ではなかったが、銀白色で純粋に宣伝用の鉄塔だったので結構目立った。県道よりちょっと高い土の斜面に建っていて、鉄塔の周囲は当時まだ草地だった。近くに日立のお店があったからではなく独立して鉄塔のみ建っていた。夜間は点灯したかも知れない。
平成期のはじめ頃までは遺っていたような気がする。親父の運転する車の窓から眺めた記憶だけなのでこれ以上のことは分からない。詳細な情報および写真が得られれば追記する。
【 記事公開後の変化 】
2016年9月に広告塔のあった場所がアスファルトで整備されているのを見つけた。


舗装は恐らく雨で土が流れるのを防ぐためだろう。道路敷とは地先境界ブロックで仕切られセフティコーンが置かれているので、後年建った高層階ビルか他者の私有地と思われる。(2016/9/22)
総合庁舎前T字路への近道
情報この項目は分量が多くなったので単一記事に分割されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

赤崎児童公園(仮称)
情報この項目は分量が多くなったので単一記事に分割されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

《 琴芝の南向き地蔵 》
現地踏査日:2014/2/5
記事作成日:2014/2/6
記事編集日:2014/10/7
本路線のピーク部分を過ぎ、下り坂を降りて慶進高校の裏門反対側あたりに古めかしい石仏が存在する。


この石仏の横からは生活道路が伸びており、慶進高校のグラウンド方面の往来に使われている。
記事化した折には別途リンクで案内する

この一角だけ時間が停まっているかのように古い。
立ち寄る高齢者に配慮してか、石段の横には最近設置されたと思われるアルミ製の手摺りがあった。


周囲は小ぎれいに片付いており、新しい花に清拭用の水入りバケツや柄杓も置かれている。看ていらっしゃる方が近くにあるようだ。


毛糸の帽子にキルトのおべべを召している。
石仏の表情は…ちょっと分からない。


振り返って撮影。
市道より1mくらい高く、段差部分は石段になっていた。


よくある石仏は薬師如来やお大師様だ。この方面の知識は殆ど皆無なのだが、白岩公園絡みで藤山八十八ヶ所を調査する過程で多くの実例を観てきて以来、自分としても多少なりとも知見を持つことができた。
それにしてもこの石仏はよく分からない。無縁仏を祀るものなら台座部分に相応な漢字四文字が記されている。何か由来を示すものがあるだろうか。

台座部分に文字が刻まれているようなので、ちょっと足元に置かれている飾りを持ち上げ接写してみた。
「當村中」と読み取れた。


この文字が何を意味するのか分からない。彫りがやや浅く鮮明には読み取れなかった。もう少し頑張って撮影すれば詳細が分かるのだろうが、塀を隔てた民家の私的所有物かも知れないし、供えられているものをガサゴソとかき回して撮影するのもお行儀が悪いと思いそれ以上は調べなかった。[2]
そのため漢字表記が違っている可能性はある

石仏の台座部分。
足元に見えるのは蓮の葉のようであり、亀の甲のようにも見えた。
素足のようであり足の指5本が見えている。あまり見かけないタイプのような気がする。


石仏の存在自体は本路線を数回走った折りに気付いた。しかしこの方面の興味がなかったので今まで撮影してこなかった。

この石仏は琴芝側から市道を走ったときレンガ塀越しに上部が少しだけ見える。


最近、琴芝ふれあいセンターに置かれていた資料[5]により、南向き地蔵尊と呼ばれるものであることが判明した。寛保元年(1741年)に建てられたもので南を向いているため、地元では「南向きお地蔵さん」と呼ばれているという。
派生記事タイトルも南向き地蔵に書き換えている
《 混在する石積み 》
殆ど大したネタではないが、慶進中・高校の第3グラウンドと市道を仕切る境界の石積みは新旧混合状態になっている。


新しい石積み。
切断面が直線的で殆ど建築ブロックのようだ。


こちらは典型的な谷積み。
間知石積みで表面は粗いがそれこそナイフも差し込めないほどしっくり噛み合っている。


新旧で形式の異なる石積みが交互に現れるのが不自然に感じられるが、グラウンドができたのは最近のことなので、整備工事によって失われた部分だけ新しいタイプで積み直したのだろう。

現代の技術なら高速回転するダイヤモンドカッターで御影石をサイコロ状に成形するのにそう手間はかからない。断面は直線なので積み上げも容易だ。他方、間知石は大まかなサイズが決まっているだけで、表面は著しくデコボコしているし接合面もギザギザだ。これらの中からしっくり据わる組み合わせを探して巧く接ぎ合わせるのが熟練した石工の腕の見せ所だった。
間知石の谷積みは接ぎ合わせによって効果的に自重および背面からの土圧が分散され、殆ど一枚物の石壁のように堅固だ。他方、新しい石積みは年月が浅いせいか石材同士の隙間が目立つ。特に真っ平らな面を持つ石材が布積みされているだけに横方向からの力には弱い。

短期間で素早く石積みを完成できるのは現在の石材積みのメリットだ。草葉の陰からこの石積みを眺めている石工が居たとして、「何だ…俺たちの真似も出来ねえのか?」と鼻で笑っているようでもある。
《 琴芝交差点のショートカット 》
車で県道琴芝際波線を起点の神原交差点方面に向かっているとき、通行のボトルネックとなり得る交差点が3ヶ所ある。それぞれ総合庁舎前交差点琴芝交差点神原交差点である。
このうち総合庁舎前交差点は終点として接続される市道栄町線に対して県道の青時間が比較的長い。神原交差点も国道との交通量は同程度で青信号時間は互角だ。しかし琴芝交差点は歩車分離式信号であることが災いして、明白に青時間が短い。

県道のどのあたりを走っているか、何処へ向かうかに加えて曜日や時間帯の要素も加味しなければならないが、梶返や沼方面に向かいたい場合、しばしば市道樋ノ口琴芝線が有効なショートカットとして利用できる。


上の図からも明らかなように琴芝交差点を完全にバイパスできるので、急いで沼方面に向かいたい場合はかなり有効なショートカットとなる。もっとも市道樋ノ口琴芝線は幅員が狭いし、そのまま県道を通って総合庁舎前交差点をやり過ごし琴芝交差点でも待たずに左折できたなら、その経路の方が安全で早い。したがって以下の説明は、あくまでも交通法規の範囲内で「そのような経路もある」ことを提示するだけで、積極的に通り抜け利用を推奨するものではないことを留意していただきたい。

まず、以下に該当する場合は法規違反ないしは極めて危険が伴うのでショートカットの利用を見送るべきである。
(1) 日曜・祝日を除いた7:30〜8:30の時間帯の通行
法規違反である
(2) 大型車両の通行
違反ではないが対向車があったとき離合不能に陥る
それから以下に該当する場合もなるべくこの市道を通り抜けないことを推奨する。
(1) 狭い道、先読み運転が苦手なドライバー
(2) 終点側からの通り抜け走行
ショートカットとして無意味
(3) 午後4時から日没までの時間帯の通行
高校の下校時間にかかる
終点側から進入して琴芝交差点をショートカットすることは一応できるが、時間帯によっては県道に出たとき右折が極めて困難である。ショートカット目的でこの市道を通過するドライバーはそのことを周知しているので、地元住民の出入り以外対向車はまずないだろうと考えていることが多い。

安全で時間を節約する効果的なショートカット利用パターンは、総合庁舎前交差点がまさに赤に変わろうとするタイミングである。歩行者用の信号が点滅するのでおよその目安がつく。

この状況を見て早めに左ウィンカーを出して減速する。自歩道を自転車が通行している場合があるので交錯に注意しつつ市道に向かう。市道走行は制限速度を遵守し、下り坂にかかったら脇道からの下校生徒の飛び出しに備えてブレーキペダル上に足を軽く乗せて惰力で走行する。終点では斜めに琴芝通りへ合流する形になるので、一旦停止と共に琴芝交差点からやってくる車と自転車をよく見極める。それでもこのタイミングで市道に入ったなら、琴芝交差点でスムーズに左折できたとしてもショートカットの方が早い。

普通なら県道と琴芝通りを経由する広い道を通る方が安全なのは確かだし、本来そうすべきである。私見だが、このような狭い道を利用するショートカットを検討する余地が生じてしまうのも、結局は琴芝交差点の交通整理が妥当でないからである。より具体的に言えば歩車分離式信号の動作は登下校時間帯に限定し、それ以外は通常動作とすべきだ。
夕刻時は県道の一般車両の往来が極端に増える。半面、自歩道の通行量は歩行者・自転車共に朝の登校時間帯ほどではない。このため歩車分離式の青時間で渡る歩行者や自転車が若干名、方や県道は上下線とも信号待ちの車がぎっしり…という不合理な交通整理が常態化している。歩行者優先は現行の道交法上では明白だから、横断者が少ない時間帯は左折する車に注意義務を課せば足りる。フルタイムで双方向の車両通行の青時間を削ってまで歩行者・自転車の専用時間を与える意義を感じない。

本路線のショートカット利用は、この記事を書く現在での交通整理状況を反映させたもので、今後琴芝交差点の信号動作の改善および市道樋ノ口琴芝線の通行条件などに変更があった場合には別途考慮する必要がある。
《 樋ノ口について 》
記事編集日:2014/6/21
樋ノ口(ひのくち)は現在の西琴芝2丁目に存在していた小字である。
写真は県道琴芝際波線樋ノ口橋の親柱。


樋ノ口の他に樋の口、樋之口という表記がみられる。これが本路線の起点付近を示す小字であろうことは容易に想像がつく。中世以前は樋ノ口付近で間占川が西へ屈曲し、現在の居能へ注いでいたことで知られる。屈曲の原因は樋ノ口より南側で流れを阻む砂州であった。このため樋ノ口付近は潮位の上昇や大雨によって海水が入り交じる低湿地だったと考えられている。

小字絵図で検証すると、樋ノ口とされる小字は狭い独立した3つの区画として記載されている。
写真左下の3ヶ所ほど矢印で示されている場所


樋ノ口の南側を通る直線部分は現在の県道琴芝際波線で、この小字絵図は時代が下って琴芝町となった時期に作成されたために県道で分断されたようになっている。かつてはこの3ヶ所を含むもう少し広い範囲が字樋ノ口で、南には字松月堀が隣接していたことが分かっている。[3]現在では樋ノ口は西琴芝2丁目に帰属していて字名としては遺っていない。

樋ノ口という小字の現存状況に関しては、県道琴芝際波線が真締川を渡る樋ノ口橋がもっとも知名度の高い構造物である。これは上のマップによれば真締川と県道の交点にある「1番目の小字樋ノ口」に呼応する。そして本路線は概ね「3番目の小字樋ノ口」から出発し、赤崎と前昆布神の間を通って字琴芝に至っている。この他に樋ノ口の名を冠した民間アパートが近辺に存在する。

漢字の樋は「木へんに通す」と書き、地名に関してはその名の通り溜め池から水を導き出す木の管や、潮が満ちてきたとき海水の遡行を阻止する樋門のあった場所によく現れる。
現在の塩田川は寿橋のところで落ち合うように改修されている[4]が、それ以前は樋ノ口に流れ込んでいた。現代でも満潮時には樋ノ口は元より西の宮付近まで真締川を海水が遡行する。樋ノ口という地名が樋門に由来するのはほぼ間違いないだろう。

県道の樋ノ口橋にもあるようにむしろこの小字はよく遺っている方で、周辺にあった他の小字の多く(赤崎や昆布神など)は現役構造物などに冠されたものがなく、絶滅危惧種ないしは事実上絶滅した小字状態となっている。
出典および編集追記:

1. 記憶違いではなく確かにその場所に宣伝塔が存在していたという報告を受けて派生記事化に至った。
日立のネオンサインによる宣伝塔は産業道路と小松原通りの交差点角にある建物の屋上にも設置されていたという。

2. これはそのまま「当該の村の中」を示している。具体的な村名を明示しない書き方のようで、他にも同様の文字が記載された石仏を見つけている。

3. 郷土資料館保有の小字絵図による。小字絵図には制作時期の異なるものがいくつか存在する。

4. 神原炭鉱の耕地整理で塩田川を付け替えた昭和初期のことである。

5.「琴芝ガイドマップ」(琴芝まちづくりサークル)の21番として掲載されている。

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