常盤通り

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記事作成日:2017/3/9
最終編集日:2019/1/15
情報この記事は現在の国道190号線の常盤通りについて記述しています。
最初期から戦前までに存在した常盤通りについては こちら を参照してください。

常盤(ときわ)通りとは、宇部市街部を東西に貫通するもっとも主要な通りである。
写真は高所から見下ろした常盤通り。


現在、常盤通りと言えば国道190号の松山町一丁目交差点から中央町三差路までを指すと考える人が多く、松山町一丁目交差点には常盤通りの始まりを示唆する標示板が設置されている。


東の端はこの位置となるが、厳密には西の端は中央町三差路までではなく新川橋の東側にある標示板までとなる。ここには端点を示す標示板が設置され、その足元には常盤通りの道路元標が据えられている。この道路元標は後述するように宇部市による建設時代のものである。

現在の常盤通りは国土交通省の管轄であり、実際の維持管理は宇部国道維持出張所が行っている。都市計画道路中央線の一部も構成している。市内の他の道路にはない側道という特異な構造をもっている。常盤通りという呼称が完全に定着していてそれ以外の名称(大通りや目抜き通りといった表現)で呼ばれることは殆どない。
《 歴史 》
後述するように、現在ある国道190号の常盤通りは戦後の市街部復興に伴い新規に造られたものである。それ以前から常盤通りは存在していたが、道路規模や経路がかなり異なる。詳細は以下を参照。
総括記事: 戦前の常盤通り
最初期の常盤通りの線形は現在ある通りとは(後述するような理由で)一致しない。特に現在の松山町一丁目交差点のやや捻れた十字路が形成されたのは戦後の松山通りおよび常盤通りよりも更に時代が下ってのことであり、市内在住の高齢者では現在でも昔の線形を覚えている人が意外に多い。
【 戦後 】
太平洋戦争末期の宇部市街攻撃は熾烈なものがあった。工場群が市街部より近いため国土全体の物資生産能力を剥奪すべく仮借なき焼夷弾攻撃が行われ、民家も含めて一面が焼け野原となった。戦後の都市計画では入り組んだ道を整理し、柱となる東西の通りを中心に新たな道造りが行われた。これが現在の常盤通りの原型となる50メーター道路である。この道路は実際に幅員50mという当時としては途方もない規格で設計され、かつてあった常盤通りとはやや位置がずれている。[2]先々の発展を見据えて高規格の道路造りを志向したのであったが、この計画が曲げて解釈され「宇部市では街造りをすると見せかけて市街中心部に滑走路を造り進駐軍に抗戦する準備を整えている」という噂がたった。この噂はGHQの耳に入り、当時の市長が召喚されている。

戦前までに常盤通りを含めた道路は府県道という扱いとなっており、国の補助を受けて道路建設できる筈であった。しかし戦後の復興途上という時期でもあり政府の補助金給付が遅々として進まず最終的には市費を投入して完成させている。[1]この財源には現在の宇部駅近くに造られた市営の宇部競馬場の売上げが貢献している。[6]

現在の常盤通りは、基本的にこのとき造った道路構造を踏襲している。道路としての通行空間は幅50mと定められ、これは現在においても宇部市内で最大幅員の道路である。[3]建設時に旧来の常盤通りや周辺に付随する細い路地などは幅広の道路敷へ飲み込まれる形となったが、新川橋の旧橋のみは重複することなく昔の道筋が遺されている。
【 昭和中期 】
詳細な過程は今後の研究を要するが、昭和中期からのモータリゼーション隆盛において常盤通りはその幅員を変えることのないまま手直しが行われている。例えば初期の常盤通りでの新川橋は既に原型と同じだが、歩行者向けの橋はまだなく幅の広い道路を特に区分せず車両や歩行者が入り交じって通行していた。[4]

幅の広い常盤通りが市街地の主要な通りとしての座を獲得してからは、周辺の東西の通りも常盤通りを基準とした平行な道路として整備されている。最初期の常盤通りは新川と直交しているが、現在の常盤通りを延長した新川橋はそうなっていない。前者は新川に架ける橋の長さを最小に切り詰めるための設計であり、後者は東西に長い緑ヶ浜の砂州上に出来るだけ長い直線的な道路を造ろうとしたための仕様である。両者の角度の差は最初期の旧新川橋と国道の新川橋に現れている。国道以南における細い路地で他の道路と直交せず新川に直交するものは、戦前からの道筋の一部分と言える。

また、松山町一丁目交差点と中央町三差路にかなり大きなロータリーが存在していた。モータリゼーション隆盛期以前の時代は常盤通りは如何にも幅広の過重設計だったとも言える。特に重要な松山町一丁目交差点のような場所に手信号での交通整理が必要な程度で、その他の小さな十字路では信号機もなく自己判断で往来していた。人力による交通整理のために交差点の中央にお立ち台を据えて行っていたかも知れない。大きなロータリーがなくなり信号機による交通整理が行われ始めた時期は調査を要するが、昭和40年代の初め頃ではないかと推察される。

車道から分離された歩道もほぼ同時期に整備されている。最初期の歩道は30cm角の正方形をしたコンクリート製の素材を一面に敷き詰めたもので、後年には至る所で不陸が生じていた。歩道の端の方ではコンクリート板の隙間から草が伸びていたし、踏むとグラグラしたり自転車で通るとカタコトと音を立てる場所もあった。これど同サイズのコンクリート板を敷き詰めた歩道は宇部新川駅前に存在するが、素材自体は異なる。このコンクリート板は後述する平成期の整備によりすべて取り除かれた。
《 現在の常盤通り 》
最も標準的な片側車線における横断構造は、道路センター側から順に追い越し車線・走行車線・バス専用レーンの3車線、植樹帯、側道、歩道(自転車通行可)となっている。松山通りと異なり中央分離帯は存在しない。
なお、前述のように常盤通りの西の端は市役所玄関の西寄りにあり新川橋や中央町二丁目三差路は含まれないが、便宜上ここで解説している。
【 車道部 】
片側3車線を有し、上下線共に一番左側の車線はバス・タクシー専用レーンとなっている。松山町一丁目交差点に近いバス停は特に乗降客が多いため後述する側道部分を削ってバス停部分を広く取っている。松山町二丁目バス停ではバスレーン内での停車となるからか、バス停擦り付けは存在しない。この専用レーンは一般車両は左折時および側道への出入りの時のみ通行できる。

一般に追い越し車線は高速走行する車が往来するものだが、右折レーン兼用で中央分離帯が存在しない道路構造では一台でも右折車両が対向車をやり過ごそうと待機する間は直進車両が閉塞してしまう。これを嫌気して追い越し車線を走り続け、右折車が待機しているのを見る都度素早く走行レーンへ戻るような運転手法は常盤通りでも常態化している。これは右折車の多い市役所前交差点の手前において特に顕著である。
全区間でUターンは禁止されている。この規制は昭和50年以降に追加されたと思われ、現在は走行空間として使用されていない古いコンクリート舗装部分にUターン禁止をペイントした部分がみられる。中央分離帯が存在しないため物理的にも困難だったが、規制以前は往来の車がそれほど多くなくかなり余裕をもってUターンできていた。

常盤通りにおける著名な道路構造物は、西側の端、真締川と交差する場所の新川橋[1]のみである。新川橋は架橋年の昭和22年のまま使っていて上下線合わせて4車線分の幅しかない。このため起点側から走ったとき専用レーンは消失し走行・追い越し車線も微妙にシフトしている。新川橋を渡って国道に沿って西へ向かうとき、走行車線を実直に辿って運転していると新町三差路で強制的に左折レーンへ押し込まれてしまう現象が知られている。この車線イレギュラーは新川橋を拡幅し架け直さなければ改良は困難である。
常盤通りを横切る陸橋や地下道は存在しない。地下道の設置は検討されたことがあるようだが施工には至っていない。

常盤通り全体でみれば線形は直線だが、松山町一丁目交差点内で松山通り方面が折れ線となっている。縦断勾配はなくほぼフラットだが、松山町二丁目付近に微妙な不陸がみられる。


これは最初期の砂州にあたる地山の高さがそのまま現れたものと思われる。ズームで斜め方向から車道を観察したときにのみ視認され、常盤通りの車両運転中はまず分からない。雨水排除の効率上、横断方向はセンターを元にしたかまぼこ状となっている。各交差点の中央には、ドライバーへの注意喚起を目的とした点滅ライトが埋め込まれている。

バス・タクシー専用レーンの外側に幅2m程度の植樹帯が存在する。植樹帯には歩道部にあるのよりは細い樹木が植えられている。また、行き先案内板の支柱もこのエリアを利用して設置されている。


当時まだ環境基準が甘かった車の排ガスに耐えられる樹木を植えて環境美化に寄与する意図があったものと思われる。現在では緑化という効用よりも道路往来上の視認性の問題を生じている。また、ゴミの投げ込みを受けやすい部分であり、定期的に学生を交えたボランティアグループにより清掃作業が行われている。

車道地下空間は重交通が予想されていたためか積極的な利用はされていない。汚水幹線、雨水幹線共に松山町一丁目交差点を横断するのみで常盤通りの車道に沿った幹線は存在しない。NTTの回線および電力線などを含む共同溝は歩道に設置されているようである。
【 側道 】
植樹帯の外側には、側道と呼ばれる四輪が2台横並び可能な程度の幅の通行空間が設けられている。これは戦後に新たな常盤通りを造った当初から存在している全国的に見てもあまり見られない構造である。当初は本線を走行し続ける往来と沿線の店舗へ立ち寄る流れを分離する目的で造られたようだが、現状は通常の車両走行区間としてではなく縦列駐車スペースと入退出のための通路として利用されている。側道の存在は、後年の急激なモータリゼーション到来において著しく駐車場を欠いていた市街部の延命的役割を果たした。他方、駐車場整備の遅れや通行空間である道路の駐車場化という本来の目的と反した利用のされ方を許すことにもなった。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 常盤通りの側道
松山町一丁目交差点付近のみは側道および車道部分を仕切る植樹帯が存在せず、バスの発着所を兼ねている。また、新川橋に近い部分は駐車スペースとしての区画も造られていない。
【 歩道 】
側道と植樹帯を合わせた程度の幅の歩道は、滑りにくい特殊加工のタイルが敷き詰められている。最初期は同じ正方形をしたコンクリートのタイルであった。現在のタイルは平成初期に歩道を整備したとき一斉に敷設し直されたものである。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 常盤通りの歩道
常盤通りの主要な配電線は地中化されている。歩道の端に制御盤を置くスペースを要する代わりに上空の乱雑な電線がない分だけスッキリした感じを受ける。電線の地中化は小串通りでもほぼ完了しており今後の趨勢となるのは確実であろう。
《 他の道路との関係 》
市街部を東西に貫く主要な通りなので、南北方向の多くの道が横切っている。また、数は少ないが常盤通りから派生する路地が存在する。
【 横断・接続する道路 】
常盤通りを横切る道路は東側から順に以下の通り。カッコ内は交差点の名称である。分断されている箇所以外は何処も信号機で交通制御されている。

路線番号路線名交差点名備考
R490国道490号松山町一丁目常盤通り以北
37市道参宮通り線松山町一丁目常盤通り以南
453市道東本町寿町2号線---横断不可
454市道柳町線新天町二丁目
209市道東本町寿町線宇部郵便局前
210市道琴芝通り南京納川津線---常盤通りより北側寿橋通りまでは一方通行
41市道栄町線市役所前常盤通り以北
H55県道(主要地方道)宇部港線市役所前常盤通り以南
459市道真締川東通り線---四輪の横断不可(歩行者は可)
43市道真締川西通り線---分断(物理的に横断不可能)

常盤通り以北では市道栄町線(栄町通り)と国道490号(参宮通り)が特に交通量の多い路線である。常盤通りに平行な北側の道として産業道路が知られるが、常盤通りから北へ向かう道は上記の栄町通り・参宮通りの間に5本の道が存在し、それぞれ一つおきに産業道路まで接続し、一つおきに塩田川止まりになっていることは市街部を車で頻繁に走る向きには学習しておくと往来に役立つ。
常盤通り以南はこのような規則性があまり見られず、道路の線形もイレギュラーが目立つ。これは戦前の路地を変えずに援用した結果であろう。
【 接続する小路 】
上記の車両通行が可能な道の他に、明白な私有地や社有の敷地などを除いて歩行者向けの通行可能な小径が存在する。いずれも常盤通りの南側、新天町アーケード街に接続する小径としてえびす通りと新地街の通りがある。
出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」p.43, 102

2.「50メーター道路」は殆ど固有名詞のように用いられている。資料によっては50メートル道路と表記しているものもある。歴史的呼称であり、現在ではこの語を耳にすることは殆どない。

3. 都市計画道路としても「3.3.4 (50)中央線」となっており幅50mとなっている。次いで幅員の大きいのは参宮通りと駅前通りの幅36mである。ただし平成29年に神原踏切〜西梶返T字路の6車線拡幅が完成したことにより、最大幅の道路が当該区間になっている可能性もある。

4.「宇部ふるさと歴史散歩」p.103 には重車両や歩行者、リヤカーを引く人が同一の道路空間を往来している写真が掲載されている。詳細な撮影時期は不明だが、新川橋が完成していることから昭和26年から30年代初頭と思われる。

5. 殆どの地図では新川大橋として案内されているが、親柱の石版には明白に「新川橋」とあることから当サイトではこの呼称を採用し、初期の橋は旧新川橋と表記している。

6.「中野の歴史を通して」(大窪静美)p.5〜6 による。昭和22〜29年の7年間で40回開催された後に閉鎖されたが相当な収益を上げたことから「常盤通りは馬券道路」とも言われた。
《 Googleストリートビュー 》
幅広で交通量の多い道路のため、双方向から画像採取されている。

《 常盤通りの交通規制と利用 》
【 交通規制 】
国道190号の前後区間に準じて50km/hの規制である。通行車両自体の制限はなく、原付までは車道走行が求められている。主要な交差点では原付は二段階右折となっている。全区間において上下線とも常時Uターン禁止である。交通量が特に多くUターンを行うと交通の流れを阻害すること、中央分離帯がなく転回に時間がかかるためである。この規制は側道部分に関しても同様である。
一番左端のレーンはバス・タクシー専用となっていて一般車は左折時および交差点先の側道へ進入する場合以外は認められないが、交通量が多く車線シフトも短距離では困難なため、しばしば左折する目的の交差点よりかなり手前から専用レーンへ入って走行する車が目立つ。

宇部祭り・新川市祭りの当日の一定時間内は常盤通りおよび取り付く前後の道は、一般車両(軽車両を含む)の進入ができなくなる。祭りの間、主要な場所には交通誘導員が配備される。祭り関係車両を乗り入れるにはあらかじめ活動団体を通して通行許可証を申請する必要がある。祭りの規制が行われる旨は、常盤通り前後の国道や主要な交差点などに看板が設置される。

宇部祭りは宇部市の本祭であるため、現在も常盤通りは車両封鎖され歩行者天国となる。しかし新川市祭りは現在では狐の嫁入り道中が練り歩く時のみ、通りの封鎖はせずに県警の交通誘導を行う形で実施されている。両祭りとも歩道に出店が並び大変に混雑するため、祭りの間は歩道への自転車乗り入れも禁止される。(指定の駐輪場へ停めるよう指示される)
【 利用 】
歩道は幅が広く市民の往来も多いため、かつては店舗の軒先を借りる形で行商人が露天商売を行うことが多かった。これは祭りの時でなくても一般的で、仙崎から美祢線経由で運ばれてきた鮮魚が富朝前の歩道に並ぶ販売手法はよく知られていた。現在では歩道の無許可占用となるため規制が厳しくなり、祭りの時以外歩道に店が並ぶことはない。夜間に屋台が営業することもない。募金活動で立ち並んだり選挙や街頭演説で歩道が一時使用されることは現在もある。
《 構造上の問題点 》
市街部の中核的な通りとなることを見越して戦後に当時としては高規格だった幅広の道を造ったことは大変に先見の明があったと言える。このお陰で昭和30年代以降高度経済成長期を迎えて交通量が増加しても大きな道路改良を要することなく既存のリソースに手直しすることで運用できた。

しかし更に時代が進み、今や常盤通りは安全な交通環境の提供と耐久面において些かの不安材料を抱えている。本件は熟考を要する内容が多く、別途記事を作成した。
派生記事: 常盤通り|問題点と改良案
《 近年の変化 》
・2014年3月に新川橋の東岸にあった納税推進の広告塔が撤去された。台座となった三角形のコンクリートはそのまま存置されている。

・2017年1月より老朽化の目立つ新川橋(車道部のみ)の点検と補修が行われた。足場を組んで下部構造も点検されたようだが、部分的補修で運用可能と判断されたらしく欄干を含めた一部が補修されたのみで工事を終えている。

・2017年9月下旬に開催された市役所新庁舎建設ワークショップ(第12回)で、新庁舎建設と並行した街区道路整備の一環として、常盤通りの市役所前部分は側道を撤去する考えがあることが表明された。ただし新川橋などその他の区間については今のところ改修計画は策定されていない模様である。

・2017年11月の宇部まつりで(個人的な再発見に過ぎないのだが)宇部市役所前やや西寄りの植樹帯の端に常盤通りの道路元標を発見した。
道路元標とは主要な道路や通りの起点終点を明示するために設置されるものなので、常盤通りの西の端は中央町三差路ではなくこの地点であることが判明した。同じ場所には端点を明示する形で常盤通りのサインが設置されているため、道路元標の設定は現在もなお有効に機能していると言える。したがって新川橋や中央町三差路は常盤通りには含まれないことになる。
以上の根拠に基づき冒頭にある区間の説明を書き換えている

・2018年1月頃から市役所前の歩道へ木枠の大型プランターが据えられた。


これは「緑と花と彫刻の街うべ」の象徴として管理の容易な花鉢を増やす方針による。花を咲かせる植物の植えられた小さなポットを吊り下げる試みも行われた。

・2019年12月31日午後6時をもって、常盤通りに面した主要なデパートであった宇部井筒屋が閉店した。跡地の利用はまだ未定となっている。詳細は宇部井筒屋の閉店を参照。なお、年が明けた後未確認情報であるものの新天町2丁目にあるレッドキャベツ宇部店も閉店する噂が立っており、もし現実となれば常盤通りに面した小売関連の大規模店舗が完全に消えることとなる。

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