不老助溜池記念碑

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現地踏査日:2014/11/30
記事公開日:2014/12/13
不老助(ふるすけ[1])溜池記念碑とは、現在の風呂ヶ迫池の余水吐付近の斜面に設置された竣工記念碑である。
写真は汀付近から池を背にしての撮影。


石碑の位置図を示す。


ここは風呂ヶ迫池の北岸側斜面、汀に近い場所で石碑のみ藪の中に建っている。北岸斜面に沿う山道から見えるが、注意していなければ予備知識なしに見つけるのは非常に困難である。

この山道より北側の丘陵部に渡り八幡様が存在し、同様に藪の中へ埋もれている。しかし里山の管理が行き届いていた時代までは八幡様や石碑は見えていたものと思われる。単独の石碑であり記述内容が増える可能性は低いので、本総括記事に続いて初回踏査時の時系列記事を載せる。
記述内容が増えた場合は以下の時系列記事を風呂ヶ迫池の続編として移動する

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風呂ヶ迫池の何処かに溜め池の竣工を記念する石碑があるらしい…
その情報は上宇部ふれあいセンターへ立ち寄ったとき得た[1]に記載されていた。
風呂ヶ迫池の総括でも書いたように、溜め池の堰堤上を常盤用水路がNo.4架樋で通っている。少なくとも5年前には訪れていて一連の写真を撮る過程で藪に埋もれた鎮守社を見つけるなどの副次的発見があった。しかし溜め池竣工碑については書籍からの存在情報さえも得られていなかった。
現地踏査を行った11月30日、この日はマップを参考に今まで見落としていたこの近辺の物件類もあわせて行うことを予定していた。

風呂ヶ迫池の余水吐まで歩いて来ている。
さて、この辺りと思うのだが…


手にしているチラシには不老助溜池記念碑の大まかな位置がポイントされている。パンフレットの方には余水吐の近くにあるようなことが書かれていたと記憶していた。[2]

まずは余水吐から下の走水路付近を調べてみることに。
両岸とも降りる道は皆無だ。藪を漕ぐ以外ない。


堰堤下はかなりの斜面だった。
走水路の両側に転落防止柵が設置されているものの恐らく設置以後誰も近づいた形跡がなさそうだった。


辺り一面まったく荒れ放題で石碑など建っていそうな雰囲気ではない。雑木の密集度はそれほど高くない藪漕ぎに苦労はなかった。
念のため走水路の殆ど一番下まで降りてみた。45度勾配に近い急な水路の先はネットフェンスが張られ民家の裏手になっていた。こんな場所でウロウロしていると不審者だと思われかねず、結局ここには無いだろうと判断して引き返すことに。

再び斜面を登り始めていたとき…
常盤用水路の斜面の下に殆ど木の葉に埋もれかけている石碑のようなものが目に留まった。


かなり小さいものの遠くからでも文字らしきものが刻まれているのが見えたので、探している石碑ではという気持ちになった。
すぐ横には欠片のような石材も転がっていたからだ。


靴の裏を使って周辺の落ち葉を取り除いた。石柱と思われたその四角い物はコンクリート製だった。

近接撮影している。正体は頭が欠けたコンクリート柱だった。
金型に押し当てて刻んだと思われる文字が見える。それだけでも何だか古めかしい。


上の方は漢字2文字だろうか…左側は「日」にしても右側は欠けていて読めない。その下は No.IV だろう。
オーの下に横棒があるのは数字のゼロと区別するためだろう

遠目には小さな石碑のように見えたものの探している記念碑とはまったく無縁なのは明らかだった。恐らく私企業が設置した境界杭か測量点だろう。それにしても見たことのないものという意味で興味が湧き数枚の写真を撮っておいた。[3]

こちら側でないとすれば考えられそうなのは余水吐より上流側だ。
余水吐から化粧田池の方へ向かう山道があることを知っていた。


山道から下は池の水面まで雑木に埋もれた傾斜地になっている。目を凝らしつつゆっくりと歩いた。

あそこにある!!
ここでカメラを構えた時点でほぼ間違いないと確信した。
写真では何を写したものかさっぱり分からないだろう。


ほら…あそこに明白な石碑が建っている。


写真は静止映像なので分かりづらい。しかし歩きながらだと縁の部分が直線的な石碑は他の雑木とはすぐに見分けが付いた。
こんな藪の中にあるのか…殆ど忘れ去られた存在だ。

石碑に近づく道はもはや完全に喪われていた。適当に藪の中を歩いて接近した。


近くで見たときの最初の一枚。
横に年号、手前側には短歌のような文言が刻まれていた。


池の方を向いて記念碑の名称が刻まれているのだろう。さて表側は…と見ようとしたのだが、既に溜め池の汀にかなり近い。木の葉で足を滑らせるとそのまま池までドボンとなってしまいかねなかった。


石碑の正面に回り込み距離を稼ぐために後ろへのけぞって撮影している。


不老助溜池記念碑の大きな文字の右横にやや小さな文字で 文久二年壬戌(みずのえいぬ)竣工 と刻まれている。
細部の文字が少しでも分かるように分割して撮影しておいた。
上半分下半分
文字には墨入れがされていないためかなり読みづらい。しかし石碑そのものはまったく健在で欠け一つなく、現在も直立不動状態だった。

側面には 明治四十年□□秋建之 の文字がみられる。
□の部分は手元の画像や資料だけでは判読できていない…再度調査して判明次第修正する


文久二年壬戌は西暦1862年であり、石碑の設置は明治40年(1907年)となる。溜め池竣工後やや期間をおいて記念碑が設置されていることになる。

興味深いのは、短歌の刻まれている面だ。
さて、何と書かれているのだろうか…


現地は藪の中で暗くしかも撮影時間の関係で逆光気味になってしまい文字を読み取れる状態での接写は難航した。抜け落ちがないように上から5分割で撮影してみた。そのまま記事へ埋め込むと写真が多くなり過ぎるので、分析してみたい方は以下のダイレクトリンクを参照されたい。
短歌1短歌2短歌3短歌4短歌5
達筆であるのと文字の彫りの中に砂が詰まっていることもあって読みが確定しづらい箇所がいくつかあった。
このような判読が難しい石碑にはこれまでにもいくつも出会っている。毛先に腰のあるブラシか筆を持ち込み、陰刻部に詰まった砂を丁寧に取り除けば判読の助けになりそうだ。[4]

短歌の刻まれた面の下の方に人名らしき陰刻がある。
石碑の寄進者の名前だろう。


詳細に記述されたパンフレットにも石碑の大まかな位置や設置時期が記されているだけで、寄進者名や短歌については書かれていなかった。寄進者は地元の有力者だろう。短歌は細部まで解析できていないが、恐らく白岩公園の八丁岩に刻まれた短歌の如く、風呂ヶ迫池のもたらす灌漑用水の恩恵と景観を讃える内容ではないかと想像される。

池の上流側に遠ざかる位置から撮影。
池の北岸斜面を伝う山道からも注意していなければ見つけづらい。


水路沿いの山道まで離れて撮影。
この写真だけで石碑が何処にあるか探すのは注意力と忍耐力を要するパズルだ。今の時期ならともかく春先から夏場は接近自体が極めて困難になるだろう。


参考までに、この山道に沿って素堀りの水路が通っている。
これは風呂ヶ迫池ではなくそれより上位にある溜め池から引水している。現在使われているかは分からない。


今でこそ周囲は雑木が増えたが、石碑や渡り八幡様が造られた当時はもっと見晴らしが利いていた筈だ。特に渡り八幡様の高台からは石碑はもちろん風呂ヶ迫池全体が見渡せていたのではないかと思う。雑木林とて昔の人々にとっては燃料という資源であり、適宜伐採したり下草を刈ったりする形で関わってきたからだ。
人工の溜め池では堰堤が一番の要なので、竣工記念碑は堰堤の近くに設置される。しかしこの竣工記念碑は堰堤からかなり離れた場所にある。この理由は私設の記念碑であることに関係しそうだ。かつて最も景観が優れていた場所か、渡り八幡様から溜め池までの最も近い延長ライン上という意味があるのかも知れない。

ともあれ史跡マップの情報から石碑を見つけることのできた最初の事例だった。
この石碑については、刻まれた文字を精確に分析するための追加調査が要る。石碑以外に新たな発見はなさそうなので、詳細な結果が得られたならこの記事を編集することで対応する予定である。
時系列ではこの石碑発見後上の写真の山道を歩いて化粧田池に向かった

《 個人的関わり 》
石碑は風呂ヶ迫池余水吐を渡ったところから北岸沿いに伸びる山道より溜め池側にある。
この山道は渡り八幡様を2度目に訪れたときに見つけ、先を辿ったことがある。化粧田池に到達できることを確認して引き返している。このときには石碑の位置どころか存在自体まったく知らなかった。

出典および編集追記:

1.「上宇部歴史マップ」(イキイキ地域づくり ほうゆう上宇部 2001年12月作成)による。

2. 上宇部ふれあいセンターでは郷土史研究会作成のパンフレットと、そのパンフを元に保健センターが作成したチラシがあった。パンフレットは嵩張るので現地にはチラシのみを持参していた。チラシには石碑の大まかな位置を記載したマップが掲載されていて具体的な場所は書かれていなかった。最初発見に手間取った一つの理由である。

3.「FB|訳の分からないもの(その2)」に掲載。一連の写真を別途タイムラインに掲載してメンバーに意見を求めてみたが答は得られなかった。(要ログイン)
後日、コンクリート杭の上部に刻まれた「日●」のように見える部分はBM(ベンチマーク)の略ではないかという指摘を読者の方から頂いた。第4ポイントのベンチマークで測量の必要上設置されたものらしい。但しいつ頃のものかは不明である。

4. 木切れではすぐ折れるし細部の刻みに詰まった砂の除去が難しい。指先でやるのは簡単だが、このような石碑の文字の窪みを利用してしばしば羽虫の幼虫が巣を造っている。表面の砂を取り除く過程で現れ芋虫類が嫌いな人に大ダメージを与えるのでお勧めできない…^^;

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