渡り八幡様

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記事作成日:2018/1/21
渡り八幡様とは上宇部校区の大小路2丁目付近、風呂ヶ迫池の北側丘陵部にある古い八幡様である。
写真は正面から撮影した御堂。


概略の位置図を示す。


渡り八幡様は同地区の守護社で、境内に据えられた石灯籠や鳥居から寛政期には創立されていたと考えられている。[1]名称の「渡り」とは、現在は大小路2丁目となっている地域に存在していた小字で、自治会の名称にもなっている現行の地名である。詳細は以下を参照。
派生記事: 渡りとは
《 現在の状況 》
渡り八幡様は常盤用水路のNo.4サイフォン吐口より近い下流側にある。水路上のコンクリート床板を渡った先に鳥居が隠れている。


鳥居にはかつて文化十年(1813年)と刻まれていた[1]ようだが、大正期に補修されたようで、現地にある鳥居には大正十五年の文字が見える。


古い鳥居は解体された後に笠木のみが両端を突き立てる形で現地付近に遺されている。


鳥居には「鎭守社」の3文字が見える。いわゆる村の鎮守の社を想起させる。


実際、村の鎮守として機能していたと思われるのだが、現況は別の場所へ移転されたか看る人が居なくなったために訪れる人が皆無となり、藪の中に埋もれかけている。この状況は昭和中期に設立された私設の参拝所である渡り八十八箇所に似るものがある。

御堂の手前には石灯籠と観音開きの祠が2対4基据えられている。保存状態はまずまずだが、看る人が居ないため倒れた竹や木が寄りかかっている。


御堂はコンクリート製で装飾はかなり凝っている。
外観からすれば昭和中期以降に造り替えたようにも見えるが詳細は分からない。


御堂の扉は外されていて中には仏像を始めとして何も祀られていない。
搬出するために敢えて扉を外したようにも見える。


この御堂からやや離れて左側奥に1基の祠が放置されている。


祠には何の文字も刻まれておらず、倒れかかった木に押されて傾いているため石の扉は開かなくなっていた。


これまで調べ上げられた限りでは現地にあるのは大正期の鳥居、最初期の鳥居の笠木、本堂とその両側に据えられた二対の石灯籠と祠、そして素性がよく分かっていない祠である。
《 アクセス 》
およそ村の鎮守となる八幡様であれば、集落から本堂までの参道が存在する筈である。しかし現地では常盤用水路より集落側の里道が確認できていない。

常盤用水路に対してはコンクリート床板が架けられている。これは里道があったものを用水路が分断したため通行補償で架けたと考えられる。


集落からの里道が判明次第、この総括記事に追記する。

したがって当面は従来の記事でも案内していたように、渡り八幡様を訪れるには常盤用水路に沿って歩く以外ない。この最も簡単な経路は、山門八十八箇所を過ぎた先の地区道を下ってNo.7隧道横から水路沿いを辿るルートである。詳細は以下を参照。
派生記事: 渡り八幡様【旧総括記事】|アクセス
近年、渡り自治会館から常盤用水路のサイフォンに向かって宅地整備され、周辺の木々が大幅に伐採された。新興住宅地内を通って直接斜面を登ってNo.4サイフォン吐口付近へ到達可能である。ただし周辺の山林は私有地である可能性が高いことに注意が要る。
《 個人的関わり 》
常盤用水路の全線踏査の過程ではNo.7隧道からNo.4サイフォン吐口までを歩いているため、渡り八幡様の前も通っている。しかし気が付かなかったのか、あるいは存在に気付いてはいたが藪に埋もれた祠を薄気味悪く思ったのか写真は一枚もない。手元にあるもっとも古い渡り八幡様の写真は2012年春のものである。
初めて記事向けに現地を訪れ撮影したときのレポート。
当時は何の知見も持たなかったので私的物件かも知れないと考えて踏査している。
時系列記事: 渡り八幡様【1】

上記の初回踏査時の記事を時系列記事へ移動した直後に作成していた総括記事。
内容が古くなり、また写真の品位が極めて悪いため新規に総括記事を作成し時系列記事へ降格させている。
時系列記事: 渡り八幡様【2】

渡り八幡様を紹介したFBページ投稿。
FBサーバ不調でタイムラインへの投稿が出来なかったため例外的にアルバム形式で投稿している。(要ログイン)
外部ページ: 渡り八幡様(2018/1/21投稿)
出典および編集追記:

1. 上宇部歴史マップ 15番

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