黒岩天神様

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情報黒岩観音とは異なります。黒岩観音については こちら を参照してください。
現地踏査日:2015/12/19
記事公開日:2015/12/31
黒岩天神様とは、黒岩から片倉方面へ抜ける峠越えの古道(市道黒岩線)沿いにある天神様である。
写真は正面からの撮影。


黒岩天神様の位置を地図で示す。


後述するように黒岩天神様の裏手藪の中には周防と長門の国境を示す国境石がある。この国境石についても本編で述べる。

黒岩側から撮影している。
市道が坂を登りつつ大きく左カーブする場所にカーブミラーがあり、その横に入口が見えている。


この部分のみ法面のコンクリート吹付けが低くなっていて建築ブロックによる簡素な階段がある。
この先黒岩天神様などといった案内板は設置されていない。


参道部分は直線なので遠くからでも正面に祠が見える。


この坂道を歩いていてすぐ気づくのは、蛇紋岩の露岩がやたらと目立つことである。
風化して粘土となった層は薄くて全体が蛇紋岩の岩山状態になっているのかも知れない。


正面の構え。両側に灯籠があって祠自体は建築ブロック製となっている。以前は素焼き瓦の屋根があったものを改修したらしい。[1]
ここでも灯籠の台座部分から階段まで自然の蛇紋岩が使われている。


灯籠の右横に置かれている手水舎。
文字などは刻まれていなかった。


祠を背にして撮影。ここからも市道部分が見える。


参道には鳥居などはなく一対の石灯籠と先ほどみた手水石が置かれているのみである。
これと次の一枚のみは2013年の撮影


灯籠には江戸期の年号が刻まれていた。
文化十二亥十月吉日と読める。


建築ブロック造りの祠の壁を見てここが初めて黒岩天神様ということが分かる。
地元有志と思われる世話人による由緒を書いた説明板が設置されていた。
どなたがお書きになったのだろう…大変に秀麗な文字だ


説明板によれば、ここが黒岩天神様そのものの由来の地ではなく、西にある天神山から運ばれ安置されたものという。現在地の西側近くにある山と言えば、黒岩橋を渡って市道と古道が分岐する近くのピークか黒岩山しかない。現在の黒岩山を天神山とも別称していたなら別として、恐らく分岐点近くにあるこのピークだろう。[2]

御堂の扉は輪っかを回せば外せる簡易なラッチで留められていた。中を開いて観てもいいということなので扉を開いてみた。

学問の神様と荒神様が安置されている。
家のような造りの中に置かれた石が神体なのだろう。


扉の上部には道真公に由来する梅の花と枝を彫った文様がみられた。


御幣は新しかったが頻繁に誰かが訪れるところでもないらしく、生花やお酒などのお供え物はされていなかった。
《 黒岩天神様の国境石 》
由来板によれば「奇しくもこの社は周防と長門の国境にあたり社の裏には今でも国境の石がある」とされている。
ただし国境の石が何処にあるか、具体的にどの石がそうであるかの案内はまったくない。
社の裏手は普通の山林状態で道もなく、自力で探す必要がある。


社のほぼ裏手で距離も恐らく20m以内である。
周囲が片付けられ状態が変わる可能性はあるが、当面は斜めに倒れかかっている木が目印になるだろうか。


この木の真下に片側がやや浮き上がった平板な岩がある。


これが国境の目印とされていた岩だ。
縦2mに横1m程度の自然の蛇紋岩である。


浮き上がっている方から撮影している。厚さは最大30cm程度で一枚ものの平べったい岩なことが分かる。
拡大画像はこちら…前半分後半分


ちょうど真下に別の石が下敷きになっているため前後が浮いた状態になっている。
およそ想像されるように、かつてはこの石を支えに直立していたようである。[3]

見ての通り平板で大きな蛇紋岩を直立させることで国境の印としていたらしい。岩には何も刻まれておらず、切り欠くなど人の手が加わった様子もない。この近辺で産出する蛇紋岩からひときわ目立つ大きなものを利用したようである。更にこの周辺を歩き回ると、同様の蛇紋岩がいくつも見つかる。しかし一番大きな岩で別の石が下敷きになっていることで判別できる。冬場でも足元が悪い雑木林であるため、春先や夏場は草木が繁茂して国境石へ接近するのは困難になるかも知れない。

蛇紋系の岩は市内では鍋倉山や向山、常盤池の本土手といった海が近い場所でよく観察される。山地としての代表格となる霜降山や白岩公園で見られる岩とは明白に色調が違う。黒岩天神様に代表される黒岩という地名は、一般的に観測される岩としては相対的に色彩が濃いことに由来するのだろうか。[4]

さて、撮影日の時系列に戻ると…
記事向けに一通りの撮影を終えて車の元へ戻った。


市道のこの区間は特に駐車禁止にはなっていない。ただしカーブ部分は見通しが悪く他の車両の通行障害になるので、カーブからやや離れた路肩に寄せて停めると良い。
上の写真では舗装路肩外に真砂土で固められた余剰地があるのでそこに停めている。
ただし市道の道路敷か私有地かの検証まではしていない
《 個人的関わり 》
特にない。初めて黒岩天神様を訪れたのは市道黒岩線を自転車で辿るときの道中で、2013年10月20日のことであった。それまでに[3]で黒岩に国境石があることは知っていたが、何やら祠があるようだとみて立ち寄ることで偶然に見つけることができた。
出典および編集追記:

1. 祠の裏手には昔のものと思われる素焼きの瓦が積まれている。

2. 地理院地図でこのピーク部分を表示する。


余談だが地理院地図では天神山と思われるピーク周辺には管理道などを意味する破線の道が沢山描き込まれている。実際には現地はただの山野である。もしかすると墓園にする計画があったのかも知れない。

3.「宇部ふるさと歴史散歩」p.80 にまだ国境石が立っていた状態の写真が掲載されている。

4. 霜降山の「霜降り」とは山地で普通に見かける岩が霜降り状態のように白っぽいことを形容したものという説がある。なお、白岩公園の命名由来は黒岩の対比であることが分かっている。

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