市道丸山黒岩小串線・横話【1】

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この記事は、市道丸山黒岩小串線の派生的記事をまとめて収録している。
《 一生一度のお見合い 》
本路線の起点、県道との分岐点付近にカレー店がある。
恐らく十数年以上昔から同じ場所で名前を変えずに営業しているお店だ。


この記事を書いている現時点で私がこのお店を訪れたのは十数年前の一度だけである。当サイトはどのお店に対しても商品の宣伝や販促活動を行う意図はまったくなく、私が本件に関して横話をかくのはこの記事のタイトル通り、純粋に私の個人的な想い出を記録に遺すためだ。

私のプライベートが丸裸になるのは構わないとして(い、いや…sweatあんまり丸裸にされるのも困るが…sweat)関係者のあることなのでアバウトに書くと、親に勧められて何となく受けたお見合いだった。出会いクラブとかブライダル関連業者のセッティングではなく、双方の親の提案によって企画されていた。

メインの食事場所は、県道をこの先少し進んだところにある”かめうら苑”で、そこで会食した後に2人きりでデザートを食べに行く流れになっていた。会食のときは親がついていたが、このお店で食事するときは2人だった。
私がどのメニューを注文したか覚えていない。順当にコーヒーとチーズケーキのセットだったように思う。
どういう話をしたかも当然覚えていないけど、多分日常生活や趣味のことを話したと思う。そんなに話は弾まなかった。相性云々と言うよりも私はしゃべるのが得意ではないし相手の女性も同じようだった。一目見て気に入り、親そっちのけで次の繋ぎを作る…なんて不真面目な会合ではないし、また私の気持ちにも沿わなかった。
初めてのことなので食事を終えてからどうすればいいものやら分からなかった。結局それではまた…とばかりにそのまま別れて帰っただけだった。

結論的に言って、私がこのときの方とお会いしたのは最初で最後だった。親からすれば今すぐ結婚を前提にという堅苦しい話ではなく、お友達から始まってお互いを少しずつ知り合えれば…という考えのようだった。
現在と当時の自分では年齢も考え方も違っているから、今記事をかく私が昔の自分の考え方を探るのは困難である。お見合いというのは堅苦しく古臭いという観念があり、親にそこまでお膳立てしてもらわなくても生涯寄り添って歩いてくれる人は自分で見つけるべきだという考え方があったと思う。いつまでも私がそれを実行しないので、もどかしい気持ちから親がお見合いを設定したのだろう。
ただ、事実として初回のお見合いが不調だったことから、これ以上親に余計な手を煩わせてはいけないという気持ちは相応にあったようで、恋人でなくていいから気軽に付き合える女性の友だちは居なければならないと考えていたようだった。

ちなみに現在の自分の考え方はお見合いを決して否定しないし、自分より永く人生を歩んだ親の見立ては信頼すべき要素が多いと思う。他方、人間誰であろうが何歳だろうが必ず初対面の瞬間があり、出会ってから始まるものと信じている。それが親の紹介、同じクラブでの出会い、ネットでの仲間、バーでたまたま隣りに座った人…の何だって同じだ。始まる前から先行きのことや、まして終わりのことを案ずるに及ばない。
《 丸山公園行きの市営バス 》
市道丸山黒岩小串線は、起点出発後ほどなくして再び県道と交わる。そのため起点から県道横断点までがループとなっており、この構造を活かしてかつては市営バスの転回場となっていた。


この場所が終着地となる市営バスが「丸山公園行き」の便で、このループを利用して転回し引き返していたものと思われる。
同様の駐車禁止表示が付近の電柱2ヶ所にもみられる


私自身の想い出に話を移せば、恩田に住んでいた幼少期の自分は、自転車で校区外まで出かけられるようになるまでは専らバスが移動手段だった。
恩田から市街部へ出かけるのにバスの便を覚える必要は殆どなかった。国道を西に向いて進むバスなら、殆ど何に乗っても松山町一丁目交差点や市役所前を通るからである。他方、帰りは注意すべきことがあった。

松山町一丁目交差点を通るバスはざっくり分けて3経路がある。交差点ですぐ右折して善和方面に行く便、直進して松山町二丁目交差点で更に直進し八王子に向かう便と左折して恩田を通る便である。
このうち善和方面に向かう便は十文字、車地、高領(最近は「高嶺」の表記が目立つ)と便が限られしかも少ないのですぐ覚えられた。注意すべきことは恩田を通る便と八王子方面に行ってしまう便の行き先を覚えて乗り分けることだった。

幸い多くのバスは国道190号に沿って恩田を通過する。そのようなバスの便が沢山あり、記憶が確かな範囲でもこれだけあったと思う。
阿知須、請川、小郡、片倉、黒岩、中央病院、常盤公園、萩原、丸尾、吉田
八王子の方に行ってしまうバスの便は八王子、宇部空港、そして丸山公園だった。最初の2つはすぐ覚えたが、恩田に帰りたい自分にとって丸山公園行きが「乗ってはいけないバス」と理解するまで少々時間がかかった。丸山公園が何処にあるか全く知らなかったし、親も同様だったようだ。そのため「何処に行くか分からないけど乗ったら家に帰れなくなるバス」という認識があった。

それでもまだ覚えているのとは違うバスがやってきたような記憶があり、確かめず飛び乗ったこともあったと思う。そんなとき、松山町二丁目バス停を出発したバスが松山町二丁目交差点できちんと恩田方面へ左折してくれるかは結構ドキドキものだった。現在ならバスが左折専用レーンへ入ることで分かるが、昔は直進と左折兼用のレーンだった。
そもそも昭和40年代あたりまで国道の松山通りにレーンの区割りがなかった

臆病で小心者だったせいか、間違ったバスに乗って八王子方面へ連れて行かれたことは一度も記憶にない。元から八王子や空港方面に知り合いがおらず用事もなかったので、意図して松山町二丁目交差点を直進する便に乗ったこともない。特に小学校低学年時代で、やっと一人でバスに乗れるようになった自分にとって八王子方面は「家に帰れなくなってしまう方向」という怖い印象が強かった。
それ故に丸山公園行きのバスが実際何処を目指していたのかは知る由もなかった。その答は自転車でウロウロしていて偶然丸山公園を見つけた3年前に初めて与えられたのだった。
公園の存在は認識していたが名称を注意して見ていなかったという気もする

ちなみに現在では丸山公園行きのバス便は存在せず、丸山公園バス停は県道に移動されて近年設定された東部市内循環線(愛称「めぐりーな」)の停車場の一つとなっている。[1]したがって(確かめてはいないが)現在この市道を使ってバスが転回することはない。冒頭に掲げた”バス転回所につき駐車禁止”の表示板もいずれ撤去されるかも知れない。
出典および編集追記:

* 写真にある丸山公園の古びた公園標識は2015年のはじめまでにバラバラに壊れた。このため2016年の春先に遊具類を更新する際に撤去され現在は階段のところに「丸山街区公園」という正式名を表記した公園柱が設置されている。詳細は「丸山公園のその後の変化」を参照。(2016/7/1)
《 鍋島に行くとき浜辺に降りた道? 》
市道丸山黒岩小串線が再び県道に出てくる手前に、海側へ降りていく舗装路がある。


記事タイトルに?を付けていることで分かる通り、このことは確定的ではない。もしかすると違った場所だったかも知れない。


この道は先の方でコンクリート舗装路となっている。
直接は見えないが右側の擁壁は昔の岸壁と思われる。すぐ外側は海だったのだろう。


昔からこのコンクリート舗装路状態だったか覚えていない。しかしこの近辺のどれかの道を通って鍋島まで歩いて行った記憶がある。
もっとも鍋島周辺はきわめて遠浅になっていて、潮が引けば広範囲な砂浜になった。この道に限らず殆ど何処からでも降りて歩いて行くことができた。
昔の塚穴川の河口部からも歩いて行けたと思う

その後埋め立て地の拡大と空港整備が重なり、現在の海岸線はずっと沖合まで離れている。

数年前、自転車で一度だけこの道の先端まで行ってみたことがある。しかし元の鍋島らしき場所のかなり手前から空港の管理区域になっているらしく、立入禁止看板が出ていて進攻できない状態になっていた。言うまでもなく鍋島は痕跡すら存在しないし、かつてこの付近にあったことを伝える説明板の類もいっさいない。

空港用地に到達するまでの道も漁港関係の敷地か私道になっているようだ。残念だが進攻してみたところでがっかり感が募る上にトラブルの元なのでお勧めしない。
《 常盤ふれあいセンター 》
記事公開日:2016/7/1
常盤ふれあいセンターは、亀浦1丁目にある常盤校区の市役所出張所である。
写真は前面市道からの撮影。


敷地内駐車場からの撮影。


市内各校区にある郷土関連の資料を求めに、2014年10月に初めてセンターを訪ねている。校区内に常盤池があるため歴史的資料の記述が充実しており、常盤ふるさとまっぷには既に使われなくなった小字を収録しつつ大変詳細な記録がなされている。当サイトで掲載したいくつかの物件もこのドキュメントによるものが大きい。
出典および編集追記:

1.「校区文化財マップ」においての常盤校区(PDFファイル)を参照。
【 記事公開後の変化 】
時期は不明だが、2016年頃にふれあいセンター入口のスロープ部に周防と長門の国境を示すペイントと説明板が設置されている。スロープ中途部にペイントされているので、何かの資料を元にかなり厳密に国境ラインを復元させたようである。
この近辺の国境を示すものとしては、南側ではここより塚穴方面へ下っていく古道の途中に西岐波が宇部市へ編入される以前に設置されたと思われる市村境界石が知られる。北側では後述するように道標が存在し、これがそのまま境界でもあったと思われる。(2017/12/13)
《 常盤ふれあいセンター付近の道標 》
記事編集日:2014/2/8
亀浦交差点を過ぎて緩やかな坂を登り、市道常盤公園江頭線との信号機つき交差点に道標が見つかった。
写真は亀浦方面を向いて撮影している。植え込みの中にひっそりと据えられていた。
双方の市道をレポートするときいずれも気が付かなかった


後で述べるような事情があってゆっくりアングルを考えて撮影せず素早く撮っている。このため写真では一部文字が欠けたり不鮮明な状態になっている。

道路に向けられているうちの一つの面には明治四十二年六月一日建 亀浦組となっていた。
文字の彫りが浅いので誤りがあるかも…上半分下半分の写真はリンクを参照


案内の部分。
東 床波 阿知須駅
西 教念寺前 藤山
と読みとれた。
植え込みの枝を押しのけて撮影し直した


その他の面には何も彫られていなかった。


この日は東岐波方面を4時間かけて地名調査を行い、既に写真を300枚以上撮影してデジカメのバッテリーが(予備の分も含めて)殆ど空になっていた。電源を入れて手早く撮らないと途中でシャットダウンし撮影不能になるので、アングルを考慮せず取りあえず撮影している。
再度この方面を訪れたときには写真を撮り直し詳細な記述に差し替える予定である。
(文字が読み取りやすい写真を撮影し直しました)
《 常盤公園・臨時駐車場 》
記事編集日:2013/7/14
市道丸山黒岩小串線と市道常盤公園江頭線の信号付き交差点の角地は、常盤公園の臨時駐車場になっている。
亀浦バス停の少し手前に降り口がある。


普段はバリケードが設置され車が出入りできないようになっている。


駐車場の中から交差点を撮影している。
駐車場は周囲より一段低く、真砂土のグラウンドに区画ロープで仕切られただけの簡素なものである。


イベント開催時や花見のときは常盤公園の来園者が膨れあがる。入口には係員がついて車の誘導を行っている。ときわふれあいセンターにも同様の臨時駐車場が設置される。

湖水ホールでイベントが開催されて臨時駐車場に係員が常駐しているときの映像である。[2013/7/7]


明示はされていないが恐らく駐車料金はゲート付きの通常の場所と同等と思われる。
ときわ湖水ホール
情報この項目は分量が多くなったので「常盤公園・東入口」の派生記事として統合されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。
常盤公園内ジョギング駐車場
情報この項目は分量が多くなったので「常盤公園・旧東入口(青年の家入口)」の派生記事として統合されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。

《 常盤台県営住宅 》
前岡の辻バス停前に、遠目にもちょっとモダンな感じの集合団地に出会う。
常盤台県営住宅で、平成8年に竣工されている。


さて、何故にこの県営住宅を横話として登場させたかと言うと、別に常盤台県営住宅に知り合いが住んでいるというのではない。かつて仕事でうちの父と共に常盤台県営住宅の外構工事に携わったのだ。
これを書けばちょっと調べることで私の前職が判明するだろう

今でも職務上の守秘義務はあると考えるので問題ないと思われる範囲で話すと…

市営・県営住宅関連の仕事はそう珍しくはなかったが、かと言って公営住宅の新造自体そう頻繁なことではない。だから当時は「県住」と言うだけで常盤台県営住宅関連のことと理解できた。
県住と言うとどうしてもピストルが連想されて困った…^^;

どの工事でも同様だが、建屋を先行して築造して外構を最後に施工する。建屋は建築部門だがブロックを敷き詰めたり雨水排水管を布設するのは土木部門になる。建屋がほぼ完成し、細かな内装に入った段階で外構工事に入れるので、まだ建築部門の現場ハウスが存置された状態で外構工事の現場ハウスも併設されたと思う。
うちの父が現場代理人として携わり、私は外構工事部門の積算を行った。それ故に外構工事が始まる前から完成予想図を頭に思い浮かべることができた。

積算では図面で材料の詳細と数量の拾いだしが必須となる。さて私が初めて図面と仕様書を目にしたとき、まるで見たこともない数々の資材にかなり当惑を覚えた。土木の一般的な資材は名称を覚えるだけでなく大まかな設計単価も頭に入っていたのだが、ピンコロとか洗い出し平板などと言われてもさっぱり分からず、建設物価(毎月出版される資材などの市場単価をまとめた書籍…しばしば「けんぶつ」と呼ばれる)と首っ引きで調べたり関連業者に見積もり依頼したりカタログを持ってきてもらったものだった。

平穏に暮らす県住の敷地内をうろつき回って写真を撮るなんて出来ないので外から撮影している。
建屋の周囲に敷き詰められている市松模様のこれが洗い出し平板だ。[2]


近接して撮影しそびれたのだが、洗い出し平板とは天然石を平板の表面に配した後に水洗いして石の部分を露出させて作られている。平坦性が保たれ足掛かりが良く外観も美しい。まるで「おこし」のように見える。
写真では白と濃灰色に見えるが、敷設直後はもう少し鮮やかな黄土色と濃紺色だった。褪色したのではなく土埃を被って色が薄くなっている状態だ。特殊な資材なので単価はかなり高い。
黄土色が「金華」で濃紺色が「那智黒」

バス停の差し掛けも普通に見られるものとはかなり異なり洒落ている。確かこれも外構一式に含まれていたと思う。


先にも述べたピンコロとは御影石を10cm角のサイコロ状に加工した資材で、狭い範囲を敷き詰めたり、芝生と通路部分の間仕切りとして並べたりして使われる。[3]上の写真では洗い出し平板と市道のL型側溝の間へ一列に埋め込まれている。まったく一般人には耳にしたこともない名称だが、資材としては割と一般的で造園業者や外構関連業者ならまず知っている。
当時も私は初めて知ったのだが親父は昔から知っていた

県営住宅の入口にあるデフォルメされた常盤台の文字サイン。
2枚上の写真に写っているコンクリート壁の外側である
もちろん設置される前から設計図面で確認済みだった。何とも斬新なデザインを考えたものだなーと思った。


私が知る限り、県営住宅でこれほどデザインが凝っているものは他にない。公営住宅となれば大抵は機能性とコストが最優先になるのだが、常盤台県営住宅に関しては設計者の意向がかなり色濃く反映されていると思う。

ここに住まう方々には失礼な話を承知で、建屋の外観に関しては竣工当時から賛否両論があった。とりわけ棟ごとにバルコニーが異なる色で塗られており、それが原色系で遠くからでも目立つのでけばけばしいとかオモチャのようだという声があったのも事実だ。
経年変化で褪色しているが竣工当時は本当に派手な色合いだった

しかし個人的には常盤台県営住宅に住まう人々が羨ましいと感じている。ハイカラで別荘のようでもあり、県営住宅という機能最優先というお堅いイメージを打破した一つの作品と言える。
私自身がここで仕事したわけではなく積算という形で間接的に関わったに過ぎないが、今でも常盤台県営住宅の前を通れば特殊な資材に戸惑い苦労した当時のことを思い出す。

(「市道丸山黒岩小串線・横話【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「宇部市交通局|宇部市営路線図(H24.4.1改正)

2.「全国エクステリアコンクリート協会 - 洗い出し平板

3.「Wikipedia - ピンコロ

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