恩田運動公園・恩田プール

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記事作成日:2019/7/9
最終編集日:2020/6/17
ここでは、恩田運動公園に存在していたプールおよび関連する設備群(以下「恩田プール」と略記)について記述する。
写真はプール管理棟の正面からの映像。


この総括記事を編集している現時点において、恩田プールは2019年度の夏季に最後の営業を行った。2020年度は夏季も営業されず、将来的にすべての関連設備が取り壊される。プールの廃止に関しては、平成21年度から続いていた公営企業を除く当初予算計上のすべての事務事業のゼロからの見直し取り組みにおいて指摘されていた。[a1]

恩田運動公園にある多くの設備が老朽化しているため、現代の新しいスポーツ需要も勘案して「恩田スポーツパーク構想」が策定された。最初の素案の段階で老朽化したプールを取り壊し再建しないことが表明されたが、素案の公表直後からプール存続の要望が極めて多く寄せられたため、2019年度10月の予定であった素案の策定が先送りされアンケート等を通して再度市民の意向を問う状況となっていた。最終的に恩田プールは当初の素案通り取り壊されるが、プールそのものは利便性の良い別の場所に新しく造る方向で現在検討が進められている。
出典および編集追記:

a1.「恩田運動公園水泳プールの今後のあり方|宇部市スポーツ振興課」および
アンケート(スポーツ振興課) 恩田運動公園水泳プールの今後のあり方|宇部市」による。
《 プール関連 》
ここでは、プールと関連する設備について、一般来訪者が利用可能だった設備を記述している。なお、後述するように場内の写真は管理者の許可を得た上でオフシーズン中に撮影されている。
【 管理棟 】
コンクリート2階建て構造で、国旗掲揚などのための差し掛け3階部分がある。1階は入場券販売窓口、更衣室、シャワー室、トイレが設置されている。
写真は正面中央にある入場券販売窓口。


プール利用は窓口で入場券を買うスタイルで、高校生以上160円、中学生以下70円であった。[b1]かつては午後の部が開始する数十分前から入場券を買い求める長蛇の列ができていた。

入場券を買った後は女性は右側、男性は左側の専用出入口から入場する。入口のすぐ前に木製の投票箱のようなものがあり、そこへ自主的に入場券を投函した。玄関には下駄箱があり下足はここに収納していた。更衣室はコンクリートのベタ打ちで水に濡れると大変に滑りやすかった。着替えるための配慮として随所に木製の衝立が置かれている。女子更衣室はカーテンのある個室である。脱いだ服などはビーチバッグへ入れて靴などと共に更衣室へ置いておくこともできたが、貴重品を置いておくと盗難に遭いやすいため後年コイン式ロッカーが設置されていた。

更衣室とシャワー室は扉のない一続きとなっていて、ここでシャワーを浴びて管理棟を出るスタイルになっていた。トイレは一旦管理棟を出た両端に設置されていた。

事務室は正面向かって左端に入口があり、各種問い合わせを行うのに使われる。一般には公開されないが、電話応対を行う詰め所の他に台所と畳敷きの宿直室が存在していた。事務室前には10円玉を投入するプッシュ式のピンク電話が設置されていて、この目的でのみ一般利用者は事務室前へ行くことができた。管理者向けにはこの他に救護室、器具庫が存在していた。

2階は大会が開催されたときの運営本部として機能していたようだが、プールの公式認定が解かれてきらら浜に会場が移ってからは、2階の部屋はプールとは直接関係のない別の団体に貸し出されていた。プール営業終了後は2階の部屋はすべて閉鎖された。2階の中央部には差し掛け小屋形式の国旗掲揚所が設置されていた。

管理棟がプール建設時当初の昭和33年に同時に造られたかどうかは分かっていないが、随所に昭和中期固有の構造がみられる。特に入場券販売所と奥の倉庫を仕切る壁部分に正方形の空隙が2つ空いた建築ブロック積みは、この建物でしか観察されていない。[b2]


事務室前を通ってプールサイドへ出ることは可能で、実際そのように使われていたらしいことは柱の注意書きからも分かる。しかし現在では大会などの特殊なイベント以外に一般来訪者が通行することはない。
【 50m 】
管理棟にある更衣室とシャワー室を出ると、正面に50mプールが見える。


50mプールは競技用の公認を取得している。最も浅い両サイドで水深1.3m、中央が一番深く1.8mある。プールサイドには水深を示す銘板が埋め込まれ、25mプールにも同種のものがみられる。一番浅い場所でも背の低い学童はプールの底に足が届かないので中学生未満の学童は保護者同伴でも入ってはいけないことになっている。中学生以上でも泳ぎに不慣れな場合は同様に入らないことが推奨されている。

プールの西側には大会用の観覧席が設けられている。ただし観覧席とは言っても屋根がなく陸上競技場の観覧席と同様なコンクリートの段差による座席を設けただけの簡素なものである。
殆ど知られていないが、プールサイドと観覧席の間の端に第18回山口国体開催時に設置された記念植樹碑がある。石碑が存在するだけで樹木は既に存在しない。
【 25mプール 】
50mプールに隣接して直射日光を避けられる休憩所があり、その反対側に25mプールと徒渉プールがある。
写真は休憩所側から撮影した25mプール。


25mプールと徒渉プールはコンクリートの渡り廊下のような桟橋で繋がっている。桟橋の下は数本のパイプで支えられているだけで、身体を横にすると泳ぎながらくぐることができた。しかし挟まってしまうと溺れる危険があるため後年横の桟木を追加して格子状にして泳いでくぐることができないようになった。
【 徒渉プール 】
徒渉プールは管理者側の呼称で、昔から「赤ちゃんプール」の俗称で親しまれている。その名の通り保育園児や幼稚園児が母親や保母さんに連れられて水遊びするのに適している。プールサイドに近い側の水深は30cm程度で、25mプールに接続されている最も深い場所でも75cm程度である。

徒渉プールには噴水型のオブジェとも言える中の島がある。見かけに反してかなり早い時期から噴水としての機能はなくなっている。


プール点検(後述する)のときにはプールから上がらなければならなかったが、このとき徒渉プールで中央近くに居るとプールサイドまでバチャバチャ歩きながら戻ると時間がかかるので、中の島に上陸して休むことがあった。当初はここで休むのも認められていたが、後年はプール点検のときここに居てはならずプールサイドへ移動するように促された。

プールサイドには正方形のコンクリート板が敷き詰められている。これは初期に常盤通りの歩道に使われていたものと同じ素材と思われる。同種の施工を要する場所はインターロッキングに置き換えられているため、この素材は絶滅危惧種である。
プールサイドの外側はかなり広く余裕をもった設計となっており、芝生化された余剰地にはメタセコイアが何本も植えられている。このため景観的に優れているが、他方で秋季を迎えてメタセコイアが落とす枯れ葉や枝がプールサイドに堆積し清掃が大変な状況にもなっている。最初期にはここにビニールシートを敷いて泳ぐ傍ら木陰で休憩するといった使われ方をしたようである。
【 飛び込み競技用プール 】
かつて50mプールの北側に飛び込み競技用のプールが存在した。
画像は昭和50年に国土地理院によって撮影された航空映像である。正方形の飛び込み競技用プールが写っている。[b3]


このプールは山口国体に合わせて昭和37年に完成している。競技のときにのみ使われ一般の利用はできなかった。50mプール側から出入りする通路があったが、常に塞がれていた。一般に公開されたことはないため写真が手元になく個人的にも一度も飛び込み台やプールを間近で見ていない。飛び込み台は3段形式で50mプール側からも見えていた。
平成初期に宇部市野球場が拡張されたとき取り壊され現在は野球場および1階にある宇部市体育協会などへの来訪者向け駐車場になっている。
【 休憩所とテラス 】
25mプールと50mプールの間にはコンクリート製のテラスがあり、その下は日差しを避けて休むことができるスペースとなっている。


休憩所の屋根部分の端には手すりが設置されていることから分かるように、かつては一般客が上がって50mプールの観戦ができるテラスとして提供されていた。[b4]しかし手すりが低く転落の危険性があるのを理由に閉鎖されたようである。当初は管理棟にある階段を上り、2階の屋上部分と一続きになっていた。後述する売店と管理棟の間を切り離すことでテラスへ行けなくなるよう改造されている。
【 売店 】
50mプールと25mプールの間には直射日光を避けられる屋根付きスペースがあり、その最も管理棟寄りに売店があった。


プールの営業シーズン中にはシャッターが開き、かき氷なども販売されていた。[b5]
出典および編集追記:

b1.「FBページ|公益財団法人宇部市体育協会(2019/7/31)

b2. その後同じ素材が一般家庭の玄関付近の壁面として使われている例を見つけている。当時の一般向け素材だった可能性がある。

b3.「国土地理院|1975/2/24撮影

b4.「広報うべ(昭和47年8月1日 No.494)」の表紙には管理棟の2階と屋上に一般客が登って応援している写真が掲載されている。また、同広報(昭和33年7月25日 203号)にある”宇部プール見取図”では管理棟2階の屋上と休憩室テラスが一続きになっている。

b5.「FBページ|公益財団法人宇部市体育協会のタイムライン」では、かき氷の暖簾の写真が掲載されている。
《 付帯設備 》
ここではプールエリア内にあるが、一般利用者が特に関知することがなかったり公開されることのない設備群をまとめて記述する。
【 ポンプ室 】
50mプールの北側にあるコンクリート造り平屋で、すべてのプールの水質と水量を維持管理するもっとも重要な設備である。一般利用者が関知することはなく、開口部など危険な箇所があるため扉は施錠されている。


ポンプ室は周囲より一段掘り下げて造られており、すべてのプールの水を循環させている。25mプールと徒渉プールは物理的に繋がっているが、独立している50mプールとも共用して維持管理されている。利用者が多くなればプールより水が追い出されて水量が減り、その後上陸すれば水位が下がってしまう。また、利用者が泳ぐことで水質が悪化するため常時水道水を導引して入れ替えられている。離れたプールの水量管理はポンプ室にあるバランスタンクを介して調整されている。

かつては小中学校のプールにもよくみられた小さな円筒状をした白い玉を投入することで塩素消毒を行っていたが、現在はそれより安全性の高い薬品を混ぜて供給している。

最初期に設置された循環用タンクは、系統から切り離されているものの使われないまま現在もポンプ室内に存置されている。その銘板には昭和34年とあるため、最初期に50mプールが造られたときには循環機具系を設置せずに運用していた可能性がある。

現在運用しているポンプも当時のものに改修を加えて使っており、交換する部品が既に存在しないという。更に当初使用していたタンクやポンプが格納されたエリアの上部を分厚いコンクリートで覆ってしまい、ガントリークレーンも設置されていないためポンプを吊り上げメンテナンスする手段がない。旧式のタンクはそもそも建屋を解体しなければ搬出不能である。

2018年の営業時も既存のポンプの不具合があり、何とか応急措置を行ってシーズン中を凌いでいる。類似する不具合は2019年現在の営業期間中にも発生したと言われる。全面的に改修するにはプール建設においてもっとも多額の費用がかかる部分であり、プール再建が躊躇される要因になっている。
《 歴史 》
現在ある恩田運動公園のエリアには、昭和15年に皇紀二千六百年記念事業として陸上競技場が整備され、翌年昭和16年に宇部市野球場が建設されている。

昭和32年4月1日よりプール建設が始まり、翌年7月にまず50mプールが完成した。当時は宇部プールと呼ばれ、7月27日にはプール開きと共に市民水泳大会が開催されている。[c1]同じ年に25mプールと隣接する徒渉プールおよび循環ポンプ系の設備が竣工している。更に翌年の昭和34年には俵田翁記念体育館が落成することで現在ある恩田運動公園の原形ができた。昭和37年には山口国体の競技で使用する飛び込み競技用プールが完成することにより、関西随一のプールとなった。恩田運動公園としては山口国体開幕の昭和38年に合わせて開園している。[c2]

プールの建設は山口国体前に集中しており、国体の受けいれ基盤を整えるためだったと思われる。しかし国体競技には直接関係のない25mプールや徒渉プールが建設されたことは、国体を期に広く市民に水へ親しんでもらう環境作りをする意図もあった。昭和30年代と言えば市内でも多くの砂浜が海水浴場に指定されていたし、真締川や厚東川でも領域を制限した上で泳ぐことが公的にも認められていた。他方、深みに足を取られて溺れたり宅地化の進行によって河川の水質も悪化しており、安全かつ清潔な環境で泳げるプールが求められていたようである。

前述のように、平成初期に宇部市野球場が公式戦仕様に改修されたとき50mプールの北側にあった飛び込み競技用プールが取り壊されて駐車場となった。また、50mプール西側にある観覧席の外側と野球場の間はメタセコイヤ並木がある道よりも広いアスファルト通路だったが、野球場の外周が拡張されたことにより現在のような狭い通路となった。
出典および編集追記:

c1. 宇部市広報(昭和33年7月25日発刊 第203号)

c2.「宇部ふるさと歴史散歩」p.89
恩田運動公園水泳プール|宇部市リンク切れ
および「宇部市体育施設(宇部市教育委員会作成)」による。
《 近年の変化 》
記述量が増大し、その殆どがプール廃止関連の内容なので、2019年までの記述はすべて「プールの廃止について」へ移動統合し、以下は2020年からの内容のみを記述している。

・2020年5月までに(株)インターンへの登録会員向けエッセイを提出した後、6月度は恩田プールについての記述を要請された。これを受けて同月27日に市スポーツ振興へその後の状況を尋ねに行った。合わせて2度目の撮影を行うための許諾を得た。

・同月29日に再度の恩田プール内の詳細な撮影を行った。この映像を元に作成されたエッセイが6月下旬より限定公開記事として関連サイトから配信される予定。

・6月9日にたまたま恩田運動公園を訪れたとき、徒渉プールの水が抜かれていることに気付いた。今季の営業がないのは既定事項であるが、梅雨時期を前に雨水あふれを防ぐために空にしたものと思われる。

・2021年5月29日より徒渉プールと25mプールの解体撤去作業が始まった。老朽化したプールを単純に撤去することが目的ではなく、同じ場所に幼児向けの安全な水遊び場を建設するためである。このため工事看板には解体撤去工事の文言が現れていない。同月31日観察の時点で25mプールと徒渉プールの間を仕切るコンクリート桟橋が除却された。新しい水遊び場建設まで暫くかかるので、本件を継続監視対象物件とする。
プールの廃止について
情報この項目は記述内容が多くなったので独立記事に分割しました。詳細は項目に張られているリンクを参照ください。

2018年12月と2020年5月の2度にわたって恩田プールの記録目的で場内視察したときのレポート。全3巻。収録画像60枚。文字数約15,000文字。(2020/6/17脱稿、同月末配信開始)
時系列記事: 恩田プールの記録【1】
【 限定公開記事ダイジェスト 】
以下に上記限定公開レポートにある500文字(但しタグや埋め込みオブジェクトを除く)を掲載する。
12月5日の水曜日、私はたまたま市役所を訪れる用事があった。同時に先週のプールの件を思い出してスポーツ振興課副主幹のKさんを訪ねた。私が先週の件を話したとき、Kさんはデスクへ戻って暫く電話応対した後、カウンターに居る私の所へ戻ってきた。
「今、プール管理棟の詰め所に居るHさんに伝えときました。今日はずっと現地に居られるそうですよ。」
外出が多いKさんだが、私が訪れたときは運良く在室していた。更にオフシーズンで無人となるプールも今日はたまたま場内清掃で担当者が出勤しているとのことだったのだ。
「Hさんは詰め所勤めが長くうちもとても頼りにしてるんです。大抵のことは知っちょってですからいろいろ尋ねてみてください。」
「ありがとうございます。では、行ってみます。」

恩田プールを撮影したい。それもフェンスの外から見えるプールの風景だけでなくプールサイドまで近づいて。管理棟の中にあり、学童期に海パンに履き替えたあの薄暗い男子更衣室やシャワー室も。それは私の脳裏に映像として記録されているだけで、未だ撮影はできていなかった。一連の風景を誰もが見られる画像に記録したい。恩田プールのお世話になった市民は…
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(外部サイトは閉鎖され記事の公開は終了しました。今後は紙媒体での発行を考えています。)
外部サイト: 「凜」RIN - 友の会
出典および編集追記:

5.「『恩田スポーツパーク構想(素案)』に対する意見を募集

6.「屋根付きグラウンドなど新設 恩田スポーツパーク宇部市素案|山口新聞

7.「廃止か更新か議論の中、恩田プール一般開放始まる|宇部日報」
最後の夏、水遊び楽しむ 宇部の恩田運動公園水泳プール|山口新聞

8.「市民プール存続呼び掛け、宇部市水泳連盟が署名活動|宇部日報

9.「『市内に新たなプールの整備が必要』は54%、市民アンケートの一部を公表|宇部日報
《 個人的関わり 》
幼少期におけるプールとの関わりが極めて多く濃厚であった。以下、時期を分けて記述している。なお、一部に恩田プール以外の水泳関連の話題も収録している。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

近年のプールとの関わりは、施設の利用そのものではなく専ら記録目的である。今後の恩田プールの存続はともかく、幼少期に慣れ親しんだプールが姿を喪うのなら当然のことながら詳細を記録する。学生時代には登下校路として毎日傍を通ったし、夏休みに泳ぎに行った濃厚な想い出があるなら尚更のことであろう。

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