白岩公園・第六次踏査【序】

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現地踏査日:2013/10/22
記事公開日:2013/10/28
白岩公園という驚異の遺構の存在を書籍で知り、現地を数回踏査してそこに眠る数々の遺構を調べ上げてマップを拵えて既に半年以上経つ。最後に訪れたのはいつだったろうか…

手元にある写真を調べると、今年の3月末に撮影したものが最後だった。当サイトの記事で言えば第五次踏査にあたる。その後現地にはまったく訪れていない。
5月の子どもまつりでは新天町アーケード街で研究会名義で白岩公園関連の写真と再現CG掲載を行ったが、客足は芳しくなかった。[1]子どもまつりが終わると、他の物件の踏査や記事制作に労力が向けられるようになり、白岩公園に関しては暫く何の活動も行われていない。
それは白岩公園に関して「概ね調べ尽くされたから」からではなく、季節的に藪の中へ分け入ることが困難になるからという理由以外にない。

実際、今年は暖かくなるのが早かったせいか、3月末には毛虫などの不快害虫を目にするようになった。草木も新芽を伸ばす時期であり、そうなると白岩公園に限らず藪漕ぎ絡みの踏査はすべてお預けになる。いくら刺激的な新規物件の前には藪漕ぎの苦労を厭わないにしても、サバイバルゲームの如くいたずらに藪へ突進する積もりはなかった。今データ採取しておかねばなくなってしまう瞬モノ物件なら待ってはいられないが、白岩公園が突然ブルドーザーにより全面的に造成されて形を失うとか、新興住宅地に化ける可能性は殆どない。踏査の時期を選べる物件と認識していたので、ちょっと一休みしていただけである。

踏査が行われない間も図書館から借り出した書籍や読者から寄せられた関連情報のお陰で、白岩公園に関する知識は最初期よりもずっと豊かになった。総括記事でも触れているように、現在では設園者は元よりその趣旨、原形ができあがった時期、園内にみられる諸々の展示物などの設置背景などもかなり詳細に分かっている。しかも「分かってしまえば終わり」ではない。明白に分かったのは法篋印塔や大自然の大岩、五重塔など主要な作品だけである。その他現地で見つかったものの書籍に掲載されていない遺構の殆どは、未だに正体が分かっていない。特に踏査の後半部分で明らかになった忠魂碑や倒壊した御堂にの近くにあるとされる祠は、所在場所を特定できないまま3月末のオフシーズンを迎えてしまった。

現地踏査すれば手がかりが得られそうな未解決の案件を抱えたまま何もしないでいるというのは、かなり居心地が悪い。「行きたいときが踏査どき」は真としても、藪漕ぎ物件だけはそう簡単にいかないのを身体で覚えていた。大丈夫…白岩公園は逃げはしない…藪の勢いが衰えるせめて秋口まで待ってから行動を起こそう…

10月に入ると、市内を舞台とするビエンナーレに合わせて「まちなかアート・フェスタ」なるイベントが開催され、その中で市内の風景を捉えた写真の掲示を行うチャンスを得た。それ以前にFacebookで開設していたページを通して知った読者もあり、一連のイベントを通して再び白岩公園への関心が高まり始めた。現時点でも現地踏査会があればぜひ参加したいという希望者が数名あり、私自身もそろそろ下準備が必要と考え始めていた。

11月上旬には一年を通じて市内最大のイベントである宇部祭りが開催される。これを受けてパネル展示する写真の抽出を開始しているところであり、祭りが終わったら11月中に白岩公園の合同調査会を行う予定である。これに先立ち、案内役を務める私がやっておかなければならないことがいくつかあった。
(1) 初めて訪れる参加者でも心配なく歩ける状況か?
(2) 半年前から変わっている部分はないか?
(3) どのようなコースで見学者を案内するのが良いか?
未だ藪に埋もれたままの白岩公園は晴れた日であろうと常に薄暗い。そういった山道を歩くのは苦手だという見学者は残念ながら現時点で白岩公園を訪れることは能わないと思うが、かと言って主要な遺構を見学するにも足元が極端に悪かったり、鎌や鉈を持って道を切り拓く場面があったりしたら普通の人は敬遠するだろう。半年経った今、白岩公園がどういう状況か実態把握しておく必要があった。

この目的で下見を兼ねた第六次踏査を行った。したがって第四次踏査と同じく新規物件の調査や探索を目的とはしていない。既知の物件をおさらいし、今の状況を記録することを主眼にした撮影を行っている。白岩公園の概要をある程度知り、公開済みの記事をお読みになっていることを前提としているので、本編では被写体の詳細な説明や存在場所については簡単にしか触れていない。
また、今回の撮影を終えた後、デジカメの画像サイズを誤って通常(1600*1200)より大きなものに設定(2048*1536)してしまっていたことに気付いた。掲載している画像はいつもと同じサイズに縮小しているが、本編および後続記事に掲載された写真には暗くて画質がよくない割に読み込みが重いかも知れない。

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10月22日の午後、仕事で高嶺園を訪れる便があった。この日は他に仕事の訪問先がなかったので、高嶺園からテクノロードを下ったところにある中山観音に車を置いて白岩公園へ歩いて行くことを画策した。

白岩公園の入口部分は、軽四なら乗り入れられることは検証済みであり、他に何処も寄るあてがないのなら今回もそのようにしていた。
白岩公園とはまったく無関係だが、中山観音の前、県道琴芝際波線が直角に左へ折れる敷地にスーパー丸喜ができることとなり、造成が始まっているという情報を得ていた。最近は景観が大きく変化する場所の写真を撮る習慣がついているので、まずは駐車場から造成地まで歩いて周辺を含めて撮影した。
一連の写真は将来的に県道の派生記事で公開することになるだろう

造成工事中の写真を撮り終えた後、車には戻らずにそのまま県道を白岩公園まで歩いた。
中山観音の駐車場まで戻って車を回してもよかったのだが、現地踏査会をするなら歩いてどの程度かかるかを知りたいというのもあった。
現地踏査会を行うなら車での集合場所は中山観音が妥当なところだろうが、歩く距離がちょっと長い。コースも重要で、廣福寺裏手の八十八箇所は最短距離になるものの登り坂がきつ過ぎる。何処を歩こうか…などと思案していた。

ところが相当歩いた後になってやっぱり車を回すべきだったと後悔した。この日は10月下旬というのに気温が高く、長袖一枚でも歩くには暑すぎた。まして県道を歩くと白岩公園までは急な登り坂になり、目的地へ到達する以前にかなり汗をかいてしまった。

さて、途中経路の写真は全部端折ったが…
常盤用水路を横断し、軽四を一台だけ留め置けるあの余剰地に来た。正式な入口か未だに分からないが白岩公園に至る入口の一つである。


水路を跨ぐ石橋は変わらないが、その先の山道が何だか荒れている感じがした。どうやらイノシシが鼻で掘り返したようだ。
この先の面河内池に至る道でもそのような痕跡がよく見られた

この山道に入って数歩も進まないうちに頭からクモの巣を浴びた。痛いなんてことはないけど気持ちが悪い。
それから注意して歩いたが、結構あちこちに張っている。これは別の場所だがクモの巣の糸が見えるだろうか。
写真で横方向へ直線に伸びる筋がそうである


まあ、あと半月もすればもう少し状況は変わるだろう。自分が先頭を歩いてナビゲートするので、先頭が人柱になれば後続の参加者はクモの巣攻撃とは無縁だ…^^;

白岩公園に特有な遺構が見え始める最初の場所。以前、園内で拾ってきた野球のボールを置き去りにし「ボール橋」なんて勝手呼称した場所だ。


半年も経てばさすがにボールは姿を消していた。
誰が片付けたのか知らないが自分以外にも通る人が確実にあるということだ。
あるいは後で出てくる特高線の維持班か…


ここまで歩くのに汗がじんわり滲むほどだったから天候は悪くない。しかし日照は今ひとつで、影に入るとフラッシュが勝手に作動した。そこでフラッシュ強制オフモードに切り替えて撮影している。

忠魂碑に向かう沢は辿らなかった。最も難易度が下がる3月に入ってもなお藪がきつく探索が難航した場所だ。今行けるとは思えないし、何処をどう通れば確実に到達できるか経路が確立されていない。現地踏査会でも案内は考えていない。
白岩公園コース側からアクセスできる可能性は残されている

そこを通り過ぎ、これも見覚えのある遺構に出会う。
石積みの先に石段があるあの場所だ。思えば初回踏査でここが白岩公園であることが未だ確信できないうちにまみえた最初の遺構でもある。


何か重要なものが石段の上の敷地にあったのは間違いないにしても、未だに正体が分かっていないものの一つだ。


恐らくは御堂などがあり、道としては行き止まりになっていたと考えている。現地踏査会では下から眺めるだけだろう。敷地には何もない。そのことはもう数度ここを訪れて確認済みである。

この敷地を過ぎると、山道はいよいよ白岩公園の中心部に向かって登り坂になる。
新たに枯れ葉が積もっているのは想定済みとしても、何だか前回最後に訪れたときより再び荒れているように思われた。
特に目の前に転がっている石材3個…前回訪問時もこの状態だっただろうか


下へ降りる石段があってその先の沢には勝手呼称の「梵字池」がある。
梵字の刻まれた石材は再び泥を被ったのか園路からは確認できない状態になっていた。


最後に訪れたときより荒れているのではという予感は、一部当たっていた。
新規に倒れかかった樹木が園路沿いに見つかったのである。根が露出して洞が生じていた。


この倒木はちょっと考え難い存在だ。今年は台風の発生が多いものの半年の間で強い台風の襲来は受けていない。岩が多いために樹が充分深くまで根を下ろせないのだろうか…

逆に枯れ枝が減って以前より見通しが効くような場所もあるように思われた。
ここなど特にそうである。梵字池に通じる沢に、石材で三角形状に囲まれた池を見つけた。この池が今まで確認できていたか自信が持てない。


下池のある中央広場である。
池の排水が巧く機能していないのか、山からの湧水が多いせいか広場の半分くらいは水に浸っていた。もっとも乾いた部分もあり先へ進むのに支障はない。


ここから左への分岐に薬師如来が格納された祠が知られている。
そこへ至る道の石積みの下には、また別の樹木が根こそぎ倒れかかって洞を生じていた。


薬師如来への接近はそれほど困難ではなかったが、元々の経路がまた落ち葉で隠され分からなくなっていた。


メインの園路から分岐する殆どすべての小道も同様で、石段が完全に埋もれて判別しづらい場所もあった。
それから相変わらずクモの巣が目立つ。いくら先発ナビでも頭から被りたくなかったら、木の枝なりを持って先をよく見て歩かなければならない。


凛々しく岩の上に建つ五重塔。
樹木よりはるかに不安定そうに見えるのに、設置されてから恐らく一度も倒れた形跡がないのが不思議である。


法篋印塔へ至る三連続の石段は落ち葉の堆積が酷い以外、特に困難はなかった。
もっとも木の葉で足元が滑りやすく、視察会を開くなら参加者に注意喚起する必要がありそうだ。
普通のスニーカーでも大丈夫と思う


半年振りにまみえる法篋印塔だ。
全体的に落ち葉が量を増している以外、景観は変わっていない。


個人的にはこのような石塔に造詣が無く、あまり興味もない。それでも白岩公園の設園背景を知ってしまった今は崇高なものを感じる。


何の予備知識も持たなかったずっと昔の自分なら、鑑賞と言うよりも墓石のようで薄気味悪いと感じられた筈だ。それは現地踏査会に初めて参加することになる多くの人も同じに映るだろう。人は自分の中で理解できないものを遠ざける、忌避する傾向があるからだ。
宗教的要素を度外視して純粋に法篋印塔を眺めたとしても、その精密度は特筆に値する。最頂部の4枚の石羽根を人の手で削り出すのにどれほど細心の集中と労力が注がれたかを想像すれば足りるだろう。

法篋印塔の雛壇前は石のベンチがあり、半年前と同じ状況のまま周囲から拾い出された瓶などが置かれていた。

現地踏査会で案内しないと思うが、この先で個人的に確認しておきたい場所があり、そこへ向かった。
法篋印塔から左手へ伸びる山道である。


この山道の途中から少しばかりの藪を隔てて別の小道が見える。
普通の人が見れば何を撮ったか分からない写真だろうが、私自身はこの一枚だけでも分かる…


足元には低いシダ類が這っているだけで、クモの巣さえ気をつければ突っ切れる藪だ。
実際は山道をもう少し先に進めば目の前の小道へ通じているのだが、遠回りをするのが嫌でここから直接進攻した。
果たしてターゲットへ到達することができたが、この強攻策が後でそれほど笑えもしない大変な事態を引き起こすことになった。
多分笑い事だろう…しかし現地の自分は泣きたい気分でもあった…

(「白岩公園・第六次踏査【1】」へ続く)

出典および編集追記:

1. 研究会名義として初めての祭り出店であり、事前告知が少ないためや知名度が低かったこと、子どもまつりという性格上アーケード街の通行人は子ども連れの若い世代が多く、懐かしい写真という目で見る人が少なかったのが理由と思われる。

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