常盤公園・憩いの家再生ワークショップ【第一回】

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現地撮影日:2015/8/22
記事編集日:2015/11/11
「憩いの家」が蘇りそうである。
この情報を耳にしたのは、例によって即応的な情報交換を行っている Facebook のタイムライン[1]であった。情報の発信元は常盤公園の公式アカウントからで、再生・活用法を皆で一緒に考えるためのワークショップが開催されるという案内であった。

この告知に接する以前は、私の中では再生活用するというよりはむしろ危惧があった。既に公開している記事からも分かる通り、憩いの家は傷みが酷いため修復不可能とみなされ取り壊されるのではないかと思っていたのである。入口が閉鎖され外壁に「利用を禁止します」の貼り紙が提示された状態で既に数年が経過していた。

憩いの家という市民の共有財産に手を入れる前にどのような形で改修するのが望ましいか広く意見を求める場が持たれるわけで、最近よく見られる大変に良い傾向である。私の中では前々からの要望があったし、意見を述べる場が設定されていながら参加せず後からああだこうだと言うのは良識人ではないので、すぐにメールで参加申し込み手続きを行った。同時にこの情報をタイムラインでシェア[2]したところ、メンバーの多くからも関心が集まり、再生手法や利用方法についての提案がなされた。
物件の発見的な記録を写真と共に遺すものが多い当サイトの記事からは些かかけ離れるが、先々で憩いの家がどのような過程で生まれ変わることになるのかを記録するのも必要と感じ、特定記事として記録する。以下は当日の流れを時系列で追った記述である。

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当日(8月22日)は朝からチリチリになりそうな程の暑さだった。天気が良いしこのワークショップの後で西岐波方面へ仕事で出向く用事があったので、自転車で行った。

ワークショップの会場は中央入口にあるときわレストハウスの2階である。
自転車でここへ乗り付けるのは久し振りだ。
以下状況の記録が目的なのでいつもより小さめサイズの写真で掲載している


参加者が迷わないように入口に貼り紙がされていた。


入ったところに階段があり、そこにも階段を上がった2階が会場であることを案内する貼り紙があった。

会場入口に受付があり、そこでチェックを受けた。


メールで申し込んでいるので、リストと照合しチェックした上で白紙の名札を渡された。裏側には番号が記されていて番号のあるグループの席へ着くことになっていた。
私が訪れたのは開会5分前で既に会場は数十人程度の参加者が入場していた。誰か知った顔は居ないか見渡したがどなたもいらっしゃらないようだった。

私の名札は1番グループが割り当てられていた。
一番前のテーブルである。しかも更に司会者側に近い一番前の席だけが空いていた。


既にテーブルには5〜6人の参加者が着席していた。テーブルの上に置かれたマジックを使って白紙に名前を書いて名札を作った。

最初に市担当者から開会の挨拶があり、憩いの家の成立経緯が語られた。この過程で憩いの家が元々は楠町吉部に実在していた民家で、昭和38年にこの地へ移設されたことが分かった。常盤公園とどういう関係があったか、この場所が選定された理由は分からない。今まで相当年数閉鎖されたまま放置されていたわけで、今後は憩いの家のみならず周遊園路との連携も含めた再整備が計画されているようだ。
次に憩いの家の改修設計などを担当する建築工学の教授が紹介された。お名前を失念してしまったが、園内の花壇や建物などのデザインも担当なさったということだった。また、教授のゼミ生と思われる学生が数名づつ各グループの席に配属されていた。

テーブルの上には参加者向けの資料として憩いの家付近の平面図と間取りをCADソフトウェアで作成した印刷データがあった。これを元に憩いの家の現状が説明された。現在公開されていない理由は、およそ想像されていた通り屋根が落ちそうなほど傷んでいて危険なためであった。外からは分からないが、屋根の最上部には穴が空いて雨が入ってくる状態という。内部を撮影した写真がスライドで提示されたが、参加者による現地視察もワークショップとして盛り込まれていた。この後、参加者全員で憩いの家へ向かうこととなった。

一旦レストハウスの外へ出たとき、参加者の半数以上が憩いの家に慣れ親しんでいたと思われる年配の方と分かった。レストハウスから憩いの家までそれほど距離はないが、暑い中を歩くのが辛い高齢者などにも配慮し電気自動車も駆り出された。

現地へ到着したところ。
青いウェアを羽織った常盤公園担当者が先行して玄関の鍵を開けている。


玄関の鍵が解かれると、一部の参加者は中に入り傷み具合を視察した。もっとも上がり込めるのは玄関の土間と奥の炊事場部分だけで一度に入れるのは精々十数人のせいか、殆どの人はざっと見ただけですぐ退出していた。

長時間居座ってしげしげと観察しカメラに収める人は僅少だったので、私は真っ先に入り一番最後まで撮影を続けていた。内部を見られるのは数年ぶりのことだし、今後改修されて少なからず今ある姿から変わってしまうなら記録が必要だ。今回のワークショップに参加したのも意見を提示するのが半分、憩いの家の内部を撮影できるのが半分といった目的からだった。

室内の畳は雨漏りの影響を受ける中央部付近のみ剥がされていた。観察しやすいよう電灯が点けられていたものの上がり込むことはできなかった。


今回、玄関の先にある炊事場は初めて丁寧に観察し撮影できた。撮影枚数が多く詳細な記録の必要があるので通常記事向けの画像サイズで派生記事を作成した。
派生記事: 憩いの家【2】
滞在時間はものの十数分で、その後再び歩いてレストハウスまで戻った。
熱中症対策ということで冷たいお茶が提供された。


グループの席へ戻りお茶を飲みつつしばし休憩タイム。
レストハウスは空調が利いているので快適である。


休憩後、まずグループ内での自己紹介が行われた。第1グループは私と常盤公園担当者一名、生け花やお茶会で憩いの家を利用していた年配者3名、そして筆記係の学生2名だった。それから手元の資料と先ほど現地視察してきた結果を元にグループ単位での話し合いに入った。

議論すべき対象としては、現在ある憩いの家をどのように改修するかというハード面と、改修後の憩いの家をどのように利用するかというソフト面に分けられる。現状、今ほど酷く傷んでしまっているので再利用するなら安全に使える形で手を加えることは必須となる。それ以外でハード面で考慮すべき次のような問題が提示された。
・土間や和室の間に段差がありつまづきやすい。
・憩いの家自体が周囲より低い位置にありスロープがきつい。
・昭和の暮らしを今に伝える民家としてなるべく現状は保存したい。
概ね昔の家は古代の高床式住居の流れを受けてか床が高く造られている。家の中に土間の通路があって、土間から部屋まではかなりの段差があるのが普通だ。憩いの家でも土間と和室の段差は80cmもある。これは夏でも涼しく過ごし湿気を溜めない工夫ではあるが、現在のバリアフリーという概念に相反する要素がある。特に生け花やお茶会で利用するときは和服なので、極端な段差は跨ぎ越しづらいし危険でもある。実用性を優先させるならこうした段差を減らす改修が必要だが、手を加え過ぎるとおよそ昔の民家の姿とはかけ離れてしまう。これは実際に改修を行うとき何処まで手を加えるかさじ加減が難しいところだろう。

また、憩いの家は敷地自体が周囲の園路より低い位置にある。すぐ横を常盤用水路(上溝)が通っていることからも、かつて常盤池の方へ向かう小さな沢地だったようで、今の憩いの家もある程度盛土した上に造ったように思われる。それにしても現状まだ周囲より低いためどの方向から訪れるにしても下り坂になる。帰りは周遊園路に戻るのにスロープとなり、これは車椅子や高齢者にはきついという指摘があった。高床式ながら憩いの家周辺に湿気が多いように感じられる遠因かも知れない。

ソフト面としては従来通りの生け花やお茶会としての利用の他に、現状の昭和初期を思わせる外観が保たれることを前提に常盤池や公園の歴史を学ぶ寺子屋や資料館としての利用が提案された。
特に必要なこととして再度人の流れを呼び寄せる工夫が要るという意見があった。如何にも現状なら初めて訪れた人なら珍しい茅葺きの家があるのを見つけて近づくだろう。しかし壁に「憩いの家の利用を禁止します」の貼り紙があれば、中には入れないのでそのまま立ち去らざるを得ない。その状況が何年も続いてきた。この貼り紙は園路からも見えるので、来園者には「何も変わっていない」と映る。それだと次に何か目立った変化が見られない限り来園者が足を運ばないのは当然である。例えば来訪者向けの自由帳を置き、立ち寄った人が意見や要望を書き込めるなら、今回のワークショップに参加できなかった人からの要望を吸い上げることができるという意見もあった。

話し合いで得られた意見は学生が逐一付箋に書き込んでいた。こうしてグループの意見が出たところで発表タイムとなった。
これは第1グループの成果である。
これのみある程度文字が読めるよう大きめのサイズにしている…一部画像を加工済み


グループ代表に指名されトップバッターとしてマイクを持って概要の発表を行った。
私はキーボード叩いて文字を書くように特化した(?)人間なので、マイクを持って人前でしゃべるのは大変に苦手である。話し合いの時間が長く割り当てられていたので、各班の発表タイムがそれほど無いと思い付箋のデータを元に手短に発表した。もっともグループ代表でマイクを持たされた以上、自分が特に訴えたい部分を重点的に主張した。
・昔の暮らしぶりを今に伝える資料という位置づけでこの場所に憩いの家が造られた意義を尊重し、可能な限り外観も内部も現状を保存して欲しい(特に茅葺き屋根や囲炉裏など)
・ただし昔の家は現在のいわゆるバリアフリーに相反する要素がある。両者を相互に譲歩させる改修が必要。
・寺子屋のような昔の教育施設、常盤池や常盤公園の歴史を伝承する資料館としての利用。
グループは6つあり、引き続いてすべてのグループが話し合いの結果を報告した。参加者が憩いの家をよく知っている世代のせいか、やはり現状をなるべく保存して欲しいという意見が大勢だった。この辺りはおよそ予想される結果ではあったが、改築方法や利用法について私たちのグループでは思いもつかなかった提案がいくつかなされた。特に印象的だったものを以下に掲載する。
・宿泊所としての利用。今の子どもたちは畳の部屋を知らない。畳の部屋に布団を敷き蚊帳を吊って寝る体験ができる場所は貴重。
・今の場所は周遊園路から低く湿気が溜まりがちで景観も望めない。可能なら別の場所への移設を検討しても良いのでは。
・ぼたん苑のぼたんをもっと充実させて欲しい。裏庭にあるロックガーデンも併せて整備を。
・外観はそのままで小じゃれたカフェ店に改造すれば若い世代の足も向かいやすくなる。
・周遊園路をジョギングする人たちの休息地としての再整備。
・囲炉裏を含めて火を使えるようにして欲しい。
・トイレは水洗化されているが和式なので洋式に変更する折に別棟へ移動しても良いのでは。
・現状は憩いの家の歴史を伝えるものが何もない。来園者に分かりやすくするためにも必要。
・土間は現状のコンクリートから昔ながらの三和土に戻しても良いのでは。部屋との段差には踏み台を置き必要以上に手を加えない。そもそも昔の家は現代社会から見れば使いづらく不便なものである。便利さに慣れきった中、こういった「不便な家」を一つくらい残しておいても良いと思う。

設計を担当する教授はグループ代表者の意見に頷き、ときに追加質問もされた。私も来訪者向けの自由帳について言及したとき詳細を尋ねられた。これは同様のものが二俣瀬のビオトープに置かれていたことからの想起であった。
提出された意見の書かれた付箋はすべて回収し吟味され、憩いの家回収にあたっての設計や仕様に参照されるということだった。

最後に手元の感想票に本日のワークショップに対する感想を記入して提出することとなった。これを提出しないと「単位がもらえない」そうである…
せっかくなので既に公開している憩いの家のアドレスと宇部マニアックスを宣伝しておいた。
一部画像を加工している


受付で渡された名札は、名前を書いた札を持ち帰ることができた。今回のワークショップに基づき憩いの家の改修方法と仕様が検討される。素案ができたとき第2回目のワークショップが予定されているという。その案内は今回の参加者には別途通知するということだった。
こうして第1回目の憩いの家再生活用のワークショップが終了した。午後1時に開始し午後4時まで3時間にわたる会合だったものの議論白熱していれば時間の経つのはすぐだった。時系列的には記事の冒頭で書いた通り業務として自転車で西岐波方面に向かった。

なお、一連のダイジェストは Facebook の[3][4]でメンバーに報告している。本ワークショップでこれほど熱く意見を述べてしまったからには、当然ながら第2回目が開催されれば参加することになるだろう。その折りには続編として記事化を予定している。

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続編記事を作成したのでリンクで案内しておいた。

(「常盤公園・憩いの家再生ワークショップ【第二回】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「【ときわ公園「憩いの家」の再生・利活用を考えるワークショップに参加しませんか?】」による。

2.「【常盤公園・憩いの家の再生活用に関するワークショップについて】(要ログイン)

3.「憩いの家・再生活用を考えるワークショップに参加しました」および
憩いの家・再生活用を考えるワークショップに参加しましたの続き(要ログイン)

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