わたり公園

インデックスに戻る

現地撮影日:2012/4/15
      2014/4/23
記事作成日:2014/4/28
わたり公園とは、大小路2丁目にある自治会管理の小さな児童公園である。
写真は入口付近の映像。
逆光で巧く写っていないのでこの写真を含む以下3枚は一昨年撮ったものに差し替えている


この公園の入口を中心にポイントした地図である。


この辺りに一度も来たことのない方は、地図だけでは到達が難しいかも知れない場所だ。琴崎八幡宮から時雨川に沿って進むか、市道丸山黒岩小串線山門八十八箇所がある付近から急な下り坂を降りた先である。
公園の近辺を含む周囲の道はすべて地元管理の道で、認定市道はない。それ故に小さな公園ではあるが派生記事ではなく独立記事として記述している。

入口部分には車が乗り入れて駐車場代わりにしないようバリカーが設置されている。
このバリカーは直近に撮影で訪れたときには取り外されていた


外部から訪れた人なら興味深く感じられるのが公園の名称だ。
「わたり公園」と平かな表記されている。


公園の標識柱は擬木の柱に平坦な部分を作り表記されている。地元管理の公園では共通するスタイルだ。
後述するように、公園の名前はまさにこの近辺地域の地名に由来する。平かな表記されているお陰で、漢字表記された地名でもその正しい読み方を知ることができる。この地名については末尾に記載した。
派生記事: 渡りについて
公園の中を撮影している。意外にここで遊んでいる子どもが多く、誰も居ないときの方が稀だ。


公園の奥から逆向きに撮影している。
日差しが強いので写す方向によっては白トビしてしまった。


公園は長方形をしていて、適度な芝生に覆われている。それほど広くないので野球をするにはちょっと狭い。

標準的なブランコは、鎖が柱に巻き付けられ短くなっていた。
子どもの頃同じようなことをやった人は少なくない筈だ^^;


隣接する民家は垂直なコンクリート壁の上にあり、公園との高低差は5m以上ついている。
野球のボールが飛び込んだら取りに行くのが大変だ…


高低差のあるコンクリート壁は雛壇状に造られた宅地によるもので、この地勢は渡りを始めとする大小路2丁目付近に共通している。山裾まで住宅地が拡がっており、車ならともかく徒歩や自転車ではかなり足腰が鍛えられそうな場所だ。
踏査頻度がそれほど多くない一つの理由でもある

壁の近くに据えられたベンチはコンクリートの擬木製だった。
公園の成立年は分からないがこういった素材から大体は推測できそうだ。


片隅には砂場があったもののそれほど遊ばれていないらしく草が侵入していた。


公園の出入口を撮影。
地元管理の道は公園の前で屈曲している。ここが近道になるような抜け道経路がないため、外部から入ってきて通行する車は殆どみられない。


さて、遊具としては鉄棒とブランコが設置された小さな公園というだけで他に特徴的なものはない。個人的関わりもなく、興味の対象は専ら公園およびこの地域の名前なのであった。即ち公園名の「わたり」は、漢字で書くなら「渡り」である。
《 渡りについて 》
渡(わた)りとは大字上宇部にある地名で、派生する小字も含めて渡りおよび上渡りが存在する。
写真は渡り団地内にある地名の表記された電柱プレート。


渡りは風呂ヶ迫池の堰堤下側、字山門に接している。上渡りは高田川の上流部にみられる。

漢字・平かなで交ぜ書きされる地名は、市内に於いては常に平かな表記されるものに次いで少ない。蛇瀬川沿いにあるかり川[1]、常盤用水路の終着点である長尺り、小串台にあるいか土が挙げられる。このうちいか土はわたり公園と同種の地元管理と思われる公園である。
派生記事: いか土公園
渡りという地名からは、梶返入口にある渡内を想起させる。渡内はかつての入り海を渡っていた場所に由来するとされるので、大小路2丁目の渡りも同様ではないかと思われる。ただしこの付近に入り海を想定するには些か標高があるようにも思われる。渡っていた対象は時雨川ではないだろうか。

今でこそ大小路2丁目となっているものの渡りは決して過去の地名ではない。それは児童公園のみならず地域の要となる自治会にも用いられている。


上宇部13-5区自治会として明確に「渡り」の表記がある。
これは恐らく単に昔の地名を大事にしたいからという理由だけではない。


渡りという小字のままの方が通りが良いのである。実際、大字上宇部の中では寺の前ほどではないが知名度は高い。それには「動詞そのままが地名となっている」特殊性から覚えられやすい要素があるからだろう。多少なりともこの近辺に関わりを持つ人々には、渡りと言えば今でも充分に通じる。[2]

実際のこの場所は大小路2丁目の7となっている。
郵便物を始めとして場所を特定する手段としては一般にこの住居表示が使われている筈だ。


それでも渡り自治会という小字由来の名称は、わたり公園と同様に消失することはないだろう。住居表示の簡素化という波に抗うように昔からの地名が今も普通に用いられているのは、それだけ地域の人たちに親しまれてきた所以とも言えよう。

この他に渡りの地名が現在も用いられているものとして渡り団地、団地の外側を流れている渡り水路がある。
史跡関連では渡り団地の近くに渡り八十八ヶ所、風呂ヶ迫池の北側丘陵部にある渡り八幡様が知られる。いずれも現在は看る人がなく廃れた状態にある。
出典および編集追記:

1. 隣接して「刈川」と表記される小字も存在する。刈川は手書き表記の仕方によっては「かり川」とも読めるので由来が共通する派生的な小字だろう。

2. 北東側を常盤用水路が通じており、No.4サイフォン呑口が存在する。この場所をかつて常盤用水路の関係者に説明するとき「渡りにあるサイフォン」と言うだけですぐ理解して頂けた。

ホームに戻る