常盤池・土取

溜め池インデックスに戻る

記事公開日:2013/2/3
最終編集日:2023/3/20
常盤池においての土取(つちとり)とは、常盤池に存在する主要な入り江の一つである。
写真は現在の入り江の先端部。


入り江の位置図を示す。


航空映像からも分かるように、入り江の先端部は埋め立てられてときわ公園北スポーツ広場のサッカースタジアムになっている。この改変はおそらく市道丸山黒岩小串線の旧道の経路を北寄りに変えた平成初期と思われる。この切土で発生した残土で沢を埋めてサッカースタジアム等を増築した可能性もある。

昭和49年度撮影の航空映像では、入り江の先端が現在の駐車場あたりまで伸びていたことが分かる。


土取は北に向かって三つ叉のフォーク状に伸びる入り江の一つであり、その中でもっとも幅が広い。

入り江に流れ込む微細な小川はサッカースタジアム整備に伴い暗渠化されている。
この暗渠はサッカースタジアムに面する護岸の2ヶ所に排出口をもつ。


土取は7つある主要な入り江のうち、両岸への接近が最も困難である。周遊園路の支線以外には汀を辿る道や小さな入り江に降りる道はまったく存在しない。
隣接する高畑の入り江との間に形成される半島の先端に岬があるが、古地図にも名前は記されていない。また、岬そのものに到達する道は途中からほぼ喪われており現在のところ未到達である。
高畑の入り江左岸途中から半島を横切ってサッカー場へ抜ける小道は知られている
《 副次的な入り江 》
土取の入り江は常盤池全体から見た場合の呼称で、一般に入り江はその中に汀の突出と窪みを持つフラクタル構造となっている。そのうち地図でも比較的目立つものを副次的入り江として以下に記述する。
【 キャンプ場の入り江 】
入り江の左岸側に3つ程度の副次的入り江を持っている。このうちの一つにときわ湖畔北キャンプ場が設置されている。キャンプ場前の小さな入り江は階段が設置されており、親水設計になっている数少ない場所の一つである。


水位が低下すると親水階段の一番下の段まで露出する。この階段の西側には宇部興産(株)の古いコンクリート境界杭があり、余水吐を改造して満水位が上昇するまでは社有地だったことが分かる。
【 周遊園路枝線の入り江 】
ときわ湖畔北キャンプ場と周遊園路本線を連絡する支線は、土取の副次的入り江の続きである沢に沿って造られている。この沢は周遊園路支線に対して著しく深い。
沢地には満水位でも水が押し寄せることがなく、沢の中には樹木も生えている。


沢の先端部分には常盤池とは切り離された無名の溜め池が存在する。
【 銅(あかがね)の入り江 】
左岸側末端部付近に未知の入り江が存在する。
この場所は初めて訪れた2012年に銅の入り江と勝手呼称されている。鉄分を含んだ水が染み出ていて入り江の先端が著しい赤茶色を帯びていることに依る。


銅の入り江は陸路から到達できる安泰な経路がいっさい存在しない。畑地などは存在したのかも知れないが、少なくとも居住地の痕跡は見当たらず、周遊園路からこの入り江まで伸びる経路が地理院地図には記載されているが、既に道の痕跡も分からなくなっている。

しかしボート経由では到達可能であり人目につきづらい場所のため、常盤遊園で使用していた足漕ぎボートや白鳥丸を係留する場所として使われている。


足漕ぎボートは営業時代からシーズンオフ時の係留地として使われていたらしく、入り江の両岸の樹木にトラロープが結ばれている。早くから運行中止されていた白鳥丸は2014年頃まで半ば沈没状態のままボート乗り場に放置されていたが、後にこの入り江へ移動された。

白鳥丸はこの入り江で暫く浮いていたが、浮力を喪いやがて水没した。この状況はユースホステルのある岬付近から観察できていた。

2019年夏の荒天によりボート乗り場が壊滅的打撃を受け、再開の目処が立たなくなってからは営業を休止し足漕ぎボートもこの入り江に係留されている。
冒頭のGoogle地図にも白鳥丸と足漕ぎボートが写っている
【 到達困難の入り江 】
銅の入り江の更に南寄りに、これよりやや小規模の入り江が知られる。
写真は2013年到達時の撮影。


地理院地図では小さな溜め池が入り江に描き込まれている。写真のように通常水位では入り江だが、水位がある程度下がると入り江の先端部に水が溜まった状態で取り残され浅い溜め池のようになる。溜め池部分と常盤池本体との間は狭い砂州のようになっており、排出口のない窪地となっている。この地形が生じた原因はまだ詳細には調べられていないが、畑地か田だったのではないかと推測されている。[1]

先の入り江と同様、この入り江にも陸路から到達できる道は存在しない。しかしかつては人家か少なくとも人の管理を要した田畑や小屋が存在していたことが明白で、極めて古いコンクリート水路の一部と入り江に倒れ込んだレンガ塀や排水路が知られている。前掲の写真撮影で2013年に到達した一度のみである。

危険が明白なため、銅の入り江と到達困難の入り江は一個人で現地踏査することは勧められない。直線距離で200m程度だが、中山炭生にはその名の通り無数の炭生(石炭を採取するための竪穴)が存在している。その多くは自然に土砂が堆積したり草木に埋もれるなどしているが、一部の炭生は野生動物が横穴を掘って棲息することで排水が効き、竪坑そのままの状態で遺っている。炭生は深いものでは5m近くあり、転落すれば脱出不可能である。
出典および編集追記:

1. 昭和40年代頃に余水吐をコンクリート補強する際に嵩上げされている。これに伴い常盤池の築堤期よりも満水位が1m近く上昇している。このため元は切り離された補助池や畑地だった場所に水が押し寄せるようになったものと思われる。
常盤神社も元は橋がなく満水位が変更されるまでは低水位時に歩いて渡っていた

東側の入江 東側の入江に移動 西側の入江に移動 西側の入江
東條高畑

《 地名としての土取について 》
地名的な意味での土取(つちとり)とは、大字沖宇部に存在する小字の一つである。
以下は小字絵図を元に描いた字土取の領域。一部大字上宇部に含まれる部分があるかも知れない。


小字絵図では沖宇部村領域に記載され、民家や事業所が道路沿いにでき始めてからは大字沖宇部として案内している地図もある。ただし明治期作成の山口県地名明細書にはみられない。

由来として常盤池の本土手を築くのに必要な土を採取した場ではないかという説がある。土採り由来であることはかなり確からしいが、本土手からはかなり離れており違う場所の可能性もある。常盤池以前の塚穴川による水運で移動させたのかも知れない。

地勢的には常盤池の西側にみられる揚場や石切場のような硬い露岩が少なく、風化した粘性土が目立つ。銅の入り江付近の岸辺では寄せる波に削られて露出したかなり大きな石炭が転がっている。

市内で土取という地名は今のところ他に知られていない。山陽小野田市の南平台より西側には土取というバス停名が知られる。地名明細書にも有帆村に土取(つつとり)小村として収録されている。

ホームに戻る