黒見山跨線橋

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記事作成日:2018/4/28
最終編集日:2018/6/27
黒見山跨線橋山陽新幹線の車地付近に架かる里道の跨線橋[1]である。
写真は北側からの撮影。奥に見えるのは第二黒見山トンネルの坑口。


人里離れた山奥にこの跨線橋は存在する。Yahoo!地図で見ても跨線橋はもちろん道路も表示されていない。


黒見山跨線橋がどのような橋であるのかは地理院地図で調べてみるとより明確になる。


山陽新幹線の上を跨ぐ道が確かに表示されている。その線形と等高線を跨ぐ頻度から山道と推測するのは容易だろう。如何にもこの道は四輪が通行することはできず、山陽新幹線の市内通過区間において、物理的に歩行者と二輪だけが通行可能な唯一の跨線橋である。

この道は尾根一つ越えて近道できるという優位性しかなく、車社会の現代においてはこの跨線橋を通る人は皆無である。この利用実態の低さは、山陽新幹線のような交通の大動脈に影響を与える要因として、維持管理という問題を投げ掛けているかも知れない。(→維持管理について
《 現地へのアクセス 》
同じ方面に第二黒見山トンネルの西側坑口があり、そちらへのアクセス路と共通している。
第二黒見山トンネルの記事からもアクセス路として参照する予定

上記の地理院地図をドラッグすると分かるように、山陽新幹線の厚東川橋りょう市道田の小野車地線の立体交差下からの分岐路がある。


新幹線は高い盛土部分を通っていて、その両側に四輪の進攻可能な道がある。北側の道が舗装されていて通りやすい。
6月頃には後述する花畑へ案内する幟が揚げられる


新幹線の土手下に沿って進み(株)田辺商会の事務所前を過ぎると、個人管理する花畑の横を通る。6月中旬には花菖蒲とゴデチアが咲く密かな名所になっている。[2]四輪の通れる道はこれより田ノ小野第4橋りょう(ボックスカルバート)で新幹線の反対側へ抜けている。しかしボックスより先は車を停める場所が殆どない。畑に花が咲く時期には駐車場が解放されているので、花の観賞を兼ねて車を停めるのが良い。

ボックスカルバートをくぐると先にビニールハウスが見えてくる。この道は奥にある花卉を栽培する業者の車がよく通るようで、先は行き止まりでもあり車での乗り入れは勧められない。[3]また、沿線にある栽培所周辺はカメラ撮影禁止の標示が出ているので注意が必要である。

物理的にはビニールハウスの端まで軽トラ程度なら通れる道があるが、先はかなり荒れていて転回できる余剰地も殆どない。これより前で車を留め置くべきだが、ここから更に相当な距離を歩くこととなる。


農機具小屋が正面に見える辺りで荒れ道は途絶えている。そこから左上にJR西日本が整備した点検路が見え始める。


この点検路は下の道とは繋がっておらず、足元の悪い斜面を登る必要がある。
点検路の上から下側の道を撮影。


点検路は線路に近いため、時間帯によってはかなり頻繁に列車の通過音が聞こえる。
植生工が施されたばかりの点検路を進むと、左側に跨線橋へ向かう枝道が見えてくる。


枝道の入口は1m程度の段差があり、地山を階段状に削って通りやすくした痕跡がみられる。
これより線路の方向へ進むと跨線橋が見えてくる。


先述のように往来が殆どないので、春先以降は木々が生い茂ってかなり通りづらくなる。ただし踏み跡が不明瞭になるほど荒れることはない。また、第二黒見山トンネルの坑口方面に向かうには先の点検路を更に進む。途中で一旦下り、溜め池に注ぐ小さな沢を横断して植生工を辿るように進むことでトンネル坑口の真上へ到達できる。
《 跨線橋の詳細 》
前述のように、この跨線橋は物理的に四輪が通れるような幅を備えていない。幅1m程度のコンクリート路の両側にネットフェンスが設置されている造りは、昔の言葉ながら「陸橋」を思わせる。


橋の構造も特異である。通常、新幹線の上を跨ぐ橋や通路部には高いフェンスが設置され、有刺鉄線を備えているのが普通である。しかしこの跨線橋にはネットフェンスしかなく、何故か上部は一定間隔でパイプ状の部材が通されている。


これは橋からの落下を防ぐ効果はまるでないので、両側のネットフェンスを固定する役目だけのようである。

往来の多い一般道の跨線橋ではフェンスの網目が細かいものが使われていたり二重にフェンスが張られていて撮影困難な場所が多いのだが、この跨線橋はフェンスの網目が大きくカメラのレンズを挿入して容易に撮影できる。


この辺りは西側が長い直線区間で橋自体も線路に対して直角に架かっているため、橋の中央に立ってズームすれば面白い構図が得られる。[4]
遙か先の方に見えているのは瓜生野トンネルである。


横から観察すると轟音と共にほんの一瞬で通り過ぎてしまうN700系ですら、ここからズームで捕らえるとなかなか接近して来ず焦れったい位だ。こちらへ向かってくることが分かってからカメラを設定するまで充分な時間がある。


跨線橋の北側は2m程度高くなっている。橋そのものは水平に架かっている。


跨線橋の全体像。2ヶ所ある支柱部には錆が目立っている。


名称を示すプレートが反対側の切土面に見えた。
拡大画像はこちら


この名称はすぐ東にある第二黒見山トンネルに由来している。黒見山トンネル自体、実際の場所からかなり離れた場所にある黒見山から採っている。実際のこの場所は大字車地字堀切ないしは字樋ノ河内と思われる。

跨線橋の北側はコンクリート施工された法面に沿って50m程度伸びている。
通路部分はコンクリートで固めてあるものの隙間からは草木が伸び放題になっていた。


ここから先もざっと調べてみたのだが、里道の先は樹木を伐採した跡があるだけで踏み跡らしきものは見つからなかった


コンクリート通路部分も草ぼうぼうだったことから、撮影目的で跨線橋まで訪れる人はあるものの城生原方面からの往来はまったく無いようだ。
《 維持管理について 》
前述の写真にみられるように、跨線橋の北側には安泰な道がなく通行実態はほぼ皆無である。地理院地図では昭和山の登山口である市道田の小野城生原車地線まで抜けられるようだが、普請する人が無いらしい。

東へ移動すれば第二黒見山トンネルの坑口上を往来可能である。しかし不特定の人物が往来する里道を新幹線の堀割によって分断し、100m以上離れたトンネル上に里道を付け替えるというのは、山陽新幹線建設当時の里道の優位性からすれば容認されなかったのだろう。このため跨線橋は昔から里道があったのとあまり変わらない位置に架けたものと思われる。建設時において時代は既に車社会へ入りつつある時期だったが、山間部においては未だ山道を往来する人がそれなりにあったのだろう。

新幹線は現在のところ陸上を最高速度で往来する公共輸送機関であるだけに、その上部を跨ぐ構造物には維持管理に格別の注意が払われる。昭和中後期に建設され半世紀が経とうとしている山陽新幹線周りの構造物は、その多くが老朽化していて対策が必要となっている。このうち通行実態が多い幹線道路では跨線橋がないと著しい往来障害を来すため手間暇かけてでも補修されるが、通行実態が殆どなくなった跨線橋では維持管理費が嵩むことから補修せず撤去を検討するケースがあるかも知れない。

このように当時は往来需要があったものの、後年通行実態が殆どなくなって維持管理に支障を来たしている新幹線の跨線橋が市内でいくつか知られる。詳しくは以下の派生記事を参照。
派生記事: 鉄道の跨線橋が抱える問題
道路分野においては山口宇部道路に架かる通行実態のない跨道橋が同じ問題を抱えている。
出典および編集追記:

1. 里道ではなく山陽新幹線の建設によって分断されることとなった私有地の通行補償で架けられた可能性も一応はある。しかし地理院地図では跨線橋の両側に山道が表示されていること、昭和22年(1947/10/8)米軍撮影の航空映像(R517-6)を参照すると、山陽新幹線が存在する以前から概ね現在の跨線橋あたりで山を越えて昭和山のある方面へ抜けていく山道が窺えることから、里道と判断するに足りる根拠がある。

2. Google マップでは「ゴテチャ」として紹介されているが、これは植えられている主な花の名称ゴデチアを誤って聞き成し、訪問地と解釈して表記した結果と思われる。

3. 殆ど一般車両が通らず行き止まりと判っている未舗装路に車を乗り入れるとゴミの不法投棄を疑われるかも知れない。見える範囲に人の姿があるなら、目的を話した上で乗り入れと駐車の可否を確認した方が良い。

4.「FBタイムライン|鉄分補給ではかなり興味を持って閲覧された。
《 個人的関わり 》
2018年4月の第2回目ハイブリッド方式による踏査で、遅い時間になりながら未調査だったのを思い出して自転車で訪問したのが最初である。5月下旬にはゴテチア畑を観に行った足で現地まで歩いて追加の写真を撮っている。

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