市道小松原通り線・横話

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ここでは、市道小松原通り線の派生的記事をまとめて収録している。
宮川の石碑
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《 西部体育館(勤労者体育センター) 》
現地撮影日:2013/7/21
最終編集日:2018/8/26
西部体育館は島3丁目にある体育施設である。
写真は市道に面した入口からの撮影。


位置図を下に示す。


西部体育館に関する情報が市のホームページ[1]に案内されている。
上記地図でも現在は西部体育館と表記されている。現在は指定管理者制度により宇部市体育協会グループにより管理されている。以前、勤労者体育センターと呼ばれていた時期もあり、利用者世代によっては今でもその方が通りが良い場合もある。

ここはかつて蛭子と呼ばれていた地で、昭和29年に沖ノ山小学校がこの地に復校している。石炭不況から炭鉱が閉鎖された後、沖ノ山小学校は昭和43年に閉校された。その数年前(昭和40年)に造られたプールは閉校後も暫く使われていたが、蛭子公園および関連する施設が整備される過程で取り壊された。
関連施設としては体育館のすぐ背後に宇部市武道館が存在し、建物としては体育館より大きい。しかし武道館には個人的関わりがない故にここでは西部体育館にのみ限定して記述する。

西部体育館は市街部に最も近い大規模体育館で、西部という名称はおそらく恩田運動公園にある渡辺翁記念体育館が市東部にあることの対比と思われる。アクセスの良さからしばしば各種スポーツの教室やクラブ活動の中核地として利用される。現在でも前期と後期に分けて市の勤労者対象スポーツ教室が開催されており、この教室を出発点として各種クラブへ進んだり生涯スポーツの場として活用している市民は多い。

アリーナはバドミントンやバレーで8面相当が同時開催できる広さをもっている。これはパルセンターの6面相当よりも広い。専ら体育施設として造られているためステージなどはない。一番奥には幼児が遊べる小さなスペースがあったが、2018年現在では取り払われ物置のように使われている。観覧席はないが、中2階に設置された渡り廊下から見おろす形で見学することができる。

付属設備として更衣室とシャワー室がある。シャワーは更衣室の中に造られていて、コインを投入するタイプである。アリーナでの運動で汗びっしょりになる夏場でも利用者を見たことがなく、利用実態がどの程度であるか疑問である。後年、平原地区に造られたパルセンターでは無料で給湯設備のあるシャワーを使えることも理由にあるようだ。トイレはかつて館内上履きを脱いで下駄をはくよう求められていたが、靴紐を解き直すのが面倒でシューズのままトイレに入る利用者が後を絶たなかった。後年この問題はシューズを履いた上から履く大きめのトイレスリッパに変更されている。このスリッパはパルセンターでも導入されている。

山口県国体が開催される2年程度前、恩田運動公園にある渡辺翁記念体育館が国体選手の強化施設に指定された。このため市民がスポーツを楽しめる場が著しく削減され、西部体育館を含めて市内の何処の体育施設も予約が取りづらい時期があった。コート予約は2ヶ月前から1ヶ月先の分を予約可能だったが、受付は早いもの順だったために月初めは早朝から各クラブの幹事が列を成す状況だった。その後、公共施設のネット予約が可能となったものの受付開始時刻になるとサーバ重状態になり、土日や平日の夕刻時は当日中に殆ど予約が埋まる状態だった。国体が終了して渡辺翁記念体育館が再び利用可能となってからは鎮静化し、現在は少人数の予約なら比較的容易に取れる状態になっていると思われる。

西部体育館にまつわる想い出は極めて多く、ここで繰り広げられた人間模様や数々のドラマをまとめれば恐らく余裕で一冊の書籍が書き上がるだろう。流れとしては社会人となって2年目に体育協会の主催するバドミントン教室に通うようになり、初級を卒業後にいよいよ面白くなって個人的なクラブを運営するようになったときの活動拠点だった。それらの個人的関わりについては項目のみ設定して後日また追記する。

バドミントンとしてコートを利用した感想だが、充分に広い館内に壁から離してコートが設置されているのでプレーしやすい。照明灯が旧来タイプだった頃は頭上の照明がきつく、ライトの真下に入ったボールやシャトルを視認しづらい場合があった。2015年の1月にアリーナ内の照明灯をLEDタイプに交換する工事が完了した。[3]
また、恐らく屋根の構造上からか夏場は館内に熱がこもり非常に暑い。体感的にこの暑さは市内のどの体育館よりも厳しいので夏場の館内運動の折りには充分な水分補給が必要である。
【 個人的関わり 】
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バドミントン自体は現在も週に2日は何処かのクラブへ出かけて活動している。市街部に勤務地があるメンバーのクラブへ入っていたが、2014年5月前を最後に人員不足により解散し西部体育館を利用していなかった。2018年8月下旬に常盤小クラブのメンバーがスポットで西部体育館での開催を行い、これに参加することにより3年半振りにリニューアルされた西部体育館で試合をした。[4]館内の暑さは相変わらずであり、LEDに交換された照明が以前よりもかなりまぶしく感じられるようになった。
出典および編集追記:

1.「宇部市役所|西部体育館

2.「宇部ふるさと歴史散歩」p.104〜105

3.「公益財団法人宇部市体育協会|2015/1/6のタイムラインによる。

4.「FBタイムライン|初会合?@西部バド
《 桃山の坂の途中にある庚申塚 》
現地撮影日:2015/2/28
記事公開日:2015/3/1
本路線ではお馴染みの六角堂に向かう桃山の厳しい坂道の途中に、気をつけていなければ見落としてしまう庚申塚が存在する。
この写真だけでどの辺りか分かるだろうか。


場所はこの辺りと思われる。
比較対照となる目標物が少なく若干違っているかも知れない


反対側、坂の上から撮影。


車でこの道を通る過程では登りも下りも対向車に気を遣うことに忙しく、路傍の物件を観察する余裕などないだろう。まして庚申塚は植え込みのすぐ内側にあるので、坂を登るとき右側通行する歩行者でもよほど注意していないと気付くことはできない。私にしても初めて本路線を自転車で通ったのは2009年の4月で、その後時期を変えて4度目に通ったとき初めて見つけることができた。

道路際の一角に土砂剥き出しの狭い区画があり、住宅地向けの地区道沿いのブロック塀に寄せて設置されている。
周囲には似たような岩が数個置かれていた。


坂の下を正面側にして据えられている。私が訪れたとき、新しい注連縄に交換されていた。
文字が読めるように注連縄を外したときの正面からの映像はこちら


文字部分を接写。
一般的な楷書体で刻まれていた。


岩はやや肌色の目立つ花崗岩性で墓石のような四角柱をしていた。文字を刻むために荒削りで仕立て上げたようだ。

制作年に関する情報は庚申と刻まれた面の左側にあった。
脆い茶色の部分を避けて灰色の硬い部分に刻んだようだ。


明治三十二年正月吉日の文字が見える。
制作年がハッキリ分かる庚申塚の中では割と古い時期のものと言える。


ここに庚申塚が据えられているということは、少なくとも制作年において人の往来があった証しになる。それが現在の小松原通りに一致するとは限らないにしても、何処か人の通る小道程度のものはあった筈だ。
この急な坂の下には沖ノ山水道時代の上水管が埋設されている。沖ノ山上水道の給水開始は大正13年なので、その時にはこの庚申塚はすでに存在していた。道路工事などで微細に移動された可能性はあるにせよ、そう大きく変わってはいないだろう。このことから小松原より開立に上がる道の少なくとも一本はこの近くにあったとは言えそうだ。

現在の道路は如何にも暴力的で、昔の人がこんな道を造る筈がない。階段であったなら別として道としては絶対に有り得ないというレベルだ。この勾配だと踏み付け道なら雨が降れば滑って歩けないし、石畳にしても同様だろう。いや、現在のアスファルト舗装路とて冬場凍結すれば車も身動きできなくなるのだが…

それ故に恐らく今の直線的な道を避けてこの周辺に登り道が造られたであろうが、現在は市道の両側が新興住宅地として改変されており特定は難しいだろう。まだ通ったことはないが東側に開立まで登る道が一本あり、昔の道かも知れない。

すぐ傍に転がっている岩が気になったが、自然のものであり加工された形跡はなかった。
岩の表面の色加減から同時期にこの場所へ集められたのだろうか。


庚申塚よりも地形や道にこだわってしまったが、それと言うのも本路線の登り始めとなる場所までの地勢について以前から疑義が差し挟まれているからだ。麓ギリギリまで平坦地が続きいきなり急な坂となっている。これはもしかすると自然の地形ではなく遙か昔の土取りなど人為的な改変に依るものではないかという仮説が立てられている。いずれ別項で述べる予定である。
《 東桃山児童遊園 》
現地撮影日:2013/11/23
記事編集日:2015/3/1
東桃山児童遊園は、本路線の終点近くにある地元管理の公園[1]である。
写真は市道に面した入口からの撮影。


位置図を下に示す。


入口奥を撮影。
滑り台や動物を象った遊具が置かれている。


入口より右側を撮影。
昔の空き地と言うか広っぱのお約束的アイテムとされた土管が置かれていた。


この近辺には近い場所に公園がないせいか子どもたちにとって利用価値は高いらしい。撮影日は誰も居なかったが後日本路線を通ったときは子どもたちが遊んでいた。

公園からは若干離れるが、この標識柱がある場所から本路線を外れる形で枝道の痕跡のようなものが存在する。これを延長すると市道小松原桃山線を斜めに横切り、その先にある三角形状の道に繋がっているので、かつて存在した古い道の一部ではないかと思われる。詳細は以下の記事を参照されたい。
派生記事: 小松原桃山線接続部分
出典および編集追記:

1. 宇部市の都市公園一覧には掲載されていない。

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