市道琴芝梶返線・横話

市道インデックスに戻る

ここでは、市道琴芝梶返線の派生的記事をまとめて収録している。
琴芝公会堂
情報この項目は別カテゴリの派生記事として移動されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。
《 自動車の進入違反 》
市道琴芝梶返線は小学校の近くにあり、この近辺の市道は概ね朝の登校時間は車両の通行が制限される。
現在は子どもの登下校時間に車で移動することが少ないが、十数年前のこと車で走っていて「やっちまった」ことが一度だけあった。日記を調べれば正確な年月日も分かるのだが、面倒なので取りあえず今覚えていることだけサッと書いておこう。

国道490号の陸橋の向こうに神原交差点がある。
十数年前の平日の朝、私は恩田方面から神原交差点を右折し国道490号を走ってきていた。[2009/11/15]


神原交差点は朝夕は激しく混み合い、現在でも右折しづらい場所である。右折専用レーンがあって右折矢印も出るのだが、直進車が黄や赤でも突っ込んで来るので、矢印が出ても右折を開始できないのである。
昔からそうだったし今もまったく変わっていない…むしろ酷くなっている

あの日の朝も同様の状態で、私は右折レーンの前から5番手あたりに待機していた。矢印が出て右折車両が進行を始めてもなかなか順番が回って来ない。そうこうしているうちに矢印が消えて黄になり、赤に変わりかけた。ここで交差点を抜けきらないことには次の青までまた1分以上待たされるので、殆ど赤の状態で前の車を避けるように大回りして強引に右折した。

悪いことに後続2台目あたりがツートンカラーの車だった。私の右折はタイミング的に恐らくアウトだったと思う。白黒車(?)はすぐさま回転灯スイッチオン状態にして私の後ろに迫ってきた。

あ、やっちまったなーという気持ちがあった。素直に停車しようと思ったが、国道は交通量が極めて多い上に路側部分がまったくない。変なところで停まれば忽ち渋滞するし迂闊に急停止できない場所だった。走り続ければ無視して逃げると誤解されかねなかったし、もちろん相応に慌てふためいてもいた。

出勤途中で時刻はまだ午前8時になっていなかった。しかしまずは安全な場所で停まるべきだと思い、進入規制がかかっているのを知らずに市道琴芝梶返線へ左折進入するという二重の違反を犯してしまったわけだ。


市道琴芝梶返線に入ってもなお停車しても邪魔にならない場所が少ない。そこで更にここで右折し、市道琴芝沼線に少し入ったところで停車した。
ここを左に入ったところである。


白黒車から降りてきた担当者が近づいて来たので、運転席の窓ガラスを降ろした。
「あの左折はちょっと危ないでしょう。」
自覚があったので、まあそうですねと言う以外なかった。
「それにこの道…まだ規制時間中ですよ。」
違反を犯した手前、抗議するほどではなかったが、停まるべきだと思ったけど安全な場所がないからこちらにハンドルを切ったと答えた。この道に入ったのも初めてではなく、自分としても通り慣れた道だったのも理由にあった。もっとも担当者もすぐ停車すべき場所が見つからないことは理解していたようだった。

当然、免許証の提示を求められた。
担当者はそれをしげしげと眺めつつ言った。
「お宅…ゴールドじゃあないですか。」
そうだよ。ゴールドさ。
何十年ってハンドル握っているけど、オイラは自分が原因の事故を起こしたことなど一度もないさ…
…などと、余計なことは一切言わなかった^^;
別にゴールドだったからという訳ではないのだろうが、違反内容と状況を鑑みてか今回はお咎め無しということで放免して頂けた。現在のところ、回転灯を作動させた白黒車に制止を求められて停車し、注意・警告のみで済んだのはこの一回だけである。
そもそも交通違反で切符を切られたことは下関市内の一度だけ…市内では一度もない

なお、道路関連の横道記事では近道ショートカットや通り抜け情報が満載されているので、もしかすると私を「ずるい運転手」とイメージするかも知れないが、そうだとしたら酷い誤解だ。基本は遵法精神の強いドライバーを自負している。違反はもちろんのこと、危険な運転手法も推奨したくない。
公安も道路管理者との連携が不足していて、実態に合わない規制や交通整理を行い事故を増やす原因を作っている事例が散見される。問題が起きる前にドライバーや公安関係者にも情報を提供する積もりで書いているのでご了承いただきたい。
《 道路線形にクランクが生じた理由 》
項目記述日:2017/7/11
本路線の後半部分、琴芝小学校の裏門から参宮通りに出るまでの区間に奇妙なクランクが存在する。
写真は裏門手前のクランクが始まる部分。


この場所の現在における航空映像を示す。
見やすいようにマーカーは非表示に設定している


この部分は起点からの道路幅とは全く異るしそもそも踏みつけ道のように自然発生した道ではこのような線形は生じないものである。この区間には学校側に沿って道路よりも一段高いコンクリート路が付属しているため、以前から琴芝小学校に関連する改変ではないかと思われていた。
近年、戦後まもなく撮影された画像と昭和30年代のモノクロ航空映像を比較することにより、このクランクは琴芝小学校が敷地を北側へ拡張して校舎を建てたことに起因するものであったことが判明した。

経路の変化をあらわす概略図を載せる。赤いラインが最初期の道路線形である。
黒の実線は現時点で存在する主要な道で最初期にはなかった道も含まれる


即ち最初期の道は参宮通りを横切って東側へ進み、梶返通りの北端(概略図では紫色の■で示している)へ到達するまで一続きの直線道だったのである。現在の経路からは渡内川を遡行する市道琴芝沼線が存在するが、この道は渡内川の管理道から派生してかなり後年に出来た道であることも判明した。
線形変更の背景は恐らく昭和中期以降の学童の急増により運動場の面積を狭めることなく新規に校舎を増築するための敷地が必要だったのだろう。昭和20年代の航空映像では校舎が1棟しかなく一続きの道であったものが昭和37年撮影の映像では現在のクランクが生じた上にかなり大きな建物が5棟写っている。[1]この場所は最初から琴芝小学校だったのではなく、前身は県立宇部高等女学校であった。

自然発生の踏み付け道で直線路は生じ得ないので、この部分は渡内川を含めて北側へ入り込む幅広の沢地を横断していて、内陸開作で田として整備したときのあぜ道だったと考えられる。その理由はこの周辺を指す渡内(わたうち)という字名そのものである。渡内は「渡る津」の義であり、海水の影響を受けるエリアだったことが推察される。上記の概略図で渡内川が途切れているのは参宮通りの拡幅整備工事で暗渠化されたためである。最初期は恐らく流路が不定でこの周辺一帯が水に浸りがちな地であったと思われる。

幅の広い沢地へ向かって下っていく様子は体感しづらいが、クランクの手前では本路線は若干の下り坂になっている。特に近くの側溝はかなりの深さになっている。


この排水路の位置は初期の田であった頃のものを反映しているだろう。経路変更が行われる前の直線路だった時期は、琴芝公会堂の横を過ぎて小さな尾根を越えて丘陵部の斜面中腹を再び下っていく道だったと推定される。
進行方向右側は2m程度高く左側は2m程度低い

この項目を記述する現時点では琴芝小学校のかまぼこ屋根の体育館が取り壊され、同じ場所に新築工事が進められている。その領域は本路線から離れており影響はない。
学童数は減少の一途を辿っていると言われる。例えば恩田小学校では昭和50年代初頭に比較して現在はクラス数レベルでみても半分以下にまで落ち込んでいる。[2]校舎棟数の削減や老朽化に伴う廃止などはあり得る話で、実際神原小と琴芝小の統合という話がちらほら聞かれる。しかしかつての本路線上に建っている校舎は鉄筋コンクリートであり、廃止されて本路線が再び昭和20年代の素直な線形に戻る可能性はまずないだろう。
出典および編集追記:

1.「地理院地図|1947/03/12(昭22)米軍撮影の航空映像」では本路線が参宮通りを横切って伸びる様子が観察される。
地理院地図|1962/07/25(昭37)国土地理院撮影の航空映像」では北側へ張り出した校舎のため本路線のクランクが生じている。したがってこの期間の何処かで本路線の上に跨がる形で小学校敷地を拡大して校舎を拡張し、本路線はその外側を回り込むように変更されている。
いずれも外部リンクを開いた後に画面左下にある高解像度表示ボタンをクリックすれば精密な画像が表示される

2. 2017年初頭に恩田小学校の撮影を行った折に宿直の教諭から聞き取った情報による。
《 参宮通り接続部の変化 》
項目記述日:2017/1/16
国道490号(参宮通り)の拡幅工事に伴う渡内川の暗渠化により、本路線の終点接続部はコンクリート床板橋から外観上が通常の道路に変わっている。

工事前の状態。この状態が数十年近く続いていたと思われる。[2012/6/13]


この辺りの渡内川は幅4m程度の開渠であり、本路線の本来の幅員よりやや狭いコンクリート床板橋であった。橋の上では四輪の離合は不可能なため、この橋を渡って本路線に入る車が見えたら橋の手前で待機する状態になっていた。学童の登下校を考慮して床板橋とは別に歩行者向けの橋が架かっていた。
その後別項目で記述した通り、渡内川の暗渠化工事がこの区間に至った間は本路線は全面通行止め(歩行者を含む)となっていた。
それらの詳細は渡内川の暗渠化工事の項目で記述する予定

暗渠化と舗装復旧が完了し通行可能となったときの写真。
まだ参宮通りの自歩道ができておらず単管バリケードで塞がれていた。[2015/8/3]


上記の写真の通り、以前は「止まれ」のペイントがコンクリート床板橋上にまで及んでいた。停止標識のかなり手前でアスファルトを切断し、そこから渡内川との交差部はフラットに擦り付けている。コンクリート床板橋は前後の道路より20cm程度高くなっていたので、微細な変化ではあるが自転車で通行すると以前との違いが認識できる。
元から現地にあって工事とは無関係なもの - 電柱のステーや標識柱など - の位置は変わっていない。ステーの先にグレーチングの架かった雨水桝が出現している。これは元々は渡内川に流し込む雨水管の保守用である。ボックスカルバート化されたため、清掃を容易にするためと上流からの土砂を溜めるためだろう。

現在の状況。参宮通りの車線割り当てがまだ完全に終わっていないためセフティコーンが置かれているが、本路線の接続部関連としては完成形と言える。[2017/1/15]


暗渠化された渡内川の上に自歩道空間が整備されている。本路線の車道部と参宮通りの自歩道部を区別するために地先ブロックが埋め込まれているが、過去にみられたような天端を数センチ出す切り下げ施工ではなく完全にフラットとしている。[1]このため自歩道を走行する自転車が地先ブロックの縁取り部分を通過するときも殆ど衝撃を感じない。今後の自歩道整備はこのような無用な段差をなくす仕様に変化していくだろう。
出典および編集追記:

1. 従来の自歩道縁取り部分は歩車道境界ブロックの天端を数センチ出すことが施工上求められていた。これは規格が策定された当時は車道上に溜まる雨水を歩道の境界ブロックに沿って排除する方式が標準だったことによる。ブロックの天端を少し高くしておかないとそこから雨水が歩道や私有地にまで流れ込む恐れがあった。半面、この切り下げブロックによる段差は高齢歩行者のつまづきや自転車のリム打ちに伴うパンクの原因となっていた。現在は舗装路面にある程度の雨水を浸透させた上で路側にスリットの入った円形側溝を別途設置して排除する方式に変わってきている。この場合、車道の縁から自歩道へ雨水が流れ込むことが起こらないので地先ブロックの天端は周辺の車道や自歩道と完全にフラットとすることが可能となる。

ホームに戻る