市道平原浜田線【1】

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現地踏査日:2013/8/27
記事公開日:2013/9/4
市道平原浜田線は、国道190号の旧道である市道藤曲厚東川線の藤山小学校前を過ぎ、藤山歩道橋より北上する路線である。

下に起点をポイントした地図を掲げる。


この近辺に詳しい方なら上の地図を眺めるだけであの道かと分かるだろうし、この写真を見れば決定的になるだろう。


いずれもそれほど幅のある道ではないものの、どの方向にも移動できる形の歩道橋が整備されている。

この近くからは北に向かう道が近接して2本ある。これから向かうのは陸橋の下をくぐる方の道だ。
陸橋を過ぎた先にあるもう一つの分岐路は市道平原厚東川線になる


藤山地区在住でないから詳しいことは分からないものの、この場所の陸橋は平成時代以前からずっと藤山小学校の子どもたちを護ってきた。以前はかなり錆び付いていたが、ここ数ヶ月の間に再塗装されきれいになった。

この2枚の写真を観る限り、さほど幅もない道に陸橋が要るのだろうか…という気がするだろうか。大きな誤解だ。いずれも無用な被写体を入れないために車が途切れるのを待ってから撮影しているだけで、本線もこれから向かう市道もうんざりするほど交通量が多い。昼間でさえそんな状況なので、朝夕のラッシュ時は車を被写体に入れない状態での撮影自体が不可能だろう。
これから向かう市道は本線よりも狭いながら、通行車両は本線に負けない位に多い。

交通量が多いということは、その道が有用で利用価値が高いと評価されている裏返しである。この大して広くもない市道が重要な道に押し上げられた裏には、他の道にはない特異な事情があった。

それを静かに語るのが、この市道の起点、陸橋の橋脚脇に設置された石碑である。


石碑には市道の起点に向けて新設道路標と陰刻されている。道路標自体は全国レベルで見ればそう珍しいものではなく様々なタイプのものが見られる。しかし今まで調べた限り、市内でこれほど立派なものを他に見つけていない。本路線の内容だが写真を沢山撮っているので、この道の特異な成り立ちも含めて別途派生記事に書いておいた。
派生記事: 新設道路標
さて、それではスタートするとして…
さっそく幅が更に狭くなる。


道路幅は1.5車線相当程度だったのがこの場所は1.2車線くらい。徐行すれば離合はできそうだが、行き交うドライバーは巧みにそのような場所を避けている。
もしかするとこの幅は昭和初期にこの道が整備されてからのままかも知れない。特に峠を越えて浜田に至る古道自体は別の場所から伸びていた[1]ということなので、新設道路標以前の時代は本当にあぜ道程度の幅の道しかなかったのだろうか…

この道の長い歴史に呼応するように、私自身もここまでのライフステージでこの道に対して3通りの異なる時期に関わりを持った。即ち高校生時代、私設バドミントンクラブ運営時代、そして今である。それは本編および派生記事の随所にそれとなく埋め込むとして…

一旦狭まった道が再度少し広くなる左側にコンクリートの円筒柱が見えてくる。


平原配水槽で、厚東川1期導水路の水を市街の工業地帯需要地へ振り分ける役目を持つ企業局管理の設備である。外側の塗装が新しく見えるのは、最近整備したからである。
以前は外側にツタが絡みまくって廃物件のように見えていた

いずれ書くであろう記事のためにリンク用テキストのみ置いておこう。
派生記事: 平原配水槽
配水槽があるということは、何処かでそこへ水を送る経路が横断している。それは市道へ斜めに交わるこの進入路の下だ。


ここから右へスライスするような分岐路がある。この道は認定市道でも地元管理の道でもなく、企業局所有の工業用水向け管理道とされる。市道との交点に埋設管が存在する旨の標示板が設置されている。
沿線には民家が点在していて地元在住民の生活道にもなっている。
この先に隧道から用水を取り出す平原接合井がある


平原接合井は…と全部を書いていると市道の方がまったく先へ進まなくなる…^^;
以下の進入路に関する部分は、先行して派生記事として作成するが、将来的には平原接合井の記事に移動するかも知れない。
派生記事: 平原接合井までの管敷設路
暫く路側帯付きの1.5車線相当幅の道が続き、やがて市道は登り坂に入る。
自転車においてはこの登り坂の勾配と必要な労力について、しばしば市道上条金山線と比較される。


市街地から自転車で宇部駅方面に向かうとき、物理的な距離はこの市道が最も短い。ただし坂道を敬遠したいなら、一本東側の山越えルートとなる市道上条金山線を通った方が高低差は小さくて済む。岩鼻駅前を通るルートなら峠越えすら存在しないが、厚東川に突き出た岩鼻部分が災いして距離は伸びてしまう。距離と峠越え労力がトレードオフの関係になっている。そのことは高校時代、自転車で厚南方面へ行っていた頃から感じていた。
当時を振り返ると、自分は常にこの道を選択していた。五段変速の自転車だったとは言え、今より体力のない自分には峠越えは結構きつかったようだ。そこには別の場所でも述べるように「早く(逢いに)行きたい」という気持ちがあったと思う。
なかなかに淡い少年時代の話になってきたかな^^;

この近辺の道路状態や周辺の景色は高校生時代と殆ど変わっていない。欠けまくったコンクリート側溝蓋は当時と同じ筈だ。


しかしまったく新しい発見もあった。
工事中の看板が出ていたことで、この道からすぐ近くに溜め池が隠れていたことに気付いた。


存在すら認識していなかった溜め池なので、ちょっと自転車を停めて偵察してきた。
派生記事: 埋め立て中の神田池
サクッと数枚撮影して自転車に戻った。


「この先狭くなる」の部分が昔からあったかどうか覚えていない。
舗装が比較的新しいから家が退いて拡がっているかも知れない。


本市道は30km/h制限、生活道路の扱いだ。幅員からすれば妥当なところだろう。
少し進んでは停まって撮影し、また乗って漕いで撮影し…とやっている間に、昔の私と重ね合わせられそうな年齢の少年が追い越し、立ち漕ぎで坂を登っていった。
余計なお世話だけど…立ち漕ぎって早く疲れてあまり効率良くない漕ぎ方なんだよね


なるべく邪魔にならないように路肩へ寄り、かつ、関係ない通行車両を写し込まないタイミングを計って撮影しているんだが…前からも後ろからも往来の車は多い。
徐行なしに離合できる幅ではなく、随所で路肩へ寄り合う状況がみられた。


ガードレールがあって土の斜面がそのままの場所。ここも自分にとっては思い出深い。
丘に向かって斜めに登っていることになる。


ここでちょっと後方を振り返った。
市道はあまりカーブすることなく殆ど一本調子の登り坂で最高地点を目指している。


またしても比較してしまうが、市道上条金山線では市街地から向かうと概ね3段に分かれた登りになっている。このため勾配の緩くなる区間で呼吸を整えて次の登りに備えることができる。他方、この市道は勾配が緩む区間がなく最後まで単一の登りだ。

自転車を主な足とするのは高校生時代と共通でも、現在では目的が大きく異なる。早く現地へ到達したいなら車を使い、自転車の場合は道中のプロセスも重要視する。そのため距離があまり短縮されず登り坂が辛いこの市道は殆ど利用しない。特に今回道路レポートを完璧に仕上げてしまえば、路線沿いにある物件の再調査や撮影し直しの用がない限り殆ど自転車では走らないだろう…

最高地点手前のこの辺りが最も縦断勾配がきつくなる。更に道路幅もそれほどないので、停車して撮影するのもちょっと厳しい。


先を急ぐ必要がないので、ここから峠までは押し歩きした。もっとも高校生時代はこの峠を越えるのに押し歩きしたことは一度もなかった。
自転車は降りて押し歩きするなら歩行者扱いなので、右側を通らなければならない…右端に移った。
車での小賢しいショートカットコースを提唱する割には意外に交通ルールに細かいのです


一番きつい区間を押し歩きしたのは根性に欠けているからじゃないよ…ここから先は頻繁に撮影する場面があるから…この程度の坂なら今だって一気に登ってしまえるよ…と言ってみる^^;


大方この辺りがこの市道の最高地点である。
絶対高度は30mをちょっと切れる程度だろう。


最高地点なら峠ということになるが、期待するまでもなく峠を示す表示は出ていない。市道で最高地点に名前を持つ峠があるのは、一般には山間部の山道を越えていく山岳市道くらいのものだ。

しかし…
早い段階で名前を唱えていたように、峠の名前は存在する。
由利野峠。
幾通りの書かれ方がありながら呼称としては単一のこの峠は、どういう由来を持つのだろうか…

(「市道平原浜田線【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「ふるさとの道」(山口県ふるさとづくり県民会議編)

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