市道崩金山線【9】

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(「市道崩金山線【8】」の続き)

既に道の形は殆ど分からない。自転車を後方へ待機させ、今まで進んできた方向を変えず真っ直ぐ藪の中へ突っ込んだ。


垂れ掛かる木の枝は大量だったが足元に大きな起伏はみられない。
ものの数歩進んだところで見覚えのある太い幹が…


あの幹の反対側だ…
イバラ系の植物がないことを確かめて頭から強引に突撃する。必ずここから抜けられる…先にはそれらしき地点が次第に見えてくるようであった。

草木をかき分けて幹の下に顔を突っ込むと…そこには4年前初めてここを訪れ、どちらが正しい道なのか迷っていたあの分岐点があった。
遂に出て来た。


一旦サッと引き返し留守番させていた自転車を連れて来る。

単身での進攻は全身を藪の中へ押し込むことでどうにかなった。自転車を連れての突破は更に労力が要った。低く倒れかかっている幹をかわすには自転車を斜めに倒して押す必要があった。


自転車を連れて脱出した直後に振り返って撮影。
有刺鉄線付きのネットフェンスは見覚えがあるだろう。


携帯会社の電波塔があるあの場所だ。


この電波塔は、初めて本路線をトレースしたとき迷った分岐点でもある。
本路線を進むにはこのまま直進しなければならない。右へ折れる道の方が整備はされているのだが…


2度目の走破を試みたとき、この倒木と先の雑草の海に辟易し起点からの進攻を諦めたのだった。
しかし市道金山線のときと同様、通れそうにない酷い区間はそれほど長くはなかった。やはり日のよく当たる区間だけ藪化が進攻するようだ。

今しがた突破してきた場所を確認している。
前回、進攻を断念したあの倒木だ。


途中まで薄い踏み跡は確認できた。
この状態ということは今年になってまだ誰も歩いていなかったのだろう。


自転車を押し通すとき最も苦労した難関だ。
かなり太い樹木が数本倒れかかって道を塞いでいた。[1]こんな状況なら歩こうとここを訪れた人でも引き返すだろう。


見るからに酷い状態だが、この有り様がずっと続いているわけではなかった。
倒木の下をくぐって先を偵察すると再び道の形が見えてきた。荒れていたのは日当たりの良い峠の最高地点付近だけだ。


さあ、ここから先はもう初回トレース時で訪れているから今や馴染みの道だ。
携帯電波塔関連の施設を横に見て坂を下り始める。ここは勾配がきついので自転車は当然押し歩きだ。


坂を下る途中、コンクリート電柱が建っている脇につい最近確認された古道の分岐点が存在する。


最近、書き上げたばかりの記事にリンクを接続しておこう。
派生記事: 市道藤曲門前線【7】
本路線から市道藤曲門前線の古道接続部分を撮影したところ。
明白な踏み跡が認められる。多少なりとも野生動物が踏み固めているのかも知れない。


市道藤曲門前線の記事でも述べているように、この部分は正規の辻部分ではなく近道されることで踏み跡が固定されたものと考えている。地図ではもう少し山側で交わるようになっている。本路線との段差が1m近く生じており通常このような接続にはならないからだ。[2]

ぬかるんだ天候でも足元が滑らないように中央をコンクリートで固めた道である。随分と昔、通る人が雨でも足元が不安にならないよう拵えたのだろう。
自転車を保持していても高低差で勝手に下ってしまうほどの勾配だ。


起点から辿れば一番山側に位置する民家に出会い、それから道がアスファルト舗装路となる。


そして車が出入りする程度の舗装路になった端に初回トレース時には詳細を調べなかった藤山八十八箇所の祠がある。
起点側から撮影している


この祠は初回訪問時から気付いていたが詳細には調べていなかった。
派生記事: 藤山八十八箇所・第77番
そのすぐ近くには幟を立てるときに使ったと思われる石柱がある。
この石柱は今回の再トレースで初めて気が付いた。


この石柱はもしかすると宇部村・藤山村の境界なのかも知れない。詳細な写真を撮ってきたので派生記事に書いた。
派生記事: 村境の石柱?
下り降りたところで振り返って撮影。
この辺りからは既に古道の様相は失われている。もっとも予備知識を持っていなければこの先に峠越えの道があることはまず分からない。


起点と言うか出発点となる市道小松原桃山線の分岐点から撮影。
途中まで舗装されているので現在は住宅地に至る地区道のように見える。実際には古道なのであった。


こうして本路線は4年前のトレースに加えて今回は終点側からも自転車を連れる形で突破完了した。
なお、最後の最後まで本路線の名称に現れる「崩(くずし)」について言及するのを忘れていたので、詳細を以下の記事に書いておいた。
派生記事: 崩について
4年前は元地元在住民にヒントをもらってトレースし、今回は2度目ながら起点からのトレースが困難だったので終点から辿った。市道藤曲門前線のときもだったが、先へ進むのに現地在住民のアドバイスを受けたという点で共通しており、初期の市道トレースとして印象深い路線となった。
もうあと4年経ったらこの道はどうなるのだろうか…
市道藤曲門前線は既に一部区間が失われ廃道状態になってしまっている。そしてこの路線も今後通行需要が増えることはまず考えられず、同じ運命を辿ってしまうのかも知れない。
出典および編集追記:

1. 市道藤曲門前線のこの先の区間を調査した折にこの場所を再訪したところ、倒れて道を塞いでいた木の幹はチェーンソーで切断されていた。

2. 特に市道藤曲門前線は大八車も通していた道という報告を聞いている。そうであればこのような段差のままで遺るとは考え難く、かつては高低差がなくなる場所で辻を形成していた筈である。詳細は同市道の記事を参照されたい。

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