市道東汐土手線【2】

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(「市道東汐土手線【1】」の続き)

併走する道のガードレールが切れるところで本路線は折れ曲がり幅広の道を横断する。
ここにも昔の線路敷を想起させるものが遺っている。
写真左側の直進する幅の狭い道は地元管理の道


高さ数十センチのコンクリート壁で仕切られている。これは引き込み線が現役だった時代のものだろう。

更にコンクリート壁に沿うように上部が紅白にペイントされた杭のようなものがあった。
帯状に白い部分にJRの文字と管理番号らしきものが記されている。


このことから外観はセンターラインのある道路ながら、現在もJR西日本の管理地になっていることが分かる。幅広の道はホームセンターへの通路になっているので、恐らくJR西日本から賃借しているのだろう。

また、起点側から進めば逆方向になるので見落としてしまうだろうが、幅広の通路を横断した反対側にも関連する設置物がある。これは結構面白いネタなので本編側には写真を載せず派生記事側に移動した。
派生記事: 旧宇部線の踏切標示板
この元踏切らしき場所を渡ったすぐ左側には、鉄道とは関係がないがかなり古いものが遺っている。
これは記事を作成する現時点でも存在を確認済み


詳細は以下の派生記事に。
派生記事: 造船所の古い看板
普通車一台なら余裕で通れるが離合は困難な幅の道を進むと、先に国道190号が見え始める。
進行方向左側は民家のレンガ塀だが右側は未舗装状態の駐車場になっている。


最初期にはこの駐車場あたりまでは舟溜まりだった筈である…と今現地の写真を提示し説明してもまったく実感が湧かないだろう。そして恐らく現地で写真を撮った今から4年前もそうだった。この辺りの詳細は栄川関連の記事で記述されるだろう。

さて本編に戻ると…本路線は結構見慣れた場所へ出てくる。信号機に鍋倉の文字が見えていることから場所は推察されるだろう。


現在地はここである。


ここは国道190号と産業道路の合流する鍋倉交差点付近である。そして本路線はその合流地点付近のとても中途半端な位置に接続されている。この方向から車で交差点に出たことがある方は僅かだろう。そうは言っても「止まれ」の標示板とペイントがある以上、ここから国道へ出る車は当然ある。私は経験がないが、車の場合どのタイミングで国道側へ出て行けばいいかは悩みどころかも知れない。
ここよりもむしろ国道の反対側で同じ問題が起きる

国道を渡ってきた。
本路線の続きはここからになる。上の地図で言えば鍋倉交差点を斜め直線的に横切った先だ。


同じ場所から反対側を撮影している。
現代の交通が要請する幅の広い国道に押されてすっかり陰が薄くなっている。


それでも国道を斜めに横切って一本の認定市道となっていることから分かるように、本路線の方が古くからあった道だ。少なくとも昭和初期の埋め立てが行われるまでは、現在の鍋倉交差点付近は舟溜まりだったことが知られている。即ち本路線の起点から辿ってきた経路に沿って舟がここまで遡行可能だったのである。恐らくこの辺りまでが東汐土手という認定市道名の元になっている土手道だったと思われる。今ある国道および産業道路は、舟溜まりの埋め潰し以降に拡幅されたものである。現在では想像するも困難で、郷土資料をあたらなければその事実に触れる機会はない。
一連の記述も派生記事ではなく該当カテゴリでの個別記事化を予定している

鍋倉交差点は数年前に国道取り付け部分の改修工事が行われ、本路線もその影響を受けている。この取り付け改定によって本路線のこの場所から国道へ合流するとき混乱を生じるようになった。
状況としては起点側と同じなのだが、この場所は先に鍋倉市営住宅があって車の往来需要がある。本件についてはある方が直接公安へ照会なさった結果があるので写真付きで派生記事を作成している。
派生記事: 鍋倉交差点への正しい出方
直進すると鍋倉山の裾野へ到達したところで右からの道に出会う。
先ほど袂を分かって独自路線を通ってきた市道助田鍋倉線で本路線との合流点が終点となっている。


本路線はここでとどまらずもう少し先まで行く。
先で鍋倉市営住宅の棟が見えてくる。


振り返って撮影。
ここからも国道へ直接出る細い道がある。これも地元管理の道だ。
国道へ出るときは自歩道の見通しが極めて悪いので要注意


この狭い道との分岐点に宮地嶽神社への参拝道の一つがある。
メインの参拝道は、市道助田鍋倉線の狭隘区間の手前にある。


この宮地嶽神社の境内に、先ほど述べた舟溜まりを埋め潰した件に関する記念碑が設置されている。とりあえずは既存の記事にリンクしておく。
いずれ宮地嶽神社の記事を個別に作成する予定
派生記事: 宮地嶽神社にある栄川埋め立て記念碑
本路線は鍋倉山の西側麓をなぞるように進む。


鋭角分岐の角にあるのは鍋倉市営住宅の集会所、その奥に見えるのは1号棟である。
分岐路が多いが、本路線は鍋倉山の裾野をなぞるような経路となっている。


道幅はそう広くはない。特に団地側にある側溝には蓋が掛かっていないので、用事を済ませて本路線を経由して浜バイパスへ出るときこのカーブがかなり気になっている。
別アングルからの写真…大きく外回りしないと後輪を溝に落としてしまうかも知れない


鍋倉市営住宅の端まで来ると、本路線は恐らく今までにない程の狭さになる。
急に幅が狭まるのでブロック塀に衝突防止の反射板が取り付けられている


後述するようにここから先は軽四同士ですら離合不能なので、進攻する前に前方をよく視認して対向車がないことを確認するのが一般ルールである。終点側から進入する場合も同様だ。入口手前ならまだしも、中程まで進攻してしまったら後退がとても困難になる。

ここにある第52番は今まで訪問した中でもっとも印象深い記事を書けそうだ。
派生記事: 藤山八十八箇所・第52番
(記事が書き上がり次第リンクで案内します)

ここから幅広の道に出るまでは本路線で最も狭い区間である。
直線なのが幸いしているが、出入りする車のバッティング劇は少なくない。


敢えて自転車を横置きにはしないが(何)道路幅4.0mの規定をクリアできていない。このことが鍋倉市営住宅を始めとするこの区画の建築問題に関連して困難の原因となっている。


この区間は特に狭く、建築基準法にいわゆる接道義務を満たしていないので沿線の民家は既存の通路中心線から2.0m退かなければ建て替えが認められない。もっともこの場所に限らず新規建て替えの建築確認が降りるように退いたところで確実に前面道路が拡がるあてがなければ居住空間が小さくなるだけでメリットはない。このため道が拡がらないうちは何もしないか補修を重ねてやり過ごす場合が多い。

一連の道を利用する鍋倉市営住宅はもっと深刻で、複数ある通路のどれもが幅4.0mに満たない。現行規定が変わらない限り、この先老朽化しようが建て替え自体が不可能である。アクセス路の狭さは建築基準法上の問題のみならず、火事や救急患者が発生したときの緊急車両のアクセスにも影を落としている。[1]更新期に差し掛かったときは頭の痛い問題になるだろう。

終点である。
接続されるのは市道藤曲居能線で、浜バイパスと国道を横断して居能に向かっている。


終点から振り返って撮影。
近接写真はこちら


これを一本の続いた市道とみなすには苦し紛れな感じもする。けれども認定市道となった最初期はずっと土手続きの道だったのかも知れない。特に家並みが今ほど連なり始める前の最初期は、この道から見えるところに波打ち際があったという話を聞いたことがある。
先ほどの接道義務の兼ね合いからも、本路線ないしは他の通路は将来的に形を変えるかも知れない。
出典および編集追記:

1. 急患の患者がでて救急車が現地へ入ろうとするたびに困難が起きている模様。(市営住宅居住者による談話)

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