市道東汐土手線【1】

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現地撮影日:2012/5/10
記事公開日:2016/5/11
本文に入る前にお断りがある。

冒頭タグにある通り、この記事向けの写真は4年前に撮影し記事自体もほぼ書き上げていた。しかし路線途中に現れる栄川本編とそれに纏わる関連物件の記述が極めて多く、構成をどうしようかと考えているうちにその部分を残したまま放置されてしまっていた。
2016年の新川市まつりの後に真締川の後年掘削部分である新川と栄川の個別記事を引っ張り出して編集追記する過程で、そこからリンクされていた本路線の時系列記事が未公開のままだったことに気づいた。
書きかけのまま未公開になっている記事は他にも無数に存在する

本路線の時系列記事は栄川関連を除いてほぼ書き上げているのにいつまでも放置ではもったいないので、取りあえず栄川に関する部分はそのまま(道路工事で言えば「未成区間」)にしておいて他の部分を書き上げ公開している。総括記事以外は写真取り直しを行っていないので、現地と異なる部分が生じている可能性がある。

また、4年も経てば当時と比べて知見や着目点が異なるのは自然であり、大して重要ではない部分が派生記事に作成されていたり、重要な項目が本編にそのまま記述されている箇所が存在する。派生記事自体も記述が長いが、それらのいずれも書き上げていながら過去の更新履歴では掲載していない。栄川に関しては書き上がり次第更新履歴で案内するが、内容が膨大なため概要のみを一般公開し詳細項目は限定公開にするかも知れない。

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路線名だけを唱えられてもまず何処にある道かさっぱり分からないだろう。既に総括記事で書いたように東汐土手とは旧藤山村の鍋倉に存在していた小字であり、その名の通り海に面した土手である。

名前だけが特殊なのではなく、この路線は自分自身を経由しないことには到達できない場所に起点を持つ。
ここなのだが…殆どの人はまず見ず知らずの場所だろう。


この場所をポイントした地図を載せる。


上の地図では居能駅前を通るメインの道、市道助田平原線から海に向かって伸びる道の先端に起点を持つ。その先には道としての記載がない。上の写真は起点から藤曲浦漁協の敷地を向いて撮影している。

カメラを左側へ振ると、近年開通した湾岸道路の栄川運河橋が見える。
近年じゃなくってもうかなり経ってしまっていますが…


立て札が読めないわけではない。この締め切りゲートから内側は立入禁止区域だ。しかし如何ともし難いのは、歴史的に極めて重要な史跡がその区域内に存在するという点である。
現地へのアクセスも含めて以下の派生記事に書いた。さすがにこれについて何も書かないわけにもいかないほどに重要なので。
派生記事: 昭和開作記念碑
市道の起点としては全く突拍子もない場所だが…それではスタートしよう。

この辺りは栄川の河口部になる。もっとも川と言っても現在では小さな漁港の一部である。
護岸から身を乗り出して撮影している。


スタートして暫くは栄川の方にコンクリート岸壁を見るようになる。
市道とは言っても岸壁道なので下地もコンクリート路だ。


踏切に差し掛かる手前に大きな鋼製のゲートがあった。
明らかに現在の道路幅に対して大き過ぎる。


写真を撮影した4年前では深く考えず漫然と通り過ぎたのだが、記事作成する現在になって思えばこのゲートも謎めいている。90度回して道路を締め切るには長すぎるし、180度回して鉄道の往来を締め切るならこの先の踏切警報器に支障するだろう。あるいはゲートの中程が折れて短くなるのかも知れないが…

恐らく高潮時と台風が重なったときのための非常用防潮ゲートだろう。JR宇部線の栄川橋りょうのところだけ護岸が切れて低くなっているため、異常に潮が高くなればここから海水が陸地内部へダダ漏れになってしまう。もっともぴったり収まる程度に精密でなければ、海水が押し寄せるのを遅らせる程度の効果しかないだろう。
以上の記述は派生記事側へ移すかも知れない

そして実のところ本路線の起点へ到達するならばかならず渡らなければならない踏切を再度引き返すことになる。


踏切に関しては既に派生記事が作成されている。
派生記事: 栄川第2踏切
第1踏切はここから栄川を挟んで助田側の弥生道路にある。
この踏切と言うよりは周辺に夥しいほどの注目すべき物件がある。鉄道・河川・遺構・工業用水と複数のジャンルに跨がっている。ここでは記事リンクを配置せず、個別記事が完成次第後からリンクを埋め込むことにする。

護岸沿いの細い道を通ってメインの道に出会う。
市道助田平原線である。


本路線の起点へ行く方法はここから入る以外にない。一般には認定市道ではメインの道に接続する位置に起点を設定し、海に向かう側の道は漁港の管理道となることが多いのだが、何故か本路線では漁港前までは認定市道となっている。
助田平原線への乗り換えリンクは以下の通り。
派生記事: 市道助田平原線|交点
メインの道を渡ると本路線は若干幅広になる。栄川を埋め立てた分だけ広さを確保できているようだ。


ここでもう一つの昔から有る目抜き通りを横切る。
市道上町線である。


本路線をすぐ右に曲がるとなぜか橋を渡る格好になる。
橋とは言っても既に下には川は流れていない。隣接する場所は月極駐車場になっている。


すぐ近くにあるので派生記事で案内しておこう。
派生記事: 榮橋
上町線を横切った先ではやや線形が捻れて接続されていて道路幅が狭くなる。


右からの道と合流する。
既に公開済みの市道助田鍋倉線で、双方がこの場所で僅かながら重用している。


双方の路線が接触するのはごく僅かで、すぐにこんな感じの分岐路に出会う。
さて、どっち?


…と言っても既に市道助田鍋倉線の記事を公開していて参照すればすぐ答が分かってしまうから勿体ぶらずに話すと…左が正解である。

振り返って撮影。
左からの道が助田鍋倉線である。


したがって両者はこの場所で一瞬接した形になりつつ交わることなく再び別路線を経由している。
初回トレース時にはここで交差しているものと勘違いし、撮影した写真もそれぞれ誤った路線のフォルダーに分類してしまっていた。
本路線と市道助田鍋倉線に時期を違えた類似写真が多い理由である

本路線はまだ国道まで出ることなく左へカーブする。
ここで奇妙な線形に出会う。


ガードレールで仕切られて道路が並行に通っている。
本路線は現在私が立っている側だ。しかしガードレールの反対側にはセンターラインが備わった幅広の道がある。舗装も新しそうだ。


何故に2つも同じ道ができてしまったのかという疑問が出てくるだろう。その答えというかヒントになるものがガードレールに見つかった。

一学童が描いたものであるが、私的な作品とは言っても今や重要な産業遺産といっていいだろう。
記事制作する現時点でまだ現地に遺っているかどうか調べていない[2]


振り返って撮影。
先の分岐のところからこの道が合流している。


市道助田鍋倉線のところでも書いたように、この幅広い道のところが昔の線路敷だったのだ。最初期の宇部線(と言うか宇部軽便鉄道時代)はここを通っていた。現在の短縮化路線が敷設された後も平成8年になるまで先ほどの学童が描いて教えてくれたような宇部電車区の格納庫までの引き込み線に転用されていた。
旧線路敷の管理主体はバラバラに解体されているように見える。現在もJR西日本の管轄になっている区間があれば、認定市道に転化された区間[1]もある。
一連の記述もここではなく該当カテゴリに移すべきものだろう

現在いる道路は元からの市道部分である。
狭い方の道路に公安設置の標識があるというのも奇妙だ。


鉄道がなくなって既に20年が経つわけだが、その程度の年月ではすべてが現地から喪われてしまっているわけではない。先々では注意して観察すればまだ結構見られるのである。

(「市道東汐土手線【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 例えば国道190号以北から現在の岩鼻駅に向かうまでの旧線路敷は市道居能大迫線の一部となっている。一般車両は殆ど通らないが、道路敷は県企業局の工業用水管の埋設路にもなっている。

2. 2016年5月の現時点で健在であることを確認した。現物の認知度は高くはなかったが、宇部電車区についてはまだ多くの市民の記憶に遺っているようである。「FB|2016/5/13の投稿」も参照。(要ログイン)

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