市道恩田線

市道インデックスに戻る

現地踏査日:2012/5/5
記事公開日:2012/5/11
市道恩田線は清水川交差点から国道の恩田交差点方面を連絡する道で、市道神原町草江線より分岐する。
以前の記事で既に掲載した通り、この場所だ。


この場所を地図でポイントしてみた。


Yahoo!の宇部上空の航空映像は、今から十数年前に撮影した状態であることが知られている。上の地図を切り替えてみると(この記事を公開後に航空映像が更新されていない限り)既にこの分岐が観察される。

清水川交差点から日常的に国道方面へ車で走る多くの人々が知らないことだが、かつてはここは分岐路ではなく、上の写真で正面真っ直ぐに伸びていく道しかなかった。車で則貞方面に向かうには、一旦恩田交差点へ出なければならなかったのである。
現在の市道神原町草江線を通るよりも200m以上遠回りになる

正確な時期は調査が必要だが、恩田交差点をショートカットする市道神原町草江線の現ルートが造られたのは昭和60年代だった。これにより国道に出て則貞方面へ向かう車の殆どすべてが新しい道を通るようになった。しかし古い道は昔から恩田交差点を経て八王子方面へ向かっており、バス路線にもなっている重要路なので現在もそのままの姿で供用されている。

起点からスタート直後に振り返って撮影した一枚。
交差点の見通し確保のために、かつてスライスして交わっていた部分を直角に変更している。


最近(と言っては時期が分からないだろうが)この接続部に信号機が新設された。写真を撮ってきたので派生記事としておく。
派生記事: 市道恩田線起点の信号機新設
かつては恩田交差点に向かうにはこの道しかなかったので、何度も通って想い出深い筈だが、実のところこの市道に纏わる強烈な印象や想い出がない。幼少期は親父の運転する車に乗って通過しただけで、自分の足で歩いたとか自転車を漕いだ経験がなかった。高校生時代はこの道を終点側から3年間かけて通学したが、友だちの家や寄り道する店もなく、この近辺は完全な通過経路だったので記憶が薄いのである。

恩田から自転車を漕いで市街部へ出かけることは何度もあった。しかしこの道は現在もだが歩道が整備されておらず、危険なので通りたくなかった。[1]市街部へ出るときはこのような道を避け、交通量の少ない細い道を走るのが常だったのである。

時代は下り、今は自転車は「車道を通るべき乗り物」となった。もっとも高校時代に比べれば交通量自体激減とも言える状況なのでそう恐れることもないのだが…
それほど長くもない市道だがスタートしてみよう。

道路の規格はセンターライン付きの対面交通で、歩道は後で述べるように殆ど整備されていない。市道神原町草江線の新区間が出来てからは8割方の車がその方へ流れたので、現在はのんびりした市道に思える。
しかし以前はそう広くもないこの道しかなかったのだから、今みたいにのんびりと自転車で走っていられる状況ではなかった。

起点を後にして程なくして右側に私道のような細い分岐を見つけた。


ここに市道恩田3号線という小さな認定市道がある。経路図をメモしておいたので拾い出せた。
恩田に永年住みながらこの道は恐らく一度も通ったことがないばかりか、存在すら知らなかった。それでもこの近辺にある筈とメモしていた認定市道がこの道と断定できたのはすぐだった。

全く初めて訪れる地で認定市道を探し出す一つの大雑把な方法がある。それらしき道が接続されている場所のカーブミラーをチェックすることだ。

こんな感じでミラーの支柱部分に「宇部市」のステッカーが貼られている。これは大きな目安になる。


このステッカーの存在によって、ミラーを利用する枝道部分が市の管理対象となる経路であることが分かる。これがもし地区道なら大抵「地元管理」というステッカーが貼られている。
注意したいのは、ミラーが立っている場所の道ではなくそのミラーを利用する道に対して適用される点だ。例えば何軒かの家が共同利用する地区道や市道に面した比較的大きな店舗があって、市道への出入りを安全にするためのミラーを建てることがよくある。そういうミラーは市道の路肩に設置されることが多いが、貼られるステッカーは「地元管理」になるだろう。
ミラーの設置にかかる費用は受益者負担になり、工事に先立って道路河川管理課に書類申請が必要になる。
ミラーが民地に設置される場合は当然土地の所有者と別途協議が必要

最初の変形交差点に向かうまで、市道は直線的に進む。
歩道が申し訳程度しかない上に路肩部分が狭く、電柱が通行の妨害になっている場所もある。


この場所で振り返って撮影。
市道へ薄くスライスする形で迫ってくる細い道と水路がある。昔からあったということだけ覚えていて、殆ど通った記憶がない。


この用水路は市道を横断せずコンクリート蓋の掛かった状態で並走する。
人が歩くには安全な歩道代わりになるのだが、自転車がこの上を通るのは極めて危険で、避けるべきである。車道とはコンクリート蓋2枚分くらいの段差があるからだ。
蓋の上で停車してしまうと足が届かず車道側に転倒する危険がある


こうした注意喚起ができるのも予測能力に長けているからではなく、高校時代にこの溝蓋の上を通って危険な目に遭った記憶が何度もあるからだ。
前方の信号が青なら何もそんな曲芸じみたことはせずそのまま車道を経て交差点を走り抜けるだろう。しかし先が赤で信号待ちが予想されるとき車道で停まると後続車の邪魔になる。だから信号が赤ならここでコンクリート蓋の方へ上がっていた。そして信号を待とうとして停止すると…停まった位置によってはコンクリート蓋から外れて地面に足が届かないのである。私たちが学生だった時代はそれほど自転車で車道を走るのは良くないことと教え込まれていた。[2]

この先で市道は変形した交差点に出会う。市道自体も交差点の前後で折れ曲がっている。



競技場方面に向かうのは市道恩田野中線で、ここが起点になる。
起点から分岐した市道神原町草江線が並走しているので、数十メートルも進まないうちに信号機付きの交差点が連続することになる。
「20m先交差点」の注意喚起の表示が出ている


折れ曲がった先でもう一つの細い道が左へ伸びている。



市道恩田則貞線で路線名に同じ恩田の名称が含まれていながら起点は宇部線より西側に存在する。


乗り換え先のリンクはこちら。
派生記事: 市道恩田則貞線|交点
自転車では細い道の方が車に追い立てられず安全なので、高校時代の登下校ではこれから向かう恩田交差点を経由せずこの道を通っていた。
市道神原町草江線の新しい区間が出来る以前から、ここより入って野球場の真裏を通り、国道190号を横断する市道神原町草江線の旧線区間があった。それ故に通学で市道恩田線を通る区間自体が少ししかなく、記憶に残る部分が少なかったのである。

振り返って撮影。
横断する市道恩田則貞線の交差点手前に恩田青果卸市場がある。
ずっと昔からこの位置にあった


この変形交差点の前後では線形がカーブではなく折れており幅員も狭いので、終点側から自転車で走ると追い越し車両が異様に接近した状態で追い越して危険を感じる場合がある。
殆どの車が内回り気味にカーブを通過していく
後続車があるタイミングでこの交差点を通過するときは十分に注意が必要だ。

ここで市道は軽く折れ曲がり、その先は再び直線となる。
見通し改善のためかセンターラインを移動して線形改良した痕跡が窺える
直線なので見通しは良いが、相変わらず歩道は狭い。しかも下り線側にしか付属しない。
既に国道の恩田交差点が見えており、その手前には”疑惑の案内看板”が見える。


山口宇部空港への方向と距離を案内している。それも青看ならぬ「白看」だ。
このまま恩田交差点を過ぎて直進せよとの案内だ。


市道神原町草江線の記事でも触れたように、現時点では狭隘区間が残っているせいで広い市道が経路として推奨されず、市道恩田線へ誘導し恩田交差点を直進するように案内されている。
市道神原町草江線の狭隘区間が改良されたらこの看板は撤去か移設されるだろう

看板を過ぎてすぐに国道190号に行き当たる。ここが恩田交差点である。


交差点は直角ではなく若干捻れている。則貞方面に曲がる側が若干角度が小さい。市道の交差点前後には右折レーンが付属しないので酷く渋滞しそうに思えるが、交わる相手が国道で交差点内部が広いので、右折車両が2〜3台あっても後続は右折待機組をかわして直進・左折できる。そのため右折車によるドン詰まりはそれほど発生しない。
市道に割り当てられた青時間はそう長くない…終点から来る車は一度で交差点を抜けられない場合がある

横断歩道を渡り、振り返って恩田交差点を撮影。
国道から市道の左右に向けて曲がる車はそう多くはないが、直進車両が多いので国道側の信号は右折専用矢印が表示されるタイプである。市道で待機する車も意外に直進車両が目立つ。


恩田交差点を過ぎてすぐの所に恩田バス停がある。思えばこの市道をスタートして初めてのバス停だ。
清水川バス停は市道神原町草江線にある


恩田バス停は国道側にもあり、運行本数を反映して利用者は国道側バス停の方がずっと多い。市道側にあるこのバス停は八王子方面に向かう路線のためのもので、国道を往来する便とは系列が異なる。
幼少期から一人で切符を買ってバスに乗り、宇部新川駅や耳鼻咽喉科へ通っていたので、どのバス停から何処行きの便に乗れば良いか覚えていてそれなりに慣れていた。国道側の恩田バス停は上下線共に乗り降りした回数は100回を下らない。しかし国道を走る便しか乗ったことがないので、恩田に数十年暮らしながらこの市道側のバス停から乗り降りしたことは一度もない。
バス停自体は昔からこの位置にあった

さて、全く唐突なのだが市道はこの合流点で終点を迎える。バス停からほんの数十メートル先だ。


これはちょっと信じられないかも知れない。前方の道はやや左へカーブしているだけで、幅員などの規格はまったく変化がなく一本の続いた道に見える。
右方から合流してくる道は市道恩田線よりもずっと細く、明らかに現在路線の方が本線に思える。
実際、あまりに狭く離合できないのでその道は一方通行になっている。現在いる市道の終点から如何なる車も右折できない。
時間帯も車種も指定されていないから自転車の乗り入れもダメ


上の写真で左側に見えかけている古そうな平屋は昭和50年代までくじ屋だった。
派生記事: 小学生のときよく通った「くじ屋」
終点より振り返って撮影。
車一台が限界という一方通行の細い道がここに繋がっているように見える。いや、実際繋がっているのだが…


ここには横断歩道があり、その前後は誰が見てもセンターラインのある同規格の道である。交通法規としては当然恩田交差点からやってくる市道の方に優先権がある。しかし路線管理上は狭い一方通行の道からやって来る方が本線なのである。

この細い道は市道恩田八王子線で、国道190号恩田小学校前交差点に起点がある。国道からこの合流地点までの僅か50mばかりほど狭い区間があり、合流地点から先は市道恩田線の続きをパクッて(?)進む格好だ。
このように見かけは枝道と思われる方が本路線というケースは結構みられる

市道恩田線の経路をルートラボで示した。


野球場のすぐ横を通り、真っ直ぐ国道へ至る市道神原町草江線の新区間が造られたことによって交通のメインの座こそ譲り渡したが、看板で指示されている通り現在でも空港方面へ向かう”推奨された”経路になっている。空港以外でも岬方面へ向かうには最も主要な道の一部を担っている。
両側が既に民家などで埋まっているので拡幅などで大きく姿を変えることは考えづらい。これからも恩田の交通の要として君臨し続けるだろう。

最後に、本路線で現れる恩田という地名について別記事で考察しておいた。
派生記事: 恩田について
【路線データ】

名称市道恩田線
路線番号861
起点市道神原町草江線・分岐点
終点市道恩田八王子線・合流点
延長約500m
通行制限なし
備考

延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください
---

さて、最後に別の市道恩田八王子線に割り込まれ尻切れトンボのように終わってしまったのだが…

大丈夫…道路として続いているので、当然この続きを走っている。そして幼少期からの話題性の多さは、むしろこの近辺の方だ。
終点まで画像採取し終わったなら順次記事にしよう。

(「市道恩田八王子線【1】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 別の場所でも書いたが当時の親も学校も「自転車は歩道を走るべき乗り物」と教育した。警察でさえ自転車で車道を走っている学生にパトカーからマイクで「そこの高校生!歩道へ上がりなさい!」と警告した。だから交通量が多くて歩道のない道路を自転車で走るのは避けるべきという考えが染み付いていた。

2. もっとも学生時代と現代において道路交通法の自転車走行に係る部分に改定があったわけではない。当時はモータリゼーション隆盛期で表向きに通行弱者保護が謳われていながら実質的に自動車最優先であった。自転車の通行ルールについても登下校の学生が大勢車道を走ると車には邪魔になるため、クレームが来るのを恐れて学校側でも歩道走行を指導したのではないかと思料される。

ホームに戻る