山口宇部道路・跨道橋

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記事公開日:2017/1/23
ここでは、山口宇部道路の宇部市内相当区間に架かる跨道橋について記述する。

建設当時は山口宇部有料道路であり、料金支払いが発生する区間では一般道からの乗り入れを排除する必要があったためすべてオーバーパス(跨道橋)ないしはアンダーバス(橋またはボックスカルバート)仕様となっている。本記事では跨道橋の一覧をまとめている。掲載順序は終点大沢南I.C.から起点側に行っている。なお、市道の跨道橋など一部については正式名が確認できておらず仮称状態のものがある。

山口宇部有料道路は設計4車線ながらも当初から暫定2車線で供用開始されたため、どの跨道橋も道路建設されなかった車線幅を含めた長さをもっている。
《 市道の跨道橋 》
いずれもアスファルト舗装路で四輪の通行が可能。後年架けられた奥王子橋を除いて親柱は存在しない。
【 江頭跨道橋 】
市道岡ノ辻江頭線に架かる跨道橋。


市道の線形を変えられなかったため跨道橋は本路線に対して斜めに架かっている。幅は1.4車線相当で立体交差の高度が充分に確保されなかったからか、橋の中央を高くしている。
【 今村跨道橋 】
市道岡ノ辻今村線に架かる跨道橋。


幅は1.4車線相当。江頭川横断箇所より一貫して登り坂で跨道橋もその途中に架かっているため、橋は西側がかなり高くなっている。
【 岡ノ辻跨道橋 】
市道岡ノ辻新浦線に架かる跨道橋。
最初期に造られた跨道橋としては最も交通量が多い。バス路線にもなっているため橋全体が堅牢にできている。


センターラインを有する対面交通仕様である。跨道橋を過ぎると子落とし坂に向かう。後年跨道橋の両側に乗り入れ退出のランプが設けられ岡ノ辻I.C.となっている。
【 奥王子橋 】
市道請川王子線に架かる跨道橋。平成4年頃にテクノロードの建設に先立ち架けられている。
写真は自動車専用道路区間からの撮影。
橋の下は自動車専用道区間のため自転車で到達し下から撮影することはできない


山口宇部道路に架かる一般市道の跨道橋としてはもっとも新しい。この橋のみ親柱を有している。


市道の供用開始は平成5年頃であり、この場所は元々は里道さえも存在しなかった。市道が開通した後にランプ工事が追加され宇部東I.C.となった。
《 里道などの跨道橋 》
上記の認定市道以外で山口宇部有料道路を建設した時期に里道の通行や敷地の分断による往来補償のために架けられた橋が存在する。往来可能という条件を満たせば足りるため跨道橋の位置は元あった通行経路とは必ずしも一致しない。跨道橋の仕様は親柱が存在せず欄干は簡素なアルミ柵、橋面は舗装されずコンクリートのままという点で共通する。市内通過分には4箇所が知られる。[1]当サイトでは終点側より若い番号を振って記事化している。[2]

里道の跨道橋はいずれも近年まったく通行されていない様子で、橋の前後の道が失われている箇所が殆どである。通れないことを暗に知らせるために跨道橋へ至る里道の入口にロープが張られていたり倒木で塞がれている場所もある。通行されていない跨道橋でも経年変化でコンクリートの剥落が起こり補修費用がかかることから、平成29年度には利用者のない跨道橋を撤去する方針が道路管理者によって告知されている(後述する)。
迫田跨道橋
古道の通行難所であった迫田坂を経て岡ノ辻に向かう里道に架かる跨道橋。このルートは上宇部と床波を相互に連絡する重要な古道であった。ただし跨道橋前後の踏み跡はほぼ完全に喪われている。撤去告知の看板が出ていたが後に撤収されたことから撤去せず維持される見通し。
黒岩跨道橋
迫田跨道橋から100m程度北側に架かる跨道橋。迫田側から跨道橋までの道は明瞭な形で遺っている。ただし道路建設で地権者の敷地が分断される補償として架橋された可能性があり、跨道橋を除いた両側の敷地や通路は私有地と思われる。地権者の要請により跨道橋の維持が決まった模様。
【 大神田跨道橋 】
片倉高架橋の西200m程度のところに存在する里道の跨道橋。かつて南方八幡宮と片倉の北向き地蔵を参拝するとき通られていた里道と思われている。4箇所の跨道橋のうちもっとも荒れ方が酷く橋前後の里道はほぼ完全に喪われている。このため前後の道を整備して通行需要があることを訴える声が出ない限り本跨道橋の撤去は確実。
【 真河内跨道橋 】
にごれ池の横と真河内池の上を連絡する里道の跨道橋。既に双方向からの進攻が極めて困難となっている。特に真河内池側は資材置き場と重なり既に私有地となっているかも知れない。四輪の通行が可能だったことが判明している。電波塔へ向かう管理道としての再活用要望が出る可能性はあるが、真河内池側からもアクセスは可能なので撤去されるかも知れない。
【 白岸跨道橋★ 】
山口宇部有料道路管理事務所および料金精算所のあった場所に最初期架かっていた跨道橋。平成初期に撤去され既に存在しない。
下の映像は昭和49年度に撮影された国土地理院の航空映像による白岸跨道橋。


かつて白岸から山立石溜め池までの里道があったという。山口宇部有料道路の建設にあたって里道が分断されるので、立体交差の高低差を確保するため跨道橋は元の里道より大きく北側へずれた位置に架けられた。平成のはじめに料金所設置のための車線拡幅と管理事務所を造るスペース確保を理由に撤去されている。跨道橋を含む両側の山を幅広く削っているので、既に橋台などの遺構なども存在しない。[3]跨道橋が架かっていた方向へ向かう荒れ道と家庭用配電線柱が痕跡をとどめるのみとなっている。
【 その他の跨道橋 】
上記の奥王子跨道橋を含めて宇部東I.C.以北に架かる跨道橋は、区間内が自動車専用道路であるため自動車通行時においての目視しかできない。現在のところ阿知須I.C.の南寄りに架かる跨道橋のみ撮影されている。


上下線4車線供用による高規格道路に架かる橋のため、車両往来向けでない跨道橋も含めて念入りに管理されているようである。現在架かっている跨道橋はそのまま運用されるものと思われる。
出典および編集追記:

1. 起点の嘉川I.C.から市境までの区間に同様の跨道橋が3ヶ所存在するようである。それらは(市外であるが故に)どれもまったく調べられていない。
特に由良I.C.付近の跨道橋はすぐ近くに高規格の跨道橋が架かる奇妙な状態となっている

2. 終点側からの連番は、市内在住であるため終点側からの走行が殆どであったことによる。番号管理は、当初は跨道橋の正式名称が分からなかったためである。
名称が分かっても大神田跨道橋のようになお読み方が分からないものがある

3. 跨道橋の撤去は地元住民に充分告知されないまま着手されたようである。ある時気がついたら橋がなくなっていたという。過去に自宅を上空から撮影してもらったことがあり、白岸跨道橋が写っている写真があるという。(白岸在住者による談話)
跨道橋の撤去により白岸から先の山立石溜め池への里道は分断され消失した模様。市道西蓮寺王子白岸線もこの料金所の手前で強制終了するような終点設定となっている。跨道橋のあった場所は大田方面からの山道(市道大田白岸線)でもあったため、この認定市道も料金所の手前で分断された状態になった。
参考資料:「宇部(MCG624)1962/05/22(昭和37年)国土地理院撮影の航空映像
画面左下の高解像度表示ボタンを押すと詳細画像が閲覧できる
岡ノ辻近くに2連続で架かっている跨道橋について初めて現地調査を行ったときのレポート。橋の存在は早くから気づいていたが、周辺の道をどう進んでもいずれの橋にも到達できないことから接続する道を探し始めている。
当初はまだこの跨道橋の正式名や素性が分かっておらず、橋への経路も里道と考えて踏査を行っている。正攻法でそれぞれの跨道橋へ向かう道探しを行い、それが見つからない後で山口宇部道路の道路敷から直接跨道橋へ登攀する手法を援用している。全9巻。
時系列記事: 山口宇部有料・未知の跨道橋【1】
FBによる読者への速報および追加情報。(要ログイン)
外部記事: FB|もの凄く気になっていた物件(2015/9/12)
外部記事: FB|もの凄く気になっていた物件の続編(2015/9/13)
外部記事: FBページ|2015/9/15
《 今後予想される変化 》
常時通行されている認定市道などの跨道橋を除き、本路線上に架かる通行実態がない跨道橋は平成29年度内に撤去される見通しである。これに先立ち通行実態のない跨道橋に撤去を予告する看板が設置された。写真は片倉高架橋の西側にある大神田跨道橋。
看板の拡大写真はこちら


同年12月24日の調査により、迫田跨道橋にも同種の看板が設置されているのが確認された。同時期に黒岩跨道橋には看板が確認されなかった。2017年1月中旬の再調査では双方の跨道橋共に看板が外されており、存続させる方針である可能性が濃厚である。撤去の理由は、今後も通行需要が見込めないながら経年変化による橋の補強などメンテナンス費用が発生し続けるためである。看板の設置された跨道橋は同時にコンクリート片の剥落防止の網が張られた。最初に立て看板が観測され始めたときの投稿は以下に詳しい。(要ログイン)
外部記事: 「FB|山口宇部道路上の通行実態がない里道の跨道橋が撤去されます

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