対象は、中学生に入った直後に恩田児童公園へ遊びに行ったときの道、自転車で芝中方面を通って市街部へ出かけてるときたまに通ったことのある道に限定される。
生活道の位置関係を言葉のみで説明するのは困難なので、別途マップを作成した。分岐点などの位置はマップ上の記号に対応する。
縦スクロールして記事を読むと上の地図が見えなくなるので、この「恩田町1丁目マップ」を開いたまま参照なさることをお勧めする。
(クリックすると別ウィンドウが開きます)
《 恩田児童公園への道(A→C)
》
現地撮影日:2014/4/10
以下の経路は、多分この道を通ったであろうという推測によるものである。通った頻度は恩田公会堂へ至る道の半分以下で、公園へ遊びに行ったのも日記に記録のある一回だけの可能性もある。国道沿いのA地点の映像。標高を変えず真っ直ぐ伸びるのはB地点へ向かう道で、公園への道はこの右横から分岐している。[2013/11/6]
(逆光で写りが悪かったのでこれと後出の1枚のみ過去の写真に差し替えている)
総括でも書いているように、国道の土手下を通るB地点への直線路は幼少期にはなかった。確か保護されない土のままの斜面で国道が対面交通だった時代は歩道さえもなかった。現在のような自転車でも通れる幅広の歩道ができたのは少なくとも昭和60年代以降のことである。
(道がなかったのでA〜B区間は相互地点から見通すだけにする)
少し進み振り返って撮影。午後訪れたので西日がきつく逆方向からの撮影の方が分かりやすい。
国道から一段下がり、斜めに分岐する経路が見えるだろう。
その細い道に進攻している。
道の幅は当時からこれ位だったとは思うが、ブロック塀があったかは覚えていない。
マップでもここから先は道としての記載がされていない。
しかしこの生活道は昔からあったように思う。[2013/11/6]
自転車ならどうにか乗って通れる程度で、下地は砂利敷きである。
緩やかに下り、若干右へカーブする辺りから粗いアスファルト舗装路になっていた。
90度進行方向を変え国道が背中側になる。
このブロック塀は公園へ遊びに行っていた当時はまだ存在しなかった。
(これほど狭い道をバランス取りながら自転車を漕いだ記憶がないので)
そのまま真っ直ぐ緩やかな坂を下ってC地点到着。
ここ右に折れたところが公園入口になる。
恩田児童公園については以下の派生記事を参照。
派生記事: 恩田児童公園
公園入口前から今来た道を振り返って撮影。カーブの内側には民家も塀もなく草地となっている。ここは公園に遊びに来ていた当時から家はなかった。
《 恩田児童公園へ行くとき通ったかも知れない道
》
現地撮影日:2013/11/6
もう一つの公園入口に向かう道で、昔通ったか確信が持てないが写真を撮ってきた区間がある。以下の地図でポイントした場所から伸びる農道である。
ここからスライスするように国道から分岐する生活道がある。昔のあぜ道同然の農道なので地図には道として記載されていない。
分岐点はここである。
民家の塀に沿って未舗装路が伸びている。
一連の写真を撮った後、別の日に国道の自歩道を自転車で走っていてこの道を見つけた。国道から分岐する角度が先の生活道と同様であり、こっちだったかも知れない…と感じる程度で確証を持てなかったので参考情報とみなしマップに経路を記載していない。[1]
ブロック塀と畑の部分は昔のままのような気がする。
昔通ったかも知れないという印象を抱けるのもこの木製電柱のところまでだ。
この先は明らかに当時の道ではない。
側溝にグレーチングが掛かっているのが見える。このような資材が生活道路の側溝に使われるまで一般的になったのは(少なくとも市内においては)平成期に入ってからのことである。昭和期の水路と言えば地面を削っただけの素掘りの溝が普通で、生活道の横に造られる溝は殆ど蓋が掛けられない。横断する場所は平板な石かコンクリート蓋が普通だった。
ここから先は新興住宅地内の地元管理道となっていて昔の道の痕跡は完全に失われていた。したがってどのように通っていたかは不明だが、住宅地の道を適当に通ることで公園のもう一つの出入口に到達できる。
(住宅地でカメラを構えるわけにはいかないので途中の撮影は省略)
公園の裏側入口はすぐ横が一段高い民家になっているので、以前は数メートル高い地山だったと思う。しかし当時を思い出させるものが残ってなさそうだったので、サッと撮影を終えて撤収した。
(あまりにも犬に吠え立てられ近所迷惑になりそうなので早々に切り上げたいのもあった)
《 恩田町1丁目〜芝中町の道(B→D)》
現地撮影日:2013/11/24
既に述べた通り、昔は国道に沿ったA〜B間に道はなかったからB地点へ到達するには国道下の立体交差をくぐる以外なかった。そのためには一旦国道の南寄りの道を通らなければならず家から市街部へ行くなら遠回りである。それにも関わらず国道下をくぐるこの道を通った記憶は結構ある。少なくとも恩田児童公園へ通うときの道よりは回数多く通った。時代としては自転車で校区外へ出ることが認められた中学生時代である。自分一人で市街部へ行くなら、当時は第一選択の経路だった市道恩田則貞線など別の近い道を通る筈である。遠回りに思えるこの経路を通った記憶が割と残っているのは、笹山方面に住む友達の家に寄って市街部へ行ったからであろう。そのせいかこの生活道は国道側から通った記憶が殆どで、帰りは友達と別れて市道恩田則貞線を通ったようである。本編でも往路の恩田町1丁目から芝中町方面に向けて記述する。
国道の立体交差内部からB地点を撮影している。
左右と上の黒い縁取りのように見えるのはボックスカルバートの本体だ。
立体交差を出たところで東側を撮影。
ここからもA地点が見える。既に述べたようにこの通路は昔は存在しなかった。
西側は国道との行き来ができるようにスロープとなっている。
これも国道の広い自歩道が出来たのと同じ頃に整備されもので、昔は上り下り自体ができなかった。
このスロープの横にアスファルト舗装された空き地があり、その先に宇部線が見えている。
この先に今は誰も通らず塞がれた廃踏切がある。詳しくは既に公開済みの以下の派生記事を参照。
派生記事: 芝中第3踏切
ちなみに、上記の廃踏切はこの生活道を通っていた当時はまったく存在すら知らず近づいたことは一度もない。即ち個人的関わりとしては、国道下をくぐってこのまま真っ直ぐ降りていく道だけであった。
ここで民家の半軒分程度高度を下げる。T字路部分がD地点にあたる。
両側のブロック塀は後年のものとしても下部の石積みは昔からこの状態だった。
D地点からB地点を振り返って撮影している。
確か私が通っていた時代から既に舗装はされていた。
T字路を下った先に水路があるので、自転車では用心してゆっくり下っていたと思う。ただし水路沿いには今のとは異なった柵があったかも知れない。
ここで左へ曲がって芝中の方へ向かっていた。右へ曲がれば恩田児童公園になる。次編では公園前のC地点からを含めて踏切を渡り芝中町へ至るE地点までを記述する。
(「恩田町1丁目の生活道【2】」へ続く)
出典および編集追記:
1. 冒頭のマップにこの道の分岐点を収録するよう拡張すると横長になって画面に収まりきらないためでもある。
1. 冒頭のマップにこの道の分岐点を収録するよう拡張すると横長になって画面に収まりきらないためでもある。