恩田町5丁目の生活道【1】

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以下、恩田町5丁目の生活道について第1区画マップより解説する。経路におけるアルファベットは上記マップに対応する。上記リンクをクリックすると別ウィンドウが開くのでマップを開いたまま読み進むことをお勧めする。

なお、本編以下は他地区の生活道とは異なり現況の記録よりはむしろ過去にあった生活道の姿を含めた昔語りの要素に重点があるので、よほど冗長にならない限り個人的関わりの項目を分離せずそのまま本文に記載している。
《 旧道(A→B→C→D) 》
現地撮影日:2015/1/28
記事作成日:2015/1/31
この区間は、現在の恩田東交差点ができる以前の昔の道である。現在、市道神原町草江線は山口宇部空港までのアクセス改善を志向した対面交通規格で改良工事が進められており、以前は草江駅まですべてこの旧道と同仕様の道だった。以下、本項目で「旧道」といえばこの区間のことを指している。時期を違えた写真を用いているので車の配置などが微妙に異なっているものがある。

A地点より国道側を向いて撮影。
右へ僅かに見えかけているのが市道神原町草江線の通称恩田東交差点である。[2011/6/26]


国道の歩道からA地点を撮影している。先の方に恩田交差点が見えている。
後述する駐車場の車と近隣民家を除き、この場所と国道で車が往来することはない。
車の通行を想定していないので旧道を完全に横断する形で誘導ブロックが敷設されている


A地点における国道190号のかつての状態と個人的関わりを記録する。国道190号の記事化がいつになるか自分自身ハッキリしないので暫定的にここで書いておく。
以下の記述は将来的に国道記事や生活カテゴリが作成された折には移動される

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。


当時は国道へ出るのはこの道しかなかったのだから、国道と並行に横断歩道があってしかるべきである。しかし新しいアスファルト舗装路面には痕跡もみられない。舗装打換のとき古いアスファルトは除去されたようだ。
草江駅の横を通り将来的に山口宇部空港へ直結する市道神原町草江線の国道以南区間が整備されたのは昭和60年代前後と思われる。まったく新しい幅広の道を確保し旧道部分はそのまま遺す形で工事が進められた。

A地点よりD地点方向を撮影。
この写真から幼少期の旧道の様子を説明するのは現地があまりにも改変されているためにかなり困難だ。


まず、左側にあるベージュ色の建物は保険取次会社のもので、永年この場所で営業していたガソリンスタンドが閉店され一旦更地になった後に建てられた。更地状態の写真も撮影できているので、ここ数年のことと言える。
残念ながらガソリンスタンド営業期の写真は撮影されていない。詳しくは以下の派生記事に書いた。
派生記事: 床波石油商会のガソリンスタンド
少し退きつつB地点から国道側を撮影。
旧道はややカーブして国道へ取り付いている。


地図では既に喪われているが旧道は国道を直角に横断する形で野球場の方へ続いていた。横断歩道を渡った先の道についてはいずれ作成される恩田町4丁目の生活道の項目を参照されたい。

駐車場の横を通って沢地へ下っていく細い道がみえる。
当時は未舗装路で、道は私たちが恩田へ越してきた以前からあった。


旧道に隣接する民間駐車場は道路と同じ高さだが、この駐車場は盛土により地上げして造られていて当初は道路のすぐ外側まで田んぼだった。道路と駐車場の境界部分に据えられた自由勾配側溝も同時期のものである。
コンクリート二次製品による側溝を据えるようになったのは平成期に入ってからのこと

沢地へ最初のスーパーダイイチ恩田店ができた当初はこの細い道を通って店舗の駐車場まで出ることができていたが、後継の丸喜恩田店に変わった頃に後述する別の農道に付け替えられ現在では先の方が私有地に戻されている。この農道部分はマップのB〜Hに対応する。
派生記事: 旧農道(B→H)
旧道の中ほどにステンレスのバリカーが設置されているので車が通り抜けることはできない。[2011/6/26]
ただし駐車場のフェンスが切れているので契約車両はどちらにも出入り可能になっている


旧道をちょっと進み反対側から撮影。[2011/6/26]


民間駐車場の端、マップのC地点がここである。
沢地へ下っていく生活道がある。先の農道の代替として後年造られた道だ。[2011/6/26]


この通路ができた時期は昭和60年代以降である。農道ではないが古い農道の代替通路ということで新農道と書いている。
派生記事: 新農道(C→H)
分岐点から下を覗き込めば当時の地勢が分かる。
これほど深い溝になっているのである。[2012/6/3]


2m程度の建築ブロックの下に同じくらいの高さの石積みが見える。その下にコンクリート排水路がある。この側溝の天端が駐車場以前の田の高さだった。したがってかつて旧道と田んぼまでは2m以上の高低差があり、学童期にこの旧道の右端を歩いて帰るとき怖く感じられた場所だった。道路沿いに柵はなく、溝は自然の土手から成る排水路で石積み部分だけが当時と変わらない部分である。この溝が別編で述べるくじ屋街道に沿う汚い溝(松尾水路)の上流部にあたることは当時から知っていた。

この場所の旧道に面した民家はかつて釣り道具屋だった。[2014/2/16]
現在は当時とは異なる民家の平屋になっているためアングルを外している


詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 武末釣り道具店
この辺りは旧道と現在の市道神原町草江線に挟まれた三角形領域である。
現在はここも月極駐車場となっている。[2014/2/16]


左端に埋設された地先ブロックが官民境界と思われる。しかし旧道時代はブロックはなく、舗装はむしろ緩やかにカーブしていた。舗装の左外側は畑だったと思う。

旧道と現在の道が摺り付く場所。
旧道は右側に見える建築ブロック塀に沿って伸びていた。[2013/11/24]


民間駐車場の車が出入りするために歩道の柵が一部空けられている。新しい道ができて旧道区間が締め切られた時に設置された。自分には縁がなさそうに思えて、実はこの場所を車で通ることが数回あった。
ガソリンスタンドでオイル交換やワックス掛けなど時間のかかる作業を依頼したときは、車を置いて歩いて家に帰っていた。作業が済んで車を取りに行ったとき大抵はこの旧道部分を通って退出していた。スタンドの敷地内に置くと給油に訪れる他の車に支障するので、旧道寄りに置かれていたからである。

私有地の設置物だがこの木造小屋は私の小学生時代から変わらずここにある。[2013/11/24]


道路と民地の境目には、雨水が敷地へ入って来ないように僅かばかり段差のつけられたコンクリート部分が見えているだろう。
実はこんな些末なものにさえ深い想い出がある。当時はあまり嬉しくない想い出なのだが、記録のためにここへ遺しておこう。今は別に蒸し返す積もりなどまったくなく想い出であるが一応既定で非表示としておく。

市道長沢源山線の接続部。
前方に歩道が見えており、その右側ラインが旧線の通りだ。[2011/6/26]


現在は市道神原町草江線の歩道の一部として転用されている。拡幅以前はここまでの旧道部分と同等程度の幅の道が草江の駅まで伸びていた。

なお、市道長沢源山線の起点から沢を下る方向にも細い道が伸びている。途中から車が通れない地区道だが、一部昔のままの奇妙な線形をもった区間が今も遺されている。
派生記事: 恩田町5丁目の生活道|ぐにゃんぐにゃん道
この旧道区間が再び大きく姿を変える可能性は薄いだろう。すぐ横を通る市道神原町草江線の改良工事が完成すれば市街地と山口宇部空港とを結ぶ主要なアクセス路となるので、もし交通量が激増して沿線に店舗が集まるならば再び景観が変わるかも知れない。
《 旧農道(B→H)》
現地撮影日:2015/1/28
記事作成日:2015/2/4
B地点から沢地へ真っ直ぐ下っていく農道がある。


入口部分に車両進入禁止の案内板が出ている。現在は店舗駐車場に近い場所は私有地に戻され一般の通り抜けができなくなっている。

駐車場の端から撮影している。
駐車場は雨水勾配をとるために若干畑の方が低くなっている。それでも現在の畑地との高低差は1m程度ついている。


民家の前まで舗装されていてそこから先は未舗装路となっていた。
かつては全部が未舗装状態だった。


現在はこの道は先の方で畑に戻されていて徒歩でも店舗駐車場への通路としては使われていない。
駐車場側に鉄柵が設置されているのがここからでも見える。


最初のスーパーが出来たときには旧道部との往来に買い物客が通っていた。現状は駐車場側に柵があり畑地には樹も植えられている。事情を知らない人なら通せんぼしているように見えるだろう。

スーパーの駐車場側から撮影している。
この場所は後述する新農道のH地点でもある。


H地点から旧農道を撮影。
このような鉄柵が設置されていて通れなくなっている。[2015/1/23]
以前は通り抜けが絶えなかったせいか「私有地につき通り抜け禁ず」の木の札がぶら下がっていた


地籍図を調べたわけではないので推測になるが、この道は全区間が誰でも通れる地区道ではなく一部が私有地になっていたと思われる。特に舗装部分が切れた先から駐車場へ出るまでの間だ。
私の学童期、まだスーパーが存在しなかった時代からこの道は民家の田畑へ行く作業用通路で何処にも出られなかった。廃品回収でリヤカーを牽いてこの近くへ来たとき、先を偵察したことがある。畑地から先には道がなく、例えばくじ屋街道へ向かおうにも溝(松尾水路)で分断されていた。溝には橋が架かっていなかった。

つまり元々は私有地だったのだが、スーパーの駐車場がすぐ近くまで造られこの部分をちょっと通れば旧道と往来できたのである。当時はまだ後述の新農道がなかったから、正規の道を通るなら国道190号の歩道を経てぐるっと回って来なければならなかった。そのため恐らく土地所有者は快くは思わなかったものの買い物客が通行するのを容認していた可能性がある。
実際、私も恩田在住時代はまったく考えることなくスーパーの買い物にこの道を自転車で往来した。誰もが頻繁に通るので踏み跡が農道と同じ状態になっており、この区間が私有地だとか考えもしなかった。

後述する新農道は、外部からの通行者需要に応えるために生活道として造られたものと思われる。この引き換えに旧農道の私有地部分は塞がれ通行禁止になった。私有地通り抜け状態だったのが正常に戻されたとも言える。実際、旧農道として以前は買い物客が勝手に通っていた付近には樹が植えられコンクリート電柱も建っている。

(「恩田町5丁目の生活道【2】」へ続く)

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