市道栄町線・横話

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ここでは、市道栄町線の派生的記事をまとめて掲載している。
《 古そうなマンホール 》
市道栄町線の起点付近の歩道に、異様に古めかしいマンホールがあって以前から気になっている。
市役所の横、東側の入口前の歩道上だ。


近づいて撮影。
何しろ人通りが多い場所柄、危ない人と思われないためにもサッと撮影することしか出来なかった。


後日、人通りが切れたタイミングを狙ってサッと近くで撮影してきた。拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


マンホール蓋は鋳鉄製で現代のものと変わりはないが、見慣れないデザインだ。何よりも気になるのは、鋳鉄蓋の周囲に同心円状のブロックが配されている点だ。見るからに古そうだし、最近は人孔如きの保護材にこんな手の掛かる施工はしない。
同心円状のブロックの材質はもしかすると花崗岩かも

下水路は今のところテーマ踏査の題材として「追っていない」ので詳細は分からない。現役の下水人孔で案外新しいものかも知れないが、この近辺の歩道に同様の蓋はなかった。
《 旧宇部警察署 》
段々と知っている人が減っていくのも否めないが、市役所に発券制の駐車場が整備されたのは平成期に入ってからのことである。この長方形の土地にはかつて宇部警察署があった。

市役所裏の通り(市道常盤通り小路3号線)と市道栄町線の交差する付近に玄関があった。


玄関の両袖には階段があり、直接2階に行けるようになっていた。
免許証の更新手続き、反則金の支払い、拾得物の照会など意外に訪れる機会がありながら、救いようがないほど駐車場が狭かった。市道常盤通り小路3号線に沿って斜めに停めるようラインが引かれており、精々5〜6台しか駐車できなかったのである。それも張り出した2階部分の下に車の頭を突っ込むような幅しかなかった。

免許証の更新手続きと拾得物の照会でお世話になった程度なので記憶は曖昧だが、建物は概して古く内部は暗かった。今でこそ昔よりずっと明るくイメージアップしているものの、こと警察に関しては昔は各種公務員の中で一二を争うくらいに応対が悪く高圧的と感じられていた。
もう一つの高圧的イメージを持たれる応対の例が職業安定所

若い頃、免許証の更新手続きで最初の2〜3回は宇部警察署で行った。更新手続きの窓口は2階に上がって一番近い場所だったと思う。
窓口に行くと必ず交通安全協会への加入を勧められた。義務ではないので2度目の更新からは必ず断っていた。一度窓口の女性に「そうですか…ご協力頂けませんか」と嫌味っぽく言われたことは私の中の歴史的事実として書き遺しておかねばならない。
同じことを言われた人は少なくないはず…まさか現在はそんな応対はないだろうと信じたい

現在の発券機があるゲートの付近が特別な用事のある場合に限って車で乗り入れられる出入口になっていた。


ちょうど建物の下をくぐって敷地に入るような構造だったと思う。要は事故を起こした等の場合で、一般向けの駐車スペースにはなっていなかった。前職で会社へ戻る途中、市道常盤公園開片倉線でもらい事故を起こし、当事者と共に車で乗り入れたことがある。本件については以下の派生記事を参照。
派生記事: 初めて自動車事故を体験した場所
建物の老朽化はもとより駐車場の狭さはたびたび指摘され、宇部警察署は神原町へ新しい庁舎を構えることで古い建物が撤去され市の駐車場となった。もっとも移転は恐らく容易に進んだとも思えず、移転先の神原町にあった交通局が市街地を離れた善和へバスターミナルごと移る椅子取りゲーム状態の移転だった。
市交通局が県警に神原町の敷地を明け渡すのと引き替えに旧宇部警察署の敷地を市役所の駐車場として利用可能にするなど県と市の間で取引があったのだろうか…

周知の通り、免許証の更新を地元の警察署で行うと新しい免許証が手元に届くまで時間がかかる。別に運転できなくなるわけではないが、小郡にある総合交通センターに行けば即日交付される。そのためここ数年宇部警察署にはまったく縁がない。
前の会社で道路使用許可申請の書類提出で数回通った程度
《 宇部祭りの際の道路規制(栄町線) 》
宇部祭りが開催されるとき、普段は市役所のチケット制駐車場が特設ステージに改造される。


当然ながら祭りの開催当日はもちろんその数日前から市役所の駐車場は利用できなくなる。
その特設ステージで繰り広げられるイベント目当てに多くの市民が参加するので、周辺の市道も通行が制限される。

以下3枚の写真は3年前に撮影されたものである。


特設ステージの出入りを考慮して、祭りの間は国道から市道緑橋芝中線までの本路線部分は車両通行止めになる。
トラックの通行が見えるが通行は祭りの関係車両に限定される


規制状況。
緑橋芝中線から国道まではバリケードが設置され、祭関係の許可車以外は通れない。


この規制状況は現在も恐らくそう変わっていないと思う。
《 内陸部に向かう道が下り勾配になっている理由 》
国道190号の概ね真締川から東側、常盤通りと松山通りの一部を含む区間より北に向かう市道が何本もある。そのいずれもが内陸部に向かいながら緩い下り坂を形成している。


市道宇部新川恩田線の交点前から振り返って撮影。
市道栄町線の場合は起点から出発すると、最初に横切る常盤通り小路3号線付近から下り坂が始まり、次に横切る緑橋芝中線まで一勾配である。それから次の宇部新川恩田線から先はほぼフラットという縦断勾配構成だ。


日常的に通行するにあたってこの坂は殆ど意識されないが、常盤通りよりも北側の内陸部の土地は標高が低い逆転状態の地勢で、確かに特異である。

この理由について、常盤通りがかつては砂地の丘陵地帯であったからとされている。宇部の街に人々が暮らしを営み始めた初期は緑ヶ浜と呼ばれ、白砂青松の松原だったという。これには福原時代に松を受けることを推奨していたことにも依る。この丘陵部の東は遙か昔は現在の松山通り付近、西は丘が次第に低くなりながらも居能まで伸びていたと考えられている。

この丘陵部の成因については河川が永年かけて山から運んできた、逆に海から寄せられた砂が堆積したとさまざまな仮説が提出されている。現在のところ内陸性の津波など海水によって運ばれたのではないかという説がやや優勢である。[1]

東西に伸びる細長い砂丘に遮られる形になったために、かつての真締川(間占川)は真っ直ぐ海に注ぐことができず樋ノ口付近で大きく西へ屈曲し、居能方面へ注いでいた。大雨で川が増水したときの水はけが悪く、潮が満ちれば海水と混じるため耕作や人の居住に向かない荒れ地だった。
屈曲する間占川に対し、樋ノ口から真っ直ぐ海へ注ぐよう掘削された水路部分がいわゆる新川である。
いずれ項目を作って記述する予定

内陸部の樋ノ口よりも常盤通りの松原の方が標高がある。したがってそのまま掘削しても逆勾配になり川として機能しないので、海に向かうにつれ段々と堀割部分を深くする必要があった。このことは樋ノ口から現在の真締川を河口部に向かって辿ると、次第に両岸の石積みが高くなっていることで確認できる。
現在の常盤通りや周辺の建物は砂州の上に造られたので、真締川と交差する国道部分は完全にフラットである。他方、内陸部を通る市道緑橋芝中線や市道宇部新川恩田線は、真締川を横断する前に若干登り坂になっている。
「どうして内陸部に向かうのに下り坂になるの?」
「昔の常盤通りは松原の広がる細長い砂丘だったから。」
この高低差は5m以下なので、国土地理院の地図には等高線として記述されない。しかし市道栄町線をはじめ、常盤通りに向かって自転車を漕ぐとその勾配を身体で感じることができる。
向かい風のときなど坂がきついと感じられる程度の勾配
《 パブリックロード 》
項目作成日:2017/12/25
現地撮影日:2016/8/23
寿橋通りと緑橋通りの間の区画、下り線側の壁にパブリックロードと書かれた標示板が設置されている。


プレートのある位置図を示す。


標示板の設置は(社)宇部青年会議所となっている。


しかしこの道がパブリックロードと呼ばれるのを聞いたことがなく、今のところ公式ドキュメントにも見当たらない。まだ宇部警察署が市役所の北側にあった時期に公共施設が多い通りという意味で名付けられたのかも知れないが、詳しいことは分かっていない。(→メモリアルロード
松月堀児童公園
情報この項目は記述内容が多くなったので公園カテゴリの独立記事に移動されました。記事の移転先は項目タイトルに設定されたリンクを参照してください。
《 総合庁舎前T字路 》
市道栄町線の終点は県道琴芝際波線と接続されるT字路の総合庁舎前交差点である。
市道栄町線は交通量の多い4車線だが、交わる先は上位の県道で更に上回る交通量をもつ。このせいか県道側の青時間がかなり長く、市道の信号が赤へ変わった直後だとかなり待たされることになる。このため早くからこの交差点をショートカットする経路について検討していた。

交通実態を見る限りここでは左折車の方が若干多いように感じる。個人的にはアジトへ戻るにはここを右折する必要がある。神原交差点方面に向かう車も同様なのだが、タイミングが悪いと総合庁舎前交差点でかなり待たされ、右折した直後に琴芝交差点の歩車分離式信号で再び待たされ…となりがちである。

歩車分離式の琴芝交差点を迂回できる市道樋ノ口琴芝線は起点が総合庁舎前交差点より西側にあるので、車ではショートカット目的にはならない。
しかし自転車の場合、県道を渡って直進する細い道を介して直接樋ノ口琴芝線に向かうことができる。


この細い道は地元管理の道で、歩行者や自転車は自由に通行できる。詳細は以下の派生記事を参照。
派生記事: 総合庁舎前T字路への近道
幸い市道栄町線は直線的で遠くから総合庁舎前交差点の信号の状態を視認できる。タイミングが合いそうにないときは宇部新川恩田線を経由する方が早い。
栄町通踏切での一旦停止時間を考慮する必要がある

踏切を横断した後に総合庁舎前交差点の青信号に間に合わないと気付いた場合には、3本ある小路地を経由して琴芝通りか国道190号に向かった方が概ね早い。小串や小羽山方面に向かうときも総合庁舎前交差点を通らず、宇部新川恩田線と小串通り線を経由した方が道幅が広く交通もスムーズである。
なお、稀に総合庁舎の駐車場敷地内を経由して交差点の信号をバイパスする外部車両を見かけるが、敷地内の用途外通行であり、やってはならない通行法である。
県道に出づらい上に歩道の往来も多い…危険なだけでバイパス効果がまったくない

走行条件によっては総合庁舎前交差点の回避行動を考える程度に市道側の青時間が短い。しかし県道を走る車の大半が市道栄町線に向かわない直進車両であり交通量も勘案すれば、現在の県道・市道の青信号時間の配分は適正だろう。

この他、総合庁舎前交差点で市道栄町線の終点部分を横切る横断歩道を通るときは、県道の背後から来る車の動向に注意が必要だ。
横断歩道の状況に気付かず突っ込んでくる車が多い


なお、総合庁舎前交差点はT字路だが、都市計画道路レベルでは市道栄町線の終点から先を延伸し十字路にする構想は一応存在するようだ。
もっともT字路の上には慶進高校の校舎が建ち、その北側も民家が詰まっている現況を見る限り、総合庁舎前交差点が十字路になる可能性はほぼゼロであると断言して良い。[2]
《 「〜町(まち)」と「〜町(ちょう)」 》
「市区村レベルでの」と表記した場合、この読み方は明らかに「ちょう」である。いくつかの漢字を並べて造られた熟語は一般的に音読みされるものだからだ。
しかし固有名詞として「〜町」と表記された場合、その部分は「ちょう」「まち」双方の読み方が有り得る。居住地や世代、年齢によって読み方が揺らぐことがあっても多くの場合はどちらか一方に傾いて定着しがちである。

例えば松山町、常盤町では殆ど確実に「〜ちょう」と読まれる。「まつやままち」「ときわまち」と読んでも理解はできるが、少なくとも私はそのように呼ばれるのを聞いたことがない。他方、東本町、港町についてはこの逆で誰もが迷わず「ひがしほんまち」「みなとまち」と呼ぶように思える。

さて、本路線に出てくる栄町の読み方については、明白に「さかえまち」である。市道路河川管理課のリストでは「サカエマチセン」という振り仮名表記があったし、JR宇部線の踏切も「栄町通(さかえまちどうり)」という読み仮名が添えられている。[3]


漢字の音読みは中国に由来し、訓読みは日本古来からある土着の読み方と漢字を対応させたものと認識される。それ故に訓読みは素朴で古めかしい印象がある。しかしだからと言って成立の古い「町」が確定的に「まち」と呼び習わされているとは必ずしも言い切れないだろう。

実際の呼ばれ方を分析すれば「〜町」の前の部分が一文字の訓読み漢字である場合、町もそれに合わせて「まち」と呼ぶ場合が多い。上町、港町などがその法則に該当する。
しかし「新町」は新の字が音読みであるにもかかわらず「しんまち」の読みが固定している。錦町や浜町は「まち」と「ちょう」双方の呼ばれ方を耳にしており、一方に偏っているとは言い難い。

感じとしては市街部のより中心部に近い場所にある町は「まち」と呼ばれることが多いようにも思える。ただ現時点では「ちょう」「まち」のいずれの読みが定着するかはかなり慣習的な要素が大きいとしか言えない気がする。
出典および編集追記:

1.「海の方からゴーゴーという音が数日聞こえてある朝、清水崎の高台から海の方を眺めると白く光る砂地が出来上がっていた」という古くからの伝承が郷土史話に知られている。これは遠方の地震や火砕流による内陸性の津波を描写したものという説がある。この仮説は過去の災害事例や文献の参照を要する。「両子山火砕流仮説?」も参照。(要ログイン)

2. そこまで断言した本項目を記述後、慶進高校においてまずT字路に面している木造校舎が壊され、次いで2015年からは隣接する鉄筋コンクリート校舎も撤去された。このため都市計画道路を意図した撤去かと思われたが、単純な建て替えであることが後日判明した。
現在、新しい校舎の鉄骨部分の組み立てが進んでおり都市計画道路が通じる可能性は更に低くなった。もっとも道路計画については説明済みの筈であり、将来都市計画道路が実施に移される折りにも異議を唱えないよう同意書を提出しているものと思われる。
学校敷地より北側はなお民家が連なっている。本路線を浜バイパスまで延伸し接続するにはアルク琴芝店にも一部がかかる筈で、供用開始まで早くとも数年先なのは確実だろう。(2016/5/16)
浜バイパスからこのT字路を経て本路線をなぞる都市計画道路として琴芝宇部港線が策定されている。木造校舎の解体は老朽化のためであるが、都市計画道路の策定は平成3年のことであり計画線上に恒久的な建物の建設はできないため無関係ではないと思われる。都市計画道路のT字路部分についてはこちらの外部リンクを参照。(2016/12/29)

3. 振り仮名を書く場合は一般には「〜通り」は「〜どり」が正則である。しかし通り名を名称に含む鉄道の踏切名に限っては常に「どうり」で送り仮名なしの「通」のみが書かれる。かつてはどちらの表記でも問題なかったのかも知れないが、指摘があったらしく2016年の10月末までに市内すべての「〜通踏切」の送り仮名が「どおり」に書き換えられた。書き換えは振り仮名全体ではなく「う」の上に「お」のシールを貼る安直なやり方で、重ね貼りされた活字は元のものと大きさも字体も異なる。11月中旬までには既にシールが剥がれかけている踏切名があるという報告があった。(2016/11/28)

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