桃山の急坂

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記事作成日:2016/9/23
市道小松原通り線を北へ進むと、平野部の端へ到達したところでいきなり猛烈な登り坂が始まる。
写真は坂の麓にあたる場所からの撮影。


この坂の始まり部分をポイントした地図を示す。


この坂道に定まった名称は与えられていない。桃山の坂とか六角堂の坂などと呼ばれている。後述するような理由により、この坂道に対する昔からの名前は存在しないようである。
桃山は傾斜地を含む地名なので、高台へ登る道はおおむね坂道である。この呼称では先々で他の坂道を記述するとき困るかも知れないが、ここでは桃山の急坂として記述する。なお、坂の最上部に六角堂を含んでいるが、その周辺については六角堂の項目に記述する。
《 成り立ち 》
地図でも明らかなように、この坂道は桃山の高台へ向かって直線的な経路をとっている。その勾配は現在でも決して緩いものとは言えない。通常このような道が自然発生することはなく、幅が広ければお宮の参道のように石段化されたり、あるいは山岳の登山道のように昔の踏みつけ道の姿を保っているものである。

坂の最上部に桃山配水計量室があり、高台には宇部の水道の黎明とも言える沖の山水道に関する遺構が存在する。このことから坂道は自然発生的に生じたのではなく、沖の山水道時代に埋設された管路上を車が通れるように拡幅整備したのではないかと考えている。今のところ管路上の拡幅を裏付ける資料は得られていない。[1]また、同一線形ではなくとも前身となる踏みつけ道が存在した可能性はある。[2]

昭和後期あたりまでは坂の途中は木々が鬱蒼と茂っていたようだが、現在では民家が詰まっており新興住宅地を通る坂道のような様相を呈している。
【 地形の改変について 】
実際に小松原通りを北へ走ると体感されるように、小松原から西桃山にかけては殆どフラットながら、北の端でいきなりこの急坂が始まっている。地形的に如何にも不自然で、これは早期に人為的な改変を受けたからではないかという説がある。

現在の西桃山にある医学部のグラウンドはかつて炭住があり、随所で採炭が行われていた。採炭後の耕地整理の結果かも知れないし、更に時代を遡って鵜の島開作に必要な土を採取した結果ではないかという意見も提唱されている。採炭の事実は資料で明らかだが、土取りについては可能性としては充分に考えられるにしても、坂の麓付近の地形に影響を与えるものだったかは明らかではない。
出典および編集追記:

1. 六角堂付近で渡邊祐策をはじめとする関係者が写っているモノクロ写真が知られる。写真では山の斜面に桃山配水計量室が存在しているだけで踏みつけ道のようなものは見えない。

2. 坂の中腹に明治期の年号が見える古い庚申塚が見つかっている。詳しくは後続の項目を参照。
《 現地映像 》
この坂道は水道局管理の六角堂を少し過ぎたところまでの約400mで50m程度の高度を稼いでいる。写真はいずれも自転車を押し歩きしつつの撮影である。
【 登り方向 】
現地撮影日:2015/2/28
坂が始まる麓地点。
左右に枝道があるがいずれも行き止まりである。左下へ見えているのは桃山水路


重量制限の標識が出ている。


勾配は一定しておらず麓から最初のうちはやや緩い勾配である。
ギア着きの自転車ならまだしもそうでないママチャリでは押し歩きすることになる。


若干勾配がきつくなり、その後暫くは一定勾配で登っていく。
沿線に建つ住宅は平場を確保する必要があるため必然的に道路側は石積みや擁壁となっている。


坂の中ほどで登る方向では右側に小さな余剰地があり、そこに思いがけず古い遺構の存在が確認されている。


地区のゴミステーションがある手前の植え込みに明治期の庚申塚が見つかっている。既に記事公開されているのでリンクで案内する。
派生記事: 桃山の坂の途中にある庚申塚
坂の勾配は一定ではなく僅かながら変動している。
この辺りがもっとも勾配がきつい。
先の方で道の中央が隆起しているように見えることで分かる


若干勾配が緩まった先で左側に地区道分岐がある。


この道は部分的に昔から存在していたようだが、昭和後期まで家は疎らであり棚田が目立っていたようである。後年新興住宅地として整備された折りにこの地区道が整備された。

地区道の両端にはこのような一般車両の通り抜け目的での利用を禁止する看板が出ている。


この道は後年整備されたため道幅が広く、本路線の終点付近に出てくる。看板で明示されている以上、通り抜け目的で利用してはならないのだが、きつい坂と六角堂の横の狭隘地点を嫌気した車がしばしば双方向から迂回路として利用している実態がある。市道上中堀岬線の終点付近に現れる地区道を経由したショートカット問題と同様である。

本路線よりも安全に通行できる道がありながら通行制限をかけているのを見ると嫌がらせのように見えるだろうが、そうではない。頻繁に外部車両が通行すると道路が早く傷むからである。管理に係る費用は認定市道の場合市が財源だが、地区道はそうではない。無関係な車がタダで通って補修費用は自治会費から捻出させられ、更には排気ガスと騒音を撒き散らされ、団地内で遊ぶ子どもの安全まで脅かされる。団地在住者にとってメリットは何一つない。
そうは言っても地区道へ乗り入れた車が真に団地の人たちへ用事があるのか、単なる通り抜けなのかを判別する方法などなく、結局は運転者のモラルに任されているのが実情だ。
そして今やモラルなど死語同然な現代社会だから当然ながら殆ど守られる筈もない

この問題についても過去に記述しているので以下の記事を参照されたい。
派生記事: 生活道とは|通行について
地区道分岐のところで若干勾配が緩むが、その先の屈曲点を過ぎて六角堂が見え始めるあたりから再び勾配がきつくなる。
ここにも重量制限の標識が出ていた。


坂がきつい。本当にキツイ…sweat
自転車を押し歩きしていてもまるでタイヤと足の裏がアスファルト路面に粘り着いているような感覚がある。前に足を出すのに凄い労力が要るのである。


まるで登山感覚の如く自転車を押し歩きして、やっと六角堂の下までたどり着いた。


この先は六角堂を中心として四輪は西側(左側)、歩行者と自転車は東側(右側)を通るようになっている。この辺りの詳しいことは六角堂の記事を作成した折に記述する。
【 下り方向 】
現地撮影日:2016/3/29
小松原通りは逆方向に辿るとやや西に振れた南北に伸びる経路のため、午後撮影すると大抵逆光になる。日差しの弱い時期に撮影されたものを掲載する。

終点側からだと六角堂のかなり手前に重量制限の標識があり、その後少しずつ下り勾配になっている。


六角堂を背にして撮影。直線的に下っていくのが分かる。


勾配変わりが始まる辺り。
押し歩きの場合自転車のハンドルをしっかり握り、軽くレバーを引いて制動しなければ下へ引きずり降ろされるような感覚だ。


これほどの勾配なので、撮影するたびに片手でしっかり自転車を保持しつつカメラを構えなければならない。登りだと身体に自転車を押しつけて保持できるが、下りだと本当にどんどん転がってしまいそうだ。

しんどいのでズームで一括撮影している。
平坦路の部分と坂道は一直線ではなく捻れていることが分かる。


物理法則に身を任せるなら、自転車に跨がりさえすれば一番下まで転がっていくのは自明だ。しかし今まで何度かこの道を通る過程で乗って下る人を見たことがない。あまりにも危険すぎる。横道から車が出て来たら絶対に停まれない。自転車の保守という面からしても、制動しつつ乗って下るとあっと言う間にブレーキパッドがなくなってしまうだろう。恰もおろし金の上で消しゴムを擦りつけ続けるように…

車の場合でも同様で、MT車ならサード以下で下らなければ加速し過ぎてしまう。しかし今やAT車が殆どな状況で、少なくとも登りは途中で停まってもそう困難はない。慣れた車は結構よく通っている。そして自身でも登り下りの双方を通ったことがある。

六角堂の横を過ぎてから坂を下り終えるまでの車載動画が見つかった。
2009年1月9日の撮影である。

[再生時間: 47秒]


初期の動画であるからか画質が悪く、また動画撮影中のカメラを固定しつつ運転するという危険なことをやっているため、殆どダッシュボードしか写っていない。この当時は普通車を運転していた。 なお、この動画は個人的にはYouTubeへ掲載した最初のものである。
《 Googleストリートビュー 》
途中まで画像採取されている。
以下は坂の始まる地点。


このまま六角堂が見える場所まで進んでいるが、坂の上部まで画像採取しつつ進むのは困難と判断したのか、途中で地区道へ右折している。
《 個人的関わり 》
注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現代では六角堂や桃山配水池などこの方面の題材を採取する折に自転車で訪れるのみである。
最初期に六角堂を訪れたときのレポート。全3巻のうち下巻でこの坂について言及している。
外部ブログ記事: 六角堂【下】(2009/4/9)
Facebookページでの投稿。(要ログイン)
FBページ: 六角堂の急坂【1】(2016/3/30)
FBページ: 六角堂の急坂【2】(2016/9/20)

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