![]() | この記事は分量が多くなったので市道上中堀岬線の派生記事から独立記事に分割しました。 |
丸久末広店は、かつて末広町1707-4に存在していた丸久系列の店舗である。
写真は当該建物。2012年の撮影。
最終編集日時点で当該建物は協立在宅介護総合センターとなっている。
看板は変わったが、この建屋自体は恐らく丸久末広店時代のものを使っている。
残念ながら営業当時の店舗を撮影した写真は手元になく、今のところ存在も知られていない。現在ある協立在宅介護総合センターは、丸久(現在はリテールパートナー)との直接の関係はない。しかし手元には丸久末広店時代が分かる若干の客観資料と当時の記述(日記)があるので、それらを中心に個人的関わりも分離せずにまとめている。なお、丸久に関する一般事項は総括記事を参照。
《 開店時期 》
後述するように当時の広告が手元にあるため開店時期が正確に判明している。即ち昭和57年(1983年)8月20日だった。折りしも大規模店舗法の改訂で出店条件が緩和されたことで、市内のあちらこちらに個人商店よりも品揃えが多いが既存の大型デパートよりは小規模な店が増え始めた時期である。丸久末広店はそのうちの一つであり、ほぼ同時期に清水川交差点の西側(現在はどんどんや宮脇書店のある区画)に丸久清水川店もオープンしていた。個人的に丸久末広店の開店は2つの意味で驚きだった。丸信恩田店や現在のアルク恩田店が元ボウリング場だった建物を改装して造られたのに対し、丸久末広店は田んぼだった場所に全く新しく店舗が造られたこと、もう一つは開店1年くらい位前に自宅から南のある場所へスーパーが出来る夢を見ていたからだった。
(ただし夢で見たのはこの場所ではなく市道長沢源山線沿いのかつて平屋があった場所)
【 開店当日の広告 】
開店記念の広告の表面。裏面。
所在地と電話番号、営業時間が分かる部分。
店内の陳列棚レイアウト、オープニングセレモニー、ショッピングバッグの案内。
案内地図。
恩田交差点付近に主要な建物がなく、恩田公会堂がランドマークとして案内されているのが面白い。
この広告は現物を保管している。(ただし最終編集日時点では日記に綴じられておらず他の広告などとまとめて保存している模様)
【 開店当日の日記 】
この記事を作成する前までは、開店当日お店には行っていないとばかり思っていた。改めて昭和57年8月20日の日記を調べたところ、殆ど丸久末広店のことだけを詳しく書いていることに気が付いた。この画像だけでは文字が読み取れないので、表題と関係ない部分や個人情報など掲載に差し障りがある部分を除いて誤字も直さずそのままここに転記する。本題から外れて冗長になるため既定で非表示としている。
【 スーパー白鳥との関係 】
前掲の広告ではスーパー白鳥末広店と表記されている。白鳥は則貞に主要店舗を構える初期のスーパーだった。後年には丸久末広店と呼ばれるようになったが、初期は白鳥のチェーン店舗という位置づけであったことは、発行された当時のレシートでも分かる。白鳥は丸信や富朝のように、買い物金額に応じてスタンプを発行するスーパーだった。グリーンスタンプとブルーチップは台紙に貼って冊数に応じて商品に交換できるのに対し、白鳥のスタンプは台紙に一定枚数貼れば金券代わりに使用できた。丸久が宇部市街部にスーパーマーケット事業を展開するときに白鳥方式を採用したと思われる。このことで丸久は新規に独自のスタンプを制作する必要がなく、白鳥チェーン入りして白鳥のスタンプを発行することで貯めたスタンプを他の店舗でも使用できる利便性に着目したと考えられる。
丸久が市内にいくつか他の店舗を展開し、後にスタンプを発行せずポイントを記録するカードに移行してからは白鳥スタンプの発行を止めている。
《 店舗および周辺 》
前掲2枚目の写真でも分かるように、出入口は建屋の両端2ヶ所にあった。その中間の屋外に特売品などが積まれていたのは現在のスーパーと同じである。2つある出入口は、夜間は双方が入口・出口専用になっていた。日記でも書いているように、店舗内部は狭い空間にぎっちりと商品を陳列されていた。特に陳列棚の間の通路幅が狭く、買い物カゴを持ったままお客同士がすれ違えなかった。最初は慣れるまでかなりの圧迫感があった。末広店は「入ってすぐのところが野菜売り場」だったが、清水川店ではその配列が末広店と左右逆だった。
当時恩田に住む家からは離れていたにもかかわらず、私は結構この店へ買い物に行った。もっとも物理的な距離では赤岸にあった丸信恩田店の方がずっと近かった。両方の折り込み広告が入るので、欲しい商品がある方でまとめて買い物していた。
特筆すべきは営業時間が長いことである。丸久末広店ができた昭和50年代中頃では、多くのスーパーが午後6時には店を閉めていた。現代ではおよそ考えられないが、主人が外で働いて奥様は掃除洗濯など家仕事を行うのが普通だったため、午後5時までに買い物を済ませて夕食の支度にかかれていた。共働き比率が高くなってからは、奥様も仕事を終えてから買い物する需要が高まった。この過程で店をあけておく時間が少しずつ長くなった。
丸久末広店を含む同列店舗が午後10時まで空いていることは、当時のスーパーとしてはもっとも遅い閉店時刻である。夜遅くや深夜に空いているお店としては、東芝中辺りにあった個人店舗の菅公くらいであった。末広町は恩田からは自転車の射程距離なので、ママチャリで出かけていた。特に多かったのは、小野田へ家庭教師に行って宇部岬駅から家へ自転車で帰るときに立ち寄るパターンだった。帰りは宇部岬駅で降りるのは午後9時を回っていたが、10時まで開いているため余裕で買い物ができた。
【 店員 】
個人商店と違い、レジ係は何人も居るパートの女性がレジを担当するので顔を覚えられなかった。しかしお一方ほど自分よりずっと年上で髪の長い女性がいた。前述のように長い髪の女性に憧れていたこともあり、かなりお気に入りだった。大学生時代、確か小野田の家庭教師から帰りに店舗へ寄って色物のタオル(濃い青色)を買ったときだった。レジ精算するとき、その女性は青いタオルをカゴに移すとき「濃い色だから洗濯するとき気を付けちゃないと他のものに色移りしますよ」と教えて頂けた。当時のレジは商品をカゴに移しながらレジの数字を手打ちするだけで話すことは殆どなかったから、初めて声をかけられて嬉しかったのを覚えている。
(今思えばあの当時から年上の女性を好む傾向があった)
《 関連記事リンク 》
出典および編集追記:
1. チケットは横長の長方形で白地に薄水色の白鳥がデザインされたものだった。裏糊はなく自分で別途糊をつけて台紙に貼っていた。白鳥チケットと共用だった理由はよく分からない。チケット関連業務を白鳥に委託していたのかも知れない。
2. シールが剥がれ割れかけたカードを見てレジの方から「年季の入ったカードですね」と感心されたことがある。しかしカードを作り直しましょうかと言われたことは一度もない。割れているのをテープを貼って今も使っている位だから古いカードに愛着がある買い物客だと理解して頂けているのだろう。また、別のディスカウント系ストアで間違ってこのカードを出しかけたとき初代のカードと分かったらしく妙に珍しがられた。
1. チケットは横長の長方形で白地に薄水色の白鳥がデザインされたものだった。裏糊はなく自分で別途糊をつけて台紙に貼っていた。白鳥チケットと共用だった理由はよく分からない。チケット関連業務を白鳥に委託していたのかも知れない。
2. シールが剥がれ割れかけたカードを見てレジの方から「年季の入ったカードですね」と感心されたことがある。しかしカードを作り直しましょうかと言われたことは一度もない。割れているのをテープを貼って今も使っている位だから古いカードに愛着がある買い物客だと理解して頂けているのだろう。また、別のディスカウント系ストアで間違ってこのカードを出しかけたとき初代のカードと分かったらしく妙に珍しがられた。
