厚東川ダム

ダムインデックスに戻る

記事作成日:2015/3/27
最終編集日:2020/8/20
厚東川(ことうがわ)ダムは、宇部市二俣瀬区木田にある歴史の古い多目的ダムである。
写真は右岸にあるダム管理事務所駐車場からの撮影。


位置図を示す。


Wikipedia に厚東川ダムの項目[1]が作成されており、県のサイト[2]にも概要が掲載されている。一般的事項は上記項目を参照して頂くとして、ここでは各論的内容を述べる。
《 一般事項 》
ダム堰堤部はゲート室が占有しており管理区域となっているため、車の往来はもちろん一般の立ち入りもできない。この構造は昭和初期に造られた向道ダム木屋川ダムと同様である。


ゲート室が造られたのは昭和後期で、それ以前は堰堤上を自由に往来できていたという話もある。[3]堰堤に取り付けられたクレストゲートは当初から存在していたが、屋根のない時期は雨ざらしであった。この建屋を設置することによってクレストゲートの保守点検目的で堰堤上両側に設置されていたレールは使用不能となった。[4]夏季の「森と湖に親しむ旬間」ではゲート室が公開され、中を観ることができる。

昭和40〜41年に新規水源開発の一環としてダム堰堤を嵩上げして湛水量を増やすべく、通産省と県の共同調査が行われた。しかし湛水面積の増加によって水没する家屋が400戸あり、経済的な問題点から予備調査の段階で終わっている。この代替案として丸山溜め池地点に宇部丸山ダムを造り、小野湖と湖底部で接続することで解決をはかった。[5]したがって小野湖と丸山ダム湖は離れていながら地下で繋がっている。丸山ダムと湖水を相互運用する取水口はダム管理事務所から100m程度上流側の入り江にある。
地理院地図では点線表記されているがこの経路には一部誤りがある

現在の厚東川発電所に向かう道が厚東川ダム以前の右岸側の旧道であった。県道小野木田線は発電所前の分岐より山の斜面をなぞるように進んでダム管理事務所横を通る。ダム建設により付け替えられた道で交通量は極めて少なく随所に古い構造物が遺っている。左岸側は一ノ坂より先でダム湖へ沈んでいく部分が旧道であり、同様に中腹を通る道に付け替えられ、後年国道490号として整備された。

ダムによって堰き止められた湖は小野湖と呼ばれる。
写真はダムの北側から撮影。遠方に厚東川ダムのゲートが見えている。


小野地区に近い高台は小野茶の名産地であるが、ダムにより水没する地域の農業補償として茶作りを推奨し、宇部興産(株)が当時製品の副産物として発生する硫安を給付したことに端を発する。したがって小野茶の歴史は厚東川ダムの歴史に等しいとも言える。
《 関連する設備 》
厚東川ダムは治水(豪雨による洪水と旱魃による渇水を平坦化する)利水(工業用水など利用可能な水の貯留)発電(位置エネルギーを取り出す水力発電)を認可された多目的ダムである。このような多目的ダムは現在ではまったく一般的であるが、厚東川ダムは水資源総合開発事業の初期の例である。以下、項目毎に記述する。
【 治水 】
厚東川ダムはゲート操作を必要とするダムである。このため県道小野木田線の通る右岸側に厚東川ダム管理事務所があり、交代制で職員が常駐して計器類の監視や設備の維持管理を行っている。特に台風襲来時や長雨が続いて上流からの流入が極度に増えた場合、複数の職員が待機して警戒態勢がとられる。

毎年梅雨時期になると雨続きで河川が増水する。このため気象予報を勘案しつつ前もってダムの水位を下げて洪水に対処される。それでも上流域の降雨が極度に多いと流出量より流入量が上回る場合がある。この場合でもゲートを部分的に操作して上流からの流入がすべて放出されないようコントロールされる。この場合でもゲートで押しとどめることが出来る限界があり、設計水位以上に湛水させるとダム本体の安全が脅かされる。この限界に至ったときに限りすべてのゲートを全開して上流からの流入をそのまま放流する。

すべてのダムにおいて上流からの流入量(たとえば100)を上回って(たとえば120)放流するようなことはない。これは厚東川ダムに限らずすべてのダムについて言えることであり、ダムのある下流域で水害が出たとしてもそれはダムが原因ではないことに留意すべきである。
もしゲート操作可能なダムが無かったら被害はもっと大きくなると考えられる

厚東川ダムのゲートは管理事務所側から順に1〜8番が割り当てられており、ゲートを開けて放流を必要とする場合には4、5、3、6、2、7、1、8番の順に操作される。これはダム堰堤にかかる水圧を軽減すると共にゲートから流れ出るダム水を河川のなるべく中央部に集めて両岸を護るためである。

近年の事例では2018年6月30日に1番ゲートまで開放した場面が観測されている。
手前の1番ゲートを少なめの水が流れ一番奥の8番ゲートのみ閉じられているのが分かる。


ダム便覧の表紙にはすべてのゲートが開いてダム水が流れ出ている写真が掲載されているが、これは試験湛水による負荷試験の実施時の写真である。

晴天が続いていたり降雨があっても流入量が少ない場合、ゲートはすべて閉じられている。このときの流出は市街部へ飲料水を含めた工業用水を送る厚東川1期工業用水道、宇部興産所管の厚東川発電所と河川維持放流分のみである。厚東川発電所が停止しているとき河川維持放流は1、2番ゲートの真下にある排砂管により行われる。


排砂管は上記写真のように2つあるが、河床中央寄りにある方は永年操作しなかったことによりバルブが動かなくなっている。排砂管という名称ではあるが、厚東川ダムには排砂機能はなく排出されるのは清澄なダム水である。
【 利水 】
ダム建設は戦時中を挟んでおり戦後に完成した。それ以前から小野湖に水没することとなった集落の更に上流から灌漑用水を送る長溝用水が存在しており、木田地区の田を潤していた。慣行水利権の保障のため、長溝用水は厚東川ダムと並行して建設された厚東川1期工業用水道から取水している。丸山用水も同様だったが、後に建設された宇部丸山ダムが灌漑用水を給水するようになった。

2014年3月に厚東川ダム直下にある管理道の途中に宇部丸山ダム送水ポンプ場が建設された。


従来は宇部丸山ダムに湛水域を造って小野湖の延長としていたが、電力を使って一部のダム水を強制的に宇部丸山ダム側へ送出できるようにしたものである。これは厚東川ダムが利水のみならず治水目的ももつため、豪雨が予想される梅雨時期前には(田畑の灌漑用水需要が高くなると分かっていながらも)小野湖の水位を下げざるを得なかったことに対応している。宇部丸山ダムは(上流にある薬師川の集水域が広くないため)利水のみに特化していて梅雨時も制限なく用水を貯留することができる。従来は梅雨前に厚東川へ放流していた(捨てていた)ダム水をあらかじめ宇部丸山ダム側へ送出しておくことにより、厚東川ダムの治水目的を保ちつつダム水を有効利用することに貢献した。2017年は夏季に雨が極端に少なかったが、工業用水の取水制限が少しかかったのみで一般家庭に影響が及ばずに済んでいる。
【 発電 】
厚東川ダムの建設には、工業用水や電力の最大の需要家であった宇部興産(株)が大きく関わっている。ダム下右岸側に宇部興産(株)独自の厚東川発電所があり現在も稼働している。得られた電力はかつて22kVに昇圧され特別高圧線によって窒素工場に送電されていたが、平成23年7月より中国電力への売電に切り替えられた。これに伴い特別高圧線は変圧器からの立ち上がりとなるNo.1鉄塔を残してすべての鉄塔が撤去された。


昭和50年代後半には厚東川1期導水路向けの送水落差を利用し、企業局がマイクロ発電として二俣瀬発電所を設置している。
写真はダム管理事務所近くの駐車場より撮影。


これは現在推進されている小さな落差を利用した小水力発電の嚆矢となるものである。ただしこの建設により周辺が大きく改変されて管理区域となり、県道からダム堰堤直下へ降りることが出来なくなった。従来は県道から現在の発電所がある近くまで降りることができていた。
【 その他 】
ダム管理所から若干上流側に厚東川ダム水神社が設立されている。


以前は木製の鳥居だったが、老朽化したので平成25年11月に現在の新しい鳥居に更新されている。

ダム事務所手前から更に一段高い場所へ向かう道があり、高台にダム管理事務所から県土木や厚東工水に水位情報などを送受信する電波塔が設置されている。同じ敷地内にはかつて宇部興産(株)の山の家研修所が存在した。現在は当時の給水関連の設備や階段など一部の遺構が確認できるのみで建物自体はすべて取り壊されている。

厚東川ダム水神社から宇部丸山ダム向け取水口にかけての県道より対岸の小野湖水面付近に鋼製の構造物が見られる。
写真は取水口付近からの撮影で、左側端に小さく写っている。


この構造物の正体は永らく不明で、網場を固定するための基礎と思われていた。後にかつて使われていた小野湖の水位計であったことが判明している。詳細は以下を参照。
派生記事: 旧水位計
現在はダム管理事務所の外とダム堰堤上に設置された水位計が使用されている。

右岸側の更に上流に右岸曝気室が設置されている。この場所はかつて旧県道の道路敷だった。
左岸側の曝気室は国道490号一の坂バス停の先にある。

右岸曝気室の更に先には宇部丸山ダム向けの取水口がある。この取水塔付近にはコンクリートの橋脚のような遺構が藪に埋もれている。


この遺構は県の作成したパンフレットで厚東川ダムを航空撮影した写真にも写っている。ただし厚東川ダムとは関係のない遺構であり、かつて鉱石を採取していた坑口の跡である。高温に晒すことで見かけの体積が膨れあがる特殊な鉱石が産出していたという。内部からは金気を含んだ水が採取されていたようで、ミネラル成分を期待して飲んでいたという人が存在する。坑道は現在も塞がれていない模様。[7]
《 Googleストリートビュー 》

《 見学会情報 》
厚東川ダムは夏季の「森と湖に親しむ旬間」における見学会の対象ダムとなっている。ただし見学できるのはダム管理事務所内とゲート室および堰堤上だけで、監査廊内部の見学は職員随伴でも認められていない。階段の最上部から撮影するのみである。
写真は2018年度見学会のとき職員随伴で監査廊入口を訪れたときの撮影


この理由はダムの成り立ちが古く、内部の階段や通路が安全に通行できる状況になっていないからとされる。階段の踏みしろが狭かったり、1m近い段差がそのままになっていて職員の通常業務においても支障を来している場所があるという。どうしても内部の様子を知りたいという要望は多く、2017年実施時から監査廊入口前フェンスに職員が内部を撮影した画像がラミネート加工された状態で展示されるようになった。

同年度より希望者はゲート室の下流側外部にあるキャットウォーク(放流口点検用通路)を職員随伴で歩くことが出来るようになった。ただし女性や幼児などの単独見学者の場合は要望に添えない例もあったようで対応が分かれる場合がある。

歴史あるダムでありながら長いことダムカードが存在しなかったが、見学者の要望が多かったためカードが新規作成され2015年より来訪者を対象に配布が開始されている。その後関連する宇部丸山ダムと宇部丸山発電所もそれぞれダムカード・発電所カードが作成された。

ダム配下の発電所は県企業局および宇部興産(株)所有で管轄が異なるため、見学会での正規の見学対象から外されている。
ただし希望すれば二俣瀬発電所近くまで降りることは可能な場合がある

2020年度の見学会は covid19 を理由に県内すべてで中止された。
《 近年の変化 》
・2018年の始め頃にダム管理事務所手前にある駐車スペースの区画線が引き直された。上の Google sv では県道と並行に区画割りされていおるが、県道に対して直角に駐車するよう変更されている。ダム見学会で多くの来訪者の車が来たときの場合を考えてのことと思われる。


ただし駐車場背後のフェンスが低く、すぐ後ろは20m以上の垂直な崖である。直下には工業用水道関連の重要な設備がある。バックで駐車する際にアクセルとブレーキを踏み間違え暴走転落すると死亡事故に繋がるのみならず宇部市街部向けの工業用水送水が停止する。駐車する際は注意するよう強く勧める。[8]

県道は駐車禁止区間指定になっておらず車の往来も殆どないため、ダム管理事務所職員の車移動などに支障がなければ路上駐車して構わない。
平成23年度に行われたダム見学会のレポート。全4巻。なお、一部の記事を限定公開としている。
時系列記事: 平成23年度見学会【1】

平成30年度に行われたダム見学会のレポート。全3巻。収録画像52枚。文字数約14,000文字。(2020/8/17脱稿)
すべての記事を限定公開にしており閲覧には会員登録が必要。
時系列記事: 平成30年度見学会【1】
【 限定公開記事ダイジェスト 】
以下に上記限定公開記事の主要300文字(但しタグや埋め込みオブジェクトを除く)を掲載する。
2018年7月25日の午後、私は毎年公表される「森と湖に親しむ旬間」のスケジュール表を元に、厚東川ダム管理事務所を訪れた。


ダム管理事務所は県道217号小野木田線沿いにあり、国道2号から訪れる限りアクセスは良い。見学会では事前の予約なしに現地へ直行して良いのも前回配信した宇部丸山発電所と同様である。私が訪れたとき先客がほぼ見学を終えて堰堤から管理事務所へ戻っていく途中だったので、その間私は駐車場から見えるダム本体や直下の水力発電所などの写真を撮っていた。

先客が立ち去った後、管理事務所の玄関ブザーを鳴らすとすぐ担当職員が出てきた。
「ダム見学の方ですね。」
「はい。よろしくお願いします。」
見学会では参加者の人数把握のため、居住地やどうやって見学会のことを知ったかなどの簡単なアンケートを求められる。私は管理事務所の奥へ招かれた。

アンケートに記入後、コントロール室へ入ってすぐ気付いたことがあった…
この限定公開記事は会員登録サイトで公開されていたが、登録サイトの終了に伴い配信も停止している。今後はショートストーリーとして紙媒体での配信を予定している。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 厚東川ダム

2.「山口県|河川課|厚東川ダム

3.「FBページ|2013/8/3投稿分」による読者からの情報。もっともダム管理事務所の職員に話を伺ったときには否定された。公式な通路として認めてはいなかったものの両岸が堰堤で繋がっているため一の坂方面との往来での通行が黙認されていたものと想像される。

4.「うべ探検博覧会 5th Anniv.」プログラム実行時の県担当職員の談話による。(2015/3/23)

5.「宇部の水道」宇部市水道局, p.134

6. 厚東川ダムに伴う買収用地は165.1haに及び移転家屋が169戸であり、そのうちの一戸ということになる。「わたしたちの宇部 資料集(昭和48年度版)」p.35 による。

7. 同上プログラムにおいて案内役を務めた地元在住民の談話による。(2015/3/23)
2021年に現地への接近に成功し概略の写真が採取された。県道より極めて高い場所にあり安全に接近する道などはない。坑道の前は有刺鉄線付きフェンスで塞がれているが、老朽化で倒壊していた。窒息リスクなど極めて危険なため現地へのアクセスは推奨しない。

8.「FBページ|リスクマネジメントに関する例題・その3
《 個人的関わり 》
成り立ちが古いだけに厚東川ダムは市内にある他のどのダムよりも関わりは深い。また、幼少期の自分が初めて接したダムである。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

野山時代は工業用水道の絡みもあり自転車で数回訪れた。生活拠点を市街部へ移した後も見学会を始めそれ以外でも車で数回訪れている。極端な日照りが続いたり大雨が長引いたとき小野湖の水位や厚東川ダムからの放流シーン撮影を目的に訪れることもある。

ホームに戻る