黒岩観音【2】

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現地撮影日:2016/1/10
記事公開日:2016/1/20
最近、何となく開方面の物件に縁がある。

去年の暮れには黒岩から開へ抜ける昔の道に関して、ある読者から通行できたという報告を受けて再訪した。年が明けてすぐのこと、その件とはまったく無関係に開1丁目にある急坂について記事化した。それから最初の古道に立ち返ったように、再びあの場所の近くについて「これは何だろう?」のような情報提起があった。[1]詳細は本編の後続記事に書かれることとして、その調査の過程で久し振りに黒岩観音を訪れることとなった。

既に黒岩観音についての記事が作成されているので、総括記事を作成した上で前回となるべく重複しない内容について時系列でサクッと報告しようと思う。

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時刻は午後2時過ぎ。寒さ対策はバッチリ取ってあるし風もそれほどなく快適な天気だ。

道中で道路レポート向けの補足的な撮影は行ったものの、何処へも寄ることなく順当に黒岩観音まで自転車を漕いできた。
大きな看板が前面を通る市道丸山黒岩小串線に面して設置されているので初めてでもまず迷うことがない。


この日は自分の中で気になっていた「あの物件」を調べる以外に調査予定を入れていなかった。あるいは短期決戦でサッと車を乗り付けて買い物して帰ろうか…という考えもあった。
しかし上の写真でも分かるように、現地では車を停められる場所がない。入口の横は私有地らしく縄張りがされているし、黒岩観音へ向かう道はバリカーが設置されていて進入できなくなっていたからだ。

車で入れないと見るや、看板のすぐ横に舗装されたスペースがあるのでちょっと車を停めて…という来訪者もあるのだろう。張られたロープには駐車禁止の札が出ていた。来訪者が車を停めるために敷地の出入りができず迷惑を被っているのかも知れない。
最善なのは別の場所へ置き場所を確保して歩くこと…とにかく私有地へ勝手に車を置くのはトラブルの元である

バリカーから先の道は舗装されており物理的には四輪が通れる幅があった。
自転車などは問題なく進攻できるが、坂がとても厳しくてローギアでも漕いでは進めない。


坂を登り切ったところで石垣と本堂が見えてくる。
広さは充分ではないが車は転回可能で数台程度は停めるスペースがある。
バリカーで塞がずにここまで車の乗り入れを認めても良いのではないかという気も…


石段を進んだ奥に本堂がある。


参拝者は石段を歩いて登るが管理用の車道が本道の近くまでスロープで続いている。
その途中に休憩用の東屋がある。
前方の山に見えているのは旧厚生年金センターの建物の一部


前回訪れたときよりは青空の広がる好条件なので御堂を撮影しておいた。


正面からの撮影。


前回は撮っていなかったが、お参りするときに唱える言葉が立て札に書かれていた。


カタカナで書かれている真言は未だに私にとっては意味が分からない。ちゃんと調べれば分かるものなのだろう。しかし市内至る所で祠や御堂を含めて観察するようになったお陰で、お地蔵様(地蔵菩薩)についてはどうにか覚えた。

浄心と刻まれた手水石。
すぐ横には「この水は飲まないでください」の立て札が出ていた。水道ではなく別の場所に溜めた水を引いているのだろうか。


由来板の少し離れた斜面に、前回来たときには存在に気づかなかった石碑を見つけた。


石碑は自然の岩を寄せ集めた台座の上に鎮座していて、文字が読み取れるように写すのに苦労した。足元が不安定で、結局台座の下からズームで撮った。

正面からの撮影。
皇太子殿下行啓記念となっている。


側面からの撮影。
大正十五年となっているから、道重上人がこの地に黒岩観音を開いた時期と一致する。


台座部分にはこの記念碑を建てるにあたって尽力した人々の名が彫られていたが、文字の彫りが浅く撮影しても判読できないと思い見送った。

これは初回訪問時にも気づいたことだが、本堂の右横に小さな石橋と石段が見えている。


コンクリート蓋にグレーチングは後年のものとして、その近くに転がっている石は傍目にも異様に古い。
何かありそうな気がする。


4段ほどの石段があるが、その先は沢地へ消えているのみである。
すぐ近くまで旧厚生年金センター建物の土台部分が見えていた。


何もない場所へこんな石段を造る筈がない。厚生年金センターが建つ前からあって、以前は何かのために使われていたのではないかと思った。

御堂の裏は小さな沢地になっていて、自然の岩がごろごろしている。その中に四角いコンクリート柱が散らばっていた。


このコンクリート柱は厚生省と書かれている。そのことは初回訪問時にも気づいていて、敷地境界だろうと推測していた。コンクリート杭から先を厚生年金センターの敷地として厚生省が買収したのだろう。しかし石段がある以上、それ以前に何かがあったのでは…

やはり、あった。
明白に御堂などの基礎部分として使われる加工された石材が転がっていたのだ。


これは現在の御堂が建てられる前の古い御堂の基礎部分ではないだろうか。
由来板によれば、現在の観音堂を昭和57年に改築したとある。その背後に石段があるということは、かつてはもっと沢の奥に建っていたのだろう。どういう経緯があったかは不明だが、旧厚生年金センターの建物を建てるのにどうしても必要ということで沢地近くまで土地を確保したので、御堂を改築するときに元の位置より南寄りへ移して建て替えたようだ。

石材は同じものが4個転がっていたので、正方形状に配置してその上に柱を建てる御堂だったのではと推察された。上屋部分は改築時に解体し、土台の石だけが遺されたのだろう。

この石段の延長線に2本の花崗岩柱が小川部分に架けられている。
これも昔の橋の一部だったのではないかと感じた。


まあ一連のことは由来板にはなくとも地元在住民には詳細をご存じの方があるだろう。改築が昭和50年代ならそれほど昔のことではないので。

東屋のすぐ近くに正体が何であるかすぐに分かるものが設置されていた。


来訪者向けの簡易トイレである。
工事現場などに仮設されるユニットタイプのもので、最近は人里離れた御堂でも排泄物を野山へ還すのではなくこういった設備をキチンと設置する例が増えている。
西山にある丸山様にも設置されている


さて、何も黒岩観音へ簡易トイレを撮りに来たのではない。ミッションはこれからだ。およそ想像つくと思うがそのミッション遂行のために私は自転車をここまで押し歩きしていた。トイレの前を過ぎてなお真っ直ぐ伸びるコンクリートの道は藪の中へ続いていた。

この先の途中までは初回訪問時にも調査している。そのときは深く考えず軽く流している題材があった。今回はその題材について「どうしてそうなのか?」という疑義をもって再調査に訪れたのであった。

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以下、初回訪問時においては旧厚生年金センターの記事へリンクしていたように時系列はそのままで別カテゴリの記事へ移動して頂こう。記事ファイル名は…暫定的なものなので公開時には変更するかも知れない。

(「黒岩観音東古道【1】」へ続く)
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/1/3の投稿によるコメント(要ログイン)

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