昭和開作記念碑

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記事作成日:2024/11/15
最終編集日:2024/11/15
昭和開作記念碑とは、栄川と玉川の合流する河口部付近に設置された昭和開作の竣工を記念して設置された石碑である。
写真は石碑の南側からの撮影。


石碑の位置図を示す。


後述するように、記事制作現在においてこの記念碑は一般の立入が禁止されている区域内にある。当サイトのポリシー規定に則ればこのような物件を記事化すべきではないのだが、石碑の歴史的価値および重要性に鑑みて自己責任において記事化している。
本件については末尾に詳細を述べる
《 概要 》
派生記事: 市道東汐土手線
正面には献の文字。
その上には沖の字を象ったロゴのようなものが彫り込まれている。沖ノ山炭鉱関連のものだろう。
ロゴ部分のズーム映像はこちら


斜め後ろからの撮影。側面には何も彫られていなかった。
すぐ後ろは協和発酵の敷地を囲うフェンスがあるので充分な距離を確保できなかった。[2013/9/24]


石碑の裏側には昭和開作竣功記念の文字、その左側に昭和十二年二月と陽刻されている。

石碑の背面に刻まれたこの年月について疑義が差し挟まれている。書籍[3]によれば、昭和開作の竣工は昭和三年十二月二十日とされている。沖ノ山炭鉱が昭和開作を事業地として買収したのは昭和十二年八月であり、石碑の年月はどれとも一致しない。何故このような状況になっているのか明らかではないが、この付近は沖ノ山炭鉱の炭層が続いていることが分かっていて多くの炭鉱業界が渇望し埋め立て申請が大正期から相次いでいた。この地を干拓した主な目的も現代のような工業用地の確保ではなく石炭の採取であった。潮止が完了してからの採掘開始と完了、事業地としての取得という時間差に依るものではないだろうか。

年月の刻まれた部分は一部が大きく破損している。
これもまた謎めいている。これほど大きな柱状の石材でこの部分が欠けることは通常考えられない。干拓記念という石碑の性格からしても例えば白岩公園の忠魂碑のように意図的な破壊を招くような要素がなく、後年の台風による倒壊か戦時期の工場被災による爆発の影響で欠けたのではとも思われる。

背面の台座部分に昭和開作に携わった人々の名前がみられる。
一番低い位置の台座に彫り込まれているので撮影するには地面すれすれにカメラを構えねばならずかなり苦労した。

秋富久太郎渡邊祐策といった錚々たるメンバーの名前が見える。
そういう意味で昭和開作の竣功記念碑は貴重な歴史の証人なのである。
帰り際に再度石碑の上部を撮影しているとき、石灯籠の中台の端に碍子らしきものが乗っていることに気付いた。

高い場所にあるのでどうなっているかは分からない。
電線がこの石灯籠に伸びていて中台に乗っている碍子のようなものに結わえ付けられていた。

石灯籠は通常、四角や丸、三日月といった窓の構造をもっている。この石灯籠部分はどの方向も開口部が大きな正方形だった。この形状と電線の存在から、もしかするとかつて往来する船の便宜を図るために火袋に電球を置いて点灯させていた時期があるのかも知れない。
《 漁港内の立ち入りについて 》
以前の記事では漁港内の立入禁止表示問題があったが、2024年春の散歩イベントで参加者を現地案内するにあたって直接藤曲浦漁港に照会し解決したので内容を一新している。

藤曲浦漁港は市道東汐土手線の起点に入口があり、藤曲浦漁港と宇部興産(株)の連名で関係者以外立入禁止の掲示が出ている。


立て札と石碑の位置関係。
漁港内を通らないことには石碑に到達できる経路は皆無である。


立入禁止の掲示があるだけで、漁港入口にロープは張られておらず物理的には出入り可能である。港湾関係は基本的に県管理であり、昭和開作の石碑そのものも恐らくは県有地にある。したがって石碑を観るのはまったく正当な行為なのだが、立入禁止の制限が出ている社有地を通過しなければ到達できない問題があった。湾岸道路ができてからは漁港内は栄川運河橋の撮影に適しているスポットとしても知られており、写真を撮りに行きたくても立入禁止掲示を見て諦めるか後ろめたい気持ちで入場する人が多かった。
【 今までの状況 】
昭和開作の石碑の写真つき記事が早くから作成されていたことから分かるように、立入禁止掲示を知りつつ無断で入って石碑を撮影している。もちろんフェンスなどで物理的に封鎖された状態で立入禁止掲示があるなら進攻はしないが、誰でも出入りできる状態になっていたことと立ち入りに特段の危険がみられなかったこと、もし漁港関係者に誰何されても立ち入った理由を説明可能だからだった。重要なものがあるらしいことが分かっていながら看板一つのために放置するよりは、そこに在るものを画像で共有することの重要性を鑑みた結果である。

元が漁港設備なので、船や漁具のメンテナンスで組合員など漁港関係者の出入りは頻繁にあった。しかし漁港に入場したことを咎められたことは一度もない。特にカメラを持って石碑に向かうなら写真を撮りたい意志が明らかなので、それぞれのすべきことに専念すべく口を挟まないのは自然な流れである。
【 藤曲浦漁港の見解 】
2024年1月にUSCの宇部マニさんぽ春版を企画したとき、栄川から鍋倉山までを歩くコースを考えた。この過程で栄川からすぐ近くにある昭和開作の石碑を参加者に見せたいと思った。立入禁止掲示のことが頭にあったので、このときのイベントも含めて一般の立ち入りについて初めて藤曲浦漁業協同組合の事務所を訪ねた。このとき現地への立ち入りについての見解を頂けたので、以下の記述に反映する。

2024年春の宇部市スポーツコミッションによる宇部マニさんぽのプログラム栄川の痕跡と鍋倉山さんぽで、すぐ近くにある昭和開作の石碑を参加者に見せたいと思った。そこで同年1月26日に藤曲浦漁協の事務所を訪ね、石碑を見学するために参加者を入場させることについて承諾を頂いた。それからイベントに限らず石碑を観たいなど漁業関係者以外の一般人が入場することについて照会した。

立入禁止の掲示は、場内に入って遊んで怪我をしたり釣りをすることを事前に防ぐための告知ということである。今回のイベントに限らず、石碑を見学するなどの目的で場内に入ることは差し支えないとの回答を頂けた。ただし漁港内での釣り行為は明確に禁止しているとのことだった。
防潮ゲートのところに立入禁止の掲示が出ていることについてはやむを得ない要素もある。漁港は海に面していて柵がないので、子どもが入り込み遊んでいて転落する危険がある。事故が起きれば漁業協同組合側の管理責任が問われるのが常だ。外部車両が自由に乗り入れる状況になると、不法投棄のターゲットにされてしまう。しかし漁師の出入りが頻繁なので、出入りの都度ゲートを閉めたりロープを張ったりはできない。そのため物理的には出入りできる状況にありながら、形式的に一般の立入禁止掲示が掲示された状況と理解される。

実のところ歴史的価値の高い遺構がありながら、社有地であることを理由に一般の立ち入りが出来ない場所は他にもある。[2]その大半は公地から遠く離れていたり工場内の危険な場所にあり一般公開が困難なことが理由とされる。この漁港の場合は認定市道の起点から近く、考えられる危険は海への転落程度である。それを問題視するなら現状車でも自由に出入りできる港町埠頭などは全部フェンスで囲わなければならないだろう。

この場所は立入禁止の理由が存在するだけまだ相対的に妥当である。まったく安全な場所や道まで関係者以外立入禁止にされる事例は近年むしろ増えており、[5] 対応に苦慮している。この立入禁止看板のせいで、せっかくの地元の郷土資産に接する機会を排除し、興味を持つ来訪者を無碍に追い返している現状は勿体ないことである。
【 現地の行動について 】
これを受けて、実際に石碑などを観に行くために入場するときの行動について案内しておきたい。

漁港入口に誰でも分かる形で立入禁止の表示が出ている以上、漁港へ入場しようとするタイミングで関係者に誰何される可能性はある。車での乗り入れは物理的に可能だが、不法投棄を疑われる可能性があるから自転車か徒歩で訪れることを推奨する。石碑の撮影が目的なら、はじめから見える形でカメラを持っておくのが良い。撮影機材を持って歩いている人に「何しに来たのですか?」と尋ねる人は殆ど居ない。

お節介でうるさい人に「ここは関係者以外立入禁止だ。立入禁止の札が出ているのにお前は日本語が読めないのか?」と言われるのに怯える人が居るかも知れない。万が一そう言われたなら、撮影で立ち入るのは問題ないという藤曲浦漁港事務所の見解を話せば良い。そもそも漁港関係者に撮影如きでいちいち噛み付く人は居ない。撮影する人も漁に出る人もそれぞれ自分の仕事が忙しいのである。

明白な犯罪はもちろんそれを疑わせるような行為はしてはならない。立入禁止の看板に明記されていないが、敷地内での釣りは完全に禁止されている。海は公地なのでそこへ立ち入ったり釣りしたりは基本的に自由だが、藤曲浦漁港は組合員のために整備された施設である。そこへ部外者が勝手に入って釣りすることで利益を得る行為が妥当なわけがない。

禁止の明示がなくても係留されている船やタラップに立ち入ってはならない。船は組合員の所有物だから不法侵入となるし、タラップは県の設置した設備だが、そこへ立てば個人所有の船に乗り込もうとする行為と疑われる。岸壁に置かれている網や蛸壺などの漁具も触ってはならない。即ち常識的な範囲で振る舞うならば石碑の観察や漁港内からの栄川運河橋などの撮影は一向に差し支えないと考えて良い。

なお、漁港入口部分の立入禁止看板がUBE(株)の連名となっているのは、宇部興産時代の工業用水管が敷地内(藤曲浦漁協に隣接する社有地かも知れない)を通っていてマンホールの点検などで立ち入るからである。この部分は石碑の観察にはまったく関係がない部分であり、今回のイベントにあたっても問い合わせを行っていない。
【 一般論としての立入禁止掲示について 】
一般に、立入禁止の掲示一つとっても「絶対に侵してはならない立入禁止」と「状況によっては深慮しなくて良い立入禁止」が混在している。中には里道のように誰でも通って構わないのに、その入口に「この先私有地につき立入禁止」の札を掲げ、心理的圧迫を狙って通行権侵害を行っている事例すらある。

前者2つの区別は比較的容易で、変電所のフェンスなどは立ち入れば死亡事故すら起きかねないことから有刺鉄線付きフェンスで厳重に囲障されている。他方、本来掲示すること自体が通行権侵害になる立入禁止の掲示が後を絶たないのは、そこから先が里道か私道か(または公地か私有地か)の区別が当事者以外にはまず分からないからである。もっとも通行禁止を主張する側にも一定の言い分があり、通路そのものは里道だが沿線にある自分の土地に不法投棄されるような事例である。

立入禁止を掲示しない代わりに、イノシシ避けの鋼製の柵を設置して物理的に進行を防いでいるケースが非常に多い。このため来訪者は柵を外して進行して良いものか判断しかねる事例がある。この問題に関して、今後どのようにあるべきかについて提言を書いた。詳細は以下を参照されたい。
総括記事: 意見・提言|誤解を招く種の立入禁止掲示の撤去
これは街中の景観を害するだけで実効性のない掲示物を排除すると共に、立ち入ってはならないという文言をそのまま遵守する人が居る中で事情を知った人は頓着することなく出入りできている情報格差をなくすために必要である。
《 個人的関わり 》
初めてこの石碑を訪れたのは2010年のことであった。市道東汐土手線のもっとも古い写真の日付と一致することから、恐らく書籍[3]により開作記念碑の存在を知って訪れたと思う。
出典および編集追記:

1. 2013年6月頃に協和発酵の敷地内にある爆撃跡や神社の見学について門衛を訪れたことがある。個人的な見学要請には応じていない、団体での見学は社内協議により可能かも知れないが、その場合も場内見学時の写真撮影はいっさい認められないという回答を得ている。
2015年に同社の薬学関連の講座に参加したことがあるが、このときも工場内部はもちろん構内のいかなる場所での撮影も禁止されていた。

2. たとえば宇部興産(株)機械の敷地内にある沖ノ山鉱排気竪坑は登録有形文化財(第35-0008号)かつ近代化産業遺産でありながら関係者以外の自由な立ち入りが出来ない場所にあるため観光資源として充分に生かし切れていない現状がある。

3.「なつかしい藤山」p.42, 47 など。
p.114には竣工記念碑の写真が掲載されており、かつては一般人も問題なく現地を訪ることができた場所とも想像される。現地の状況を考慮したのか、藤山ふれあいセンターで入手可能な「藤山史跡まっぷ」には昭和開作記念碑は記載されていない。

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