昭和開作記念碑

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記事作成日:2015/1/11
最終編集日:2018/11/27
注意この物件は現地踏査に関しての問題を抱えています。詳細は現地の立入禁止措置についてをお読みください。

昭和開作記念碑とは、栄川と玉川の合流する河口部付近に設置された昭和開作の竣工を記念して設置された石碑である。
写真は石碑の南側からの撮影。


石碑の位置図を示す。


後述するように、記事制作現在においてこの記念碑は一般の立入が禁止されている区域内にある。当サイトのポリシー規定に則ればこのような物件を記事化すべきではないのだが、石碑の歴史的価値および重要性に鑑みて自己責任において記事化している。
本件については末尾に詳細を述べる
《 アクセス 》
西海岸通り(市道助田平原線)が栄川を渡る場所から東岸に沿って下る。この道は市道東汐土手線である。
栄川第1踏切を渡る。


踏切を渡って栄川の護岸沿いに進むと漁港の入口へ到達する。


この場所は市道東汐土手線の起点で、ゲートから内側は漁港の敷地になる。この市道は起点に到達するには自身の経路を通る以外他に道がない設定のされ方となっている。詳細は以下の記事での公開を予定している。
派生記事: 市道東汐土手線
付近には宇部興産(株)による工業用水管も敷設されているため、宇部興産と藤曲浦漁業協同組合の併記による立入禁止看板が設置されている。ただし漁港関係者の通行の便宜をはかるため高潮時以外防潮ゲートは常時開いていてロープも張られていない。

防潮ゲートから漁港の構内を撮影している。
漁業関係者の車が数台停まっていてその奥にかなり背の高い石碑がここからでも見える。


結論から言って石碑に接近するにはこの漁港内を通って行く以外ない。それ故に議論の余地はあると思うがそのまま進攻する。本件については末尾に書いた。
派生記事: 現地の立入禁止措置について
漁業関係者の駐車場となっている場所を横切るとコンクリート床版の橋に出会う。その手前には市道の起点よりも大きく明瞭な立入禁止の看板がでている。ここで横切るのは玉川の河口部付近である。
漁業関係者が通らないときは橋の前にロープが張られ立入禁止プレートがぶら下がっていることもある


橋を渡った先の角地に昭和開作の竣工記念碑が建っている。
この先も漁港構内で同様の立入禁止看板が設置されている。有刺鉄線フェンスの内側は協和発酵の敷地である。


反対側から撮影。
漁港に隣接して関係者と思われる家屋が並ぶ。周囲に高い建物はなく姿を見つけられやすいという要素は確かにある。


曜日を問わず日中は構内に出入りする関係者の姿は意外に多い。漁船や漁具の整備や手入れのためであろうが、よほど危険な場所へ接近でもしていない限り注意を受けることはないと思われる。特にこの石碑まで到達して写真を撮っているなら何のために進入しているかは自明なので誰何されることはないだろう。

順光になるよう立ち位置を変えて撮影。
比較対照となるものがないので分かりづらいが高さは5m以上ある大きな石碑だ。上部構造から石灯籠もしくは灯台と言って良いのかも知れない。


正面には献の文字。
その上には沖の字を象ったロゴのようなものが彫り込まれている。沖ノ山炭鉱関連のものだろう。
ロゴ部分のズーム映像はこちら


石碑とは言ってもただの柱状ではなく上部は完全な石灯籠の構造を備えている。
火袋に相当する造りも大きい。


宝珠も備える本格的な石灯籠だ。
笠の部分は後から載せたような造りに見えるが詳細は分からない。
この撮影時には左端に見える碍子に気付いていなかった


巨大な石碑なので台座部分も大きい。
四方から装飾的に削られた花崗岩で支え、四隅には更に大きな石材を配している。


斜め後ろからの撮影。側面には何も彫られていなかった。
すぐ後ろは協和発酵の敷地を囲うフェンスがあるので充分な距離を確保できなかった。[2013/9/24]


石碑の裏側には昭和開作竣功記念の文字、その左側に昭和十二年二月と陽刻されている。[2013/9/24]
この部分の拡大写真について…上半分下半分


石碑の背面に刻まれたこの年月について疑義が差し挟まれている。書籍[3]によれば、昭和開作の竣工は昭和三年十二月二十日とされている。沖ノ山炭鉱が昭和開作を事業地として買収したのは昭和十二年八月であり、石碑の年月はどれとも一致しない。何故このような状況になっているのか明らかではないが、この付近は沖ノ山炭鉱の炭層が続いていることが分かっていて多くの炭鉱業界が渇望し埋め立て申請が大正期から相次いでいた。この地を干拓した主な目的も現代のような工業用地の確保ではなく石炭の採取であった。潮止が完了してからの採掘開始と完了、事業地としての取得という時間差に依るものではないだろうか。

年月の刻まれた部分は一部が大きく破損している。
これもまた謎めいている。


これほど大きな柱状の石材でこの部分が欠けることは通常考えられない。干拓記念という石碑の性格からしても例えば白岩公園の忠魂碑のように意図的な破壊を招くような要素がなく、後年の台風による倒壊か戦時期の工場被災による爆発の影響で欠けたのではとも思われる。

背面の台座部分に昭和開作に携わった人々の名前がみられる。
一番低い位置の台座に彫り込まれているので撮影するには地面すれすれにカメラを構えねばならずかなり苦労した。


秋富久太郎渡邊祐策といった錚々たるメンバーの名前が見える。
そういう意味で昭和開作の竣功記念碑は貴重な歴史の証人なのである。


文字の彫りは浅くはないが一部で石材から出た灰分が流れて不鮮明になっていた。持ち帰った映像データを読み取れなかったらまた撮りに来なければならないので、文字の部分だけ2分割で撮影しておいた。
詳細な2分割写真はこちら→左半分右半分

帰り際に再度石碑の上部を撮影しているとき、石灯籠の中台の端に碍子らしきものが乗っていることに気付いた。


高い場所にあるのでどうなっているかは分からない。
電線がこの石灯籠に伸びていて中台に乗っている碍子のようなものに結わえ付けられていた。


石灯籠は通常、四角や丸、三日月といった窓の構造をもっている。この石灯籠部分はどの方向も開口部が大きな正方形だった。この形状と電線の存在から、もしかするとかつて往来する船の便宜を図るために火袋に電球を置いて点灯させていた時期があるのかも知れない。

必要充分と思われる写真を採取したし、こうしてネット上へ掲載できたので一応は足りる。しかし個人的にはこの石碑について更に詳細を調べたい場合は現地の状況を知りつつも自己責任において再訪を考えている。本件については後続の項目を参照。
《 現地の立入禁止措置について 》
情報以下の記述には個人的見解が含まれます。

現地には昭和開作の石碑一基があるのみだ。他に特筆すべき遺構はなく記事を読んで訪問者が押し寄せる状況はあり得ないので明言すると、個人的見解として各自が自己責任でこの石碑の見学のみを目的に立ち入るのは問題ないと考えている。それ故に自身も立入禁止と分かっていながら進攻して撮影してきたのである。

正式には藤曲浦漁業協同組合の事務所を訪ねて「立入禁止の表示が出ている区域に昭和開作の記念碑があるようなので観たいのだが敷地に入ってもよろしいか」と伺いを立てるべきだろうが、そこまで必要とは思わない。立入禁止のための厳重な措置が施されているわけではなく、入口から見えていて1分程度歩くだけで到達できる石碑を観るのに事務所にお伺いを立てるなど愚かな話である。広い意味での私有地であるが、窃盗など後ろめたい行為からではなく単純な郷土遺産の観察だから、誰の手も煩わせることなく観に行けば良いというのが私の考えである。

この石碑を観に行くための経路として、漁港内を通る以外ないことは調査済みである。石碑の後ろのフェンスから奥は協和発酵の社有地で、完全に有刺鉄線付きのフェンスが張り巡らされている。協和発酵の敷地内は関係者以外立入禁止になっており、一般の来訪者はかならず門衛を通すことが求められている。[1]このフェンスを越えるなどすれば不法侵入の廉で間違いなく警察沙汰になる。

防潮ゲートのところに立入禁止の掲示が出ていることについてはやむを得ない要素もある。漁港は海に面していて柵がないので、子どもが入り込み遊んでいて転落する危険がある。事故が起きれば漁業協同組合側の管理責任が問われるのが常だ。外部車両が自由に乗り入れる状況になると、不法投棄のターゲットにされてしまう。しかし漁師の出入りが頻繁なので、出入りの都度ゲートを閉めたりロープを張ったりはできない。そのため物理的には出入りできる状況にありながら、形式的に一般の立入禁止掲示が掲示された状況と理解される。

実のところ歴史的価値の高い遺構がありながら、社有地であることを理由に一般の立ち入りが出来ない場所は他にもある。[2]その大半は公地から遠く離れていたり工場内の危険な場所にあり一般公開が困難なことが理由とされる。この漁港の場合は認定市道の起点から近く、考えられる危険は海への転落程度である。それを問題視するなら現状車でも自由に出入りできる港町埠頭などは全部フェンスで囲わなければならないだろう。

石碑を観たい人々にとって現状はベストとは言い難い。原則的に立入禁止としつつも「昭和開作記念碑 20m先」と事務的に表示すれば暗黙に石碑見学を許容することとなり来訪者も安心できるのである。たとえ石碑見学目的だろうが関係のない人間を絶対に漁港内へ立ち入らせたくないのなら、いっそのこと石碑自体を誰でも観に行ける公地[4]へ移設し、元石碑があった場所のみ掲示物で案内すれば良いとすら考える。オリジナルの設置位置は失われるにしろ、そもそも現物がありながら一般人が自由に観ることのできない史跡など、はじめから存在していないも同然と考える。現存するすべての史料は、一般人が容易に観察できる環境を与えられることではじめて歴史的遺構としての価値を持つ。

この場所は立入禁止の理由が存在するだけまだ相対的に妥当である。まったく安全な場所や道まで関係者以外立入禁止にされる事例は近年むしろ増えており、[5] 対応に苦慮している。この立入禁止看板のせいで、せっかくの地元の郷土資産に接する機会を排除し、興味を持つ来訪者を無碍に追い返している現状は勿体ないことである。
【 近年の状況 】
2024年1月に後述するイベント実行のため、初めて藤曲浦漁業協同組合の事務所を訪ねた。このとき現地への立ち入りについての見解を頂けたので、以下の記述に反映する。

2024年春の宇部市スポーツコミッションによる宇部マニさんぽのプログラム栄川の痕跡と鍋倉山さんぽで、すぐ近くにある著名な石碑を参加者に見学させたいと思った。そこで同年1月26日に藤曲浦漁協の事務所を訪ね、石碑を見学するために参加者を入場させることについて承諾を頂いてきた。

立入禁止の掲示は、場内に入って遊んで怪我をしたり釣りをすることを事前に防ぐための告知ということである。今回のイベントに限らず、石碑を見学するなどの目的で場内に入ることは差し支えないとの回答を頂けた。ただし漁港内での釣り行為は明確に禁止しているとのことだった。
【 現地の観察について 】
これを受けて、実際に石碑を観に行くときの行動について案内しておきたい。

漁港入口に誰でも分かる形で立入禁止の表示が出ている以上、現地へ進攻する途中で関係者に誰何される可能性はある。車での乗り入れは物理的に可能だが、不法投棄を疑われる可能性があるから自転車か徒歩で訪れることを推奨する。今まで数回現地を訪れて撮影し、漁港関係者とすれ違ったこともあるが、立ち入りに関して問われたことは一度もない。

漁港関係者以外でも何をしに来たと誰何される可能性はあるし、お節介でうるさい人なら「ここは関係者以外立入禁止だ。立入禁止の札が出ているのに日本語が読めないのか?」などと言われる可能性はある。何をしに来たと問われれば、あの奥にある石碑の写真を撮りに来ましたと素直に答えれば良い。大抵はそれで解決する筈だが、それでもなお頑としてここから先は入るなと主張されるかも知れない。

もしそうなったら、強引に進むのではなくその場は諦めて退出することを勧める。何処にも既存の文言をたてに喧嘩を吹っかけて来たり絡んできたりする面倒な人種が居るが、そんな残念な人たちのせいで観察モチベーションが削がれる方がよっぽどの損失だからだ。この藤曲浦漁協関連ではそういう事例は一度もないが、別の地区では公道を撮影していても「そこで写真を撮るな!」「撮るなと行っているのが分からんのか!」と絡んでくるまことにもって面倒臭く残念な人が居るのも事実である。
遺憾ながらそういう厄介な人物が居る場所はメンバーに報告し要注意地点として情報共有している

石碑を観察するだけでなく、漁港の立地を活かした観察や撮影も基本的には問題ない。石碑より少し先では湾岸道路の栄川運河橋がキレイに撮れる良い場所がある。カメラを橋などに向けて構えているなら、当該人物が何を目的に敷地へ入っているかはまったく自明だからいちいち誰何する人も居ないだろう。

ただし一般常識に照らし合わせて明白な犯罪だったり、それを疑わせる行為はしてはならない。立入禁止の看板に明記はされていないが、敷地内での釣り行為は完全に禁止されている。海は公地なのでそこへ立ち入ったり釣りしたりは基本的に自由だが、当該場所の管理者が禁止を明言しているなら違法である。県管理の埠頭は多くの場所で釣り禁止となっているが、港町埠頭は掲示が出ておらず慣行的に車の乗り入れや釣りが可能である。藤曲浦漁協のこの敷地は釣り禁止とは書かれていないが、そもそも漁港自体が組合員の生活を護るための施設である。そこへ部外者が入って釣りをして良いわけがない。

係留されている船やタラップに立ち入ってはならない。船は組合員の所有物だから不法侵入となるし、タラップは県の設置した設備だが、そこへ立てば将に船へ乗り込もうとする行為と疑われる。岸壁に置かれている網や蛸壺などの漁具も触ってはならない。即ち常識的な範囲で振る舞うならば石碑の観察や漁港内からの栄川運河橋などの撮影は一向に差し支えない。

なお、漁港入口部分の立入禁止看板がUBE(株)の連名となっているのは、宇部興産時代の工業用水管が敷地内(藤曲浦漁協に隣接する社有地かも知れない)を通っていてマンホールの点検などで立ち入るからである。この部分は石碑の観察にはまったく関係がない部分であり、今回のイベントにあたっても問い合わせを行っていない。
【 一般論としての立入禁止掲示について 】
一般に、立入禁止の掲示一つとっても「絶対に侵してはならない立入禁止」と「状況によっては深慮しなくて良い立入禁止」が混在している。中には里道のように誰でも通って構わないのに、その入口に「この先私有地につき立入禁止」の札を掲げ、心理的圧迫を狙って通行権侵害を行っている事例すらある。

前者2つの区別は比較的容易で、変電所のフェンスなどは立ち入れば死亡事故すら起きかねないことから有刺鉄線付きフェンスで厳重に囲障されている。他方、本来掲示すること自体が通行権侵害になる立入禁止の掲示が後を絶たないのは、そこから先が里道か私道か(または公地か私有地か)の区別が当事者以外にはまず分からないからである。もっとも通行禁止を主張する側にも一定の言い分があり、通路そのものは里道だが沿線にある自分の土地に不法投棄されるような事例である。

立入禁止を掲示しない代わりに、イノシシ避けの鋼製の柵を設置して物理的に進行を防いでいるケースが非常に多い。このため来訪者は柵を外して進行して良いものか判断しかねる事例がある。この問題に関して、今後どのようにあるべきかについて提言を書いた。詳細は以下を参照されたい。
総括記事: 意見・提言|誤解を招く種の立入禁止掲示の撤去
これは街中の景観を害するだけで実効性のない掲示物を排除すると共に、立ち入ってはならないという文言をそのまま遵守する人が居る中で事情を知った人は頓着することなく出入りできている情報格差をなくすために必要である。
《 個人的関わり 》
初めてこの石碑を訪れたのは2010年のことであった。市道東汐土手線のもっとも古い写真の日付と一致することから、恐らく書籍[3]により開作記念碑の存在を知って訪れたと思う。
出典および編集追記:

1. 2013年6月頃に協和発酵の敷地内にある爆撃跡や神社の見学について門衛を訪れたことがある。個人的な見学要請には応じていない、団体での見学は社内協議により可能かも知れないが、その場合も場内見学時の写真撮影はいっさい認められないという回答を得ている。
2015年に同社の薬学関連の講座に参加したことがあるが、このときも工場内部はもちろん構内のいかなる場所での撮影も禁止されていた。

2. たとえば宇部興産(株)機械の敷地内にある沖ノ山鉱排気竪坑は登録有形文化財(第35-0008号)かつ近代化産業遺産でありながら関係者以外の自由な立ち入りが出来ない場所にあるため観光資源として充分に生かし切れていない現状がある。

3.「なつかしい藤山」p.42, 47 など。
p.114には竣工記念碑の写真が掲載されており、かつては一般人も問題なく現地を訪ることができた場所とも想像される。現地の状況を考慮したのか、藤山ふれあいセンターで入手可能な「藤山史跡まっぷ」には昭和開作記念碑は記載されていない。

4. 昭和開作記念碑の設置されている場所は県の公有地である。フェンスに近い側の礎石の端に山口県の銘があるコンクリート境界杭が設置されていた。フェンス等により外部の公地に繋がらない実質的な囲繞地になっているのかも知れない。石碑の設置位置は昭和開作の東の端であり、漁港構内は車海老の養殖目的で大正期に竣功していた秋富開作の一部である。

5. 例えば馬の背下池の堰堤へ降りる山道付近に中国電力の設置した標識、その先の霜降山登山道トンネルコースの入口に設置された標識がある。いずれも元々は誰でも通れる溜め池への道や登山道であった。私企業が自費で周辺を整備したことは評価するにせよ、それを理由に恣意的な立入禁止措置を施し一般の通行を排除するのは如何にも身勝手と思うのだが如何だろうか。

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