宇部護国神社

御堂インデックスに戻る

記事作成日:2024/3/24
最終編集日:2024/3/30
注意この記事は書きかけ状態です。まだ正規に公開されておらず今後の編集追記で内容が変化します。公開水準に達した時点で更新履歴で案内し本タグを除去します。

宇部護国神社は、小羽山地区の維新山にある神社である。
写真は正面やや左からの撮影。


位置図を示す。


一般に護国神社とは国を護るために尽力した人々を祀る神社で、市内には他に船木地区と万倉地区にも存在する。宇部護国神社に関しては公式サイトで詳細に記載されており、重複する内容をこの総括記事に記載する意義を感じないので、以下は個人的関わりも含めて公式サイトと重複しない補完的な内容を記載する。
《 鳥居 》
正面参道に神明鳥居、横の参道と上の参道に明神鳥居がある。

正面参道の鳥居。
昭和19年、財団法人宇部共同義会による建立で最も新しい。


横参道の鳥居。明治33年建立で、扁額に維新招魂社と陽刻されている。


上参道の鳥居。
慶応3年設立でもっとも古い。


この鳥居は元々下にあったが、横参道に大きな鳥居を設置したとき移設したものと言われている。[1]
遣いのネコ
宇部護国神社にはかつてトトロのような毛並みをした人懐っこいネコが飼われていた。
写真は2022年の撮影。


このネコは来訪者をまったく恐れず、ニャーニャーと鳴きながら擦り寄って来ていた。しかし長く構われるのは好きでないらしく、背中を撫でるのを許しても抱っこされるのは嫌がった。常に出現するとも限らず、長い間行方不明なときもあった。一般に外で飼われていたり野良育ちなネコは、餌などで手なづけない限り寄ってくることはないのだが、このネコは人に構ってもらうこと自体が好きらしかった。

最初に宇部護国神社の本格的な撮影を開始したときに出会い、そのとき私がこれから行こうとした場所を先回りして移動し居座ったり、構って欲しそうな態度を見せる割に構おうとするとサッと逃げてしまういわゆる「ツンデレ系」な女の子のように映った。その人間臭い所作から、かなり早い時期に「遣いのネコ」と題した時系列記事を作成している。詳細は項目に設置されたリンク先を参照されたい。

神懸かった所作のネコという題材で、小羽山ものしり博士づくり計画の最初期の冊子にも写真付きで紹介されている。後に宇部護国神社の関係者に尋ねることによって、ウメちゃんという雌猫であることが判明した。
漢字表記か平かな表記か分からないので仮にウメちゃんとカタカナ表記している

ウメちゃんは暫く姿を現さないまま、恐らく2022年の末か2023年の始めに天へ召されたと聞いている。野ウサギは次に生まれ変わったならウメちゃんと祝言を挙げると発言している。
《 所在地の維新山について 》
宇部護国神社の所在地は大字中宇部1631である。この周辺は小羽山地区でも住居表示エリア外であり、郵便物などは専ら宇部市中宇部1631のように書かれる。現在では小字名は用いられないが、登記簿上の形式に則った表記では大字中宇部字維新山1631番となる。ここに現れる字維新山は、宇部護国神社を含んだ小字名である。境内にて汲み揚げられる井戸水は、維新山霊泉として提供されている。

維新山(いしんやま)という表記から、明治維新を想像する人は少なくない。宇部を救った福原越後公の祀られる地として最適であるのは確かだが、その当時から維新山と表記される地名が存在していたわけではないことには注意を要する。宇部護国神社の前身は維新招魂社であり、それ以前は崩招魂場と呼ばれていた。この崩(くずし)とは、神社裏手の高台であった崩山に由来する。

小字名としての崩は、維新山より南寄りに存在する。最初に崩山という山名が存在し、字名として崩と維新山に分化したのではないかと思われる。維新山は明治期以前は意心山ないしはい志ん山と書かれており、享保年間に制作された地下上申の絵図や防長風土注進案にこの表記がみられる。

この地名は「石ノ山」の転訛と考えられる。宇部護国神社をはじめ字維新山周辺の古い石積みには、白い小さな斑点の入った極めて緻密で硬い石材がみられる。


同様の石を他の地区でまだ確認しておらず、この岩質を維新山系と勝手呼称している。
《 近年の変化 》
小羽山地区在住ということもあり、宇部護国神社の変化は逐一記録してある。以下には主立ったものを年号別にまとめている。
【 2022年 】
・12月頃(日付は要調査)に、鎌田にあった蛭子様の御堂や石灯籠などの一式が宇部護国神社の上参道寄りに遷座された。
写真は遷されて間もない時期の撮影。


遷された理由はよく分かっていないが、現在は蛭子様があった場所は新興住宅地に取り込まれていて跡形もない。地区で看る人が居なくなったためと思われる。なお、蛭子様は最初期は現在の新西ノ宮橋東岸上流のえびす岩に据えられていたとされ、今回が2度目かつ恐らく最後の遷座である。
【 2023年 】
・本殿前の参道に色とりどりの風車が並ぶアーチが設置された。
写真は七夕祭りのときの撮影。


これは「人が集まる場所にしたい」という宮司の意向を受けて始められた取り組みの初期のものである。

・12月31日にカウントダウンライブと称して、オープンステージでのライヴ演奏と新年を迎える前のカウントダウンが行われた。なお、同じ日に定番の港町埠頭を始めとした他の数ヶ所でもカウントダウンイベントが開催されている。
【 2024年 】
・1月20日と21日に境内にあるオープンステージ横に559カフェがオープンし、記念ライブが開催された。


559カフェの名称は、宇部護国神社の「ごこく」に掛けている。営業日は土日の午前11時〜午後5時で、うどん・そばとドリンクを提供している。なお、カフェ運営には新川歴史研究会メンバーの局長も協力している。[2]
《 客観資料 》
スタンフォード地図による宇部護国神社を含む周辺。昭和初期の制作である。


《 個人的関わり 》
現在ではいろいろな面において宇部護国神社との関わりがあるが、いずれも近年のことである。以下、時系列に沿って記述する。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

出典および編集追記:

1.「宇部ふるさと歴史散歩」(黒木甫)p.33
ただし元々上参道に存在していたという説もある。

2.「宇部護国神社境内に”559カフェ” 週末限定営業、野外ライブステージも|山口宇部経済新聞

ホームに戻る